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翌朝。ポケモンセンターを出ると、キンと冷え込む空気が肌に刺さるように襲い掛かる。しかし今朝テレビで見た天気予報によると、これもあともう少しの辛抱のようだ。暖かい春が少しずつやって来ているらしい。
私がいた世界と同じようにポケモンの世界にも四季があるものの、こちらの方が季節の巡りが早い気がする。あっという間に冬になり、また同じようにあっという間に春になる。私の気のせいかも知れないけれど、本当に毎日が駆け抜けるようにあっという間に過ぎ去っていた。

「んー、坊ちゃんとひよりぐらいなら乗せられるんだけど……」
「心配することはないぞ。おれたちも自分のモンスターボールはべんぎじょういつももっているからな!」
「そうなの?なら大丈夫ね」

幼い見た目とは裏腹に、随分と難しい言葉を使うものだ。そう思いながら、へへんっ!と片手を腰に当てて、もう片方ではモンスターボールを軽く上に投げる動作を続ける坊ちゃんを眺める。お尻に残された可愛らしい尻尾も得意げに上下運動を繰り返していてとても可愛い。

「俺がボールに入っている間、坊のことよろしくお願いします」
「はい、落ちないようにしっかり抱えておきますので」
「だれが落ちるものか!」

パシェールさんがボールに入った瞬間から、脱走準備をしていたぼっちゃんの手をしっかり握って懐に収める。それから小さく舌打ちをする少年を連れてココちゃんの背に乗った。ちなみに美玖さんもボール待機である。

『しっかり掴まっていてね』

白く美しい羽の動きに合わせて巻き上がる風。そして身体が浮かび、内臓も上へと持ちあがる。
今日は私の他に坊ちゃんも乗せていることもあって空中へ上昇する速度が若干遅かったものの、やっぱり気分はすぐれない。風に煽られバタバタと音を鳴らす上着を押さえつつ、すぐ目の前にいるぼっちゃんに視線を送る。やけに静かだけど、大丈夫だろうか。

「ぼっちゃん?」
「……ひより、」
「どうしたの?」
「……気持ち悪いいい」

瞬間、ブラッキーの姿に戻ったぼっちゃんの体がぐらりと傾く。それに慌ててブラッキーを抱き寄せては息を吐く。……な、なんとか落ちずに済んだ……!よかった……!
自分の心臓を落ち着かせるように一度深呼吸をしてからゆっくり坊ちゃんを見るが、ぴくりとも動かない。

「パ、パシェールさん!ぼっちゃんが!」
『はあ。だから坊もモンスターボールに入れっていったのに。……大丈夫、そのまま寝かせておいてください』

随分と軽い言い方に拍子抜けしながら、目を回したままのブラッキーを抱え直した。まあ、なんとなく想像はできる。きっとパシェールさんの反対を押し切ってボールから出たままにしたのだろう。実にぼっちゃんらしいなと思うと、思わず笑みがこぼれてしまった。





「こちらがアトリエへの簡単な地図です」

なんだかんだぼっちゃんのおかげで私自身は気持ち悪さを忘れていたのか、コガネシティに着いたときには今までになく平常でいられた。代わりにぼっちゃんの体調がすこぶる悪く、一旦ポケモンセンターで休んでからアトリエへ向かうことにしたようだ。

「ありがとうございます!……その、ぼっちゃんは、」
「心配ないです。ちょっと休めばまたすぐうるさくなりますから」

パシェールさんが満面の笑みで執事らしからぬ言葉を発する。口ではそういっているものの、視線を何度もぼっちゃんへ移しているからきっと本心は心配しているんだろうと思う。
受け取った地図を見ると、アトリエの位置に大きく丸印が付いていた。どうやら裏道にあって分かりにくそうだけど……うん、ここからそう遠くはないようだ。

「それでは、私たちは先に行ってますね。短い間でしたがありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。坊にも伝えておきます。彼、見つかるといいですね」
「はい、絶対見つけます」

そう答えるとパシェールさんは一瞬目を見開いて、それから笑みを浮かべていた。
片腕にブラッキーを抱きながら手を振って見送ってくれる彼に背を向け、歩き出す。有言実行、するんだから。





綺麗に舗装された大通りを抜けて横道へ入ると、除雪された大通りとは違ってほとんど雪が降り積もったままの状態で放置されていた。何軒もの家の影が日の光を遮っているせいもあるのか、なかなか雪が解けないようでとても滑りやすい道になっている。

「そこの角を曲がって……」

地図は美玖さんに任せて、私とココちゃんは滑らないよう足元に集中する。ココちゃんとは手を繋ぎながら歩いているから、どちらかが転んだら道連れになってしまう。もちろん私のほうが転ぶ確立が高いから、それはそれは注意をしながらよちよち歩いている。

