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ピンク色の床に可愛らしい壁紙。そしてそれに不釣合いな迷路のように行く手を阻む壁や階段を順々に越えてゆく。

──そうして辿り着いたジムの奥、中央。
すでにモンスターボールを片手に準備万端なアカネさんが笑みを浮かべる。それを見ながら私もベルトに付いているボールを一つ、手に取った。

「ひよりちゃん、約束通り来たんやね!……ゆうとくけど、うちめっちゃ強いで」
「よろしくお願いします……!」
「ほな、早速はじめるでー!」

審判をしてくれるお姉さんのヒールがコツ、と音を立てる。瞬間、握っていた二つの旗を思い切り上にあげて開始の合図がバトルフィールドに響き渡った。
アカネさんと同時にボールを高く放り投げて、重力で落ちてくるボールを片手でキャッチする。……記憶を取り戻してからというもの、イッシュ地方で得たバトルの感覚もはっきりと身体に戻ったようだ。落ちてくるボールを慌てて両手で掴んでいた数日前が嘘のように思う。

「ピッピちゃん、よろしゅうな!」
「陽乃乃くん、頼んだよ」

マグマラシに進化してからの公式戦は初めてである陽乃乃くん。若干緊張が見られるものの、背中の炎の威力は好調だし大丈夫だろう。先手を譲ってくれるのは余裕の表れなのか、アカネさんもピッピも悠長に構えている。

『お先にどうぞ』
『ひよりお姉ちゃん、行くよ!』
「うん!かえんぐるま!」

くるりと器用に身体を丸めてその身に炎を纏う。勢いをつけたまま陽乃乃くんが真っ直ぐ突撃する。避けられるかとも思ったけれど、素早さは陽乃乃くんのほうが上のようでほぼ直撃したと言っていいだろう。が、まさかこれだけで倒れてくれる相手ではない。

「今度はこっちの番やで!ピッピちゃん、ゆびをふる!」
『相手は炎タイプや。なら、水タイプの技を……水、水……!』

ゆびをふる。指を振って脳を刺激し、全ての技の中からどれか一つを繰り出す技だ。可愛らしい光景ではあるけれど何を出されるか分からない、恐ろしい技である。ピッピの声を聞いていると、高確率で水タイプの技を出されそうな気がしてきた。なんとしてでも回避しなければ。

『んー……これや!』

ピンク色の悪魔が跳ねる。……瞬間、地面が浮いた。
不気味な音とともにそれは陽乃乃くんに容赦なく影を落とす。蒼白い波が壁の如く立ちはだかったと思うと、一瞬にして崩れ落ちた。指示を出す間もなく巨大な波は陽乃乃くんを飲み込み、私の足元まで濡らす。頬に飛び散った水飛沫を素早く拭って顔をあげたものの、そこに炎はどこにも見当たらない。

「さっすがうちのピッピちゃんやな!」
「陽乃乃くん……っ!」

まさかいきなり波乗りを出されるなんて。
濡れたままの陽乃乃くんに駆け寄るものの、すでに気絶していて反応はない。最初からオーバーヒートで倒しておくべきだったのかもしれない。判断ミスをしてしまった。
陽乃乃くんを撫でてからボールに戻し、次のボールを宙へ投げる。

「ココちゃん、よろしくね」
「随分と早いお出ましやなあ」

ふわりと宙を舞う白を睨むようにみるアカネさん。
面識があるからやり辛いのかと思いきや、またもやいきなり「ゆびをふる」で雷を落としてきた。ココちゃんが避けてくれたからよかったものの、もし当たっていたらと考えると恐ろしい。

『ひより、わたし、絶対に勝つからみていてね』
「……ココちゃん?」
『大丈夫、……負けないわ』

、そうして気づいたときにはすでに空高く飛んでいて、そこから急降下をはじめていた。アカネさんが焦ったようにゆびを振り続けるピッピとココちゃんを交互に見る。

「いまや!ピッピちゃん、右に避け、……!」
『ごめんなさいね』

強風とともにアカネさんを通り越し、ピッピが壁に叩きつけられる。先ほどの状況とは打って変わって、今度はこちらが一発KOだ。けれど私は指示を出していないし、一瞬にして終わってしまったこの戦いに少々取り残され気味である。

『相手がアカネのポケモンたちでも容赦せんよ』
「……おっそろしい子」

アカネさんに今のココちゃんの言葉は聞こえていないはずなのに、ちゃんと会話が成り立っている。……さて、ゲームと同じであればアカネさんが次に出すポケモンはもう一匹しかいない。

