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火の輪を飛び潜るレントラー、華麗なジャグリングを披露するエイパム、長い棒を持ちながら綱を渡るマンキー……。どれもこれも大きな拍手が自然に湧き上がるぐらい、すごく見応えのあるものだ。
……よく考えてみれば、擬人化できるポケモンならば、自分の意志を伝えることができるじゃないか。だからきっと、このサーカスにいるポケモンたちはやりたくてここにいる。自信をもって、人々を楽しませるためにステージに立っている。そう、きっとそうなんだ!

「おねえちゃん、たのしい……?」
「うん、楽しいよ。あ、次は"チルタリス、奇跡の歌"だってさ。チラシに載ってたやつかな?楽しみだね」

私が気を遣わせてどうするんだ。笑顔を浮かべて答えると、ヒノアラシくんもゆっくり頷く。
……ふと、ステージの照明が消えて辺りが暗闇に包まれた。準備のため、暗闇の中では忙しく動く人の形がぼんやり見える。

そうして一気に明かりがつくと同時に、チルタリスたちの歌声が響く。明るく華やかな歌声につられて、フッと笑顔が零れた。会場には大量の花が舞い、チルタリスたちがふわふわと白く美しい羽を広げて優雅に飛び交う。……本当に、綺麗だ。
飛んでいたチルタリスたちは次々に中央へ戻り、歌が終わる頃にはみんな中央の台に座って、順々に頭を垂れる。

「レディースアンドジェントルマン、大変長らくお待たせいたしました!……"絶世の歌姫"の登場です!」

またもや明かりが消えて、会場は暗闇に包まれる。少しの不安とドキドキを胸にした群衆の目の前、パッ!と目が眩むほど目映い光が生まれた。スポットライトが集まり、その姿を照らし出す。

「……、」

……一瞬、音という音が消えた。みんなが息を呑んだからだ。勿論私もその中の一人で、今もなおステージ上の彼女から目が離せない。透き通るような水色の髪に、白く陶器のようななめらかな肌。大きな瞳は会場の全員を見ているのだろう。長い睫毛がそっと伏せ、かと思えばまたゆっくりと大きな瞳を見せつける。まるでこの世の者ではない。美しすぎる彼女はまるで人形のようだ。

「……"さあ歌ってさしあげましょう、よおくお聞きくださいませ"」

ゆっくり瞳を閉じた彼女が、息をそっと吸って歌い出す。……瞬間、息をするのも忘れてしまうぐらい美しい歌声が会場を包み込んだ。誰もが彼女だけを見つめ、彼女だけの声を聴く。一斉に注目を浴びてもなお、彼女は顔色一つ変えずに淡々と歌い続ける。

「"わたしはずっと籠の中 この羽はなんのためにあるのだろう"」

まさに"絶世の歌姫"だ。大げさな表現なんてことはない。今までに聴いたどの声よりも美しく、また人々を魅了する歌声に私は心底驚いている。
……とても、美しい。しかし、だんだんと会場の雰囲気が変わるのが私にも分かった。
歌というものは、曲調や歌詞に作曲者の想いが込められ、さらに歌い手の気持ちも加わえられる。そうしてそれを聞く人に、その人たちの想いも伝わるものだと私は思う。
だから今、私はこうして両目いっぱいに涙を蓄えているわけだけど。

「"わたしはずっと籠の中 いつかの自由を夢見て……"」

……ああ、なんて哀しい歌なんだろう。
"絶世の歌姫"の歌は、人を楽しませ喜ばせるサーカスとは正反対の、人を悲愴させる歌だった。





「みくさああん……」
「どっ、どうした!?」

鼻を啜りながら外に出ると、ベンチに座っていた美玖さんがぎょっとしながら走って来た。会場に入ったのが一番最後だったため、出る時は一番最初に出て来れたのは良かったけれど……これのせいで余計美玖さんを心配させてしまったことに気付いたのはもはや後のこと。

「ほ、ほら。とりあえず座って、」
「ううっ……はいぃ……」

触れるか触れないかのギリギリの距離を保ちながら案内してくれた美玖さんに従って、ベンチに座り鼻をかむ。かんでもすぐまた鼻水が出てくるから、もうティッシュが手放せない。まさかラストがあの歌なんて思っても見なかった。サーカスを見たというのに、悲しい気持ちが心に残ったままなんて。

「みぐ……おでにもディッシュよこせ……」
「はい、」

ずびーっ!と勢いよく鼻をかむのはワニノコくん。ちびっこ3人の中で一番泣いているような気がするが、実際のところ私といい勝負。私を含めて鼻をかむ4人に囲まれる美玖さんの図は、傍から見たら異様な光景だったに違いない。子どもと女泣かせの美玖さんなんて、殿が知ったら絶対にからかわれると思う。

それから少し経った後。落ち着いたところで事情を話すと、美玖さんは私たちの後からゆっくり出てくるお客さんを眺めつつ「なるほどな」なんて苦笑いしていた。

「さて、日も傾き始めてきたしそろそろ帰ろうか」
「そうですねー……って……あれ、あれ?」
「どうした?」

首を傾げる美玖さんを目の前に、両脇やら前後やら何度も見返すけど……無い。無い!

「すみません、買ったものを会場に忘れてきちゃいました……」
「えっ」

サーカスの上演がもう間もなくというところで、とにかく急いでいたから小さな荷物は一緒に持っていったのが間違いだった。そう簡単に忘れるような大きさのものではないけれど、最後のあの歌に気を取られてあのまま足元に置き忘れてしまったんだろう。

「すぐ取ってくきます。すみません、少し待っていてもらってもいいですか?」
「ゆっくりで大丈夫だよ。ここで3人と遊んでる」
「ありがとうございます」

駆け足で会場に向かって受付の人に事情を話すと、すんなり中へ通してくれた。私が座っていた席はステージから向かって右端の一番後ろだ。

「……あった!良かったあ……」

やっぱりここに置いて忘れていたんだ。中身もちゃんとあるし、ひと安心。さあ美玖さんたちのところへ早く戻らなくちゃ。

「……ん……?なんか聞こえる……?」

どこからか、怒声のようなものがぼんやりと聞こえている。それと一緒に微かに聞こえる悲鳴に近い声。……私の利き間違いであってほしいと心の中で願いつつも、なんとなく動けなくてそのまま耳を傾けていると……やはり聞こえてくる怒声。それはしばらく続いて、静まり返った会場に薄っすらと伝わる。華やかだった会場は一変、今では物寂しさと不気味さを帯びていた。

「……」

音の先はステージの奥……かもしれない。本当ならば、今すぐにでも戻らないといけないが、さっきから聞こえてくるただならぬ声が気になって仕方ない。怖いもの見たさで行ってみてもいいだろうか。
一度、誰もいない会場をゆっくり見回してから足音を忍ばせて一歩、一歩と慎重に近づいてゆく。……途端、不意に服を後ろから引っ張られた。思わず声を上げそうになったところ、慌てて両手で口を押さえてゆっくり後ろを振り返る。

「おねえちゃん、」
「ヒ……ヒノアラシくんか……びっくりしたあ……」

美玖さんと一緒に遊んでいるはずのヒノアラシくんがどうしてここに、。

「さっききこえたの……おうたうたってたおねえちゃんのこえだよ。ないてるこえもきこえる……!おねえちゃん、はやくいかないと!」

険しい表情のヒノアラシくんと顔を見合わせ、手をしっかりと握った。関係者以外立ち入り禁止?そんなの知ったことか。考えるのは後にして、今はとにかく行かないと。
そうして2人で走り出す。ステージに上がり、その先を目指して。



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