4


「最悪だ!最後はあの曲ではないと何度言ったら分かるんだ!?」
「何度言われても分からないわ。何を歌おうが、わたしの勝手だもの」
「この……っ!ポケモンのくせに生意気な!」

容赦なく振り下ろされる鞭を避ける術は無い。弾ける音が鳴り、途端に熱を帯びた太ももがじんじんと痛む。
……いつも通り、手足に枷を付けられたまま団長から罵声と暴力を浴びる上演後。横では姉さんたちが「もういいではないですか」「あなたも早く謝りなさい」なんて血相を変えたままわたしと団長を交互に見ている。

「黙って言うことを聞いていればいいものを!お前は!」

わざと露出している腕や足を狙って鞭を振る。より痛みを与えれば従うとでも思っているのだろう。けれどわたしに従う気なんてさらさらない。こんなやつの言いなりになるぐらいなら、このまま鞭に打たれていた方がずっとマシだ。

「団長、やめてください!このままではこの子が……!」
「うるさい!お前らも黙っていろ!」
「っ!、姉さんっ!」

乱暴に押されて冷たい床に倒れた姉さんたちにも鞭が襲い掛かる。それと同時にわたしに付いている枷が床とぶつかり金属音が鳴り響く。どうしようもなく、とばっちりを食らう姉さんたちをただ唇を噛みしめながら見ていることしかできない。

「やめて!姉さんたちは関係ないでしょう!」
「なら言うことを聞け!歌うことしか能のないお前を、俺がいくら払ってお前を買ったと思っているんだ!?」

わたしに向き直ってきつく睨む団長を見る。
……そんなの、知らないわ。わたしは"買ってくれ"だなんて一言も言ってない。言ったのは……。

「……なんだその目は。まだ俺に逆らうのか」

顎を無理やり掴まれて、瞬間、全身に鳥肌が立つ。気持ちが悪い、吐き気がする。身体を捻り遠ざけようとするが、その度に枷についた鎖がピンと張って動きを止める。

「お前は売ろうと思ってそのままにしておいたが、どうやら身体に教えないと分からないようだな」

その言葉に思わず身体が固まった。これから何をされるのか、今の一言だけで分かってしまった。
今までどれほど歯向かっても叩かれるだけで済んでいたのには理由があったらしい。そうとも知らずに歯向かい続けて、……結局は、こうなるのね。

「団長、何を、!」
「お前らは邪魔だ。テントへ戻っていろ」
「ですが……!」
「お前たちもこの愚か者と同じようにされたいのか?」

わたしをちらりと見てから、素早く目線を逸らす姉さんたち。それからわたしに何かを言いかけて、しかし何も言わずにテントへ静かに戻って行く。……それでいい。わたしのせいで姉さんたちまで被害に合うほうがきっと耐えられない。

「──さあ、どうしようか」

下卑た笑みを浮かべながら、ゆっくりわたしの服に手を伸ばす。
昔の、あのときと同じ。やっとあの男から離れられて、忘れられると思ったのに……またこうなるの?
嫌い、きらい。"物"としか見ていない男なんて、大嫌い。

「急に静かになってももう遅い。俺の言うことを聞かないお前が悪いんだ」

"わたしはずっと籠の中"。今も昔も変わらない。決められた空間で飛ぶことすら許されないなんて、まさに地獄。
いつかここから出られると夢見ていたけど。──今度こそもう、一生出ることが出来なくなりそう。
……そうね、壊れる前にひとつ神頼みでもしてみようかしら。どうせ聞いてもらえないと分かっているけれど、頼むだけならいいでしょう。

どうか、だれか、

「……助けて……っ」
「──失礼しますっ!」

……部屋の前。はっきり聞こえた女の人の悲鳴めいた声のあと、急に静かになった。それに嫌な予感がして勢いよく扉を開けて入ると、ショーでは司会をやっていた中年の男が驚きの表情を浮かべながら振り返る。そのすぐ後ろ、壁にぐったり寄りかかったまま涙を浮かべている綺麗な女の人……"絶世の歌姫"がいた。

「どいて下さい」
「な、なんなんだ君は!?」

男を無視して無理やり押しのけて見ると、手足には鉄製の枷がはめられているうえ、白い肌にはいたるところが腫れている。血が滲んでいるところもあるし、服もかなり乱れていて、思わず一度目を閉じ息を吐く。
……ああ、ヒノアラシくんには美玖さんを呼びに行ってもらって本当に良かった。こんなのひどすぎて見せられない。
それからゆっくり目を開けて、彼女の前に屈んでから私が来ていたパーカーを肩にかけると大きな潤んだ瞳がぐらりと揺らぐ。

「……あ、……あなた……は……?」
「もう大丈夫。大丈夫ですよ」

大きく震えていた身体を思い切り抱きしめると、そっと私の首元に頭をもたれる。片手は彼女を抱きしめたまま、もう片方の手で彼女の手首についている枷を外そうと試みるも、やはりビクともしない。外すには鍵が必要なのか。

「これはいったいどういうことですか」
「き、君には関係ないことだろう。さあ早く去りなさい」

動揺している。慌てたように私の手首を掴んで出口へ足を進めようとする男。それでもここに残ろうと踏ん張っていると、イラつきを隠せない様子で早口に喋りだす。

「ここは関係者以外立ち入り禁止の場所となっている。だが君は入ってきた。これは不法侵入だ」
「そ、それはそうですけど……でも、あなたのやっていることは暴力行為です、許されません」
「俺はサーカス用のポケモンを調教していただけだ」
「ポケモン?……ポケモンって……え……!?」
「はは、こいつは人ではない。チルタリスだ」

