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美玖さんは他にもやることがあるからと先に私の分だけ朝食を置いてどこかへ消えてしまったため、今になって彼は一人で遅めの朝食をとっている。その向かい側に座り、淹れたお茶を飲みながらしみじみと思う。美玖さんの手料理、すごく美味しかった……。

「おいしかった……本当に、おいしかったです……」
「そ、そうですか?お口に合って良かったです」

頬をほんのり赤くして照れている美玖さんは少しだけ幼く見える。

「胃袋を掴まれるってこういうことを言うんですね……いいなあ、美玖さんと結婚した人は毎日こんな美味しいご飯が食べられるんだ……」
「け、っい、いえ!そもそもオレはポケモンですし、!そ、そんな、」
「なら私と、どうですか?」
「えっ、ええっ!?」
「冗談です、冗談」

顔を赤くしたまま横目で私を見る美玖さんに思わず小さく笑ってしまった。どうやらこの手の話題は苦手らしい。新たな一面の発見に面白くなりながらお茶を啜っていると、スッと襖が開いた。振り返ってみると、長い前髪からちらりと見える赤い目と目が合ってしまい思わず背筋を伸ばす。

「なぜそう身構えるのだ。わっちとも美玖と話すようにすれば良かろう?」
「そ、そう出来ればいいんですけど……」
「うむ、しかしわっちのこの美しさに気後れしてしまうのは分からなくはないぞ。故に無理はしなくても良い」

……冗談、ではなさそうだ。本気で言っている。しかし実際そうなんだからなんとも言えない。

「さて、何故わっちがわざわざ出向いたか主に分かるかや」

そう言いながら私の向かい側、美玖さんの隣に座る殿。正面から見るのもまだ慣れないが、座られてしまっては仕方が無い。なるべく目は合わせないように色んなところに視線を泳がせる。

「ええと……私に何かお話がある、……とか、」
「そうだ、分かっているではないか。では早速本題だ。―主はどこから来たのだ」

どこから。
……適当に知っている地方の名称を言うべきか迷った。が、今の私はまだ元の世界へ戻れる術をもっていない。それに今、頼れるのはこの二人しかいないのは確かだ。信頼できるかどうかはまだ分からないけれど、もしかするとこれから先もお世話になる二人に嘘を吐くことはできない。

「……その、……嘘みたいな話でもいいですか」
「良い。話してみよ」
「私……別の世界から来ました……たぶん」
「……ほう?」

ポケモンという生き物は私がいた世界にはいなかったこと、そもそもこの世界もゲームの中の存在でしか無かったこと。とにかく知っていることは全て話す。どうやってここへ来たのかは自分でも分からないので省きながら大まかな説明を終える。
殿と美玖さんの反応は……表情からしてイマイチ。それもそうだ。きっと私でもああいう顔をするだろう。

「……あの、信じてもらえなくてもいいんです。でも本当に、そうなんです……」
「疑ってはいません。ひよりさんがここで嘘を吐いても、何の意味もないと思いますし」
「うむ。それに主が話したこと、有り得ない話でもない。伝説のポケモンならば、他の世界より呼び寄せることも可能であろう」
「ええっ!?そっ、そうなんですか?」

呼ばれた記憶は一切ないけど、可能性としては一番高い。いやでももしそうだとしたら……どうして私がこの世界に呼ばれてしまったんだろうか。何か特技があるわけでもないのになぜ?まさか無意味に他の世界の人間を呼び寄せたりはしないはずだし……まさかね……あれ、私。元の世界に戻れる、よね……?

「……」

殿が和座椅子に寄りかかり、扇子を開いて目線を下に落とす。何か考え事でもしているのか、そのまま少しの間沈黙が続いた。それから。パチンと扇子を閉じ、再び視線を私に戻してゆっくり口を開く。

「主はこの家の前に倒れていたのだが、そのことは覚えているかや」
「……え……」

……全く、記憶に無い。ゆっくり首を左右に振ってみせると、殿が「やはりな」と一息吐く。

「では質問を変えよう。主はセレビィというポケモンを知っているかや?」
「セレビィ、ですか?知っています。実際に見たことはないですけど……」

セレビィ。たしか伝説のポケモンで、あるときは映画の主役になっていた気がする。小さくて可愛い。それが私の記憶のセレビィである。

「よいか。主は、セレビィと共に時を渡りここに来たのだ」
「えっ、わ、私がですか?なんで?え!?」
「殿、やはりひよりさんは……」

セレビィが私を呼んだのか?いやでも殿にも言ったとおり、セレビィを見たこともなければましてや接触した覚えは全く無い。……何が何だか分からなすぎる。

「いいかひより、主は記憶を喪失している」
「私が、ですか……?」
「うむ。正しく言うと、一部分の記憶のみ喪失しているようだ」

……確かに、ここへ来るまでのことを全く覚えていない。記憶喪失といえば、そうなってしまう……のだろうか。

「先ほどわっちは、"主はセレビィと共に時渡りでここに来た"と言ったが、あやつが時渡りできるのはこの世界のみ。つまり、主はここに来る前からすでにこの世界の何処かにいたということになる」
「そんな、まさか……」
「よいか、主が失っているのはその部分の記憶だ」

