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結局、いくら考えてもどうしようもない。でもやっぱりウバメの森へも行きたい。
……ということで、直球勝負に出る。
私は後悔しない道を選びたい。周りに心配をかけてしまうかもしれないが、これだけは譲れない。

「ひよりも頑固なのね」
「……ごめんね」

呆れ顔のココちゃんに謝ったものの、「ごめんねって顔、全然してないわよ」なんて言われてしまった。言われてみれば、そうかもしれない。

「それならわたしも後悔しない道を選ぶだけよ。……わたしのボールを貸してちょうだい」

そう言って顔をあげるココちゃんに腰に着けていたボールを手渡す。ココちゃんが目を閉じて静かにスイッチを押すと、赤い線となり中に吸い込まれた。私はそれを床から持ち上げて両手で包むと、頷くようにカタリと揺れるボール。

「──……今度こそ勝つんだから」

ココちゃんのボールを腰に戻して玄関に立つ。
……数時間前、再び殿と美玖さんに再戦を申し入れた。結果はやらなくても分かるだろう。殿にそう言われてしまったけれど引き下がらずにお願いをしたところ、渋々受け入れてくれた次第だ。

「……」

ドキドキしたまま取っ手を掴んで勢いよく開ける。そうすれば、目の前に広がるのはさっきと何ひとつ変わらない殺風景な洞窟だ。湿った地面に、薄暗いバトルフィールド。

「……早くしろ」

声の聞こえる方をみると、すでに殿がバトル場所に立っていた。
扇子をぱたぱた気怠そうに扇ぐ姿に、わずかに嬉しくなってしまった。いつも通りの殿の姿が嬉しいのか、はたまたまた戦えることが楽しみなのか。それは私にも分からない。

「よろしくお願いします」

パチンと扇子の閉じる音と同時、頭上へ上がる二つのボール。出てきたポケモンは言わずもがな、カメックスとチルタリスである。
目の前にふわりと舞い降りるチルタリス、ココちゃんを一度撫でて顔を見合わす。

「ココちゃん、本当に大丈夫?」
『大丈夫よ。わたしも後悔しない道を選ぶって決めたから』

白い羽に残る赤黒く残る跡にそっと触れると、ココちゃんがゆっくり顔をすり寄せた。ありがとう。、心の中で呟きながら一歩後ろに下がって前を見据える。
……そうして、大きく息を吸い込んで。

「ココちゃん、はがねのつばさ!」

目にも止まらぬ速さで翼を広げて飛び立つ。光沢を帯びた翼は真っ直ぐ一直線に向かう。

「てっぺきだ」

キィンッ!、金属がぶつかる音が響く。少し後ろへ弾き返されたココちゃんは距離をとって宙に留まる。

「にほんばれ!」
「……ふむ」

頭上に不自然に現れる目映い光に目を細めた。暗い洞窟内もパッと明るくなって辺りにあるむき出しの岩肌を照らす。

「思いっきりソーラービーム!」

水タイプの美玖さんに唯一対抗できる技だ。ココちゃんが覚えていると聞いて驚いた技でもある。強い日差しのおかげで一気に力が一点に集まる。これが当たれば少しは有利になるはず。……でもやっぱり、簡単にはそうさせてはくれない訳で。

「美玖、ミラーコート」
「なっ……!コ、ココちゃん避けて!」

簡単にはじき返された光はどうにもできず、上手く避けたココちゃんの横すれすれを通ったそれは、自然の壁に当たって轟音を鳴らした。……ごくりと生唾を飲み込む。び、びっくりした。カメックスってミラーコート覚えるんだ……。

「わっちの得意技のひとつだからな。ついでに美玖にも教えてやったのだ」
「そ……そうですか、」

にやりと楽しそうに笑みを浮かべる殿を遠目に、ばくばくと音を鳴らす心臓を落ち着かせる。……これは一体、どうしたものか。

「冷凍ビーム」
「まもる!」

激しい攻防戦が続く中、やはり押されているのは私たちのほう。何をやってもうまい具合にかわされる。力の差は歴然だ。

「分かっただろう、どうしようと主は勝てぬ。無駄なことはもう終いにしないかや?」
「それはできません。私はウバメの森へ行きたいんです。そのためには勝たないと」

扇子を広げて口元を隠す殿は口を閉ざして、肩で息をする美玖さんを見つめる。ココちゃんも同様にかなり疲労が溜まってきている様子だ。……早いとこ決着をつけなければ。

「もう一度ソーラービームをお願い!」
「ハイドロポンプで迎え撃て」

ガシャンと甲羅の大砲が傾く先には、眩い光を集めるココちゃん。光は一気に膨れ上がり、

「「発射」」

──……恐ろしい勢いで呻りをあげながら水と光がぶつかり合う。私はその光景を固唾を飲んで見守った。どちらも引かず、押しつ押されつの状況が続く。
…そしてそれは光を飲み込み、容赦無く襲いかかった。そのまま水圧で壁に叩きつけられ土煙が舞い上がる。パラパラと崩れる土壁が上から落ちてさらに視界を悪くする。

『ううっ……』
「ッココちゃん!」

小さくくぐもった声が聞こえた。咄嗟に曇る景色を掻き分けて声のしたほうへ走り出す。走って、走って、そして見つけたときには、ココちゃんは気を失っている様子で頭を地面に垂れていた。ゆっくり手を伸ばして羽を撫でると少しだけ開かれる水色の瞳。

