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厳しいなんてもんじゃない。それすら通り越してもう何が何だか分からない。
陽乃乃くん相手なら多少容赦してくれるものだと思っていれば、初っ端から波乗りするわ冷凍ビームで吹っ飛ばされるわ、もう散々だ。ちなみに私もずぶ濡れで、凍えている状態である。
……特殊技は全てミラーコートで跳ね返されて、物理技は避けられる。やられっぱなしで悔しさだけが募るものの、殿様相手では何も仕返しができない。

「薬で回復したら再開するぞ」
「鬼……鬼だ……!」
「わっちに少しでも掠りさえすれば終いなのだぞ?簡単なことなのに、何故できぬ」

すでにボロボロの陽乃乃くんに傷薬を吹きかけている私を、殿は悠長に扇子を広げて見下ろしていた。
簡単?ご冗談!!簡単なんて嘘だ!、と心の中で叫びながら空になった傷薬を地面に置く。……もう、何個傷薬を消費したのかわからない。陽乃乃くんのためにも早くなんとかしなければ。

「陽乃乃くん、大丈夫?」
「ぼくはぜんぜんだいじょうぶだよ。ひよりおねえちゃんこそ、だいじょうぶ?ぼくがぜんぜんこうげきあてられないから、ごめんなさい……もっとがんばるね」
「違うよ!陽乃乃くんは十分頑張ってるよ、本当にありがとう。……これはね、殿が大人気ないのが悪いから気にしないでいいんだよ」
「小娘、聞こえておるぞ」
「……あいたっ!」

小声で言ったのに聞こえていたのか。やたら硬くて重い扇子が脳天を直撃する。相変わらずのとてつもなく痛い一撃だ。頭を抑えて涙目になっていると、横にいた陽乃乃くんが小さな手で私の頭を撫でてくれる。……うう、天使だ。天使の後ろに、鬼が立って私を見下ろしているう……。

『はじめるぞ』
『はい!』

殿と陽乃乃くんがポケモンの姿に戻る。それを眺めながら、どうすれば殿に一撃でもいいから入れられることができるのか考えていた。
陽乃乃くんが覚えている技はまだ少ない。唯一ダメージを与えられそうなオーバーヒートも、ミラーコートの前では無効化されてしまうからどうしたものか。

『ひより、敵は常に攻撃を避けるものだと考えておけ。当たらぬものを当てるにはどうすればよいか分かるか』
「……避けられないようにどうにかする、とか?」
『どういう時に避けることが出来ぬと思うか考えてみろ』

尾鰭を揺らすミロカロス。金色の鱗がわずかな光でさえも反射して薄暗い洞窟の中でもキラキラと輝いていた。
……どういう時に避けられないか。避けられない、までいかなくても反応が少しでも遅れれば、隙が作れさえすればそれでいい。

「どういう時…………あっ、」

陽乃乃くんを呼び戻して、これからの作戦を伝える。それから陽乃乃くんはこくこくと頷くと背中に炎を灯しながら再び殿に向き合う。
通用する・しないは別として、やってみる価値はあるだろう。技の書いてある紙を握りしめ、いざ再度ミロカロスに立ち向かう。

「──陽乃乃くん、でんこうせっか!」

私の指示に合わせてヒノアラシが走り出す。すぐに距離が縮まり、地面を思い切り蹴り上げて飛び跳ねたヒノアラシが真っ直ぐに突っ込んでいく。それを流れるような自然な動きで避けるミロカロス。技が外れて、ヒノアラシが背後、宙を舞う。

「顔面に向かって煙幕!」
『はい!』

……打ち合わせ通り、ヒノアラシが小さな身体をくるんと丸めて向きを変えるとミロカロスに向かって真っ黒い煙を吐き出した。今まで何度もでんこうせっかを避けられていたが、こうして煙幕をはるのは初めてだ。
視界が悪い中、ぽつんと明るく見える炎。金色の鱗はすぐさまそれに向かって尾を振り落とし、払い消す。──……かかった!

