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『俺なんていっつもグレちゃんに嫉妬してるよ』
「へえ、そうなのか」
『ま、ポケモンの姿のままならグレちゃんよりひよりちゃんに可愛がってもらえるし別にいいけど。……別にいいけど!』

私の膝に寄りかかりながら喉をゴロゴロ鳴らすレパルダスことロロ。まさに猫だ。そしてこの毛並みだもの、撫でる手が止められない。
ご飯も食べ終わって、殿は美玖さん付き添いのもと怪我の治療のため病室に戻っていった。私とココちゃんが泊っている部屋には陽乃乃くんが遊びに来ていたものの、私はグレちゃんたちに呼ばれて今は彼らの部屋にいる。

「嫉妬か。俺はそう思うことがあまり無いからよく分からないな」
『うわあ、相棒の余裕ってやつ?腹立つなあ。いいよ、今から俺が嫌というほど味あわせてあげるから。……ほーらひよりちゃん、これでどうだ』

ころん。レパルダスが床に寝そべる。仰向けになり、可愛らしい手は両方ともちょこんと曲げてふさふさの胸元に添えてある。スラリと長い胴体は思い切り伸ばして、一段と輝きを魅せる瞳が私をじっと見つめてくる。こ……これは、必殺"ほら見て可愛いでしょう?ならば可愛がれ"のポーズ……!

「ロ……ロロ……抱きしめてもいい……!?」
『お好きなだけどうぞ』
「わー……ふわふわ……」
「くっ……!……ロロ、お前……!」
『ふふふ……そのまま指を咥えて見ているがいいさ!俺がひよりちゃんに思う存分可愛がられる姿を!』

──ふと、ハンガーに掛けてあったロロのコートから携帯のバイブ音が聞こえてきた。
ぴたりとロロの動きが一旦止まるものの、音は無視してゴロゴロに徹するようだ。……しかしいつまで経っても鳴り止まない音に、ロロは口を尖らせながらのろのろと起き上り、擬人化してコートのポケットに手を突っ込む。

「……はい、俺です」

誰だろう?、さあ。、グレちゃんと一緒に会話が終わるのを待つ。それから携帯を握ったまま、ロロが静かに戻ってきて私の隣に座った。表情が妙に険しいような気がする。

「ひよりちゃん、次のジム戦、俺とグレちゃんにやらせてくれないかな」
「え?いいけど……」
「突然どうしたんだよ」

グレちゃんの問いに、ロロが先ほどの電話の内容を話し出す。
それにちょっぴり、……いや。かなり驚いてから、ますますエンジュジムに行きたくないなあと思ってしまった。





早朝にポケモンセンターを出たにも関わらず、やはり地図で見るよりもエンジュシティまでの道のりは遠かった。
やっと着いた頃には、すでに空がオレンジ色に染まり始めていた。何はともあれ、日が暮れる前にポケモンセンターに着くことができてよかった。

「なんだか少し雰囲気の違う街だね!」

陽乃乃くんが目を輝かせながら街を見渡す。
京都が舞台の街なだけあって、雰囲気もやはりどこか似ているところがある。どこからか和風な曲も聞こえる。その音を聞きながら観光気分で夕暮れのオレンジに染められるエンジュシティを歩く。風に揺られて秋色に染まった葉が舞い落ちているのもとても良い。
──ひらり、紅葉が目の前に落ちた。その時。

『──おねーさん、こんばんは』
『久しぶりだねえ。会いたかったよ、お姉さん』
「っ!?」

耳元で笑いを含んだ幼い声が響く。それから私の頬を撫でるその手に、思わず立ち止まっては固まってしまう。……姿は見えない。けれど、いる。確実に"あの子たち"が、ここにいる。
……ふと、陽乃乃くんが私のところにやってきて、両手をぎゅっと握りしめてから顔を上げる。

「──ひよりお姉ちゃんから離れろ」

陽乃乃くんの視線は私の後ろにある。つい先ほどまで街並みを楽しげに見ていたその瞳は、赤くギラギラと光っているように見えた。

『あれえ。あのお坊ちゃん、オレたちのこと見えてるっぽい?』
『見えてるっぽい。……斬り殺しちゃう?』

背後。声が聞こえたと思うと、すぐ横で風を切る音がした。
私の陽乃乃くんを庇うようにロロとグレちゃんが立っている。さっきのはロロがゲンガーたちを攻撃した音だったのか。