ふと、殿が美玖さんに目配せをするとスッと立ち上がって何かを手に取り持ってくる。それから私の隣に座り、手の平を広げてみせた。……青色の石で出来たブレスレットだ。

「ひよりさんを見つけたとき、これがすぐ横に落ちていたんです。解れていたので手直しをしたのですが、見覚えはありませんか?」
「……ない、です」
「ご存知の通り、この家はまさに孤島です。人もポケモンも出入りが一切ありません。なのでこれは確かにひよりさんの物なんですけど、」

見覚えは全くない。……けれど、なぜか、どこか懐かしい感じがする。
なんとなくでもそう思うということは、やっぱり私は殿の言うとおり記憶喪失なのだろうか。いやでも、もし仮にそうだったとしても不思議やおかしい点ばかり。どうして全ての記憶ではなく、限られた部分だけ覚えていないのか……。

「まあ、よかろう。主に聞いても何も分からぬことが分かった故、この話はこれで仕舞いだ」

そういうと、真剣な表情から一転、何かを思いついたように殿が不敵な笑みを見せる。……私を見ているけど、なんだろう。

「さて。主はポケモンの言葉が分かるようだが」
「そうみたいです。……普通は分からないものなんですか?」
「そうですね」

別世界から来た人間だからという理由で言葉が分かるようになっているのか。これも私には分からないが、特に困ることでもなく寧ろ楽しそうだから良しとしよう。

「ひより、主に仕事を与えてやろう。主もここで暮らすのだ、少しぐらい役立ってもらわねばな」
「もちろん、私に出来ることなら何でもやりますが!み、身売りは勘弁してください……!」
「おい、主はわっちを何だと思っておるのだ」
「ったー!?」

ばしん。何かが頭に当たってめちゃくちゃ痛くて頭を抱えながら殿を見上げた。その手には閉じた扇子が握られている、ということは今私はこの扇子で叩かれたのか……?速すぎて全く見えなかったんだけどなに!?怖いね!?

「主には運び屋としての役を与えよう」
「運び屋……?」
「そうだ。ウツギのところにこれを持って行くのだ」

そういって殿が懐から取り出したのは赤い小さな巾着袋だった。手渡され、開けろと顎で指示され開けてみれば、中には綺麗な光り輝く金色の鱗が入っていた。これは……殿の鱗だろうか。

「美玖も共に行かせよう。良いな、美玖」
「ええ。ところで殿、今日は何をするおつもりですか」
「ふん。わざわざ聞かずとも主は分かっているだろう」

立ち上がり、部屋に戻る殿を横目で見送る美玖さんを見る。よく分からないけれど美玖さんがこんな顔をするぐらいだからきっと碌でもないことだろう。追及するまでもないといったところか。殿の姿が見えなくなってから、準備のためにいったんそれぞれ部屋に戻る。

昨日濡れた服は一晩ですっかり乾いていた。袖に腕を通すと服がぴったり肌に触れる。着替えオッケー、準備オッケー。
玄関に行くと、すでに準備を終えていた美玖さんがいた。朝食時のラフな格好から一変、シャツに茶色のジャケットとパンツ。背丈が大きいのもあり、よく見なくても格好いい。

「美玖さんってかっこいいですね」
「え……そ、そうですか……?」
「はい。実はすごくモテているんじゃないですかあ?」

冗談っぽく言ってみたが、内心本当にそうなのではと思っている。そんな私に苦笑いを浮かべる美玖さんの後から玄関を抜けて扉から出ると、やっぱり不気味な湖に囲まれていた。相変わらず先は見えず、思わずひっそり身震いをする。ここからどうやって町へ行くのだろう。

『少し後ろに下がっていてください。水が跳ねるかもしれません』
「は、はい」

ぼふん、と白い煙と一緒に大きなカメックスが姿を現す。何度見ても不思議な光景だ。しばらくは見慣れないだろう。言われた通り後ろに下がって待っていると、黒い水面に浮かぶ大きな甲羅がすぐ目の前までやってきた。

『さあ、乗ってください』
「え!?いいんですか!?」
『もちろんです。乗ってもらわないと一緒に町まで行けません』

そんな声を聞きながら、そろりと甲羅に片足を乗せた。踏んでいるけど痛くないのかな、とか色々考えながら両足を乗せ、即座に四つん這いになる。これでまた水に落ちたら洒落にならない。それからゆっくり甲羅の前の方に座ってから、やっと一息吐く。これは乗るのにも一苦労だ。

「よ、よかったあ」
『何がですか?』
「私が乗ったら沈んでしまうんじゃないかと思っていたので……」
『そんなことありません。さ、行きますよ』
「はい!」

黒い水に無数の波紋が生まれる。初めての体験を楽しみつつ、町を楽しみにしながら洞窟を進む。
……元の世界に戻りたい。その気持ちが消えることはないけれど、戻れるまでは思いっきり楽しんでもバチは当たらない、かな。



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