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──そうして静かに扉が閉まった。ひとり部屋に残された中、呆然と白い壁を眺める。
確かに、さっきまでそこに座っていたのはひよりだ。しかしまるでひよりと話している気がしなかった。どこか緊張感のある話し方を聞いているだけで、心がかき乱されておかしくなりそうだ。
……冗談じゃない。どうして、なぜ、ひよりは何も覚えていないんだ。

「おねえちゃん、おはなしおわったんだよね?!おそといこーよ!」
「……もしかしてまた雪合戦やるの?」
「こんどはがんめんにあてたら100てんなんだぜ!」
「ッ却下ー!!」

扉の向こう、チビたちとひよりの会話が聞こえてくる。……俺と話していたときとは全然違う。きっとあれが本来のひよりなんだろう。……そうだった、はずなんだ。

「…………」
「──失礼します」

再び扉がゆっくり開いたことに驚きつつも視線を向けると、ひよりと一緒にいたポケモン……確か、カメックスと言うポケモンだ。ひとり、部屋に入ってきては先ほどまでひよりが座っていた椅子に座る。
──こいつが、今のひよりの相棒なんだろうか。
そう思うと正直顔も見たくないところだが、かといってこいつが悪いわけではないから追い出すこともできない。仕方なくぎこちない表情を作っては男を見る。

「体の調子はどうですか?」
「ああ、おかげさまでもう何ともない。お前はどうなんだ?」
「はい。この通り大丈夫ですよ」

両腕を広げてにこりと笑う姿を見る。
それなりに考えながら攻撃をしていたつもりだ。手加減はしたものの、手を抜いていたわけでもない。……こいつ、強いな。

「いきなり攻撃して悪かった」
「気にしないでください。それほどの警戒心を抱かせるほどのことがあったのでしょう」

その言葉に曖昧に頷いてみせると、男はほんの少し困ったような笑顔を浮かべていた。

「オレは美玖です」
「……グレアだ。よろしく、美玖」

スッと差し出された右手を握り返す。お互いに敵意は全くない。再度確認するように交わした握手をほどき、シーツの上にゆっくりと手を戻す。どうやら美玖は俺と話をしたいようだ。

「グレアさん、」
「グレアでいい。それと敬語も出来ればやめてくれないか」

似たような会話をついさっきもしたなと思いながら言葉を返すと、「じゃあ、グレア」なんてはにかみながら言い直す。

「単刀直入に聞くけど、……ひよりとはどういった関係なのかな」

本当に単刀直入だ。しかし、声色からして気にかけているだけではない。俺に探りを入れている。俺の登場がひよりにどんな影響を与えるのか、"俺"がどういうヤツなのかを知ろうとしているに違いない。ここで嘘を吐くのはやめたほうが良いだろう。

「……俺はひよりのポケモンで、イッシュ地方で旅をしていたんだ。ひよりと、それから仲間と」

視線を逸らさず頷きながら話を聞く姿勢から想像するに、美玖はきっと真面目なヤツなんだろう。
他には何を聞かれるのかと黙って待っていたものの、美玖は一度口を閉ざして俺を見ている。緊張感があるものではない。美玖も待っている。……ならば俺も、聞いてもいいだろうか。

「美玖は……ひよりのポケモン、なんだよな」

言葉にすると喉元が閉まるような気がした。やっぱり、聞かなければよかった。
シーツを握りしめながら、一度下げてしまった視線をそっと美玖へ向ける。と、なぜか小さく笑いながら首を左右に振る。

「そうだな、ひよりみたいなトレーナーだったら良かったなあ」
「違う……のか……、?」
「残念ながらね。オレにはトレーナーの代わりに我が儘な殿様がいるんだ」

困ったもんだよ。そう言いながらため息を吐く美玖の横、俺は別の意味で大きなため息を吐きたい気分になっていた。が、次に美玖から出た「ひよりのポケモンは今、家にいるよ」と続く言葉に再び喉元が絞まる。
……いや、いいや。衝撃を受けている場合ではない。美玖は今、確かに「殿様」と言った。これがマシロさんの言っていた"殿"だとすると、ソイツが色々と知っている可能性がある。
もしかするとひよりの記憶がないことに関しても何か知っているかもしれない。
もしもひよりの記憶を取り戻す手立てがあるのなら、何としてでも取り戻したい。
……何も手段がなければ──……無ければ、。