「ひよりちゃん、大丈夫?」
「う、うん。かなりびっくりしたけど陽乃乃くんがすぐ気づいてくれたから大丈夫。ありがとう、陽乃乃くん」
「えへへ、どういたしまして!」
「後は俺たちに任せてくれ」

消えては現れてを繰り返しながら、ゲンガーたちが楽し気に笑っている。
陽乃乃くんの「みやぶる」という技のおかげで、どこにいるのかぐらいは最初よりも分かるようになったものの、私では完全に追うことはできない。

『えー、国際警察のお兄さんも、お姉さんのポケモンだったの?そりゃないよー』
『いいじゃん。前の続きもできるし、ぼくはとっても嬉しいな』

気づいたときには以前同様、二人とも少年の姿に変わっていて、一人はその身丈に合わない巨大な鉈をすでに構えている。今回は流石に血糊はついていないものの、一瞬にして場の空気を変えてしまう代物であることに変わりはない。にやにや。相変わらず笑みは絶やさず、軽々と鉈を振りあげる。

「それじゃあ、俺たちもやろうか。叩き潰してあげよう。じゃないと俺の気が済まない」
「今回ばかりはロロに同意だ。手加減はしない」
「おお怖い。ならぼくは、お兄さんたちの内臓全部出してあげる」
「オレ逃げよーっと。食事以外興味ないし」

一歩踏み出した瞬間、ロロが飛び出す。
……ゲンガーたちのことは、ロロが国際警察時代にお世話になった先輩さんから昨日のうちに聞いていた。きっとジムへ行く前までに接触してくるだろうと言われていたが、まさか本当にそうなるなんて。
ということで、もちろん彼らの対策も万全だ。だからロロがゲンガーを逃がすわけがなく、あっけなく首根っこを掴まれてぶら下げられる姿が映る。

「なっ、なんでよー!?オレ戦う気ないんだけど!?」
「前回君がしでかしたことを忘れたとは言わせないよ。……そうだなあ。まずはその舌を切ってあげよっか」
「"まずは"って、舌切ったら死んじゃうよ!ねえ、お兄さん本当に国際警察だったわけ?怖すぎー!っいひゃい、いひゃい!助けて!」
「むりー。ぼくもしましまのお兄さんで手いっぱい」

ロロがゲンガーこと少年の頬を思いきり引き延ばしている中。キン、と金属音が響く。
地面に斜めへ突き刺さる鉈を踏み、グレちゃんが少年を狙う。激しい電流が宙を駆ける。しかし少年はそれを片腕のみで受け、もう片方で鉈を一気に持ち上げ垂直に刺さるまで変える。体勢を崩して地面に転がるグレちゃんに、間髪を容れずシャドーボールを振るう。爆発音とともに土煙が舞い上がり、視界が一気に悪くなった。

……ふと思う。
なぜ、街の中でバトルが始まってしまっているのだろう。しかしこれを止めるにもどうすればいいのか分からない。

「ひ、陽乃乃くん……どうしよ……」
「え、えっと、うーん……!どうしよう……!?」

二人でわたわた。目の前でドタバタ。
夕暮れ、人が少ない場所であるとはいえ、すでにこの騒音を不審に思った住人が数名集まってきている。迷惑になってしまうし、やはりトレーナーである私が止めなくては。
腕にしがみついていた陽乃乃くんには一旦離れてもらってから、覚悟を決めて歩みを進める。

「ひよりお姉ちゃん危ないよ!行っちゃだめ!」
「でも止めないと、」
「──大丈夫、君はここで待っていて」
「……え、」

ぽん、と肩に置かれた手と聞きなれない声に顔をあげて、横を通り過ぎるその人の姿を見る。……まるで光の束を集めたかのような金色の髪に、一歩踏み出すたびに揺れる紫色のマフラー。どこか掴みどころの無い雰囲気が漂う彼に、一瞬にして目を奪われる。
驚きで固まっていたものの、彼だって私と同じ人間だ。危ないことに変わりはないのにどうするつもりなんだろう。

