2


「ココちゃん、りゅうのまい!」
「わかったわ!」

事前に用意したメモ用紙を見ながら指示をだす。そんな私とは打って変わって、バトル開始から未だに指示を出さない殿。……嵐の前の静けさというものだろうか。緊張感が、じわじわと身体を蝕む。

「ひより!」

振り返るココちゃんに頷き返す。これだけりゅうのまいを詰んで物理で叩けば、互角……いや、きっと勝てるはず。

「ドラゴンクロー!」

一瞬。
人間ではありえない速さで美玖さんに飛びかかる。ココちゃんが腕に纏っていた不思議な光は、一気に不気味な輝きを増してそのまま美玖さんに振り落とされる。が、それは美玖さんの左頬を掠めただけでそのまま下へ落ちてしまった。湿った地面があり余った威力を全て吸収し、白い腕が勢いよく埋まってしまう。

「ココちゃん!」
「だいじょうぶ、よ!」

埋まった腕を軸に足を伸ばして蹴り上げる。ココちゃんの左足は的確にわき腹へ入り、頑丈な青い身体が一歩うしろに、どしんと下がる。

「おい、美玖。この程度の攻撃で動くとは、わっちの鍛え方が甘かったかや?」
『は、早く指示をだしてください殿!』
「避ければ良いだろう、避ければ」
『ッできれば最初からやっています!』

蹴りの反動で地面から抜け出したココちゃんは、両腕に光を纏って攻撃を続けている。直撃しているものはないものの、着実に有利な立場になってきているはず。あれでこの先体力が持つのか不安なところだけど、今見る限りでは著しい呼吸の乱れもなさそうだし、きっと大丈夫だろう。

「でかいわりに、いい動きするのよね……」

一旦距離を置いて私の元に戻ってきたココちゃんが、下唇を噛みながら呟くように言っていた。決定的ダメージを与えられないことが悔しいのか、「あそこでもっと踏み込んでいれば」なんてすでに反省を始めている。
……私はココちゃんを甘く見ていたところがあったようだ。サーカスにいる限りバトルをすることはないはずだけど、彼女の動きを見た限り、どこか戦い慣れているようにも見える。どうしてなのか……。

「ひより、次はどうすればいいの?」
「え、えっと、……距離をとった、ままりゅうのはどうお願い」

一度頷き再び走り出す。
とにかくココちゃんが戦い慣れているのは有難い限りだ。ボロボロな私の指示でもバトルとしてちゃんと成り立っているのは、ココちゃんのおかげとしか思えない。

「このままだとすんなりわたしたちが勝ってしまうけど、いいのかしら?」
「……」

挑発されてもだんまりを決め込む殿が気に食わなかったのか、ココちゃんは小さく舌打ちをすると両腕を思い切り前に出して目を閉じた。すると不自然に風が吹き、彼女の透き通るような水色の髪が美しく揺れる。

「避けろ」
『な、何を言っているんですか!オレが避けたら殿が、……』

このまま本当に、何も指示を出さないつもりなのか。一体何を考えているのか。
そうこうしている間にも、ココちゃんの手には私ですら分かるほどの力が集まっている。あれを直に受けたら美玖さんでもかなりのダメージになるはず……。

『殿、どうすればいいんですか!?』
「避けろと言っている。二度も言わせるな、美玖」
『──……全く!』

どしん。地団駄を踏むように地に響いた足音は、次の瞬間ゴオオォと吹き荒れる強風の音にかき消された。
りゅうのはどうを受ければ明らかに不利になる。避ければ殿が危ない。……となると、美玖さんは何らかの手を打っているはず。目の前で強風に揺られて顔にへばり付く自身の髪を片手で押さえつつ、土煙で霞む先に目を凝らす。

「さて……どう出るのかしら」

同じく注意深く先を見つめるココちゃんを斜め前に、次第にはっきりと見えてきた目前。……それに、思わず声を出してしまう。

「な、何もしていない!?」

両腕を交差させて身体を縮めたままのカメックスこと美玖さん。遠目からでも分かる傷が出来ている。
何もせず、あのココちゃんの技を受けていた。にも関わらず、あの程度の傷で済んでいる。……美玖さん、強すぎるのでは……!?

