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──殿と美玖くんには全てを話そう。
そう言い出したのはロロだった。これは俺たちの問題であって、話せばきっと殿たちも巻き込んでしまう。そう思って反対はしたものの、「話しても話さなくてもすでに手遅れな子が二人もいるよ」なんて言われてしまっては、……承諾せざるを得ない。





「ぼっ、ぼくはあとでみくさんたちとはいるからいい!おへやでまってるね!」

まだ一緒にお風呂に入れるかなあなんて思っていたけど、どうやら違ったらしい。顔を真っ赤にさせて部屋を出ていくヒノノくんを見ては少し残念に思う。
というのも、この家のお風呂は元二人暮らしだった割にやけに広い。もはや旅館にあるお風呂みたいな広さがある。まあそのおかげでこうしてココちゃんと一緒にのんびり入れているわけだが、ここまで大きく作る必要はなかったのでは?といつも疑問を抱く。殿らしいと言えばらしいけど。

「ヒノノも仲間に入ってますます賑やかになったわね」
「うん、ヒノノくんに色んなものを見せてあげたいね!」
「ということは、明日からまた旅に出るのかしら?」
「そうだねえ」

肩までお湯に浸かって息を吐く。気持ちがいい。
……旅に出るのは良いものの、私には某主人公のように「ポケモンマスターになる!」なんていう夢もなければ目的もない。ただフラフラと旅をするのも悪くはないけれど、こちらの世界でしかできないこともやってみたいなあと思う。
そうココちゃんに相談すると、少し考える様子を見せていた。

「それならジムに挑戦するのはどうかしら?きっとヒノノもやりたいって言うわよ」
「そうだよね……でも私、あんまり好きじゃないんだよね」

未だ、バトルに対して抵抗があるのは否定できない。
ゲームではストーリー上、バトルをしなければ話が進まなかったけれど、今の私とってここは現実の世界である。バトルをしなくても話は進む。だからできるだけ避けてはきたつもりだけど……。

「……バトルって、トレーナーとポケモンそれぞれが信頼しあっていないと成り立たないと思うの」
「信頼……」
「そう。お互い信じているからこそ、指示がだせるしそれに素直に従える。信頼を深めるために戦うのもいいと思わない?戦いで得られることも案外多いのよ」

なるほど、そういう考えもあるのか。と、思いながら白い肌をほんのり赤く染めているココちゃんを見ていた。
それと同時に、やはりココちゃんは過去に誰かのポケモンだったのではないかと考えが頭をよぎる。バトルに対する捉え方がまるでサーカス団員のものではない。そう思いつつも、今はなんとなく聞けない。

「それにヒノノも言っていたじゃない。"強くなりたい"って」

そうだ。ニコくんやチハルちゃんに負けないぐらい強くなりたいと言っていた。……そうだね。ココちゃんの言葉にも一理あるし、ヒノノくんのためにもジムに挑むのはきっと良い刺激になるだろう。

「ココちゃんありがとう!決めた、ジムに挑戦してみよう」
「ええ!なら、明日から早速特訓しましょう」
「うん!ヒノノくんにも報告しないと!」

のぼせる前にココちゃんと一緒にお風呂を出る。
……ここから一番近いジムといえば、ハヤトさんのいるキキョウシティになるのかな。確かひこうタイプのポケモンを使用していた気がする。
そんなことを考えながら、タオルを巻きつけ横開きの扉に手をかける。考え事をしていたせいで、ココちゃんが私の名前を呼んだことに気づくまでワンテンポ遅れてしまった。

「…………え、」

ガラリ。扉を開けた瞬間、……真っ赤な瞳と目が合う。
上から下へと動かされる視線に体が固まる。

「ふむ、主も脱げばそこそこ見れるようにはなるではないか!」

驚きすぎて石のように固まる私の横、勢いよく石鹸が飛んでいった。しかし半裸の殿様は素早くそれを避けると、いつになく真剣な表情で視線を動かす殿。つられて後ろを振り向けば、桶を片手にココちゃんがすごい形相で殿を睨んでいた。本命のココちゃんを見るための、真剣な表情だったのか……あ、ああ、なるほど。ココちゃん、次はそれを投げてその次はシャンプーで……それも駄目ならボディーソープ……。