「ミルタンクちゃん、頼んだで!」
『うちに任せとき』
「や、やっぱり来たか……」

恐怖の「転がる」技を持つミルタンク。
しかし、まず一つ目の厄介な技「メロメロ」は完全に封印することができている。ココちゃんが女の子で本当に良かった。そして残る技はココちゃんの速さなら全て避けられる気がするものの、相手はあのアカネさんだ。油断はできない。

「ミルタンクちゃん、転がるや!」
「ココちゃん避けてりゅうのまい!」

このミルタンクはピッピの時のようにゴッドバード一撃で倒れてくれるようには思えない。だから相手の攻撃を避けつつ、攻撃力をじわじわ上げる戦法だ。
……しかし、やはりアカネさんのポケモンである。地面を転がるだけだと若干余裕を持っていたものの、ミルタンクは砂埃を巻き上げながら猛スピードで転がってきた。と思えば、突如ココちゃんの真下から反動をつけて直角に飛び跳ねたのだ。

『……ッ!』

ガッ!と鈍い音が聞こえた直後、宙でふらふらしつつも飛び続けるココちゃんが目に映る。……まさか飛び跳ねるとは。しかし考えれば、丸まった状態でも身体をバネのように縮ませ飛び跳ねることは可能だ。ボールだって高く弾むことができる。つまりそういうことなのだ。そして跳ねたボールは必ず返ってくる。ミルタンクの場合、ここに威力がプラスされるから……相当、厄介だ。

「ココちゃん大丈夫?」
『……ええ。それより早く指示を頂戴』

私の方を見ることなく、身体を前のめりにしながらミルタンクさんを睨むココちゃん。……いつもと少し様子が違うのは、気のせいだろうか。

「もういっぺん、転がるお見舞いしたれ!」
『了解やで、アカネちゃん!』

再びフィールド上に砂埃が撒き上がる。
視界が悪くなってゆく中、止まぬ地響き。確実に先ほどより威力があがっているそれは、またもや勢いよく飛び上がった。しかし、こちらとて二度も同じ手は食らわない。軌道もしっかり見ていたココちゃんは容易にそれを避ける。これでもう少しりゅうのまいを積めばいけるかな。……なんて、甘い考えだった。

「ミルタンクちゃん、当てるまで転がり続けんと次やられるで!」
『言われんとわかっとる!』

右の壁にぶつかったと思うと次は左、下、上……。轟音と素早い動きに圧倒される。すでに私は目で追うことはできず、またその場から動けなくなっているココちゃんを見るところ彼女もミルタンクの動きが読めなくなっているのだろう。

「ココちゃん、コットンガードで衝撃に備えて!」

ここは安全な道を選んで防御に走ろう。コットンガードで防御をあげてから攻撃体勢に入っても遅くはないだろう。

「……ココちゃん……?」

が。バトルフィールドにいるチルタリスを見て動揺してしまう。
……今、彼女が纏っているオーラはりゅうのまい。いつまた攻撃されるかも分からないのに、りゅうのまいを未だ行っているのだ。もしかして私の声が小さすぎたのかもしれない。そう思ってもう一度呼びかけてみるものの状況は変わらず、思わず血の気が引いた。

「今やでミルタンクちゃん!」
『行っくでー!』

跳ねる巨体を一回二回と避けてはドラゴンクローを放つものの、どれもギリギリで当たらない。指示を聞いてもらえなければ、トレーナーはただ見守ることしかできない。ただのお飾りになってしまう。そうなった私は、もう目の前の状況を見守るしかできなかった。

『あんた、頭に血い上りすぎてるんとちゃう?』
『っそんなこと、!』
『あるで。聞こえんフリしてるなんて最低や』

ヒュン、と風の切る音がしたと思うと土が一気に舞い上がる。
地に落とされたココちゃんを容赦なく襲うのはミルタンクだ。泥に汚れた羽の上を間髪容れずに転がり潰す。
……これ以上は、もう駄目だ。
そう思ってココちゃんのボールを腰から取って中央のボタンに指を乗せたとき。──ふと、歌が聞こえた。綺麗な声で紡がれるそれは、壁が崩れ落ち地面が凹んだりしている乱雑なこの場に酷くお似合いで、私の足を動かすには十分すぎるものだった。

「……ほろびのうたなんて、聞きたくなかったよ」

乾いた喉に土埃が侵入してきてげほげほと咳き込む。その息苦しさからふっと目の淵に浮かんだ涙を人差し指で掬ってから、目の前に横たわる白とピンクを静かに眺めた。



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