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「バッジは渡せへん」

ポケモンセンターの一室。
アカネさんの言葉の後、ベッドで上半身だけ起こして聞いていたココちゃんが鋭い視線を向ける。瞳には怒りの色も滲んでいるように思う。

「なんでなん!?バトルには勝ったはずやろ、なのになんで……」
「ウチかてジムリーダーや。渡す相手と渡せない相手ぐらいは見極められる。贔屓はせんで」

ひよりちゃんは異論ある?、アカネさんが私を見る。それに静かに首を左右に振ると、ココちゃんは一度口を開いたが一言もなく、また口を閉じては唇を噛みしめていた。

──私は、アカネさんの判断は正しいと思っている。先ほどバトルでは、きっとどこのジムでもバッジを受け取ることはできないだろう。
ジムはトレーナーとポケモンが今まで積み重ねてきた経験を生かして、強敵を倒すため共に戦う場所だ。バッジはその強敵に「認められた」ということが目に見えてわかる証。
……つまり、大切なのは「共に戦う」ということ。個人プレイで勝ったとしても、それでは全く意味がない。

「……ねえ、ココちゃん。どうして急に、」
「……ごめんなさい。少し一人にしてくれないかしら」

ココちゃんが顔を伏せたまま言う。次いで、肩をぽんと叩かれて振り返るとアカネさんが静かに頷いていた。
仕方なく、何も言わずに背を向けるアカネさんに続いて私もそっとその場を後にする。
……部屋から出る前。もう一度ベッドに座るココちゃんに目を向けたが、結局視線が合うことはなかった。





閉まる扉。再び訪れる静寂。
ずっと噛んでいた唇を解放し、溜めていた息を吐く。すると途端に視界が霞んできて、慌ててまた唇を噛みしめた。
……わたしが一番、ひよりを理解していたはず。あの子を支えてあげられる一番の存在だったはず。根拠。そんなものは無い。けれどあの子にとって私が最初のポケモンであり、相棒であった。だからわたしは、あの子にとって特別な存在。
……そう、わたしが勝手に思い込んでいただけだった。

「……っ」

毛布を思い切り握りしめると、抑えきれなかった一粒がぽたりと落ちてきた。
手首に残る赤黒く汚れたままの傷跡にも重ねて雫が落ちてくる。ゆっくり拭うと放たれた窓から入る風に撫でられ冷えてゆく。

──ふと、ベッド横にある小さな台に置かれたボールが目に映った。
ひとつ取り残されたように置かれたボール。……ああ、まるであの時のようだ。

"鈴歌。……もちろん、ぼくはきみのことを愛していたさ。でも、気持ちというのは常に変化するものだろう?変わってしまったものは、もうどうにもできないよ。元には戻れないんだ。"

「違う違う……っ!ひよりはあいつとは違う!ひよりは、ひよりは……!」

"待っとれ言うたのアンタやん!鈴歌はそれを信じて、ずっと待っとったんやで!?なのに、なのに……っ!売り飛ばすなんて、最低や!"


……信じていても裏切られることなんて沢山あった。
それでもわたしは彼を信じて。大好きだから、愛していたから信じていたのに。
あいつとひよりは違う。
あの笑顔だって、本心からわたしに笑いかけてくれていたものに違いない。

──……ねえ。それ、絶対に違うと言いきれる?
ひよりはわたしを絶対に見捨てないと、本当にそう言い切れる?

「──……信じることにも、疲れたわ」

丁寧にかけてある上着を肩に乗せ、それからボールを手に取った。そうしてゆっくり、手のひらからボールを落とす。床で一回、二回と転がっては止まるボールは私に背を向けている。
すでに自分の運命を悟っているのかしら。





カーテンが風に揺られて音を立てる。
とある病室の真っ白い床の上。赤と白のボールから飛び出る細々としたカラフルなコード線がジジ、と最後の音を鳴らしていた。
家主を無くして壊されたボールはひっそり死んでゆく、……はずが、ひとつの手がそっとそれを掬った。

「──……心音お姉ちゃん、」

濃緑色の髪を揺らす彼は、破壊されたボールを大切そうに両手で包みこんでいた。
それから一度、窓の外へと目を向けてから静かに病室を後にした。



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