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──……瞬間。
乾いた音と共に闇を切り裂くように光が差し込む。

「ッひより、ひより……!!どこにいるのっ!?」
「ここで間違いないはずなんですが……っ」

聞き覚えのある声に目を薄っすらと開けてみるが、未だ少年に口で口を塞がれているから声を出すことができない。

「ま、大丈夫でしょう」
「だね」

気にせず私の服をはぎ取っている少年と、今聞こえている鼻歌は……鉈を持っていた少年が歌っているのだろうか。
しかし、鼻歌もピタリと止まる。……瞬間、闇に差し込む光から、今度はパキパキと音を立てながら蜘蛛の巣のような白いヒビが頭上に沢山広がってゆく。

「──……トリックルーム、だね」

ぱきん、。何かが割れる音がした。
……そうして、暗闇がほの明るく照らされる。窓から差し込んでいる月の光だ。どうやら今は夜らしい。

「あちゃあ、破られちゃったよ」

ようやく少年が離れ、再び床に転がされる私。目の前に少年の足が見え、彼が立っているのだと分かる。荒い呼吸のまま、そっと視線を動かすと、もう一人の少年は鉈を構えて楽しげに笑いながら光の先を見ているのに気づいた。なんとなく、私も光の先へと視線を向けてみる。

「……そっちから来てくれるなんて嬉しいなあ。殺し損ねてすごーく悔しかったんだよね」
「なに、コイツらのことだったの?やばくない?」
「いいよ、ゆっくりヤってても。ぼくもゆっくり殺ってるからさ」

鉈の向きを変えたのか、刃物が床と擦れる嫌な音が聞こえた。それとほぼ同時に銃声が鳴り響き、弾かれた弾は上の天井を勢いよく撃ち抜く。直後、手前に走りだした少年が下から上へと蹴り上げられる。が、それも鉈で防いだようで、遠くから血が飛び散るのが見えた。どちらの血なのかは、分からない。

「心音さんは下がっててください」
「馬鹿言わないで。ひよりはわたしのマスターよ」
「オレのマスターでもあります。……足の手当てが終わるまででいいですから」
「……ふん」

……地鳴りがした。カメックスの甲羅と鉈が摩擦を起こして火花を散らす。
──ココちゃんと美玖さんが……、助けにきてくれたんだ……!
やっと理解できて、目を少しだけ開く。助かる。絶対に、助けてもらえる。

「アイツ、ああ見えても強いんだよ。ニシシ、お姉さんのポケモン、殺られなければいいね?」
「うる、さい……っ!」

激しい戦闘には目もくれず、少年が私の耳元で低く、甘く、囁く。

「ああそうだ。印付けるの忘れてた」
「なに……、っ……あっ、!」

鎖骨あたりに移動した少年の口が痛いくらいに肌を吸い上げる。それと一緒に漏れた声はまるで自分の声ではないみたいに甘い。それに咄嗟に思い切り下唇を噛むと、じわりと鉄の味が口に広がる。

「……っと、危ないなあ」

──……突然。
少年が横に飛び跳ねるように消えたと思えば、目の前で風を切る音が聞こえた。直後、電流が宙を走って少年をさらに端へと追い詰める。一体、何が起こっているのか。

「ッひよりちゃん!!」
「ひより、大丈夫かッ!?」
「……、?」

横になったままの私に影が落ちる。と思えば、すぐに上着を上からかけられてゆっくり起こされていた。
目の前で揺れる紫と黒。はて、誰だろうか。ぼんやりしながらされるがまま、縄を切ってもらい自由になった手足を引きずるように動かす。

