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「おねえちゃんたち、たびにでるの!?」
「みっ、みくさんもいってしまうんですう!?」
「ずりーぞ!おれもたびしたいのに!」
「ほんと急すぎるよ!」

ウツギ博士たちにも随分とお世話になっていたから旅に出る前に挨拶をするため研究所へ行くと、驚きの声を一斉に浴びた。それに苦笑いしながら、慌てた様子で別の部屋へと小走りに駆けてゆくウツギ博士を見送る。

「みくさんがいくなら、ちーもいきます!」
「おれも!いきたい!」
「ぼくも、おねえちゃんといっしょにたびしたいな……」

腰にまとわり付くちびっこたちを一旦離してその場にしゃがんだ。
それは私だって、できることならみんなと旅がしたい。でも駄目だ。

「みんなには、みんなを待っている子たちがいるでしょう?その子たちはみんなに会うのを楽しみにしているんだよ」
「それはそうですけどぉ……」

チコリータちゃんが美玖さんに引っ付いたまま口ごもる。ワニノコくんとヒノアラシくんもハッとしたように口を閉じていた。
そう。……この子たちには、春から新米トレーナーの初めてのポケモンになるのだ。とても重要な役割は、この子たちにしかできない。

「じゃあ、ぼくたちもうおねえちゃんたちとあえないの?」
「そんなことないよ。きっとまたすぐ会えるよ」
「わあ、よかったあ」

笑顔を浮かべるヒノアラシくんの頭を撫でる。
幸いココちゃんが空を飛べるから、気軽に戻ることはできるのだ。そうだな、最低でもこの子たちが旅立つ春にはまた戻ろう。

「前もって言ってくれれば色々渡せたんだけど、今はこれぐらいしかなかったよ」
「いえいえお構いなく……って、これポケギアですよね……!?」
「うん、そうだよ」

新米トレーナーに渡されるアイテムを今、博士から受け取る。なんだか一足先に新米トレーナーになったみたいだ。

「ここの電話番号も登録してあるから、何かあったらいつでもかけてね」
「まいにちかけてくださいね、おねえさま!」

目をキラキラ輝かせるチコリータちゃんが私の両手をとって目で訴える。美玖さんに絶対代わってくださいね、と。毎日……はちょっとあれだけど、お話できるのは嬉しいから寂しくなったらかけてみよう。

「本当にお世話になりました。今度来る時はグレアも必ず連れてきます」
「ゆきがとけるまえにつれてきてくれよなー!あそぶってやくそくしたのに!」
「うん、頑張るね」

頬をぷうと膨らませるワニノコくんに思わず笑みが零れる。それから玄関に戻って、雪で少し湿っているブーツに足を通す。ちびっこ三人とウツギ博士という素敵な見送りを受けながら、銀世界へと一歩踏み出す。

「三人とも、気をつけて行ってらっしゃい!」

手を振る博士に手を振り返していると、急にどしんと腰に衝撃が走る。それを受け止めきれずに雪を背に倒れると、美玖さんとココちゃんが困ったような笑顔で私を見降ろしていた。私の上には、ちびっこたちが乗っている。

「……おねえちゃん、いかないで。……ぼくさびしいよ」
「ばか!それはいっちゃだめっていっただろ!」
「うるさいわよ、ふたりとも!」

涙目で上目遣いなちびっこたちにノックアウトされそうだ。ひたすらに可愛くて、愛おしい。つい笑みを溢しながら三人まとめて抱きしめると、腕の中から苦しいだのやめろだのいつも通りの声が聞こえる。

「私もとっても寂しい。けど、また絶対会えるから。ね?」
「……ううー!」

ワニノコくんが鼻を啜るのを皮切りに、ヒノアラシくんとチコリータちゃんの目からぽろりと雫が零れる。もらい泣きしそうなところをグッと抑えて三人の頭を撫でていると、博士がやってきて「おいで」と両腕を広げた。瞬間、ちびっこたちはポケモンの姿に戻って博士の腕の中へぴょこんと跳ねると、顔を思いっきり埋めて縮こまる。

「この子たち、誰かとお別れするの今回が初めてなんだ。次は笑顔でお見送りするから、今回は許してほしいな」
「なら、今回は私がお手本を見せましょう」

さり気なく目元を拭ってから顔を上げる。お手本なんてものにはきっとならないだろうけど、せめて笑顔でお別れをしよう。また会える日を楽しみに待ちながら。





「目が赤いわね」
「……絶っ対、馬鹿にされる……」

博士たちへの挨拶も済んで、残るはお殿様への挨拶だ。
殿のところへ行く前に一旦部屋に戻って鏡を見てみれば、目が真っ赤になっていて「泣きました」という証拠を残していた。このまま殿へ挨拶をしなければいけないわけだけれど、何度考えても馬鹿にされるシーンが脳内で再生される。もういいや、しばらく会わないし、もういい。このまま行ってやる。