「ッいやあああ!!美玖さあああん助けてくださいいいい!!」
「ちょ、ちょっとひよりっ!美玖を呼んじゃ駄目だってば!」

思わず叫んでしまったものの、ココちゃんに言われてハッとする。
困ったときの美玖さん!ではあるものの、ここは風呂場であって、私とココちゃんはタオル1枚しか身に着けてなくて、美玖さんも殿と同じく男であって、つまり、あの、その、……。
バタバタと近づいてくる足音がもはや絶望の音を奏でているようにすら聞こえた。

「仕方ないわ、一旦お風呂に戻って扉を閉めれば、」
「ふはは!そうはさせぬぞ!」
「殿!?い、いつの間に後ろに!?」

立ちはだかる半裸の殿様。逃げ道が断たれた。そして勢いよく開く背後の扉に、この世の終わりを見る。驚きで目を見開く美玖さんと、そこへ真っすぐ飛んでいくシャンプーボトル……。
美玖さん、本当にごめんなさい。





「美玖さん本っ当にごめんなさい!」
「……いや、オレもごめんな」

鼻先を保冷剤で冷やしている美玖さんが苦笑いをする。
……あれから。
ココちゃんがぶん投げたシャンプーボトルが慌ててきてくれた美玖さんの顔面にクリーンヒットした後、あとからやってきたグレアとロロさんのおかげで殿をなんとかしてもらい事が治まった次第である。……美玖さんには何度謝っても気が済みそうにない。

「あれぐらい避けて当たり前だろう。美玖は本当にたわけだな」
「たわけなのは美玖ではなく殿でしょう!一発殴らせてくれないかしら」
「ふん、やれるものならやってみるが良い」

いつもの私ならココちゃんを止めているが、今回ばかりは私も殿には腹を立てていた。かといって、ここで私も怒りをあらわにしたところで殿には何もできないからすでに冷めてきてはいる。それより美玖さん、本当にごめんなさい……。

「美玖くん、大丈夫?」
「……はい」

心配する言葉とは裏腹に、ロロさんの表情はとても楽しそうに見える。美玖さんにもそう見えているようで、返事が少しぎこちなかった。

「あーあ、殿と一緒にお風呂へ行けば良かったなあ。残念」
「「…………ん?」」

美玖さんと私の声が重なる。それににっこり笑って背を向けるロロさんを思わず二度見してしまった。それからグレアに背中を叩かれる彼から視線を外して、美玖さんと顔を合わせる。お互い瞬きを繰り返してから無言で頷き。……聞き間違いということに、しておきましょう。

「ひよりおねえちゃん!」

無邪気に走ってきたのは、お風呂事件を全く知らないヒノノくん。腕を広げればそのまま懐に入って、柔らかい髪が頬を掠める。ヒノノくんは美玖さんの言いつけを素直に守って一人部屋で待っていたらしい。いい子だ。可愛い。

「おねえちゃん、ぼくにおはなしってなあに?」

小首を傾げるという普通の仕草までまるで天使のように可愛い……というのは置いておいて、ヒノノくんには二つ話すことがある。
未だテーブルを挟んで対立している殿とココちゃんの間に手を伸ばして、メモ用紙とボールペンを取った。そこに文字を三つ書いて、ヒノノくんに紙を手渡す。

「んー……なんてよむんだろう?……の、……の?」
「"陽乃乃"、ひののって読むんだよ」
「!、ぼくのなまえだ!」

"陽"には明るくてあたたかい、"乃"は弓矢の弓の形に似ているから「真っ直ぐ進む」という意味があるらしい。どちらも殿の部屋にあった辞書を借りて調べたものではあるけれどまさに陽乃乃くんにぴったりだと思って当ててみた次第だ。
それを簡単に説明すれば、陽乃乃くんは紙を思い切り抱きしめて満面の笑みを浮かべた。気に入ってもらえたようで私もすごく嬉しい!

