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ポッポー、ポッポー。
いつぞやに買ってきた、置き型目覚まし時計が大きく鳴り響く。……その音に寝返りを打ってうつ伏せになり、ポッポの頭に手のひらを強く打ちつけた。おかえり、穏やかな朝。

それから再び目を閉じては布団の中に潜る手前、ふと気づく。……なぜか陽乃乃くんが隣で眠っているではないか。ただ横になっただけという表現が正しく、毛布をかけないまま穏やかに寝息を立てている。
とりあえず使っていた毛布の半分を陽乃乃くんにかけながら横になった。

「ん……」

肌寒かったのか、ついさっきまで胎児のように丸まっていた陽乃乃くんが私に身を寄せてきた。まだあどけなさの残る寝顔を見ては、寝ぼけ眼でニコニコしてしまう。
そうして陽乃乃くんを抱きしめながら、再びゆっくり目を閉じた。





「──……ちゃん、ひよりお姉ちゃん!」
「んんー……陽乃乃くん……?」
「どっ、どうしよう!寝坊しちゃった!お姉ちゃんを起こしに来たのに、僕まで寝ちゃうなんて僕のばかー!」

頭を抱える陽乃乃くんの横、目を擦りながらのろのろと体を起こす。……はて、寝坊とは。
自然と出る欠伸に口を大きく開けながら枕元にある時計に目をやると、時計の針は10と5の数字を指している。つまり、今は10時5分だということだ。……10時、…………ごふん、……

「っああああ!!美玖さんが作ってくれたご飯が冷めてる!!」
「そうだけどそうじゃないよ、ひよりお姉ちゃん!ジム戦だよ、ジム戦!」

ぱちぱちと瞬きを繰り返してから。……私も先ほどの陽乃乃くんと同じように頭を抱えた。昨晩、今日もジムへ行くと決めていたのに。きちんと起きられるよう、あの頭に響くほどうるさい時計もセットしたのに。……寝坊、してしまった。

「ココちゃん、は、もう起きてる!?ッ早く着替えなくちゃ!」
「え、お、おおお姉ちゃん、ちょっと待って!?僕、で、出ていくから!まだ脱がないで!」
「……ああ、そっか」

パジャマのボタンを手早く外してから気付く。顔を真っ赤にしながら慌ただしく部屋を出て行く陽乃乃くんは、もう子どもではないのだ。進化したばかりだからなのか言動はまだ幼さが残っているものの、容姿は中学生ぐらいか……。きっとすぐ精神も容姿に見合ったぐらいに成長するはずだ。そのこともちゃんと理解しておかなければ。
……とはいえ、今は急を要す。襖が締め切らないうちにパジャマを脱ぎ捨て、服の裾に腕を通した。

そうして陽乃乃くんに引き続き私も慌てて部屋を出る。居間へ行く前に洗面所へ走り、身支度を整えた。
それから先ほど通り過ぎた居間へと戻ると、殿以外のみんながのんびりくつろいでいた。食べ終わった食器も無く……かなり待たせてしまったようだ。

「おはよう、ひより。よく眠れたみたいね」
「おはようココちゃん。そしてみなさま、おはようございます……」

ニコニコしているココちゃんを見てから、ご飯を口の中へかきこんでいる陽乃乃くんの隣に座る。と、すぐさま目の前に美味しそうな朝食がスッと出されるではないか。

「おはよう、ひより」

慌てて顔をあげると、微笑む美玖さんと目が合う。
冷めてしまったおかずも温めてくれたんだろう、どれも仄かに湯気がでている。

「み、美玖さん……っ!!」
「声が聞こえたからね、そろそろ起きてくるんじゃないかと思って温めておいたんだ」
「美玖さんのこと、お母さんって呼んでもいいですか……」
「……ごめん、遠慮させていただくよ」

私から視線を逸らす美玖さんの手をがっしり握ってから「いただきます」と手を合わせる。……ああ、お味噌汁が身に沁みる。
一旦お椀を置いてから息を漏らすと、くすりと笑い声が聞こえた。

「ひよりちゃん、ほんと美味しそうに食べるよね。何だか俺もまたお腹が空いてきちゃったなー」
「……あげませんよ?」
「冗談だよ。美玖くんのご飯美味しかったからおかわりしたんだ。だから今はお腹いっぱい」

ロロさんに激しく同意する。美玖さんが作る料理は何を食べても本当に美味しい。
ロロさんの横、グレアが私に視線を向けては口を開く。

「ひより、この後は予定通りジム戦に行くのか?」
「うん。待たせてごめんね。すぐ食べるから!」
「いいや、気にせずゆっくり食べていいんだぞ」

素早く口をもぐもぐさせていると、グレアが面白そうにそっと笑みを浮かべながら言う。……グレアは一見、目つきが鋭いから近寄りがたい感じがするけれど、笑うとだいぶ印象が変わる。
手をぱちん!と合わせて「ごちそうさまでした」と満面の笑みを浮かべる陽乃乃くんの隣、なんとなく、グレアからそっと視線を外してから頷き返しつつ朝ごはんを食べ進めた。

少しだけ、彼が私のポケモンであったことをふと感じることがある。何でもない言葉や、ただそばにいてくれるだけでとても安心するのだ。
……記憶がないだけで、私の中のどこかは確実に彼を覚えているのだ。


"過去だろうが未来だろうが、お前が何処に行っても絶対会いに行く。だから、!"


