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カンカンカンッ……。今朝も聞こえる軽やかなリズム。
隣で小さな寝息をたてているココちゃんを起こさないように、ゆっくり布団から這い出て着替える。

「さむっ……」

季節はだんだん本格的に冬へ向かっているらしい。急いで服を頭から被って、もう一度布団に戻る。身体を縮こませて残っている自身のぬくもりで温まっていると、くすりと笑い声が聞こえた。

「着替えたのに、また寝るの?」

上半身を起こして背伸びをし、大きな欠伸を漏らすココちゃん。いつの間に起きていたんだろうか。

「寒いから一回戻っただけだよー」
「洞窟だから余計冷えているのかしら。寒すぎだわ」

残念ながら暖房器具がないこの部屋。まあ私が来る前はこの部屋は物置場と化していたらしいから、仕方のないことだとは思うけど……このままでは冬を乗り切れる気がしない。貰ったお金も腐るほどある訳だし、早めに美玖さんにお願いして買いに連れて行ってもらおうかな。

『ひより、ひより』
「あれ、チルタリスに戻ってどうしたの?」
『いいから、早くこっち来て』

ばさばさと白い羽根を上下に動かすココちゃんに従って、四つん這いのまま隣の布団へ移動する。すると私の膝の上に乗っかって羽を広げ私を包み、また閉じた。

「うわあ、すっごく暖かい!」
『そうでしょう』

ぎゅうと抱きしめると、ふわふわの羽が首元や手の指の隙間に入り込んでさらに暖かい。向こうの世界でいうと、羽毛を全身に纏っているみたいな感じなんだろうか。こんなにふかふかな体験は初めて……じゃない。
──……違う。私は前も、こうやって何かの羽を触っていたことがあった気がする。ココちゃんの羽を触りながら思い出そうと記憶を探るけれど、そう簡単に思い出せるはずが無く。

『さて、早く殿にあなたについて聞きに行かないと!』
「わあっ!」

あれやこれやと考えているうちに、ぼふんと目の前で上がる煙と押し倒される身体。ココちゃんが私に乗っかったまま人間の姿に戻ったからだ。ごめんね、と笑いながら謝るココちゃんに反省の色は全く窺えない。

「ココちゃんもう一回ー!寒いよー!」
「もう行くから駄目よ」
「私が抱えたまま歩くから、」
「駄目」

ふと強く言い放たれた言葉に、思わず増える瞬きと閉じる口。そんな私を見ながら、ココちゃんは白いふかふかのジャケットに腕をスッと通してから「ごめんなさい」と静かに呟く。

「あの羽は、出来れば誰にも見せたくないの。……見せられるようなものじゃないから」
「そんなこと、!」
「あるのよ。"目は口ほどにものを言う"ってね」

苦笑いをするココちゃんの視線は下にある。
そうだ、羽に残る痛々しい痕は最近になって出来たものではないんだ。私はココちゃんのことをまだ何も知らない。もちろんどんな過去を持っているのかも分からない。だからといって気軽に口に出したことが許されるわけが無い。……ココちゃんを、傷つけてしまった。

「ごめんね……私、何も考えずに……」
「いいえ、ひよりはちゃんとわたしのことを考えてくれているわ。だから今謝ってくれたのでしょう?」

そっと私の頭に触れる白い手が、上下に優しく滑り落ちる。

「わたしね、ひよりが"綺麗"って言ってくれたとき、本当に嬉しかった。だからあなただけには見せるの」

さあ、行きましょう。そういいながら伸ばされたココちゃんの手を握って立ち上がる。彼女の優しい言葉に甘えてしまいながら、微笑んでくれる姿にゆっくりと口角をあげた。……もっとココちゃんのことを知りたい。もっと仲良くなれたらいいな。ひっそりとそう思いながら手を繋いだまま居間へ向かう。

「おはようございます」
「おはよう、ひより」

一旦、ココちゃんと手を離してからひとりキッチンへ向かうと、お玉片手にひらり手を振るエプロン姿の美玖さんに、私もひらりと振り返す。こんなにエプロンが似合う男性は果たして美玖さん以外にいるのだろうか。いや、いない。

「私も手伝います」
「ありがとう。じゃあこれを、」
「はい」

美玖さんの隣へ並んで、早速調理に取りかかる。といっても、すでに味付けが済んでいる炒め物にあと少しだけ加えて火にかけておくだけだけど。

「心音さんも、おはようございます」
「お、おはよう……」

私の後にココちゃんもキッチンへ来ていたらしい。が、その声はどこか違和感があって振り返ってみれば、手は後ろにしながら目を泳がせている。どうしたんだろう、ココちゃんらしくないぞ。そう思いつつも視線を手元へ移して卵を1つ2つと割っていく。それを菜箸で解かしていると、カンッ!と何かが落ちる音が隣で聞こえた。

「ご、ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったのだけど……」
「あ、いえ、……」

床には転がるお玉。そしてお互いに驚いたように目を丸くしている美玖さんとココちゃん。私が卵と戯れている間に一体何があったんだ。
ぎこちなくお玉を拾う美玖さんに視線を向けると、ばちりと目が合った。何やら私に目で必死に訴えかけている。

「えーっと……?」
「その、肩をちょっとつついたら美玖が飛び上がってお玉を落として、」
「……あー……」

なるほど、理解しました。ココちゃんは美玖さんがちょっとした女性恐怖症だということを知らないから触ってしまったのか。だから美玖さんは私に助けを……

「ところで、どうして肩を?」
「オレに何か……?」

何故か目を泳がせているココちゃんから、美玖さんが密かに距離を置いたのはきっと無意識だろう。訊ねられたココちゃんは一度大きく息を吸い込んでから吐き出す。

「……昨日のお礼、言おうと思って、」
「い、いや、オレは何もしていないですから……」

首をぶんぶん左右に振る美玖さんにココちゃんは目を見開いて視線を向けて、そして笑った。私も美玖さんも、どうしてココちゃんが笑っているのか分からずに一度顔を見合わせる。

「ひよりと同じことを言うものだから、つい笑ってしまったわ。ごめんなさい」
「は、はあ……」
「でもね、わたしが今ここでこうやって笑っていられるのはひよりと美玖のおかげなの。だから何もしていない、だなんて言わせないんだから」

──本当に、感謝しているわ。ありがとう。
はにかみながらココちゃんがぎゅっと私を抱きしめる。抱きしめ返すとゆっくり離れ、ついで隣に移動しては美玖さんの手を握って感謝を伝えている姿を見た。ついで、聞こえたのは再びお玉の落ちる音。それからすぐに美玖さんが台所から走り去ったのは言うまでもない。



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