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美玖さんを先頭に洞窟を歩いていく。せっかくワカバタウンに戻ってきたのだから、少しは殿の顔も見なくては。
それほど長旅をしていたわけでもないのに、すでになんとなく久しい気持ちで洞窟内を見ていた。

「あのね、ひよりおねえちゃんたちがたびにでてから、とのがいままでよりもたくさんけんきゅうじょにきてたんだよ。との、さびしかったのかなあ」
「殿が?……へえ、」

私の手を握りながら小石を避けるヒノノくんからの意外な情報に、ココちゃんが面白そうに相槌を打つ。
殿にも寂しいという感情があったのか。当たり前のことにしみじみしながら話していれば、あっという間に岸辺に着く。相変わらず、黒い水が一面に広がっている。

『さ、乗って』
「みくさんにのせてもらうのひさしぶり!」
『ヒノ、はしゃぎすぎて落ちないようにな』
「はーい!」

ヒノノくんもやはりポケモンだなあと、軽々とカメックスに乗る姿を見ながら思った。こうしてのろのろと乗る私とは違う。
そうしてヒノノくんの後ろに乗ると、ゆっくりカメックスが動き出す。

「……あら、電気がついているわ。殿は出かけていないみたいね」

水面を眺めていればあっという間に家が見えてきた。視線をあげると、ココちゃんの言う通り窓から明かりが漏れている。
……とはいっても、夜遊びに向けて仮眠をとっている可能性が高いんだけど。
私がいるときも昼夜逆転生活を送っていた殿だから、唯一注意してくれる美玖さんがいないともはや完全にその生活になっているのではないか。なんて今更心配になりつつ、玄関の前でカメックスから降りる。

「お待たせしました。着きましたよ」
「うーん、なんというか、すごいところに家があるねえ」

ここでやっとロロさんとグレアをボールから出すと、ロロさんは手すりに寄りかかりながら洞窟内を見回していた。普通はこんな場所に家なんてないから驚くのも無理はない。

それはさておき、扉に手を添える美玖さんの動きが少し鈍い。それもそうだ。だって予想以上の早い帰宅に、殿との久しぶりの再会だ。妙な緊張感に包まれて、なんとなく私も緊張してしまう。
──……そうして美玖さんが、静かに扉を開いた。その背を見ていると、その先。

「……」
「……と、殿……!」

……つい、声が漏れてしまった。だってまさか、玄関に殿がいるとは思わないじゃないか。
無言の圧力に加え、表情は扇子で隠されていて読み取れない。美玖さんはそんな殿にフッと笑うと、懐から扇子を取り出し、殿に向けてそれを差し出す。

「……ただいま戻りました、殿」
「欠かすどころか増やしてきたか。……まあ良いだろう」

扇子を受け取る殿を見ていると、ふと、目が合ってしまった。逸らすのも変だしそのままでいると、なぜか殿の方から視線を逸らす。

「殿……?」
「──……おかえり、ひより」
「!」

すぐに背を向ける殿に、気づいたときには思いきり飛びついていた。
相変わらずの香水の匂いと派手な色の着物。そして久々に真っ直ぐ頭に振り下ろされる扇子の痛さ。……帰ってきた。殿のいるこの家に、帰ってきたんだ!

「殿!ただいま戻りました!」
「主、いつまでわっちにこうしているつもりなのだ。邪魔だ、離れろ」
「ただいま殿ー!」
「ああもう、二度も言わせるな!しつこいぞ!」

額に手の平を当てられ力づくではがされる。が、次はヒノノくんが殿に抱きついていた。可愛い。ニコニコしながら見ている私に対して、殿は珍しく驚いた表情をしている。

「何故、ヒノもいるのだ?」
「との、きいて!ぼく、ひよりおねえちゃんのポケモンになったんだよ。ひよりおねえちゃんたちといっしょに、たびにでるの!」
「ふむ、なるほどな」

流石に子ども相手に叩くことはなく、扇子の代わりに手を優しく乗せては撫でている。……私にもああやってくれたらいいのに。

「上がるが良い。一晩ぐらいは大目に見てやる」

殿に話したいことが山ほどある。それを殿が聞いてくれるかどうかは別として、とにかく話がしたいのだ。
言葉とおり道をあける殿の横、ココちゃんの後に続いて部屋へと向かう。

「ひより、先にお風呂に入りましょ!」
「心音よ、そんなに急がなくてもわっちは何処にも行かぬぞ?」
「は?」
「相変わらず、怒る顔も美しいな」
「は?」

殿のココちゃんに対する態度も相変わらずのようだ。完全に無視して私の手をひくココちゃんの後ろ、ヒノノくんも一緒に手を繋いで廊下を歩く。
まだ日付が変わるまで時間はたっぷりある。落ち着いたら殿の部屋にいってみよう。でも、まずはお風呂だ!お風呂ー!





「今回は随分と大人しいではないか。やっと、わっちとの力の差が分かったのかや?」

ひよりたちの姿が遠ざかったのを確認すると、殿が扇子を開いては口元に当てニヤリと笑う。それに苦笑いを返せば、面白くなさそうに表情を戻すと壁に寄りかかっていた。
俺はどうやら勘違いしていたらしい。以前が冷静ではいられなかった所為もあるが、改めてやりとりを見ていた限りでは悪い奴には思えない。

「それで、そこのは何者かや」
「はじめまして、俺はロロ」
「……フン、男の作り笑いなんぞ見たくもない。今すぐやめろ」
「!」

一歩前に出たロロがピタリと固まる。ロロの作り笑いが下手というわけではない。俺は長年一緒にいるから分かるものの……驚いた。初対面で見抜くとは。

「と、殿!失礼ですよ!」
「失礼なのはどちらの方だ、たわけ」

美玖の言葉を聞き流し、いかにも興味がないように扇子を扇ぐ姿を見る。
完璧にできていると自負していたであろう本人にとってもかなりの衝撃だったらしく、俺の横に並ぶロロの表情は未だ驚きに満ちていた。