「──…………、」
「……ひより?どうしたんだ?」
「、え、……ううん、何でもない」
「……そうか」

──今までにないぐらいに、はっきりと頭の中で声が聞こえた。
間違いない。さっきの声は、今目の前にいるグレアのものだ。でも分からない。いつ、どこでその言葉を聞いたのか全く思い出すことができない。
それからまた、何かが砕ける音が頭の中に響いては僅かに痛みを残す。気を紛らわせるために食べ進めながらも、何度も先ほどの声を思い出していた。





「そういえば、陽乃乃くん。昨日のこと、もう大丈夫?」
『えっと、昨日よりは大丈夫……かな……』

空を飛んでヒワダシティへ来てから、ジム戦前のトレーニングとして近くの道路を歩きまわっていた。
虫取り少年とバトルをしたり、指示の出し方や戦い方の案を考えたり。そうしていたらなんだかんだでお昼はあっという間に過ぎていて、一旦ポケモンセンターへと戻る道のり。
陽乃乃くんが私の隣でうな垂れながら歩いている。

「今日は殿と会ったの?」
『うん……おはようって挨拶して、殿もおはようって言ってくれたんだ。でも、いつもなら笑って言ってくれるのに……今朝の殿の目、すごく怖くて……!』
『ヒノ、残念だけどこれから毎日あんな感じだよ。……オレがカメールに進化したときから今までずっとそうだから……さ……』

力なく揺れるボールから、美玖さんの悲痛の声が聞こえた。
──昨日こと。
陽乃乃くんは進化したことを殿に知らせるべく、帰るなり真っ先に殿のところへ行っていた。陽乃乃くんは殿に褒めてもらいたかったのだ。しかし。陽乃乃くんは進化をして、すでに子どもとは言えない容姿となっていた。そして性別は男。……殿の態度がどうなるかは私の想像どおりだろう。

『僕も女の子だったらまだ可愛がってもらえたのかな……』
『ああ、それ、何度思ったかな……はは、まるで昔のオレみたいだ……』
「ちょ、ちょっと!?美玖さんまで暗くなってどうするんですか!」

美玖さんぼボールを掴んで思わず振ってしまった。
……しかしながら、殿には不思議な魅力がある。容姿云々もそうだけど、それを抜いたとしても、なにか人を惹きつけるもの持っている。そんな人に好かれたいと思う気持ちは分かるけれど、そればかりを考えすぎて今の自分を否定するのはいかがなものか。

「私は今の陽乃乃くんも大好きだよ」
『……ひよりお姉ちゃんは僕が女の子じゃなくても、これから先も撫でてくれる?』
「もちろん!喜んで撫でさせてもらうよ」

しゃがんでから、私を見上げる陽乃乃くんことマグマラシを撫でる。陽乃乃くんがどんな姿になっても、私にとってはずっと可愛い弟みたいな存在だろう。
そうしてひとしきり撫でると、マグマラシが目を細めながら背中の炎を燃やしてみせる。

『ありがとう、ひよりお姉ちゃん!僕、元気がでたよ!』
「どういたしまして。さ、ポケモンセンターで回復したらジム戦だよ。今日も陽乃乃くんには頑張ってもらうからね」
『うん!負けないよ!』

ゴオッ!とさらに炎を燃え上がらせる姿を微笑ましく眺める。そうして跳ねるように道を再び歩き始めるマグマラシの後ろ、私も立ち上がってあとに続く。

──ぱきん。

「……っ、……、」

また、頭の中で音が鳴る。
ヒビが入るような音、何かが欠けるような音……。痛み、俯きながらこめかみに人差し指をあてながら押す。だんだんと熱を帯び、それとともに痛みも強まり……。

『ひよりお姉ちゃんー?』

そうして、こちらを振り返る陽乃乃くんの声にハッとした。
すぐに顔をあげて、聞こえてる合図として手を振ると再び走り出す陽乃乃くん。……痛みが消えている。あの音も聞こえない。
──今朝、久しぶりに頭の中での声を聞いたと思ったらまたすぐこれだ。これからジム戦もあるというのに。

「…………」

痛むだけで、いつも何も思い出すことはできない。
そんな自分に一度ため息を吐いてから、先行く陽乃乃くんの後を追った。



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