『……っ、これは、』
「陽乃乃くん、オーバーヒート!」

ミロカロスの尾は、火の粉で燃やした苔を地面に叩き落としていた。身代りを作った後、すぐさまヒノアラシは煙幕から出てそれが消されるのを待っていたのだ。
消えた瞬間が勝負。……ヒノアラシが炎を燃え盛らせ、煙幕の中を突っ切った。

──……ガッ!、鈍い音がした。何かと何かがぶつかった音だ。
こちらからでは未だ残る煙幕で何も見えないが、今のは確実に当たったとみていいだろう。走りだしたいのをグッと抑えて、視界が晴れるのを待つ。

「──良い一手だ」
「……うそお」

煙幕が急に吹いた風で一気に晴れたと思うと、殿と地面にしゃがみこむ陽乃乃くんの姿があった。……なるほど、今の風は殿が扇子を陽乃乃くんに振り落としたものだったのか。

「との、いたいよお……」
「すまぬ」

言葉では謝っているものの顔は愉快に笑っているところを見ると、やはり悪気はこれっぽっちもないらしい。
頭を押さえている陽乃乃くんに急いで駆け寄り、今度は私が頭を撫でてあげると涙目ながらもにっこりと笑う陽乃乃くん。可愛い。

「ひよりもやればできるではないか。悔しいが、主の指示は良いものだった。認めてやろう」
「…………」
「今のはジム戦にも使えるだろう。やってみるが良い」

殿の言葉が右から左へと流れてゆく。ただ、ぽかんと口を開けて見上げていれば、だんだんと顔を歪めて一歩下がる殿。

「その顔はなんなのだ……?」
「だ、だって、今、!殿が私のこと、褒めてくれた……!」
「?、それがなんだというのだ」

殿に褒められたのなんて、出会ってから初めてだ。殿にとっては何でもないことでも、私にとってはとてつもなく嬉しい。
いつも怒られたり叩かれたりと散々だったけど、さっきの一言はそれを全て帳消しにしてもいいぐらいに嬉しかった。

「ありがとうございます……!できればもっと褒めてください!」
「小娘が、調子にのるなよ」

殿の声に、「あっ、これは叩かれる」と瞬時に頭が防御モードに切り替わった。そうして振り落とされる扇子に備えて腕を上げるもそのスピードには追い付かず。

「……偉いぞ。よく頑張ったな」
「……へ……?」

扇子はフェイク、だったのか。
私の頭を、殿が優しく撫でてくれている。そしてそっと肩に掛けられる黒い羽織にまた呆然とする。私と同じように、隣で殿に頭を撫でられては嬉しそうにはにかんでいる陽乃乃くんの姿を見ながらゆっくり自分の頬を抓ってみる。
あの殿が、また、私を褒めている。……夢なのか、これは夢なのか……?……いや、違う!夢じゃない……っ!!

「と、殿お……っ!」


温かい気持ちに包まれながら顔をあげれば、にやりと弧を描く口元が視界に入る。そして、なぜか振りあげられているその腕も。
……ああ、やっぱりさっきのは夢だったのかあ。一瞬だったけど、とても良い夢だったなあ……。

「良いか、ひより。不意を打つことが大切なのだ。覚えておけ」

ヒュン、と風を切る音が鳴る。……直後、私の頭に鈍痛が走った。
ひどい。こんなのってあんまりだ。





『よくもひよりを何回も叩いたわね!倍にして返してやるんだから!』
『本当に口が達者だな』

……まだ痛い。自分の頭を撫でながら、ヒノアラシの姿になっている陽乃乃くんを膝に抱えて、隅でココちゃんと殿のバトルを眺めていた。
陽乃乃くんは疲れて眠っているのか、一定のリズムで呼吸をしている。指示を出すだけではあったけれど、やはりバトルは私も疲れた。このまま一緒に眠ってしまいそう。

『龍の波動で……っ』
『甘いな、冷凍ビームが上だ』

ドオン!……もう何度めか分からない爆発が上空で起こる。その度に謎の物体がひらひらと私のところまで飛んできたり、時には小石が降ってきたり。
……本来なら、陽乃乃くん同様、私がココちゃんに指示をだして殿と戦うべきなのだが、私の実力不足でチルタリスは言うことを聞かなくなってしまった。ゲームでいうと、指示を聞かず勝手に技を繰り出している、という状態である。ココちゃんの場合は殿に対する怒りで我を忘れているような感じだろうか。何だか某映画の生き物のようだなとぼんやり思う。