「ゲンガー、よろしく頼むよ」
「全く仕方のない子たちだ。マツバ、もう少し彼らに厳しくしないと駄目なのでは?」
「あれでも厳しくしているほうなんだけどね」

……はて、いつからいたのだろう。
突然彼の隣に現れた濃紫色の髪をした男。髪色だけで例えるならば、光と闇という言葉がぴったりだ。苦笑いする彼の横、闇夜を飲み込んだような髪を揺れた。と思うとすでにそこには姿形がなく、なぜかぴたりとバトルが止まっていた。

「──ゲン。またその鉈を取られたいのかな」
「……チッ」
「舌打ちしない」
「っ痛い!」

ゲン、と呼ばれたゲンガーこと少年の頭をぺちんと叩いて、鉈を軽々と地面から引っこ抜く彼。同じゴーストタイプ同士なら物理攻撃も可能なのだろうか。
それから彼は少年を軽々と横湧きに抱えては対峙していたグレちゃんに一礼をした後、今度はロロたちのところへ歩いて行く。

「ガー。君、もしかしてそこのお嬢さんに手を出したのかな」
「……ソッ、ソンナワケナイジャン」
「はいそうです」
「あっ、おいこら!言うなよ!」

ロロから少年を引き取ると、こちらにも脳天に一発お見舞いしていた。それから深々と頭を下げつつ、少年の頭も思い切り押している。その光景はまるで、悪いことをしてしまった子どもの代わりに謝る親のようだ。

彼のおかげでバトルも終わり、グレちゃんとロロも私の元へと戻ってきた。
そうして少し離れたところへいる金髪の彼のところへ行くと、穏やかな表情で私を見る。

「ご迷惑おかけしてすみません……」
「いや、先に手を出したのはこっちだろう。すまなかったね。僕はマツバ。エンジュのジムリーダーだよ」
「私はひよりです」
「……ああ、そうか。彼らが話していたのは君のことだったのか」
「え?」

マツバさんの目線を追うと、ゲンガー双子に辿りつく。……あの子たちから私のことを聞いていたということか。
見ていれば、マツバさんのゲンガーさんであろう彼が双子を両脇に抱えてこちらにやってくる。

「そういえば、この子たちは?」
「ゲンくんとガーくんだよ。一時的に僕のところに預けられているんだ」
「あ、あの、どうしてそのようなことに……」
「国際警察でも手に負えないゲンガーたちみたいで、でもどうしても捜査に役立てたいんだって。それで、僕のところにやってきたんだ」
「我々にこの子たちを調教してほしいと、国際警察から頼まれたのです」

なるほど。確かに打ってつけの人選だ。マツバさんだけでも何とかできそうな気がするけど、加えてしっかりしているマツバさんのゲンガーもいる。これなら双子も……と思ったけれど、そうでもないらしい。
……いつの間にやら私の手を握って、口元に持って行っているガーくんを見て、そう思った。もちろん、マツバさんのゲンガーさんがすぐさまガーくんを引きはがしてくれたから何ともないけれど。

「本当に懲りない子だ」
「いやだって!このお姉さん、すっごく美味しいんだってば!先輩も舐めてみれば分かるって!ほらっ!」

再びガーくんが私の手に手を伸ばすと、今度はゲンガーさんの目の前に持っていく。と、ジッと私の手を見るゲンガーさん。……な、なんとなく恥ずかしい。そんな私に気づいてくれたのか、彼は「失礼しました」とすぐ視線を逸らしてにこりと微笑む。

「舐めずとも分かりますよ。一匹、……いや、二匹ですね。さぞかし美味しいことでしょう」
「…………」
「でも、私を貴方達と一緒にしないでほしい。見ず知らずのお嬢さんに節操無いことはしない」

もしも顔見知りになったら、ゲンガーさんにも舐められていたんだろうか。……なんてことを考えてしまうと、やはり今日中にジムに挑戦して早く街から離れようと思った。

──直後。双子のお誘いに便乗したマツバさんから、エンジュシティ屈指のケーキ屋さんへ誘われて簡単に付いて行ってしまう辺り、まだしばらくこの街から離れられそうもない。



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