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研究所に着く頃には降っていた雪も止み、太陽がわずかに雲の隙間から顔を出している。
川から研究所まではわずかに距離があったものの、博士やヒノアラシくんたちが迎えに来てくれていたおかげで今度はスムーズに彼を運ぶことができた。

「さ、早く中へ入って!」
「……」

そう言いながら先に慌ただしく中へ入ってゆくウツギ博士とは反対に、彼は険しい表情を浮かべては入り口で足を止める。警戒心が強いことは分かっていたけれど、ここまで来てもやはり動かないのか。かといって無理やり入れるわけにはいかないし……。隣で支えている美玖さんもどうしようかと考えているのか、彼の様子を伺っている。
そうしてふと、わたしに向けられた視線に気づく。

「ここはなんなんだ」
「ウツギ博士の研究所です。安心してください、治療をするだけですよ」
「……そうか」

ぽつりと一言だけ言うと、彼はすんなり止めた足を再び動かす。これには私も美玖さんも驚きながらも彼に続いて中へ入ってゆく。
……彼の私に対する高い信頼はなんなのか。困惑を隠せないまま治療の準備をしている博士の手前、大人しくしている彼の背を見ていた。

「一度ポケモンの姿に戻ってくれないかな。この機械、ポケモンにしか対応していないんだ」
「わかった」

部屋を眩い光が包みこむ。それはすぐに収まり、代わりに蹄の音が鳴った。……すぐ隣、現れたゼブライカの姿に思わず息を飲む。
出会ったときも擬人化していたし、見るのはこれがはじめてだ。バチリと光る白いたてがみに体には白黒模様がある。

「……すごい、」
「ほんとだね。僕もこんな間近で見るのははじめてだよ」

そこへ横になってね、と博士が診察台を下げる。……ここまでくれば、ひとまず安心だろう。

私と美玖さん、そしてちびっこ三人揃って部屋から出た。さっきは気づかなかったけれど、診察室の隣の部屋は大量のおもちゃが乱雑に床に散らばっている。外遊びに飽きて中で遊んでいたんだろうか。

「ねーちゃん、もうようじはおわっただろ?こんどこそいっしょにあそぶんだぞ!」
「ゆきがっせんしよーよ!」

部屋から出た途端、両手をそれぞれワニノコくんとヒノアラシくんに握られた。両方から引っ張られて左右に揺られながらも再び外へ出ようとすると、ふと、美玖さんに呼び止められる。

「なんだよ、みくもあそびたいのか?」
「あー、ごめんな。ちょっとひよりと話があるんだ」
「えー?またかよー!?」
「ニコ!いいからはやくこっちにきなさいよ!」

不満を述べるワニノコくんの腕を引っ張るチコリータちゃん。彼女の視線の先には、もちろん美玖さんがいる。ありがとう、と声を出さないで口を動かす美玖さんにはにかむと、そのままワニノコくんを引きずりながら隣の部屋へ連れ去った。それに着いて行くヒノアラシくんも見送って、部屋には私と美玖さんが残される。

「美玖さん、回復は……」
「彼のあとにお願いしているよ」

応急処置はすでにやってもらった様子で、頬には折り畳まれたガーゼが貼りあてられている。

「それより……、ひよりも気づいているとは思うけど」
「あのゼブライカさんのことですよね」

私の言葉に頷きながら、美玖さんはカーペットの上に膝をつくと転がっているピッピの人形を掴んでおもちゃ箱に戻した。私も真似して目の前にある未完成のパズルを拾い集める。とても小さなピースで何の絵ができるのかさっぱり分からない。誰がやっていたんだろう、すごいなあ。

「彼はひよりの名前を知っていた。それに何だかひよりのことを信頼しているような感じもする」
「……私もそう、思います」

ひとつ、遠くに飛ばされていたパズルのピースを掴んで私の目の前にしゃがむ美玖さん。それから土台の全体を一度ぐるりと見回してパチンとそのピースを当てはめる。すごい。

「ひよりは知らないけど、彼はひよりのことを知っている……」

……そうすると、ひとつだけ可能性が見えてくる。
以前ココちゃんと一緒にセレビィを探しに行ってまで手にしたかった、私の記憶に関する手がかり。……そう、私は記憶の一部が、確かに無くなっていたのだ。

「もしかしたら彼は、ひよりが忘れていること全てを知っているかもしれない」

私が忘れている部分で関わったことのあるポケモンという可能性がある。もしもそうなら美玖さんの言う通り、彼に聞けば思い出せることもたくさんあるかもしれない。
バラバラのパズルの1ピースを手にとっては触りながらぼんやりする。……急な話すぎて感情がついてきていない。

「ただひとつ、心配なことがある」
「心配なこと、ですか?」
「うん。彼がひよりに、嘘の記憶を教える可能性があるということだ」

パチン。美玖さんは次のピースもちょっと見回しただけで当てはめてしまった。それを見てから驚きの眼差しを美玖さんに向けてみたものの、当の本人は至っていつもと変わらない表情で引き続き他のピースも順調に当てはめている。

