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トントントン……。
包丁の音がうっすらと聞こえる。リズム感よく響くそれで目が覚めた。
昨日見たとおり、この家はなぜかポツンと一軒だけ洞窟の中にある。そのため窓はあっても常に薄暗くて、朝なのか夜なのかよく分からない。体内時計が余計に狂いそうだなあと思いながら枕元に置いておいた時計をみると、針は7のところにいる。多分、午前7時。

「おはようございます、ひよりさん」
「おはよう、ございます……」

やっぱり夢じゃない。
身支度を簡単に整えてから部屋を出て、昨日軽く案内してもらった台所に向かうと美玖さんが振り返って笑顔をみせる。ああ、笑顔が眩しいなあ。
……居候生活1日目。どうやらこの家には殿と美玖さんの2人しかいないらしい。となると、料理をするのは必然的に美玖さんになるわけ。

「え、……これ、全部美玖さんが作ったんですか!?」
「?、はい」

すでに出来上がっているいくつものおかずは、どれもこれも美味しそうだ。しかしまあ朝から品数が多いこと。高級旅館の朝食かよとツッコみたくなるほどだ。「朝が一番重要なんだって、殿がうるさいんです」なんてぼやきながら料理を続ける美玖さんは、口ではそう言っているものの表情は柔らかい。よくあの殿様とうまく生活ができているなあとつい感心してしまう。

「私も手伝います」
「ありがとうございます。それじゃあ、それを運んでもらっていいですか」
「はい!」

小鉢を少し離れたテーブルに運んで行く。……こうして改めて部屋を見てみると、畳に襖、掛け軸……ここもまさに和室だ。家自体はたぶん新しいものではないと思うが、なぜかあまり古さは感じない。

「さて……あとは殿ですね」
「あれ、殿は部屋で食べるんですか?」
「ええ。なので毎食、こうして持っていくんです」

大きなトレーの上には、先ほどテーブルに並べた料理が小鉢に入って並んでいる。トレーを持っている美玖さんの代わりに襖を開けて、長い廊下を歩きだす。

「もしかして殿って……引きこもりですか」
「はは、いっそのことその方がよかったかも知れませんね」
「?」

小さくため息を漏らす美玖さんの横、ひとり首を傾げる。ただそれきりその話は途切れて、どういう意味なのかは聞けなかった。
それはともかく、この家は想像よりもはるかに広い。他愛のない話をしながら長い廊下を歩いた先、明らかにひとつだけ違う襖が見えた。金色の模様が襖に描かれていてとても綺麗だ。……間違いない、ここが殿の部屋だろう。

「一旦こちらをお願いできますか?」
「はい」

美玖さんからトレーを受け取りながら頷くと、彼が襖の前に座って声をかける。……その後ろ、トレーを持ったまま立っている私は内心とても驚いていた。これでは本当にまるで高級旅館に宿泊中の客と給仕ではないか。今まで毎食これをやってきたのだろうか。……ますます美玖さんと殿の関係が分からなくなってきた。

「やっぱり起きてないか。……ひよりさん、少し待っていてもらえますか」
「あの。まだ寝ているなら、そのまま寝かせておいてもいいのでは?」
「オレもそうしたいんですけどね。出来てすぐに起こさないと、怒るんです」
「えー……」

苦笑いする美玖さんに思わず変な顔をしてしまった。なんという理不尽な。

「美玖さん、大変ですね……」
「もう慣れました」

心が広いというレベルじゃない。本日二度目の眩しい笑顔に目を細めながら思う。かっこよくて中身も出来ていてなんて素敵な人、……じゃない、ポケモンなんだろうか。
なんて思っているうちに、美玖さんがゆっくり襖を開いた。そのまま中へ入っていくのを見るついで、部屋の中へそっと視線を動かす。一番はじめに目に入ってきたものは、まさかの教科書に載っているような御簾。そしてそれが垂れ下がっているその場所は床が一段高くなっていて、ぼんやりとその先に布団のようなものが見えていた。……す、すごい、部屋だ。

「殿、朝食ができました」

美玖さんの声が聞こえたが、御簾の向こう側からは何も聞こえないうえ、影はぴくりとも動かない。そうして少し様子を窺った後。美玖さんが御簾をゆっくりあげて中へ入り、影が布団の横にしゃがむ。

「起きてください、殿」
「……ん、」
「朝食です。持ってきましたよ」
「…………ああ、」

入口で立ったまま二人の会話を聞きながら相変わらず部屋を見回していると、美玖さんが再び戻ってきた。私からトレーを受け取ると、少し離れたところにあるテーブルの上へ改めて並べ始める。

「なんだ、ひよりも居たのか。ならば美玖よりも、まだ主に起こしてもらったほうがまだ目覚めが良かったかや」
「……う、いや、そんなこと……」

御簾からぬっと現れこちらへやってくる殿は寝起きだからなのか、着物が肌蹴ていて胸元の肌色が目立つので目のやり場に困ってしまう。な、なんだか私のほうが恥ずかしくなってきたし、……ああ、この顔は絶対に分かってやっている。

「殿、遊んでいないで食べてください」
「言われずともそうする」

美玖さんに答えると、ニヤリと私を見下ろしてから方向を変えて戻って行く。殿と入れ違いに美玖さんが戻ってきて、静かに襖を閉めた。

「付き合わせてしまってすみませんでした。さあ、戻りましょう」
「……私、美玖さんがいないと殿と話せないかもしれません……」
「あの外見から気が引けてしまうのは分かりますが、きっとそのうち慣れますよ」
「うう……慣れればいいなあ……」

私の横、美玖さんが面白そうに小さく笑う。
本当にあの顔が見慣れる日が来るのだろうか。あれ……というかそもそも私、いつまでここに置いておいてもらえるんだろう。

……まだ居候生活は始まったばかりだが、考えなくてはいけないことは自分が思っている以上に多いに違いない。



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