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重たい瞼をゆっくり開けると、いつもと変わらない天井があった。上体を起こすと、また頭痛がして思わず小さく呻る。
──ぜんぶ、全部、思いだした。
私がどうしてポケモンの世界にやってきたのか、どうして今ジョウト地方にいるのか。全ての記憶が一気に頭の中へと戻ってきた。……だからこそ余計グレちゃんとロロには顔向けできない。

「……どうしよう、」

全て忘れていたとしても、私が彼らを言葉で傷つけてしまったのは事実だ。素直に謝ろうにも、ついさっきまでよそよそしく接していたからなのかなんとなく上手く行動に移せない。

──……ふと、襖の向こうで音がした。それに驚いて咄嗟に布団を被って寝たふりをする。そうして襖が開き、誰かの足音がゆっくりと私の潜る布団に近づく。誰、だろうか。

「……」

すぐ横。足音が消え、畳との摩擦音が聞こえた。きっと座りながら布団に埋まっている私をただ静かに見ているのだろう。

「…………、ひより、」

その声に、思わず布団の中で口元を手で覆った。
ついさっきまで聞いていたはずの私の名前を呼ぶ声が、なんだかすごく懐かしく、愛おしく感じる。気持ちが一気に溢れてくる。

「ひより。……全部思い出したんだろう。俺たちのことも、キュウムのことも」
「…………」
「俺が不甲斐ないばかりに、お前に辛い思いをさせて悪かったと思っている。──……ごめんな、ひより」

──その言葉に。
思いきり布団を両腕で跳ね除けると目の前で黒髪が揺れた。青い目は大きく見開き、驚きを隠せない表情を浮かべている。それを見ながら口を開けば、もう言葉は止まらない。

「っなんでグレちゃんが謝るの!?謝るのは私のほうなのに!こうなったのは私のせいなのに!グレちゃんは何も悪くないのに、!……どうして自分のせい、みたいに、いうの……っ」

勢いのまま言葉を叩きつけると、ぼろぼろと涙が零れ出る。悲しいから泣いているわけではなく、感情が抑えきれなくて涙に変わっているだけだと思う。乱暴に拭ってもまたすぐに溢れては布団へと落ちていた。もう拭っても意味がないなら放っておこう。

「……私、ひどいことばかり言ってきたから、どんな顔して向き合えばいいのか分からないし、どうすればいいのかも分からなくて、」
「それは仕方のない、」
「仕方なくなんかない……っ!何があっても、絶対に、……ぜったいに、忘れちゃいけなかったのに、……っ」

そろっと伸びてきた手が私の頬に触れる。その手つきがひどく優しい。それだけでまた涙が零れる。

「……ひより。俺はひよりがいてくれるならそれでいい。忘れられても、ひよりが幸せならそれでよかったんだ」
「……全然、よくないよ……」
「そうだな、よくなかったな。……今は、一緒に幸せになりたいと思ってしまった」

その言葉に視線をあげると、ゆっくりと腕が回って抱きしめられる。背中に回る腕に力が込められるのを感じながら、そのまま肩に顔を埋めた。懐かしい、安心する、大好きな匂いだ。

「──おかえり、ひより」

優しい声色に抱きしめ返しながら頷く。

「……ただいま、グレちゃん。来てくれて、ありがとう。……また、私の隣にいてくれる……?」
「当たり前だろう。そのために、ここまで来たんだ」
「うん、……うん」

迷惑かけてばかりだけど、それでも一緒にいてくれるんだ。
そう思うと嬉しくて、またきつく抱きしめた。





"ありがとう、グレちゃん"

……確かに彼女はそう言った。
部屋でひとり、永遠と彼女の言葉を繰り返し思い出す。

もしも。戻った記憶が一部だけだったら。グレちゃんのことだけ思い出して、俺のことは忘れたままだったら、……俺は、どうすればいいんだろう。
この瞳のことはいつ話せばいいのか、そもそも打ち明けても以前のように受け入れてもらえるのか。──……もしも、拒絶されてしまったら。

「……っ、」

右目が疼く。そのままじわじわと痛みが広がっては身体を蝕む。
……だめだ。辛いのはひよりちゃんの方なのに、俺がこんなんじゃ支えてあげることなんて出来ない。……いや、別に俺がいなくても、グレちゃんや心音ちゃん、支えてくれる人ならたくさんいるじゃないか。なら俺は、……ここにいる意味は無い?

「……っ、あ、っぐ、……ッ」

その通り。、同調するように痛みがさらに増してゆく。もういっそのことこの瞳を潰してしまえば苦しむこともないんだろうか。クラクラする頭で手先だけレパルダスの姿へと戻す。鋭く尖る爪を見つめ、ゆっくり眼帯に向けて垂直に持っていく。……これで痛みからも、悩みからも解放されるんだ。

──……その切っ先が、黒布に触れる。
瞬間。
横からその手を強く叩き落とされた。何が起こったのか理解する間もなく、暖かい何かに包まれる。左右で鳴る鼓動の音、きつく抱きしめてくれる小さな身体。鼻孔を掠めるこの匂いは紛れもない、俺の大好きな、

「……ひより、ちゃん……?」
「ロロさん。私と約束したこと、忘れてしまったんですか?」

肩を掴んで後ろに押すと、簡単に身体は離れた。
荒れた呼吸を整えながら目を見開く。彼女は俺を見ると顔を歪めては立ち上がり、何を思ったのか俺の後頭部へと手を伸ばして髪を乱暴に掻き分ける。
そうして……気付いたときにはもう遅い。引っ張られた紐が解けて、眼帯がひらりと下に落ちた。咄嗟に右目を隠せば、今度はその手を取られてまたすぐに黄色の瞳が露わになる。

「"ロロ"」

どくん、と。心臓が一度大きく鳴り響く。
喉元が急に狭くなって、身体は石のように固まってしまう。目の前の彼女から目が離せない。そうして真っ直ぐに伸びてきた両手は俺の頬を優しく包み込み、親指が優しく目元をなぞる。

「うん、──……やっぱり、ロロの目はとっても綺麗だね」
「──…………」

俺にとって大切なその言葉が、嬉しくて。
もう一度言ってもらえたことが、本当に嬉しくて。

ぽたり。満面の笑みを浮かべる彼女の頬に雫が落ちる。一瞬誰のものなのか分からなかったけれど、俺を見上げながら驚いているその表情と続けて零れる涙に、ああ、俺のだったのかあ。なんて暢気に思った。

「えっ、ロロ!?まだ痛い?大丈夫!?」
「──……大丈夫。……大丈夫だよ」

コロコロと変わる表情が堪らなく懐かしくて、涙は止まらないのに自然と笑顔が溢れてくる。同じように目が潤んでいる彼女を、再びそっと抱き寄せると背中に腕が回って抱きしめ返してくれた。それさえも、こんなにも愛おしい。

「ただいま、ロロ。……今まで忘れていて、ごめんね。迎えにきてくれて、ありがとう」

耳元で聞こえるその声に頷きながら、ただ無言で聞いていた。
俺だって色々ひよりちゃんに言いたいこと、話したいことがたくさんあるんだよ。
でも今はちゃんと話せそうにもないからさ、もうちょっとこのままで居させてくれないかな。



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