「なんとなく……あのゼブライカさんは嘘を吐くようには見えませんけど……」
「見かけに騙されてはいけないよ。殿みたいなポケモンもいるからさ」
「うっ……かなり説得力のある例えですね」

談笑しながら、私は握っているピースとは他のものを手に取る。明らかに端っこのピースだと分かるが、どこの端に当てはまるのかすら分からず順番に合わせていく。

「なんにせよひよりにとって重要な人物だと言えるだろう」
「そうですね。……私、彼のことをもっと知りたいです」
「うん。なら、彼が回復するのを待とう。とりあえず続きはそれからだ」

私がやっと当てはめたピースの隣に、美玖さんが別のピースを当てはめた。と同時ぐらいだろうか。部屋の扉が勢いよく開き、ドスドスと足音を立てながらワニノコくんがやってくる。

「おいこらみく!なんでねーちゃんとパズルであそんでんだよー!」
「みくさんだけずるいよー!」
「おねえさまでもぬけがけはゆるしませんよ!」

続いてやってきたヒノアラシくんとチコリータちゃんに苦笑いをしながら、美玖さんと一緒に慌ててパズルを片付けた。美玖さんはよじ登ってきたワニノコくんと、足元にいるヒノアラシくんにぽかぽか叩かれ、私はチコリータちゃんの鋭い眼差しを浴びている。

「ご、ごめんね。話しがてらつい遊んじゃったよ」
「ねーちゃん!こんどこそ!おれたちと!あそぶんだぞ!あそべ!」
「あそぼう!あそぼう!」
「うん、遊ぼう。待たせてごめんね」

私の返事なんか待たず、ワニノコくんとヒノアラシくんに引っ張られては再び冷え込む銀世界へと飛び出した。さ、寒いけど遊んでいれば温かくなるはず……!!
そう思って顔をあげた瞬間。……雪玉が顔面に当たってはボロボロと崩れ落ちた。
……温かく、なるかなあ。





雪でびしょびしょになった手袋を外しながら、冷え切った鼻頭を人差し指で擦った。顔面に投げつけられた雪のおかげで顔全体が湿っている。冷気に触れて寒いどころではない。もはや顔面が凍りそうだ。

「あーたのしかった!ねーちゃんって、ほんとトロいんだな」
「……トロいから当てやすかったでしょう」
「ああ!」

満面の笑みを浮かべるワニノコくんを横目で見つつ、ヒノアラシくんが持ってきてくれたタオルを受け取る。ふわふわで気持ちいい。ヒノアラシくん、本当に良い子だ。

「さーて、こんどはみくでもからかってくるかなー」
「みくさんけがしてるからだめだよ」
「ちぇっ、つまんねーの」

そう言いながらワニノコくんが転がっているおもちゃを軽く蹴飛ばした。そうするとヒノアラシくんが駆けていっては蹴飛ばされたおもちゃを拾い上げて箱に優しく戻す。本当に性格が真逆な子だちだ。

「あ、そういえば、はかせがおねえちゃんのことよんでたよ」
「分かったよ、ありがとう。行ってみるね」

ヒノアラシくんに促されて、早速次の遊びを開始する二人を見てから博士のところへと向かった。
──分厚いドアを開けて中へ入ると、診察台がベッドに変わっていた。そこに上半身だけ起こしている彼がいて、横にいる博士から質問攻めされているからなのか、少し困ったような表情を浮かべている。

「それでね、いつかリバティーガーデンに行きたいなと思っているんだ。君は行ったことある?」
「あー……博士、お取り込み中のところ、失礼します」
「あ、ひよりちゃん!彼が君と話がしたいってさ」

彼もといゼブライカさんと目が合い、軽く会釈を交わした。その間も博士のマシンガントークは続いていたものの、私の中では右から左へ流れていく。仕方がない。だって博士が何を言っているのかさっぱり分からないんだもの。

「……って、僕が居るとお話できないよね。ごめんごめん」

そういうとウツギ博士は慌てて立ち上がり部屋を出ていった。閉まった扉の向こう、「はかせあそぼー!」なんて元気な声が聞こえてきては思わず口元が緩む。

「元気のいいチビたちだな」
「本当に。もうあの子たちとお話はしましたか?」
「ああ。……あのチビたちは、人間が大好きらしいな」

伏目がちにそういうと、彼はベッドの横に置いてあったバッグに手を伸ばして私にそっと渡してきた。ベッド横にある椅子に座りながら、言われるがままバッグを受け取る。

「中を見てほしい」
「私が勝手に見てしまっていいんですか?」
「……ああ」

静かに頷く彼を見てから中身を見てみる。入っていたのは、ボールが6個。傷だらけのボールもあるし見たこともないようなメカチックな謎のボールもある。それから傷薬に木の実、そして何かのカード。