『あなたという人は本当に……!』
「ふむ、わっちの育て方は間違っていなかったようだな」

そう言いながら上機嫌に美玖さんを叩く殿。わざと傷ついた場所を叩いているのは実に殿らしい。

「……ひより、勝負に出るなら今しかないわよ」
「そう、だね」

殿が指示を出さなければ美玖さんが動くことはない。ならばココちゃんの言うとおり、殿の気が変わらないうちに一気に畳みかけるべきだ。

「もう一度、ドラゴンクロー!」

駆けだすココちゃん。その対角線上で動く金色。……やっぱり、そう簡単には勝たせてくれないらしい。

「──……遊びはここまでだ。さっさと終わりとしよう」

ぎらり。鋭く輝く紅い瞳に生唾を飲み込む。それから慌てて、すでに距離をかなり縮めたココちゃんと体勢を低く構える美玖さんを忙しく交互に見つめる。

──振り下ろされた彼女の腕は、美玖さんの左腕を掠めて再び地面に落ちる。先ほどと同じく肘まで地面に埋まったもののそれを軸に身体をしなやかに捻るココちゃん。地を蹴り上げ、今度は美玖さんの足元めがけて足を伸ばす。転がしてしまえばこちらのもの。そう思ったのも一瞬だけ。

『心音さん、ごめんなさい!』
「きゃ…ッ!?」

すらりと細い足は三本の鋭い爪に掴まれて、目標へ届く前に止まる。威力が相殺された足はすぐに地面へと落とされ、うつ伏せになる。

「っココちゃん!」
「美玖、どくどくだ」

腕が埋まってすぐには動けないココちゃんの周りの地面が、不気味な紫色に染まる。次第にこぽこぽと粘り気を持つ水泡が宙に現れ、弾けては肉眼では見えないほどの雨滴となって消えた。
急いで腕を抜いて距離をとったものの毒に侵されてしまったようで、彼女の額には大粒の汗が浮かんでいる。片膝をついて肩で息をしている姿に、罪悪感と焦燥感が心を急かす。

「リ、リフレッシュ!」
「いわなだれ」
「!?、避けて!」

状態異常を治す暇さえ与えてくれないらしい。それでもココちゃんは頭上から降り注ぐ岩を俊敏に避ける。手に汗を握りながら、ばくばくと五月蠅い心臓の音に飲みこまれないよう、私も必死にその場で踏ん張る。

「ドラゴンテール」
「まっ、まもる!」

キインと耳鳴りがした。直後、真横の岩肌向かって吹っ飛ばされるココちゃんの姿が目に映る。スローモーションのように見えたのは一瞬だけ、あとは激しい衝撃音と岩が崩れる様が光の速さで過ぎ去る。

「ッココちゃん!」
「……っ来ちゃだめよ!」
「ハイドロポンプ」
「!」

私が動くよりも先に甲羅のロケット砲が斜めに構えられ、ココちゃん向かって勢いよく水が発射される。青白い顔が土煙の中でぼんやりと見えた直後、こっちまで飛んできた水しぶきに思わず目を閉じてしまった。

「美玖。仕舞に冷凍ビームだ」

苦しそうに咳き込むココちゃんの姿に心臓がどくんと大きく鳴る。
──このままではココちゃんが凍ってしまう。
……凍って……、みんな、凍って……──?

──……ぱきん。


「ッ嫌、いや、だめ……っ!!」

自然と動く足と、急に冷えた空気に溶ける焦りの息。
そうしてココちゃんのところへ辿り着いた私は、ただ彼女の目の前に立っていた。怖いはずなのに、それ以上に失うのが怖い。どうして。なんで。自分で自分のことが分からない。
なんとなくぼんやりしたまま、痛いほど引っ張られる腕にほんの少しだけ目線を向ければ、細い指がきつく私の服を握ってどうにか動かそうと必死になっている。

「早く、はやく向こうへ走って……ッ!!」

悲鳴に近い声も無視して再び前に視線を戻せば、真っ白な光景が広がっていた。冷凍ビームの光が眩し過ぎるからだろう。前の様子が全く見えない。次第にココちゃんの声も聞こえなくなるぐらい、光が近づく。
このまま飲みこまれて、……そして、彼に会って、抱きしめられて。
──……あれ。
彼って一体、誰のこと……?