「とのー!とのー!」
「あ、陽乃乃くん、!」

今はやめておいたほうが、と言葉を続ける暇もなく、紙を持ったまま殿のところへ走っていく陽乃乃くんを目で追いかける。……だ、大丈夫かなあ!?

「との!」
「……ヒノ。今わっちは忙しいのだ。後にしてくれ」
「ねえ、との!みてみてー!」
「…………」

殿が、無邪気に笑みを浮かべて裾を引っ張る陽乃乃くんに折れた。
ココちゃんからゆっくり視線を外し、陽乃乃くんが目の前に広げる紙を見る。それを受け取ると、……なんと、私が今までに見たことのないような柔らかい笑顔で陽乃乃くんに笑いかけるではないか。あれ……今見ているのって、幻覚?

「"陽乃乃"、か。良い名をもらえてよかったではないか」
「うんっ!ぼく、おへやでおなまえかくれんしゅうしてくる!」
「うむ、頑張るのだぞ」

陽乃乃くんは殿から鉛筆を受け取ると、嬉しそうに部屋に戻って行った。
それを茫然と見ていると、ふと殿と目が合う。……当たり前のごとく先ほどの笑顔は消え失せ、いつも通りの殿様に戻ってしまった。

「……私にも笑いかけてくれたっていいじゃないですかあ……」
「何を言っておるのだ、気持ち悪い。あれは女と子ども専用だ」
「私、女ですけど……」
「主のことは女として見ていない。よって対象外だ」
「ひどい、理不尽です!」
「ふはは」

下唇を噛んで殿を指差し美玖さんを見るも、「ああいう人なんだよ……」なんて目線がどこか遠いところに行ってしまっていた。美玖さんも対象外だから、きっと私の気持ちを痛いほど分かってくれているだろう。誰だって睨まれるよりも笑顔を向けられるほうが嬉しいにきまっているのに!

「そうだな、主が心音ぐらい美人になるか……もしくはそのまな板を成長させれば考えてやらなくもない」
「まさか胸のことを言ってます!?セクハラ!ひど、!」

スッと。急に横から隔てるように伸ばされた腕に、言葉が途中で途切れる。誰かと思えばいつの間にか隣にグレアがいて、殿を見る視線はなんとなく鋭い。……ど、どうしたんだろうか。

「ひよりは今のままで十分だ。これ以上求めるものはないだろう」
「…………」
「はっ!主人贔屓がいてよかったなあ、ひより?」

わざとらしく吹き出し笑いを堪えるような様子を見せてから、椅子にふんぞり返る殿。そうして何事もなかったように「腹が減ったぞ」なんて声高らかに美玖さんに言っている。

「……グレア」
「?、なんだ」

殿を見てから、隣にいるグレアに声をかける。……片手で目元を隠しながら向かい合うと、不思議そうに私を見ていた。
フォローしてくれたのは嬉しかった。嬉しかった、んだけど……。

「……その、……さっきみたいなことは、言わないでいいから……」

正直に言おう。……ものすごく、恥ずかしい!どうしてあんなことを平然と言えるのか、グレアのことが全く分からない。人の容姿を褒めることは素直にできないくせに、全肯定するようなことは何ともないように言ってしまう彼のことが、分からない……っ!

「なぜだ。俺は本当のことを言っただけだが」
「っそういうところー!!」
「……、?」

しかも無自覚だからたちが悪い。

「わかった、大丈夫!もうこれでこの話はおしまい!ね!?」
「あ、ああ……」

困ったように座っている彼の前、とうとう耐え切れなくなって立ち上がる。打ち切りだ、打ち切りー!!