「……っ」

目の前。制帽を被っている彼が目を細めて泣きそうな表情で笑う。少しの光でも輝いてみえる綺麗で不思議な色をした瞳だ。……誰、なんだろう。

「話は後だ。早くひよりを連れて、」
「ひう、……っ!」

肩に回された腕に思わず飛び上がると、目の前の二人は固まってしまった。……少し離れた先。ゆっくりやってくる少年は笑いながら青年に変わってフードを深く被り直す。

「オレが調合した特別な媚薬を飲ませたからさ、触らないほうがお嬢さんのためだよ?」

道理で身体がおかしいと思った。飲まされた薬のせいだとしても、誰だか分からない人たちに今の状況を知られてしまったことが恥ずかしくて堪らない。肩にかけられた誰かの上着を握りしめながら俯くと、そっと体が引き寄せられた。、と思えば、次の瞬間には抱えあげられていた。

「……悪い。少しだけ我慢していてくれ」

言葉と同時に痺れるような感覚が身体に走る。思わずそれにまた声をあげそうになったところ、慌てて唇を噛んで口を塞いだ。それから落とされないように胸元辺りの服を力の入らない手でなんとか掴んでゆっくり顔を上げ、ようやく彼が誰なのか分かる。

「……ぐれあ……?」

一瞬ぎくりと強張った顔がぎこちなく笑顔を作っては頷く。それからすぐ、青い瞳を別のところへ動かして私から視線を逸らす。……なぜ、彼がここにいるんだろうか。

「……ひよりちゃんを安全なところへ」
「ああ」

警帽を床へ投げ捨てる男の姿が目の端に見えた。少年と対峙している。大丈夫だろうか。

「走るぞ」

その声に慌てて目線を戻し、口を両手で思い切り押さえてから全身に力を入れる。なるべく私に振動が伝わらないようにしてくれているのか、固定するようにしっかり抱えてられていた。

目まぐるしく変わる景色と、鳴り響く轟音。私たちが駆け抜ける後ろ、壁が崩れて砂埃が舞う。
こんな騒がしい中でも、私の瞼は重くゆっくり落ちてくる。助かった安心感や、単純に心身の疲労が激しすぎたからかもしれない。
──そうしてとうとう、私はグレアに体を預けたまま意識を手放してしまった。





床に突き刺さる鉈を横目に、静かになったひよりを抱えてたったひとつの出入り口まで駆け抜けた。

横抱きにしていたひよりをゆっくり降ろして扉に寄りかからせてから、すぐ隣に膝をつく。
目は閉じたままの彼女の横顔をそっと見てから、怪我をしていないか確認する。
縄で拘束されていた手首と足首は皮膚が剥けて血が滲んでいる。……なんとか逃げようともがいていたのだろう。それからさりげなく隠していた鎖骨のあたりを見て、拳を爪が食い込むほど握りしめながら歯を食いしばる。衣服が乱れていたからまさか、とは思ったが。

──特定の場所で転ぶとゲンガーたちにたどり着く仕組みだった。
調査をした国際警察の協力のもと、囮を買って出た心音と対面したときは睨み殺されるかと思った。が、彼女も俺に構っている暇は無いと言うようにすぐに視線を外して作戦を実行していた。
そうしてたどり着いた先は血生臭い建物内。トリックルームで時間を狂わさせ、場所すらも隠してしまう巧妙な手口。しかしそれもロロが"ねこのて"で"みやぶる"を使えば問題なかった。
追いかけ、追い詰めた先がここ。

「…………」

強く噛み締めていたのか、ひよりの唇にも血が滲んでいる。
……守るはずが、結局また守れていない。俺は一体何をしていたんだ。今さら悔いても、もう遅い。また、彼女を傷つけてしまった。

「……っひより!」

必死な声に顔をあげると、心音が走ってきていた。立ち上がり、場所を譲ると崩れるように座り込んではその姿に絶句する。
手首にそっと触れながら泣きそうな表情を浮かべては、眠るひよりをそっと抱きしめていた。それからふと顔をあげ、眉間に皺を寄せては俺を見上げる。

「この甘い匂い……何?」
「……媚薬だと言っていた。無理矢理飲まされたんだろう」
「!」

途端、端正な顔を思い切り歪めるてはひよりを抱えて立ち上がる。確か心音は足を怪我していたはずだ。

「ひよりなら俺が運、」
「触らないで」

手を伸ばせば、容赦無く叩き落とされる。そうしてやっと心音が俺に対しても警戒する理由にハッとしては、大人しく身を引いた。そうして背を向け足早にポケモンセンターへ向かうはずの心音が、わずかに振り返っては俺を見る。