「──あはは、これはすごいや」
「特訓じゃなかったのか……?」
「グレア、ロロさん」

端を歩きながら二人がこちらにやってきた。目線はココちゃんと殿のバトルに向かっていて、ロロさんは苦笑いをしている。それもそうだ、トレーナーである私が遠く離れたところでのんびり座っているうえに、ポケモンたちは激しすぎるガチバトルを繰り広げているんだもの。すでに特訓の"と"の字もない。

「陽乃乃くんとはちゃんと特訓できたみたいだね」
「はい!ばっちりです!」

ロロさんが先ほどの殿と同じように、私と陽乃乃くんの頭を優しく撫でる。嬉し恥ずかしい気持ちから目線を下げると、再び轟音が鳴り響いた。それに顔をあげると、グレアがこっちまで飛んでくる小石を振り落としながら呆れたようにため息を吐く。

「そのうちこの洞窟は崩れるんじゃないか?」
「美玖くんが止めてくれるって言ってたけど、これじゃあ手の出しようがないでしょ」
「そっか。ならそろそろ止めに行かないと……」

美玖さんに頼りっぱなしなのもいかがなものか。
殿はまだしも、ココちゃんなら私にも止められる……と思う。陽乃乃くんを抱えたまま重たい腰をあげると、なぜか二人に引きとめられる。

「あそこへ一人で行くの?」
「?、はい」
「……ひよりちゃん。そろそろ俺たちのこと、頼ってくれてもいいんじゃないかなあ」

困り笑顔を浮かべるロロさんを、瞬きをしながら見た。流れでグレアも見ると、ロロさんと同じような表情を浮かべている。私はというと、なんとなく視線を下げてしまった。

……正直に言うと、私は未だこの二人との距離感を掴むことができていない。
私のことを知っているという二人に対して、どこまで踏み込んでいいのか分からない。無意識のうちに作ってしまう壁を、自分自身でもどうにも出来ずにいる。

「ごめんね、困らせるつもりはないんだ。ただ……ちょっと、寂しいなって」

"寂しい"。その言葉にハッとして顔をあげると、やっぱり変わらず青い瞳を細めて笑顔を浮かべるロロさんがいた。
……私は、自分で作ってしまった壁をどうにかしようと考えたことはあったのか。少しでも歩み寄ったことはあったのか。
ここ数日を思い返しても一つも浮かんでこない。無意識でも遠ざけてしまっていたことを、今になって後悔する。

「ひよりが戸惑うのも無理はない。俺たちはお前のことを知っているが、お前は俺たちのことを知らないだろう?しかしひよりから何も聞いてこないし、……正直、俺たちも戸惑っているんだ」

グレアが視線をずらして人差し指で頬を掻く。その背後でまたもや爆発音が鳴り、今度は土埃が舞い上がる。「本当にアイツら何やってんだ」なんて言いながらグレアは顔をしかめていた。……同じことを、思っていたなんて。

「──グレア、ロロさん」

抱いていた陽乃乃くんをボールに戻してから二人の手を片方ずつ握ると、どちらも驚いたように目をわずかに見開いていた。

「……私と、一緒に来てくれませんか……っ!?」

今になって気が付く。私ひとりではココちゃんと殿を止められるわけがない。しかも近づけば巻き込まれる可能性もある。だから、二人とも引きとめてくれたのだ。……私は本当に周りが見えていなかった。
変に緊張してしまい、わずかに視線を下げる。と。

「もちろん、一緒に行くよ、ひよりちゃん」
「……まあ、言われなくても一緒に行くつもりだったけどな」
「……!ありがとう……!」

握り返された手に嬉しくなって顔を上げ、そのまま一緒に踏み出した。
私の手を引く二人を見て、わずかに期待をしてしまう。
──すぐにはできないけれど、少しずつなら。少しずつならきっと、。



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