「主、種族はレパルダスであろう。何故瞳の色が青いのだ?」

……まさか、そこから聞いてくるのか。自分のことではないが、思わず一緒にギクリとしてししまう。さりげなく視線を横へ向けてロロの様子を伺った。……答えることは、できるのか。

「…………そ、れは……、」
「当たり前に笑顔を作り、加えて色の違う瞳……ふむ、その眼帯では一体何を隠しているのだろうな?」
「…………」

ロロが俯く。答えられないのを分かったうえで聞いているのだろう、表情を強張らせている美玖の横で殿は楽し気に笑みを浮かべていた。

「全く、ひよりはまたとんでもない奴を拾ってきたな。厄介事の種としか思えぬ」
「……っ!」
「いいんだグレちゃん。本当のことだもの」

思わず一歩踏み出そうとすれば、すかさず横から腕が伸びてきては止められる。……黙って聞いていれば、人の心に土足で入り込んでくるようなことばかり。仮にもロロは俺の仲間だ。聞いているだけでも不愉快だが、ここまで言われても微動だにしないロロにも腹が立つ。
そんな俺を見て、ロロが少し目を丸くしてからフッと笑った。何笑っているんだと怒鳴ってもいいだろうか。

「殿だって色が違うじゃないか。ミロカロスはこんなに派手な色をしていないよ?」

今度はこっちが驚く。なんだ、言い返せるじゃないか。
それに殿もわずかに目を見開くがそれも一瞬、また楽し気に笑みを浮かべては口を開く。

「残念だったな。わっちのこの美しき身体は生まれつきなのだ。──しかし主は、違かろう?」

明らかなさまな挑発だ。乗るも乗らぬもロロ次第ではあるが……。
俺の隣、美玖がそっとやってきては「ごめんな」と表情を強張らせて言っていた。聞いているだけで冷や冷やしているのだろう。美玖を思うと当たることも出来ず、曖昧に頷いてみせる。

「……参ったなあ。口では負けない自信があったんだけど」
「言っておくが、主自身に興味は無い。故に言おうが言うまいが主の勝手だ」
「…………」
「なに、隠すことに自信があるように見えたのでな。少し遊んでやったまでのこと。主らも一晩ならこの家にあがることを許してやろう」

楽し気に笑みを浮かべながら、寄りかかっていた壁から離れて背を向ける。
……殿の思惑通り、ロロの鼻は折られた。食えない奴同士のやりとりを聞いているのは心底疲れるなと思った。しかしこれでもう終わりだ。
殿の後を追う美玖を見てからロロへ視線を向ける。……と。

「殿」

ロロが呼び止めた。……まさか、と内心ひどく驚く。
そのまさか、だった。真っすぐに殿を見る視線に迷いはない。

「確かに俺の瞳は生まれつきじゃない。……人間の手が加えられて、こうなったんだ」
「──……改造ポケモン、だったんですね……」

息を飲む美玖に対し、殿は表情ひとつ変えない。それにロロは自嘲気味に笑うと眼帯の紐をほどき始める。……眼帯が、タイルの上に落ちた。

「ご覧の通り、俺の目は片方ずつで色が違う。視線に怯えて隠してきたのは、この瞳だ」
「…………」

随分とゆっくりな動きで落ちた眼帯を拾い上げると、ロロは自身の手の平の上で広げてそれを見つめる。
そうして。ふと、殿が再びこちらに戻ってきた。と思った直後。
ロロの頭めがけて扇子を叩き落とした。尋常ではない速さに俺も驚いてしまったが、やられた本人は俺以上に驚いている様子で声ひとつ出ない。

「と、殿!?何をしているんですか!」
「うるさいぞ美玖、黙っていろ。おい、主。なぜ右目を隠していたのだ?隠すなら左目にしておけばよかったものを」
「…………え?」

ロロの間の抜けた声が聞こえた。ゆっくり視線をあげ、殿を見ている。

「右目の方が良い色をしているではないか。金色は良いぞ、どんな色よりも美しい。そう、わっちのように美しいのだ!」
「…………」
「殿、ロロさんの瞳の色は黄色です」
「黄色も金色も似たようなものであろう。相も変わらず、美玖は本当につまらぬことを言うな」

口では勝てないと美玖も分かっているようで、スッと口を閉じては殿を横目で見ていた。……ロロは驚きすぎて動けないのだろう。今まで殿と同じようなことを言った人やポケモンは、きっと誰一人としていない。そう思う。

「主、わっちと同じようなものを持ちながらなんて勿体の無いことをしているのだ」
「…………、」
「まだ分からぬか?──主の瞳は、美しい。だから気にすることは無い」
「──……、」
「少なくともわっちの前では隠さずとも良いぞ。隠したくば、左目を隠せ。よいか?」
「……は、い、」

殿がどういうつもりでロロに言葉を向けたのかは分からない。が、本当に、なんでもないようにからかうようにそういうと、今度こそ俺たちに背を向け長い廊下を歩いて行った。

「…………」

その背が見えなくなってからロロを見る。この様子では、さきほども何とか声を絞り出して返事をしたようだ。
……先に家にあがり、俯くロロに手を差し伸べる。ロロは俯いたまま無言で俺の手を掴み、引っ張りあげるように家にあげると片手で口元を覆いながら足早に美玖が指示した部屋へと入っていった。
……仕方ない、今のは見なかったことにしてやろう。



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