「忘れ物ないよね?」
「ええ、大丈夫よ」

頷くココちゃんから視線を移して、部屋をぐるりと見回した。
最初に目が覚めたときもこの部屋だった。一人で考えたときもこの部屋。……色々思いだすとキリが無いな。襖に手をかけ、ゆっくりと閉める。しばらくの間、さよならだ。

──美玖さんは先に殿のところへ行っていたらしく、すでに部屋にはいなかった。この無駄に長い廊下を歩くのもしばらくないのかと思うとなんとなく寂しい気持ちになってしまう。私、随分とこの家に対しても愛着が湧いていたんだなあ。

「……失礼しま、」
「待ちくたびれたぞ、泣き虫小娘」
「…………」

襖を開けると、すぐ目の前に殿が居た。てっきりいつものように座椅子に踏ん反り返っているものだとばかり思っていたからびっくりしたけれど、それもさっきの言葉で今は不満に変わっている。……別れるときぐらい、優しい言葉をくれたっていいのに。

「え、ええと、……今までお世話になりました」
「お世話になりすぎだぞ。わっちがどれだけ主にしてやったか……」
「大変お世話になりました!では行ってきます!」

旅へ出る前に説教なんて勘弁だ。
殿の言葉を遮ってお礼を言ってから、そそくさと背を向けて部屋を出ようとすれば。

「だから話は最後まで聞くものだと何度言えば分かるのだ」
「あいたっ!」

頭に直撃したのはもちろんいつもの赤い扇子……ではなく、金色の扇子だった。初めてみるものかもしれない。新しく買ったものなのか、なんとなくいつもより重さがあったような気がしてさらに痛い。

「なんなんですか……!」
「激励だ」

頭を両手で押さえて殿を見上げると、にやりと口角をあげて背を向ける。……もしかして、これで話は終わりなのだろうか。もしも私を叩くためだけに引きとめたのなら、本当にどうしようもない。もうしばらく会えないというのに、こんな別れ方ってありですか。

「ひより」

背中を向けたまま私の名前を呼ぶ殿。それにひとつ返事を返すと、わずかに無言が続く。
今度は激励だ、とか言って扇子を投げられるのではないかと冷や冷やしながら言葉を待つが、扇子は飛んでこないし言葉もない。少し後ろに立つココちゃんと顔を見合わせて首を傾げると、やっと殿が口を開く。

「……わっちとて、主らのことを全く気にかけていないわけではないのだぞ」
「……はい?」
「つまりだ!からかう相手がいなくなってしまってはつまらぬから、絶対に途中でくたばるなよ、良いか!」

途切れることなく一気に言い終えるとそのまま奥へと戻ろうとする殿を、美玖さんが捕まえる。それに睨み返す殿と笑顔のまま腕を掴んだままの美玖さん。私たちには何がなんだかさっぱりで、さっきの言葉に呆然としながらただそれを眺めていた。

「ほら、ちゃんと言ってください」
「わかっておるわ!」

力強く腕を振りほどくと、殿が再び私とココちゃんに向き合って扇子を広げる。それで口元を隠しながら目線は斜めにぽつりと一言。

「──……気をつけて行ってくるのだぞ」

……衝撃だった。まさか殿の口から、他人を気遣う言葉を聞ける日が来るなんて。
それになんだかとても感動して、気づいたときには思いきり殿に飛びついていた。香水の匂いに包まれながら、頭上からは即座に扇子が落ちてくる。こちらがいくら愛情を込めて抱きしめても抱きしめ返してくれるわけがなく、返ってくるのは頭への衝撃と煙たがられる言葉のみ。

「殿」
「なんだ!主はいつまでこうしておるのだ!?邪魔だ、離れろ!」
「……私なら大丈夫ですよ。絶対に死にませんから」
「──当たり前だ、たわけ」

最後に弾くように、軽く扇子で叩かれた。身体を離してへらっと笑うとあからさまに顔を歪ませる殿が目に映る。それからゆっくり笑みを見せる殿から目を離し、降ろしていた鞄を肩にかけて一歩二歩と後ろに下がる。ココちゃんと美玖さんも準備万端、これで旅に出る支度は整った。

「……では、行ってきます!」

寂しさと大きな期待を胸に玄関を出る。その先に広がるのはいつもと同じ暗い洞窟だ。
だけど今は、それさえも新鮮に見えていた。



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