『……ひより、ごめんなさい』
「ううん、頑張ってくれて本当にありがとう」

再び閉じる瞳を見てから身体を抱き寄せる。
……そのとき。後ろから感じた気配に、思わずゾゾゾ、と背筋が凍る。ぎこちなく振り返った瞬間に、ピタリと首元に当てられる冷たい何か。それは私の首と垂直に位置していて、少しでも動けば簡単に切り裂かれてしまいそうだった。

『わっちの言葉は主には届いていなかったようだな』

金色の鱗がすぐ目の前でキラキラと不気味なほどに輝いている。その尾鰭はまるで劔のように固く、……そして、美しい。

「殿の言われたことは分かっています。……確かに人間は、ポケモンと比べて肉体的にかなり劣っている」

ただ殿が尾鰭を横へ流すだけで、簡単に私の喉からは鮮やかな紅が吹き出しそのまま簡単に死んでしまうだろう。しかも私に抵抗する術はひとつもない。例えばこちらが拳を振りかざしたところで、固い鱗でこちらが潰されるだけだ。
ポケモンと人間の、圧倒的力の差。

「でも、守りたいと思う気持ちは同じぐらい持っています」
『そんなもの、力が伴わなくては何の意味もない。気持ちだけではどうにもならぬ』

──……ほら、どうするのだ。
じわり、喉から痛みが広がる。まさか殿がそんな、なんて言葉が頭の中を走り回るだけ無駄で今の状況に改めて震えあがった。冷や汗がぶわっと出てきて呼吸もうまく吸えない。一度唾を飲み込むと、急に口の中が乾いてしまった。

『甘い考えは捨てろ。主が滅ぶだけだ』
「例え甘いと言われようとも、変える気はありません。変えられません!」
『事が起きてからではもうどうにも出来ぬのだ!』
「それはあなたたちポケモンだってそうでしょう!?」

腕の中で瞳を閉じたままのココちゃんを抱きしめる。土埃で汚れた羽も、そこら中に出来た傷も、全て私のために戦ってくれたからなったものだ。
殿は人間ばかり弱い脆いというけれど、ポケモンだって怪我をすれば血もでるし時には死んでしまうこともあるかもしれない。それでも、トレーナーのために戦ってくれているではないか。

「……ただ見ているだけなんて耐えられません。絶対後悔するもの」
『ひより。主は死ぬ気か?』


低く呻るような声が響く。しかし、いつの間にか震えも止まって、喉元に感じていた冷たさも消えていた。

「まさか。絶対に死にませんよ」
『何の根拠もないくせに、よく回る口だな。……主も長生きは出来ぬだろうよ』
「後悔だらけの人生なら長生きしなくてもいいです」
『……よく言うわ』

静かに尾鰭が下へ降りる。瞬間ドッと汗が噴き出して大きく息を吸い込むと、やけに空気が新鮮な気がして何度も大きく呼吸を繰り返してしまった。それから喉にそっと片手を置いてからすぐに離して手の平をみると、少しだけ血が付いていた。……お、恐ろしい……。

「たわけ者が」

殿は人間の姿に戻ると、私を見下ろして鼻を鳴らした。そうして懐から扇子を取り出すと、私の頭にまっすぐと振り下ろす。パンッ!となんとも良い音がした。
今となっては当たり前のこととなっているけれど、殿の辞書には"容赦"という言葉がないから叩かれた頭がとても痛い。

「と、殿!もう一度だけ戦ってくださいお願いします!私はウバメの森に行きたいんです!お願いします殿!」

羽織の裾を掴んで引っ張れば、あからさまに顔を歪めてから殿は再び扇子を振り下ろす。もちろん私に避ける術はないから、またしても頭にクリーンヒットだ。これには耐えきれず、思わず裾から手を離して頭を抱えてしまった。よくも平然な顔でこんなに強く叩けるものだ。鬼め!

「お願い、します」

赤い瞳がぎらりと私を見下ろした。真っ直ぐ見つめて、見つめ返して。
サッと扇子を広げた殿は、不意に目線を逸らして背を向けた。そうして無言のまま、私の前から足を進めて家へと戻ってゆく。

「殿、」
「……もうわっちは知らぬ。勝手に何処へでも行くが良い」
「え……、」
「わっちは自分の考えは絶対に変えぬ。しかし、主も同じく変えないのならば絶対に分かりあえはしないのだ。ならば何度戦っても無駄なことではないか」

背を向けたまま、殿の声だけが洞窟に広がる。殿の言う通りだ。どちらも折れる気はないから、ずっとぶつかり合う覚悟でいたけど……。

「すぐに折れる無力な小娘だと見くびっていたが……実際は頑固で愚かな生意気娘だったな」
「な……なんか、ひどくなっていませんか?」
「わっちは正直に述べたまでだ」

少しだけ振り返った殿が扇子越しに小さく笑みを浮かべているのが見えた。
私は抱きかかえていたココちゃんをボールに戻して立ちあがり、服についた泥を払い落す。それから再び背を向けて、ちらりとも振り返らない殿の背に向かって頭を下げる。

「殿!ありがとうございました!」

心配してくれて、戦ってくれて、見直してくれて、……色んな意味の"ありがとう"を込めて言葉にしたものの、はたしてそれが殿にきちんと伝わっているかは分からない。
それでもなんとなく、ほんの少しだけ認めてもらえて気がして嬉しくて思わず笑みがこぼれた。



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