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あなたの記憶、絶対わたしがどうにかしてみせるわ。

……そういったのは一体どこの誰だったのか。
ただ純粋に大切な子を支えてあげたい、少しでも力になりたい、その一心だった。でも、彼女にわたし以外のポケモンがいたこと、その彼らが迎えにきたことが分かった途端に記憶なんて戻らなければいいのになんて思ってしまった。
ひよりにもらった言葉も、今になって気休めでしかなかったのだろうとぼんやり思う。心のどこかで、まだ彼女のことを本当の意味で信じられていないのかも知れない。信じたいけど、過去がその度に邪魔をする。過去、かこ……。

扉はすでに開いてもらったというのに、いつまで籠の中にいるつもりなのかしら。





「グレちゃんとロロと話したいことがあるんだ。ごめんね、ちょっと待っててね」

何か思いつめた表情をしながらそういうと、ひよりは再び居間を後にした。
その背中を追いかけたくて腕を伸ばそうとしたものの、ここはわたしの出る幕じゃないと咄嗟に動きを止めてしまった。……結局、そのまま見送る。

ぐるぐると腹の中に渦巻く何とも言えない感情がすごく気持ち悪い。
ただ一つ分かるのは、この感情はどれもこれもどす黒い色をしているということだ。ひよりの相棒はわたしであって、今までは彼女の一番だった。……けれど今はもう違う。彼女の一番どころか、背伸びをしないとひよりの姿が見えない場所まで落ちているのかもしれない。ひよりには長い間共に旅をしてきた相棒がいて、仲間がいて。……そこにわたしの居場所なんてないのは分かり切っている。急に居場所を奪われたからこそ、この感情が湧き出ているんだと思う。……ああ、本当に性格が悪い。

「心音お姉ちゃん?どうしたの?」

ふと、赤い瞳と目が合った。いつの間にか陽乃乃が俯くわたしの顔を覗き込んでいたようだ。慌てて顔をあげたものの、頑張っても笑顔を作ることができない。わたしにそんな器用な真似はできないらしい。

「陽乃乃は、……その、ひよりにわたしたち以外の仲間がいるってことが分かって何とも思わないの?」

美玖はひよりがマスターと言いつつ、本人が気づいているかどうかは別として、多分心の何処かでは殿に仕え続けているだろうから省くとしても、陽乃乃にとってもひよりはたった一人のマスターである。きっとわたしと同じようにモヤモヤしているのでは、と期待すらしてしまった。けれど。

「僕?僕はね、他にも仲間がいてとっても嬉しいよ!みんなで旅をしたほうが絶対楽しいし、ひよりお姉ちゃんがどんなポケモンさんたちと旅をしていたのかすごく気になるんだ」

満面の笑みを浮かべる陽乃乃が眩しすぎて、思わず目線を逸らしてしまった。
……きっとわたしだけだ。こんな最低な感情を持っているなんて、ひよりに知られたらまた捨てられてしまうかもしれない。……いや、それだけは絶対に嫌。

「──心音お姉ちゃんは嬉しくないんだね。あのね……ちょっとだけ、ちょっとだけなら僕にも分かるよ」

手に触れる温もりにハッとして顔を上げると、先ほどとは打って変わって眉を斜めに下げる陽乃乃の表情が目に入る。

「多分、僕はひよりお姉ちゃんの一番じゃないから嬉しいって思えているんだよ。僕より先に心音お姉ちゃんも美玖さんも居たからね、どれだけ僕がひよりお姉ちゃんのことが大好きでも一番にはなれないって心が分かってるんだ、きっと」

僕も研究所にいたときはね、博士の一番になりたくてニコとちーによく嫉妬してたんだ。それが積み重なって、我慢できなくなって博士に全部話したの。そのとき博士に言われてハッとしたんだよ。

「"みんなが一番だよ"って博士は言ったんだ。博士にとっては出会った順番とか過ごした時間なんて関係ないんだって。ニコもちーも、僕も、みんな同じぐらい好きなんだって。……きっとひよりお姉ちゃんも博士と一緒だと思うなあ」

にこり、無邪気に笑う陽乃乃の表情にまた視界が霞んでしまう。
慌てて顔を背けると、首に腕が回って顔のすぐ真横を濃紺色の髪が掠める。炎タイプならではの体温の高さにひどく安心して、わたしも陽乃乃の背中に腕を回して思い切り抱きしめる。

「ひよりお姉ちゃん、記憶が戻ってから何だか嬉しそうだよね。ひよりお姉ちゃんが嬉しいと僕もすごく嬉しいんだ。心音お姉ちゃんもそうでしょう?」
「……ええ、そうね」
「きっと僕たちが嬉しいとひよりお姉ちゃんも嬉しい。僕たちが悲しいとひよりお姉ちゃんも悲しい」

僕でよければ何でも聞くからね、だから、

「早く心音お姉ちゃんもいつもみたいに笑ってくれたら、嬉しいなあって」

眩しすぎる太陽を、今度こそ目を逸らさずに真っ直ぐに見つめる。
まさか陽乃乃に励まされるなんて思っても見なかった。……何より、この子のほうがわたしよりひよりを分かっているようにも思う。
身体を離して頭を撫でると、陽乃乃はまた嬉しそうに笑う。

「……ありがとう、陽乃乃」
「どういたしまして!」

…………わたしも同じように笑えていればいいのだけれど。



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