「美玖。その"殿様"に会いにいってもいいだろうか。ひよりについて聞きたいことがあるんだ」
「もちろんいいけど……先に謝っておく。ごめん」
「何がだ?」
「……行けば分かるよ」

美玖が何を謝っているのかは分からないが、殿に会うことはできそうだ。
体調も良くなってきた。ひよりも見つけることができた。……これで記憶の件がなければ、すぐさま連絡を入れるところだが。
……今はまだ、俺だけが知っていればいい。こんな思いをするのは俺だけで十分だ。
……それにもしも、ひよりの記憶が戻らないのならば。

それはそれで、いいのかもしれない。





「おねえちゃん、またあそぼうね!」
「ゆきがつもってるひにこいよ!」
「雪が全部溶けたら遊びにくるね」
「だめー!」

頬を膨らまして私を見ているワニノコくんとヒノアラシくんを軽くあしらいながら分厚いコートの袖に腕を通す。
結局あれから再び雪合戦で遊ぶことになり、顔面に何回も雪玉を食らうという散々な目にあった。もう雪の日になんて遊びにくるものか。

「はい、これお薬だよ。あと3日は必ず飲んでね」
「悪いな。色々世話になった。この礼は後で必ず」
「いやいや、気にしないでいいよ」
「いや、しかし……」

グレアが困っている。自分が思っているよりも表情豊かなのかもしれない。そんなことを思いながら彼のことを見ていた。
どうやら殿に聞きたいことがあるらしく、これから彼も私たちと一緒に洞窟へ向かう。

「なら、またひよりさんたちとここに来てくれないかな」
「……なら、今度は俺がチビたちと遊ぼう」
「シマシマのにーちゃんならあいてになるかもなー!どっかのだれかさんとちがって!」

そう言ってニヤニヤしているワニノコくんの視線の先にはもちろん私がいる。相手にならなくてどうもすみませんでしたねー。

「ひより、準備は大丈夫?」
「あ、はい!ばっちりです!」

すでに靴を履いている美玖さんに遅れまいと早足で玄関へ向かう。と、グレアに呼び止められて振り返ってみれば、差し出された手には見慣れた手袋がある。

「忘れ物だ」

ほら、と手渡された手袋を俯きがちに受け取った。それから少し気になって視線をそっと上げてみると、グレアは緩む口元を隠しきれていない。

「これでばっちりだな?」
「……ばっちりです」

頷きながら答えると、彼は小さく笑っていた。それに少しだけ恥ずかしくなりながらブーツに足を入れる。

「おにいちゃん、おねえちゃんまたねー!」
「みくさん、またねですう!」

──銀世界に一歩。見送りをしてくれているちびっこたちに手を振りながら足跡を残す。そうしてさくさくと来た道を戻り、白い息を溶かして凍える鼻を両手で覆った。少し湿った手袋越しに呼吸を繰り返す。

「……」
「……」

隣を歩くグレアを帽子越しにこっそり覗いてみる。顔色も悪くないし、体調はもう心配なさそうだ。跳ねる黒髪を風になびかせて、青い瞳はただ一直線に前を映している……。
聞きたいことはたくさんあるけれど、どうも聞きにくい。結局、無言の帰路をひたすら歩き続けている。

「あ、そうだ」

ふと、美玖さんが立ち止まって振り返る。後ろを歩いていた私とグレアも足を止めて、雪の上に佇んだ。下がる帽子を押さえながら美玖さんを見上げる。

「そういえば、家に食材がほとんど残ってなかったんだった」
「あっ、私もココちゃんにお土産買わないと!」

瞬間、グレアの視線が私に移って視線が交わった。思わず二度見してしまった、という感じで視線はすぐにまた他のところへ移り変わる。……私、何も変なことは言ってないよね……?

「グレア、ちょっと寄り道してもいいかな」
「ああ、もちろん。俺もこの辺りのことを知りたいからむしろありがたい」
「なら案内しながらショップに行こうか」

今まで真っ直ぐに作ってきた白い足跡は、カーブを描いて新たな足跡を作りはじめる。
とにかく、無言帰路を回避できたことに思わずホッとしてしまった。……私は人見知りをするタイプではないはずなんだけど、なぜかグレアとはうまく会話ができない。
この妙な距離感は、なんなのだろうか。



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