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「ほう、美玖にしては良くやった」
「……ですからオレではありません」

座椅子にふんぞり返って、広げた扇子で口元を隠す。きっとニヤニヤが抑えきれないのだろう。それもそうだ。ココちゃんはとびきりの美人で、殿は美人に目がない。私と美玖さんなんてもはや殿の眼中には無く、ただひたすらにココちゃんに熱い視線を向けている。

「はあ。子どもたちが納得するのも納得ね」

整った顔を少し歪めて殿を睨みながらこっそり小声で私に話しかけるココちゃんに、私も大きく頷いた。仕方がない。これが殿なんだもの、もうどうしようもない。

「主、わっちにも歌ってみせろ」
「嫌よ。もう見世物ではないもの」

ずばり。聞いていて清々しいほどの即答に尊敬の眼差しを向ける。ココちゃん、美人でかっこよくて、なんて最高の相棒なんだ……!

「なんだ、つまらぬ」

ぱちんと扇子を閉じ、殿が立ち上がる。足先はもちろんこちらに向いている。こ、これは私の出番か。とりあえず何があっても大丈夫なように腰を軽く浮かしておいた。ココちゃんは私が絶対守る……!
そんな私を見透かしたように横目で見てから、殿はすぐに再びココちゃんへ視線を向ける。

「勝気な娘だ」
「お褒めのお言葉、ありがとう」

扇子をココちゃんの顎に添える殿の手を、にっこりしながら叩き落とす。
……正直、怖い。私も美玖さんも冷や冷やしながら二人のやり取りを見つめる中、当の本人たちは静かな戦争を続ける。

「家主はわっちだぞ。そのような態度をとっても良いと思っておるのか?」
「家主はあなたでも、わたしのマスターはひよりよ。わたしはひよりの言うことしか聞かないわ」

助けて美玖さん。そっと視線を向けると、彼は小さく首を左右に振って見せる。ですよね。
どうしようもなく、ひたすら俯いて二人のやりとりが終わるのを今か今かと待ちわびていた。

「ふん、まあいいだろう」

私の願いが通じたのか、殿はココちゃんから離れるとまた座椅子にふんぞり返った。
私と美玖さんからは安堵のため息が出たのは言うまでもない。「もう良い、戻れ」なんて扇子で襖を差す姿を見てから、言われたとおりにさっさと立ち上がってココちゃんの手を引く。
そうしてそそくさと部屋を出て、ココちゃんと一緒に私が使っている部屋へ向かった。

「自分勝手なところとか、まさに殿様って感じだわ」
「いつもあんな感じだから気にしないで……」
「ひよりも美玖も、苦労しているのね」

苦労……。美玖さんに比べたら私なんて全然苦労していない。たぶん。
ココちゃんの言葉に苦笑いしながら、ひっそりそう思った。





ふたつ並ぶ布団に思わず顔が緩む。
少し湿った髪のまま、うつ伏せになって布団に入って枕を抱えた。だれかが近くにいるだけで、なんとなくいつもより安心する。

「ねえひより、あなたってどういう経緯でここに居るの?」

ドライヤーを切って、ヘアブラシを片手に髪をとかしながらココちゃんが鏡越しに私を見る。ココちゃんらしいストレートな聞き方だ。どうせいつかはココちゃんにも話すのだ。なら早いほうが良いだろう。
布団に一旦入ったものの、枕を抱えたままもう一度上半身を起こす。

「実はね、私、この家の前に倒れていたところを美玖さんに助けてもらったんだ」
「……え?」

ココちゃんが振り返って瞬きを繰り返す。「どういうこと?」、そういいながら大きな目をさらに大きくしたまま、私の目の前まで膝立ちで歩いてくるココちゃん。

「その……私、この世界の人間じゃないんだ。別の世界から来て、気付いたらこの家にいたの」
「別の世界……?え、えーっと……それ、本当の話?、よね?」
「本当だよ。……私も信じられないよ、ほんと」

肩をすくめながら苦笑いを見せると、ココちゃんが私の前に座ってじっと見つめてくる。それから続けて嘘のような本当の話を全て話して、終わったときには髪もすっかり乾いていた。

「それでね、殿が言ってたんだけど、私はセレビィと一緒に時渡りでここに来たらしいんだ」
「セレビィって伝説のポケモンじゃない。あなたと何か接点があったの?」
「全然ないよ。でもセレビィって、この世界でしか時渡りできないんだって」

