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私たちが研究所に戻った頃には、すっかり日が落ちてしまっていた。
博士には遅くなりすぎて心配をかけてしまったのでは、と内心申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら扉の前にたち、チャイムを鳴らした。が、返事はなく、チコリータちゃんが持っていた合鍵で扉を開けるとウツギ博士は死んだように眠っていた。相当疲れていたようだ。逆に遅く帰ってきてよかったのかもしれない。
「きょうはとーってもたのしかったです!みくさん、おねえさまありがとうございました」
「私もとっても楽しかったよ。また一緒に行こうね」
「はいですぅ!」
博士に毛布をかけるワニノコくんとヒノアラシくんにも簡単に挨拶をしてから、研究所を後にした。
そうして扉が閉まると同時に、私と美玖さんふたりで安堵と疲れが混じった深いため息を吐く。顔を見合わせ、お互いにげっそりした様子でから笑いをした。
「まさかあんな理由で子供たちが納得するとは思ってもみませんでしたよ」
「オレもダメ元で言ってみたから、正直驚いたよ」
「しかしあれですね……」
「ああ、あれだ……」
これではっきりしてしまった。子どもたちも、殿を"そういう人"として見ているということが。……まあ、ね。うん、何も言えない。
再び美玖さんと一緒にため息を吐いていると、ココちゃんが突然笑いだす。これまた同時に振り返ると、お腹を抱えて笑っている彼女。
「ココちゃん?」
「あなたたち同じタイミングで同じことをするんだもの。面白くて我慢出来なかったの」
「それはまあ……、……その、私にとって美玖さんはお兄さんみたいな人だから……同じ仕草をすることもあるよ……ね?」
なんとなく、こうして言葉にするのは恥ずかしい。どこか驚いた表情を浮かべているココちゃんを見てからさりげなく美玖さんへ視線を向けると、一瞬目を泳がせてからはにかみながら頬を人差し指で軽く撫でていた。……嬉しい。けどやっぱりなんとなく気恥ずかしい。
「あなたたちの関係、とっても素敵ね。……羨ましいわ」
目を細めて微笑みながらそういうココちゃんに今はまだ何も答えず、微笑み返してから前を向き、洞窟へ続く道をひたすら歩く。
そうして洞窟へ入り、ランプに火を灯してから時折冷たい水が頭上から落ちてくる道とは言えない道を歩く。ココちゃんが戸惑いつつも私の後ろを歩いている姿は、少し面白い。それから水際まで辿りついて、カメックスに戻った美玖さんに乗る。続けてココちゃんも甲羅に乗って、ゆっくりと水面を進み始めた。
「ねえひより、あなた、本当にこんな場所に住んでいるの?」
「うん。場所はあれだけど、すごくいい家だよ」
「……そう」
心配そうな表情に思わず小さく笑うと、ココちゃんが少し頬を膨らませて私を見ていた。美人は何をやっても美しいが、今のココちゃんは可愛いという言葉のほうが似合う。
そうして黒い水を照らす灯が見えたところで、美玖さんが「珍しいな」と一言呟く。確かに珍しい。灯があるということは、家に殿がいるということだ。この時間に殿が家でのんびりだなんて、まあ珍しい。
『ひより、家についたら心音さんをしっかり見ているんだよ』
「勿論ですとも!」
あの女好きの殿様が、こんな美人を目の前に何も仕出かさない訳がない。きっとココちゃんは異性に対して苦手意識を持っているはずだし、私が何とかしなければ。
「ココちゃん、私が絶対守ってみせるからね!」
「ねえひより……あなた、ポケモンの言葉が分かるの……?」
手をしっかり握って横を向くと、目をまん丸にしながら私を見ているココちゃん。……しまった。なんて気付いた時にはもう遅い。
「……えと……実は、そう……私、ポケモンの言葉が分かるんだ」
普通の人とは違うということを話すのは、なんとなく緊張する。歯切れ悪く答えると、ココちゃんがスッと私の両手を握った。それに顔を上げると、美しく微笑む表情が仄かな明かりに照らされてさらに美しく見える。
「そんな顔をしないでも、わたしはひよりを色眼鏡でみたりなんかしない。人と違うことは、素敵なことだわ!あなたの個性よ。とっても素敵」
「ココちゃん……」
「他の人と違うことでひよりが否定されたとしても、わたしだけは絶対に味方でいる。だから大丈夫。堂々としていていいのよ」
ゆっくり頷き返すと、そっと抱きしめてくれる。出会ってまだ間もないのに、もう彼女のことが大好きだ。欲しい言葉をくれるし、優しく包み込んでくれる。美玖さんがお兄さんなら、ココちゃんはまるでお姉さんのように思う。
『さあ、着いたよ。足元気を付けてね』
階段に甲羅を近づけてもらい、跳ねるように降りてからココちゃんに手を差し伸べる。握られた手を軽く引いてココちゃんも降りてから、美玖さんがカメックスの姿のまま階段に上ってから人間の姿に変わる。
それから扉の前まで歩いて行き、引き戸に手を伸ばす。
「ココちゃん、ちょっとここで止まってて」
私の言葉に少し戸惑いながらも頷いて立ち止まるココちゃんを残し、先に私と美玖さんが靴を脱いで家へあがった。
開けっ放しの扉の向こう、ココちゃんが立っている。それから私が差し伸べた手を見上げ、大きな瞳をさらに大きく見開く。
「心音さん、おかえりなさい」
「……!」
「──ココちゃん、おかえり!」
美玖さんと私の言葉に、ココちゃんが目を潤ませてから笑みを浮かべる。
目を思いっきり細めて、私の手をぎゅっと握って中へ入る。
「ひより、美玖……──ただいま!」
今日からまた、新しい日々がはじまる。この家が、どうかあなたが安らげる場所になりますように。
そっと心の中で祈りながら、ココちゃんを抱きしめ返した。