「地図だと、ここ……みたいだな」

お洒落な窓の小さなお家。その扉の前に立ち、コンコンと手の甲でドアをたたく。すると中から足音が近づいてきて、ゆっくりと遠慮がちに、ほんの少しだけ扉が開いた。

「……あう、どなたですか……?」
「パピエちゃん!」
「あわわ、ひよりさんです!?」

茶色の大きな瞳とばっちり目が合うと、吸い込まれるように家の中へ引っ張られた。それからパピエちゃんはキッチンへと走って行くと、すぐに暖かい飲み物を持ってきてくれる。後は何が必要なのかと、小柄な彼女がぱたぱたと家の中を走り回る姿は可愛らしい。

「パピエ、久しぶりね」
「お久しぶりです心音さん!それから……あう、初めましてです、カメックスさん」
「美玖です、初めまして」

ようやく落ち着いたパピエちゃんが美玖さんのとなりに並ぶと、彼女がさらに小さく見える。
──挨拶も済んだところで、やっとパピエちゃんも小さな木製の椅子に腰を降ろした。その後ろには大きなキャンバスがあって、まるでパピエちゃんだけ別世界にいるように見える。

「パピエちゃん、コンクールのこと聞きましたよ。おめでとうございます!」
「あう、ありがとうございますです!パピエもほんのすこーしですけど、見せられるような絵を描けるようになったです。……えへへ」

パピエちゃんがはにかみながら肩を竦めて、少しズレた大きな眼鏡をかけ直す。それから視線を私たちへ向けると、首をそっと傾けていた。

「ところで、どうしてパピエのお家が分かったです?」
「ここに来る途中、ぼっちゃんっていう子に会って……」
「っあう!坊ちゃんさん、もうこっちに来てるです!?」

途端、パピエちゃんは持っていたマグカップを乱暴にテーブルに置くと、即座に筆を持ってキャンバスとにらめっこを始める。……どうやら頼まれていた絵がまだ出来ていないらしい。
後ろから少しだけキャンバスを覗いてみると、綺麗な風景が描かれていた。薔薇のアーチに立派なお屋敷……もしや、これが坊ちゃんのお屋敷なんだろうか。

「忙しそうだし、今日は出直そうか」
「そう、ですね……」

悲鳴に近い声をあげながら描いているパピエちゃんに、今似顔絵を頼むのも申し訳ない。そう思ってコートを羽織りながら彼女に出直すことを伝えると、私とキャンバスの間で視線を何度も往復させるパピエちゃん。

「あ、あう、ごめんなさいです!あの、用件だけでも聞いてもいいですか?」
「実は、似顔絵を頼もうと思っていたんですけど……」
「あうう、すごいです!実は今日、グレアさんもここへ来てパピエに似顔絵を、」
「えっ!?」
「あう!?」

思わず目を見開いて、気付いたらパピエちゃんの両肩を掴んでしまっていた。それにびっくりしたのかパピエちゃんは目をまん丸にしている。それから彼女は一旦手を止めて視線を上へ向けると、ハッとしたように私を見た。

「あう、そうだったです!グレアさんは、ひよりさんのこと探しているんでした!」
「?、違うわ。もうひよりとグレアは会ったのよ」
「……あう?でも今日、グレアさんはまだ見つからないって言ってましたです。あうう?」

──出会った事実も、無かったことにしようとしているんだろうか。
それはそれでなんとなく寂しいし、どうしてそんなことをするのか理由が気になる。とにかく納得がいかない。しかしグレアが今日ここへ来たということは、まだこの街にいる可能性は十分ある。とても良いことを聞いた。

「パピエちゃんはグレアの居場所とか分かりませんか?」
「あうう、場所までは分からないです……でもしばらくこの街にいるみたいですよ。お友達さんのお家にいると言ってましたです」
「ありがとう、それだけでも分かれば十分だよ」

……とりあえず、似顔絵の件は引き受けてもらえて、後日取りに来ることになった。
それからキャンバスに向かい合うパピエちゃんに別れを告げてアトリエを出る。再び一身に浴びる寒さに縮こまりながら、先行く美玖さんとココちゃんの背を眺めていた。

──しばらくこの街にいるということは、片っ端からここ・コガネシティを調べればいいということだ。探す範囲は限定された。が、コガネシティは栄えた街だ。探すといっても、さてどうすればいいのやら……。
そうして歩きながら考えていると、……とうとう、足元が雪で滑って体が傾く。あっ、と声を出す間もなく、気づいた時には咄嗟に出た両手がひりひりと痛んでいた。冷たいのに痛くてほんのり熱い。

「いったあ…………え?」

──そうして顔を上げて、ひとり瞬きを繰り返す。
明るい外にいたはずなのに、なぜか夜のように真っ暗な建物の中にいる。雪があったはずの地面は、なぜか冷たいコンクリートの床に変わっているし……なぜか、両手首がまとめて縄できつく結ばれている。ついでに足も同じように左右まとめて縄で縛りあげられているではないか。

……なに、これ?

一体何が、どうなっているのか。訳が分からず、私はただただひとり、暗闇で固まるしかなかった。



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