思わず彼女の方を振り返ってみれば、目線を逸らしたままゆっくり一度頷く。……なんと、ポケモンだったとは。

「サーカスはお客様に楽しんでもらうものだ。もしもサーカスのポケモンが粗相でもしたら商売できないだろう?そのために仕方なくこうしているのだよ」

どうしよう。うまい具合に丸められかけている。確かにサーカス側からすればお客さんに危害を加えないよう指導が必要なんだろう。けれどこれは明らかに度が過ぎているとしか思えないし、現に彼女は怯えている。

「さ、帰った帰った」

再び押し出されるように扉の前まで連れて来られた。大人しくなった私に勝ち目が見えたのか、男の表情には余裕が見えた。
……いいや、ここで大人しく帰るわけにはいかない。

「どうしたら彼女を解放してくれますか」
「……は?」

男が急に立ち止まった私を見降ろしながら顔を顰めた。その間、掴まれていた手を振り払って再び彼女のところまで戻る。男と彼女の間に立って、今一度、問う。

「どうすれば、彼女を自由にすることが出来ますか」

息を呑む音。それはいったい、誰のものだったのか。

「こいつを自由に、だと?」
「はい」

何を馬鹿なこと、と笑い混じりに男は言う。けれど私は至って真剣だ。そのまま男を見ていると、ふと、何か思いついたように目を細めながら私へ今一度視線を向ける。

「これを見ろ」

男が少し離れた場所にあるテーブルから紙を数枚持ってくると、私に向かって差し出してきた。警戒しつつもそれを受け取って見てみれば、いくつもの数字がびっしり並んでいる。サーカスの収益表のようなものかもしれない。見ていると、男が表のある数字を指さしながら私に言う。

「これが1年間で"絶世の歌姫"が稼いでいる額だ。この5年間分の金額で交渉してやろう」

つまりは彼女を売ると言っている。お金で買うというのは気が進まないけれど、今はこれしか方法がない。……とはいっても、提示された金額を用意するなんてどう考えても私には到底できない。

「どうだ、用意できるか?」
「…………っ、」

小娘が用意できる金額ではないと分かっているくせに。悔しいが、返す言葉が見つからない。どうしようもなく唇を噛みしめていると、急に男の手が伸びてきて私の顎を掴んだ。驚いて咄嗟に視線をあげると、舐めるように見られて思わずゾッとする。もがいてみるが、力ではどうにも勝てない。

「そうだなあ。どうしてもこいつを自由にしたいというのなら、君が代わりにここで働くというのはどうだろうか」
「え……私が、ここで?何も出来ない私が?」
「俺の補佐でいい。ポケモンばかりでつまらないと思っていたのだよ」

そう言いながら男は空いている方の手で私の鎖骨をじっとり撫でる。思わず息を止めて目を強く瞑ると、後ろで金属音が慌しく鳴る音が響いた。……ありえない。この変態、どうやら私に手を出そうとしているらしい。彼女を助けたい気持ちは十分ある。けれどだからといって自分の身を差し出すまでの覚悟はない。

「さあ、どうする」

答えが出せずに悩み苦しむ私を見ているのが楽しいのか、男の声は上擦っていた。ぞわぞわと鳥肌が止まらない間、考えあぐねた結果。私は、。

──パァンッパァンッ!

瞬間、部屋全体に乾いた音が響いた。鋭く貫かれるような突然の音に思い切り体が飛び跳ねる。男もそれに驚いたのか、咄嗟に私の顎から手を離して後ろを振り返ると「ひいぃ!」なんて情けない声を出していた。それからその場で思い切り尻餅をついて後ずさる。

……男の視線の先。目を向けるとそこには見知った彼の姿。二丁拳銃を構えていた腕をゆっくり下に降ろしてホルダーに仕舞いながら足早にこちらへ歩いてくる。その間、彼はずっと男を睨んでいて、私は初めて見るその表情に動揺が隠せない。

「……み、美玖、さん……」
「遅くなってごめん。怖かっただろう」

私の目の前に来た時には、いつもの優し気な表情に戻っていた。それでもどこか口調が強く、「ああ、この状況を悟って怒ってくれているんだ」なんて暢気に思う。

「もう大丈夫。大丈夫だからな」

そっと私を包みこむ腕に驚きつつも、なんとなく安心して一度抱きしめ返していた。そういえば私に触れて大丈夫なのか気になったけれど、それ以上に別の感情のほうが強いらしい。そうして美玖さんは私から離れて素早く上着を脱ぐと、床に座り込んでいる彼女にかけてから男の元へと向かう。

「ひより、彼女のことは任せてもいいかな」
「もちろんです」

すれ違いざまに会話を交わして、私も彼女のもとへと向かう。きっと美玖さんは彼女の身なりで状況を察したうえで、異性である自分より私を付き添わせた方がいいと判断したに違いない。
静かに彼女の横に座って彼女の顔を見てみると、その視線の先には美玖さんがいた。小刻みに震えていた身体はもうどこにも無い。

私では、彼女を安心させることすらできなかった。その事実が、ただただ辛い。
今になってひしひしと自分の無力さを感じながらも今の自分に出来る精一杯で、そっと彼女の肩を抱いた。



- ナノ -