「ひより!」

ココちゃんの声でハッとしたときには、すでに真っ白な景色は消えていた。代わりに黒い羽織がそこに現れ、私の鼻先を掠める。訳が分からないまま少し横へ視線を動かせば、巨大な波が光に向かっている。

「大丈夫よ、見ていて」

ココちゃんの言葉を耳に入れながら、目の前でなびく金色の糸のような髪と水しぶきを眺めていた。
驚きと恐怖にアッと声を漏らす前に、ぱきぱきと音を鳴らす何か。……ああ、そっか。冷凍ビームの盾として、殿が波を出してくれたんだ。巨大な波が勢いよく凍っては氷像になるのを見ながら、ようやく自分が何をしようとしていたのか、事の重大さに気づいては力が抜けてしまった。

「た、助かったあ……」
「っもう!バカひよりっ!」

その場に膝から崩れ落ちると同時に後ろから白い腕が伸びてきて、首元に絡みついては私の身体を抱き寄せる。

「どうして来たのよ!?もう心臓が止まりそうになったわよ、ああでもひよりが無事で本当によかったわ……!」
「私は大丈夫だよ。それよりもココちゃんが、」
「わたしのことはどうでもいいの!!」
「どうでもよくないよ!?」

後ろから私を抱きしめてくれるココちゃんに言い返してから、そうだ、と思い出す。
私たちを庇ってくれたのは、殿だ。敵ではあったがお礼を言おうとココちゃんから離れて殿の元へ向かう。……が。なぜか殿は波を目前にした位置で仁王立ちしたまま、全く動く気配がない。私がすぐ横に来ても無反応である。

「殿……あの、助けてくれてありがとうございました」

お礼を述べるも、先ほどと変わらず無反応。……どう、したんだろう?不思議に思いながら今度は殿の目の前に行って頭を下げてもまたもや反応無し。

「……と、殿……?」

なんだか様子がおかしい殿に恐る恐る顔を上げた瞬間。、

ッばちん!
──……頬に、衝撃が走った。
次第にじんじんと熱を帯びる右頬に軽く自身の手を添えて、衝撃で顔面を覆った髪をどかす。それからゆっくりと目の前の殿を見上げれば、怒っているような、でもなんとなく泣きそうな。そんな表情をしていた。殿、らしくない。

「……、」

何か言いたげに口を一度だけ少し開いたものの、結局一言も発せず、きつく閉ざしてしまった。それから殿は下唇を噛みながら思い切り眉間にしわを寄せ、ぼんやりしている私を見下ろす。それでもやはり何も言わず、そのまま羽織を翻しては背を向けひとり家へと足早に向かう殿。

「ちょっと!女の子に手をあげるなんて最低よ!見損なったわ!」

ココちゃんの言葉は届いたのか。ぴしゃりと家の扉が閉まる音が洞窟内に響いた。それからココちゃん慌てて私のところへ来ては、「大丈夫!?」と心配そうに私の頬にそっと指先を添えては表情を歪める。……頬は未だに熱を帯びていてじんじんと痛む。

「ねえひより……本当に大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと、……いや、かなり、驚いてるだけだから……」

親にも殴られたことないのに!なんてよく聞くベタな台詞を言うことすらできなかった。
正直なところ、痛む頬よりも気になっているのは殿のあの表情だ。
叩かれたことと殿らしくない表情のダブルパンチを食らった私は、どう頑張っても驚きを隠すことができない。

「大丈夫か!?」
「わっ。み、美玖さんこそ大丈夫ですか!?」

傷だらけで見ている方が痛くなるような姿の美玖さんに心配されても……。

「……殿が手加減するわけない、か」

ごめんな、痛いよな。、私の頬を包むような形に手を近づけながら殿の代わりに謝る美玖さんに、ぶんぶんと頭を左右に振ってみせる。美玖さんが悪いわけではない。……かといって、殿が悪いわけでも、ない。たぶん。

「早く冷やさないといけないわ。わたしたちも戻りましょう」
「そうですね。それに心音さんの手当ても、」
「あら、それならわたしより美玖が先の方がいいんじゃないかしら」

ココちゃんがたっぷり皮肉を込めた言葉を笑顔で言っていた。美玖さんはそれに苦笑いしながら立ち上がると、そっと家へ視線を向けていた。

「さ、早く戻りましょう」
「……うん」

ココちゃんの手を握りながら、美玖さんの背中を見る。
美玖さんなら、あの時の殿の表情を理解することができるんだろうか。……私はいくら考えても分からない。
その事実に少し寂しさを感じながら、美玖さんとココちゃんに続いて家の中へ入って行った。



- ナノ -