「あなたがひよりのポケモンだったとしても、今は私がひよりの相棒なの。それにわたし、まだあなたのこと何も知らないから全然信用もしていない」
「…………」
「だからといってあなたをひよりからわざと遠ざけるわけではないから勘違いしないでよね。……ただ、今はひよりのことはわたしに任せてほしい」

真っ直ぐに力強い視線に、大きく頷く。
俺も心音のことは全く知らない。しかし彼女にならばひよりを任せることが出来ると心底思った。

「……ああ、頼む。ここは俺たちが引き受けよう」
「ついでに美玖も置いて行くから、絶対ポケモンセンターに連れてきなさいよ」

待っている、とは素直に言わないらしい。なんとなく彼女らしいと思いながら、足を引き摺りながらも歩き出す姿を見送る。夜道ではあるが、国際警察も多数見回りをしているから大丈夫だろう。じきにここにも先輩とやらが来るはず。

「あーあ。お姉さん逃がしちゃったし、オレはとっとと逃げよっかな」
「──そう簡単に投げられると思うなよ」
「っ……まいったね、こりゃ」

ロロがイカサマでゲンガーの技を奪い、利用する。くろいまなざしはゲンガーを捉えてその場に縛りつける。
相性的にもロロのほうは大丈夫だろう。となると、俺が参戦するのは美玖の方だろうか。……と言っても先ほど床に刺さった鉈があったことを考えると、こっちも俺が参戦する必要はないように思う。実体を持たないゲンガーを逃がさないよう、ハイドロポンプで水をかけてから冷凍ビームで凍らせる。戦い慣れているのが一目瞭然だ。

「グレア!」

カメックスから人間の姿に戻った美玖に目立った外傷はないものの、ところどころ切り傷があった。しかし当の本人はそんなことにはお構いなしで、手早く拳銃を仕舞うと辺りを見回しながら真っ先に俺のところへやってくる。

「ひよりは無事、だよな……?」
「ああ。先に心音がポケモンセンターへ連れて行った」
「……よかった」

美玖と心音の場合、扉を開けてすぐに戦闘に入っていたからひよりがどんな状況だったのか見えていなかったんだろう。だからなのか美玖もひよりが無事だと分かって、心底安心した表情を見せていた。無事といえば無事だが、実際は多分違う。精神的なダメージをかなり負わされたに違いない。

「……ひよりに怖い思いをさせてしまった」

そういうと美玖は拳銃を再び取り出し身体の方向を変える。向かう先はもちろん、ロロともう一匹のゲンガーが戦っているところだ。俺の様子から何かを察したのか、声色になんとなく怒りが込められているような気がする。

「グレアにとってひよりが大切な存在のように、オレにとっても大切なんだ。"やられたらやり返す"っていうのはあんまり好きではないんだけど……今回は別にしてもいいよな」

ガシャン、と安全装置を外す音が鳴る。どうせ止めても止まらないくせに、変な質問をするものだ。

「オレたちが手出ししたら、ロロさんはきっと怒るだろうね」
「勝手に怒らせておけばいい。まあ、アイツは猫を被るのが得意だから、きっと美玖には怒らないだろう」

……美玖と共にもう一体のゲンガーと対峙しているロロの元は向かうと。案の定、殺気丸出しのままの独眼で睨まれ思わず立ち止まってしまった。仲間に対してそれはないだろう。

「アドバイス通り、勝手に怒らせておくよ」

臆することなく堂々とロロの隣に立つ美玖の言葉に少しだけ驚いてから、フッと口元が緩む。
そうだな。怒りをぶつけたいのはロロだけではない。ここは遠慮なく、参戦するとしよう。

そうして対峙した先。……少年の顔が、わずかに引き攣っているように見えた。



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