ココちゃんは眉を顰めながら手を眉間に添える。私の説明の仕方が悪いのもあるけど、それに加えて非現実的な話すぎてついて行けないのかもしれない。

「つまり……ひよりはここに来る前からすでにこっちの世界に居た……ということになるのね?」
「そうなんだけど……実は、その部分だけ全く覚えてないんだ」
「いや、なんでやねん!」

突如、美女から出てきた大阪弁に今度は私が目も見開きながら驚いた。それにココちゃんも気づいて教えてもらったところ、ココちゃんは生まれがコガネシティらしい。なるほど、それなら納得だ。

「ともかく、それって記憶喪失ってこと……!?」
「そ……そうみたい、かな?」
「かな?じゃないわよっ!」

肩を掴まれながら前後に揺られて、首が安定しない。それといっしょに目の前で揺れている豊乳をぼんやり見ていた。ジッとみるのは失礼だと思いつつ、どうも視線がそちらへ向いてしまう。

「記憶が無いって大変なことよ。ひより、あなたは不安ではないの?」

両肩から手が離れ、目の前に座るココちゃんが眉をハの字に下げながら呟くように言う。
今までは記憶が無くても何の支障もないし、万が一記憶が戻っても元の世界に帰れるわけではないと思っていたからなのか特に気にすることはなかった。日々をぼんやり過ごしていたけれど、こうして改めて言われると……少し、不安にもなってくる。
どうして一部分だけ記憶がないのか。意図的に消されたとして、どうしてそうなってしまったのか……。考え出すとキリがない。

「ねえ、何か少しでも覚えてることとかない?手がかりになるようなものとか……」
「あ、それならあるよ」

腕の裾を捲って、私と一緒に落ちていたというブレスレットをココちゃんに見せた。ついで、一旦それを外してココちゃんの手の平の上に乗せる。

「……手作り、みたいね。でもかなり出来が良いわ」
「えっ、これ手作りだったの?てっきり売り物かと……」
「それにこれは天然石よ。色からして……ラリマー、かしら。珍しい」

しばらく身につけていたくせに何も知らない私とは違い、たった数分で詳しく分かってしまうココちゃんをひたすらに尊敬の眼差しで見つめる。

「ラリマー?っていう名称は初めて聞いたなあ」
「ブルーペクトライトが正式名称よ。美しい海がある自然豊かなところで産出される石なの。ヒーリングストーンの一つで、愛と平和を象徴しているのよ」

へえー、と感心するしかない私の横、ブレスレットを色んな角度から見ているココちゃんの目もキラキラと輝いているように思う。何だかすごく楽しそうだ。

「ラリマーって結構値が張るものよ。ひよりってもしかして、どこかのお嬢様だったりして」
「まさか、それはないよ」

私みたいなガサツな人間がお嬢様だったら世も末だ。
ココちゃんから返してもらったブレスレットをまた手首に付けて見つめてみるけど、当たり前のように何も分からない。……あ。

「……そういえば」
「何か思いだした!?」
「ううん、違うんだけど……たまに急に頭が痛くなることがあって、で、その時に誰かの声も聞こえるんだ」
「声?」
「多分……男の人の声……?」

ふたり揃って「うーん」と腕を組みながら考えてみたが、やはり何も分からなかった。
……結局、もう夜も遅いし大人しく寝ることにする。
部屋の明かりを消して小さな照明だけ残し、布団に入る。

「ひより」

名前を呼ばれて横を向くと、ココちゃんが私を見ていた。いつみても本当に美人だ。

「なに?」
「あなたの記憶、絶対わたしがどうにかしてみせるわ」
「……ありがとう、ココちゃん」

私以上に私のことを心配してくれているのが分かる。いや、私が無頓着すぎるのかもしれないけれど、本当にココちゃんの存在はありがたい。

「早速明日、わたしから殿に話を聞いてみようと思うの」
「っえ、え!?」
「なあに、そんなに慌てちゃって」

ココちゃんをひとりで殿のところへ行かせることは避けたい。となると、私も必然的に一緒に行くことになってしまう。……出来ればもう、今日のような恐ろしい雰囲気は味わいたくない。

「殿じゃなくて美玖さんじゃ……」
「駄目ね。殿の方が色々知っていそうじゃない」

そういって満面の笑みで「それじゃ、おやすみ」と私に背を向けるココちゃん。うう……明日はちょっと気が重い。
そうしてひとつ小さく吐いたため息は、薄明かりに溶けて消えていった。



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