「どれか見覚えのあるものはないか」
「…………ない、ですね」
「そのカード、表を見てほしい」

ゼブライカさんに言われた通りプラスチック製のカードを手に取り、表面に返す。
……彼の質問から考えると、きっとこのバッグは私のものだったのだろう。薄々感じていたからなのか、カードを見ても驚くことはなかった。

「"ひより"……写真も、私ですね」

顔をあげると彼も私を見ていた。私の様子を伺っているような、そんな気がする。……だからこそ、言わなければ。

「……ごめんなさい。私、一部分だけ記憶が抜けているみたいなんです」
「──……そ、それは……いつから、なんだ……?」
「多分、はじめから……」

嘘ではない。美玖さんと殿に助けてもらったときには、すでに記憶がなかったのだと思う。
彼の質問に答えてから、ふと視線を下げると、彼が思いきりシーツを握りしめている姿に気づく。それに唖然としながら顔を見てみれば、なぜか唇を思いきり噛んで眉間に皺を寄せていた。
……私が何かを答える度に彼は悲しそうな苦しそうな顔をする。
なぜ、どうして。

「教えてください。……あなたにとっての私は、なんなのですか」

私の問いに、また傷ついたような顔をする。それから一度視線を下げると、沈黙の時間が流れる。
……イッシュ地方のトレーナーカードに映る少し前の姿の私。
私のバッグを持っていた、私に信頼を寄せる彼。
……答えは聞かずとも、なんとなくは分かる。しかしどうして彼が今、答えを出し渋っているのかが分からない。
私は一体どうして、部分的に記憶が無いのか。

「俺は、…………」
「…………」
「俺は、ひよりのポケモン……だった。お前は、俺のトレーナーだったんだ」

過去形、なのか。
記憶がない私を気遣って過去形にしたのか、もしくは本当にもはや過去の関係なのか。なんと返しても、きっと彼は俯いてしまうだろう。そう思うと言葉が全然出てこない。──……ぎこちない時間が続く。

「俺の名前も、お前がつけてくれたんだ」
「えっ……私が?」
「…………」

驚いて顔をあげると、彼はフッと苦笑いを浮かべる。……握りしめていたシーツは、いつの間にか彼の手から解放されてたくさん皺を作っていた。

「俺の名前は、グレア」
「グレア……」

名前を復唱してみたが、全くといっていいほどピンとこない。そういえばイッシュ地方は外国が舞台となっていた。ジョウト地方では向こうの世界でも普通にいそうな名前ばかりだったからなのか、聞きなれないカタカナの名前はなんとなく新鮮に感じる。……グレア。私が考えた、彼の名前。

「……グレアさん、」
「グレアでいい。敬語もいらない」

彼は容姿が大人びているから呼び捨てにするのには少し抵抗がある。が、こうもはっきり言われてしまっては頷くしかない。

「えっと、じゃあ、グレア」
「ああ」
「グレアは、その……私のポケモン、だったんだよね。私って、どんなトレーナーだったの?」

バトルをするには、技の書かれたメモを見ながらではないと指示が出せない今の私。しかしグレアはかなりレベルが高いポケモンだと聞いている。そんな彼が従っていたトレーナーの私が気になった。……それに、話を聞けばもしかしたら何か思い出せるかもしれないし。

「どんなトレーナーかと聞かれると、……答えに困ってしまうな」
「えっ、私、グレアを困らせるようなとんでもないことしてたの……!?」

自分が何か変なことをやらかしてしまったから記憶が無くなっているのかな。急に色々不安になってきてはグレアのことをジッと見ると、彼は面白そうに目を細めては小さく笑っていた。

「確かに俺はお前に振り回されていたが、今ひよりが考えているようなことは無かっただろうから、安心していいぞ」
「……私の考えていることが分かるの?」
「顔によく出ているからな」
「うっ……」

笑っている顔を見ると、まるで森の中で会った人物と同じとは思えない。研究所の前で立ち止まっていた彼とも違う。……警戒心が全くなく、完全に安心しきっているように思う。
私は、そうではないのに。

「ひよりは俺にはもったいないぐらい最高のトレーナーだった。……今度は本当のことだぞ」

そういいながら自然と私に向かって手を伸ばしていた。触れられる。そう思って思わず固まってしまったが、彼の手は私に届くことなく途中で止まって、そのまま再び白いシーツの上へと静かに落ちた。

「……あの、」
「時間をとらせて悪かった。そろそろ戻ったほうがいいだろう」

扉の向こうからチビたちの声が聞こえているぞ。、そう言って彼は私の言葉を遮った。……これ以上話すことはないのだろう。なんとなくそう思う。

「うん。それじゃあ行くね」
「ああ」

今の私がここにいても、きっと彼を傷つけるだけだ。
椅子から立ち上がりながら、こくりと頷いてみせるグレアを見る。

「……ゆっくり休んでね」
「……ああ」

ぎこちなく笑顔を作る彼に背を向け、静かに部屋を出る。直後、ちびっこたちに飛びつかれては身体が傾く。

……なんとも言えない彼との空間は、わずかに息苦しく感じた。



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