陽乃乃くんに伝えそびれてしまっていたジム戦めぐりの件を伝えるため、美玖さんの部屋へと向かう。そうして扉の前で声をかけると、すぐに開いて陽乃乃くんが飛びついてきた。
中へ入れてもらい、明日からジム戦にむけて特訓をする旨を言うと陽乃乃くんが布団の上を飛び跳ねながら歓喜の声をあげる。

「ぼく、がんばるよ!つよくなって、こんどはニコにぜったいかつんだ!」

私が思っている以上に、ニコくんとのバトルに負けてしまったことが陽乃乃くんにとって悔しかったらしい。
そんな陽乃乃くんを撫でてから、今度はひとつのボールを取り出して美玖さんの目の前に置いて見せる。瞬きを繰り返す美玖さんと、ボールを真ん中にして向き合う。

「ひより?これは?」
「グレアを連れ戻すという目的を達成して一区切りついたので、美玖さんのボールを返そうと思いまして」

私の言葉に目を少しだけ見開いてから、美玖さんはそっと視線を下げては困ったように笑ってみせる。私のそばにいる陽乃乃くんは、少し心配そうに美玖さんを見ていた。

「……明日からの旅に、オレは連れていってもらえないのかな」
「この前は半ば無理やりでしたし、やっぱり美玖さんは殿と一緒にいたほうがいいと思うんです」

……本音を言えば、一緒に旅をしたい。けれど前提として、美玖さんは私のポケモンではない。ボールも殿から渡されたものであって、美玖さんにとってのトレーナーは殿である。言ってしまえば美玖さんは一時的に借りていたようなもの。だからこうして返している。ただ、それだけのこと。

「オレが、ひよりと一緒に旅をしたいと言っても置いていかれてしまうのかな」

片手でボールを持ち、もう片方の手で私の手を掴んで手のひらを上に向ける美玖さん。されるがまま大人しくしていると、私の手にボールが優しく置かれた。隣に座っている陽乃乃くんも黙ってそれを見ている。

「確かに前回、オレはひよりたちと旅に出るつもりはなかったよ。殿に頼まれたから一緒に行ったことに違いはない」
「殿……」

美玖さんが言うからには本当のことなんだろう。……何だかんだ言いながら、やっぱり殿は私たちのことを気にかけてくれている。しかも美玖さんに頼んでいたなんて、……。

「一緒に旅をしていて……頼まれたから、じゃなくてオレ自身がひよりたちを守りたいと思ったんだ」
「み……、美玖さん……っ!「「かっこいいー!」」

陽乃乃くんと見事に声が被り、ボールを握りしめたまま羨望の眼差しを美玖さんへ向ける。

「ぼくもみくさんみたくなりたい!」
「そうだよね、そうだよね!」

陽乃乃くんとキャッキャと騒いでいると、いきなり美玖さんに両手首を掴まれた。びっくりして前をきちんと向き直すと、美玖さんは布団に頭がつきそうなぐらい俯いている。髪で隠れて表情は見えないが、真っ赤になった耳をみるあたり……照れている……、?
それから急に顔を上げた美玖さんの顔は赤い。やっぱり照れているんだー!

「お、オレも!人のこと言える立場じゃないけど、!ひよりは先を見ないでどんどん進んでいっちゃうし、心音さんもひよりがいないととんでもないこと仕出かすし、……と、とにかく、心配で、守りたいなと、思って……」

どんどん小さくなる言葉を聞きながら、今度は逆に私が美玖さんの手首を掴むと肩が大きく飛び跳ねる。どうやら触られるのはまだ苦手らしい。

「美玖さんに頼りっぱなしになっちゃってもいいんですか?」
「……オレでよければ、どんどん頼っていいよ」
「殿のことはいいんですか?」
「寂しくなればウツギ博士のところへ遊びにいくだろうから平気だよ」
「ぼくとたーくさんあそぶことになってもいいんですか?」
「いいよ。ヒノにはバトルも教えてあげよう」
「わーい!」

陽乃乃くんも喜んでいるし、何よりこのボールを手放さなくて済んだことにすごく安心している自分がいる。……そうして改めて、美玖さんからボールを受け取って大事に両手で握りしめた。

「ぼく、たくさんバトルして、みくさんよりつよくなるよ!」
「それは心強いね」

陽乃乃くんに笑いかける美玖さんを見ると、視線があってお互いに微笑む。

「美玖さん、これからもよろしくお願いします」
「よろしく、ひより」



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