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「ひより」
「はい……って、えッ!?な、なんですか!?」

扉が閉まった後。タイミングを見計らったかのように美玖さんが出してきたのは……なんと、札束。向こうの世界の紙幣とは少しデザインが違うが、ぱっと見でお金だというのは分かる。そう、ただの紙切れではない。それをなぜ、どうして今私に向かって差し出されているのか。……ただひたすらに恐ろしい。

「なんですか、どうしたんですか!?」
「実はこの後、街へ出かけようと思っていたんだ。だから今渡しておこうと思って」
「私に!?なぜですか!?」
「……ひより、落ち着いて。あのな、これは殿からなんだ。"ひよりが必要なものを買えるように"って」

…………ますます怖くて受け取れない。
無言で顔を左右にぶんぶん振ってみせるが、美玖さんの手は引かず。いやだって普通に考えて、あの殿様がこんな大金を無能な私にくれるわけがないのだ。きっと何か大きな代償が……。

「本当に気にしないで受け取って。殿にとっては、これぐらいなんてことない金額だから」
「…………なんてことない?これが!?」
「殿の鱗は1枚でとんでもない金額なんだ。研究所へは協力という形で渡しているけれど、換金するとなると普通の場所ではまず無理だよ」
「な、なんと……」
「鱗は時間が経てば再生するし、これだけぐらいなら毎晩の飲み代より安い……」

そういうと美玖さんは小さなため息をついてから、あからさまに頭を抱える姿を見せる。……冗談で言っているわけではないようだ。それが逆に恐ろしい。

「オレとしても、鱗のお金が飲み代以外で使われるならこれ以上嬉しいことはないんだけどなあ」
「そんなこと言われたら迷っちゃうじゃないですか……」
「迷わず受け取って。まあ、どうしても納得できないなら、今まで沢山お手伝いしてもらった分のお駄賃ということにするけどさ」

美玖さんが私のバッグをそっと掴むと、蓋を開けて有無を言わさず押し込んだ。……戻す……べきなんだろうけど、今戻してもまたバッグに入れられてしまう気がする。それに……その、……本音を言うと、貰えるなら貰いたい。でもやっぱり申し訳ない気持ちもあるし……!と、脳内で大いに戦ったところで。

「ありがたく頂きますけど!この分は絶対何かでお返しいたしますので……!」
「うん、良かった。きっと殿も喜ぶよ」

……結局、貰ってしまった。笑顔の美玖さんの手前、顔を上げにくい。家に戻ったら殿が出かける前にお礼を言わないと。
そんなこんなで話が一区切りついた頃。ウツギ博士と3人もちょうど部屋から出てきた。すぐさま駆け寄ってきたのはチコリータちゃんで、私たちの目の前でくるりと回ってスカートを膨らませる。お花の刺繍が入った淡い黄緑色のスカートだ。

「おねえさま、どうでしょう?にあってますか?」
「うん!すごく可愛いよ!」
「えへへ……よかったですう」

頬をはんなり赤くさせてはにかむと、今度は美玖さんに聞く。「どうでしょう?」「可愛いね、よく似合っているよ」、傍から聞いていてもニコニコしてしまう会話である。

「おねえちゃん」
「おおー、ヒノアラシくんもよく似合っているね」
「えへへ」

頭を撫でるとヒノアラシくんが照れたように小さく笑う。よかった、さっきよりは元気そうだ。ちなみにヒノアラシくんは、白いブラウスと首元には大きなリボンが着いている。まるで品の良いお坊っちゃんみたいな服装だ。対してワニノコくんはおしゃれな形のパーカーに半ズボンとラフな服装。

「ワニノコくんもかっこいいよ」
「……とっ、とーぜんだ!」

こうしてみると、それぞれの性格に合っている服だなあ。博士がみんなのことをよく見ているということが一目瞭然だ。大切に育てられているんだ。

「さあみんな。お出かけが楽しみなのは分かるけど、美玖くんとひよりちゃんの言うことは絶対聞くんだよ。いいね?」
「「「はーい!」」」

返事をするや否や、早速ワニノコくんが真っ先に外へ飛び出した。慌てて私も外へ出て、すぐさま手を掴んで捕まえる。チコリータちゃんは美玖さんにべったりだし、ヒノアラシくんは問題なし。となると、やはり一番注意すべきはワニノコくんで決まりだ。

「よろしく頼んだよ。行ってらっしゃい!」
「はい、行ってきます!」

片手にヒノアラシくん、もう片方はたった今捕まえたワニノコくんの手を力強く握って。
さあ、出発だ!





ここは隣町のヨシノシティ。ワカバタウンより人の数もお店の数も明らかに多く、日常で使う大抵の物はこの町で揃えられそうだ。

「ひより、買い物に付き合うよ」
「あー、すごくありがたいのですが……その、下着とかも買うので……一人で大丈夫です」
「あ……そ、そっか、そうだな……」

美玖さんを付き合わせるには酷すぎる。ぎこちなく視線を逸らす美玖さんの手前、妙に気まずい雰囲気になってしまっていたところ、チコリータちゃんが美玖さんから離れて今度は私の手を握ると、にこり微笑む。

「ちーがいっしょにいきます。おねえさまとおかいものしたいです!」
「ありがとうチコリータちゃん!美玖さん、ヒノアラシくんとワニノコくんをお願いしてもいいですか?」
「分かった。二人は……買い物よりも公園で遊びたいみたいだし、オレたちはこの辺にいるよ」
「はい!それじゃあ、またあとで」

美玖さんと別れてからチコリータちゃんと手を繋いで町を歩き、早速お店に入った。色とりどりの下着が並ぶお店の中は当然のことながら女の子しかいない。こうして見ると、まるで今だけ現実世界に戻ったような気分だ。

「おねえさま、これなんてどうでしょう?」
「可愛いけど……」

チコリータちゃんが持ってきたのはまさかの紐パンツ。紐パンで思い出したけど、持ち物が何もない私に殿が下着を買ってきてくれたことがあった。それはとても有難かったけど、まあどれもこれも説明し難いものすごい下着で……。嫌がらせなのか、はたまた殿の趣味なのか分からないけど、これ以上あんなのを穿いてはいられない。ということでチコリータちゃんが持ってきてくれたこれも却下。

「しょうぶしたぎはひつようです」
「私は勝負しないよ」
「いいえ!おねえさまにもいつかきっと……あ、みくさんはだめですよ」

目つきが一瞬で変わったチコリータちゃんから紐パンを奪い取って、元の場所に戻した。それからもチコリータちゃんが選んでくれたものは全て却下し、自分で選んだものを購入。お店を出たときチコリータちゃんの頬がパンパンに膨らんでいたのは見なかったことにしよう。

「つぎはおようふくがいいですね!」
「そうだね!そうしよう!」

洋服に関してはチコリータちゃんのセンスはかなり良かったしお互い好みが似ていたからか、とても楽しかった。それから日用品、化粧品……と買って美玖さんのところに戻ると、私とチコリータちゃんが持っている大量の紙袋を見ながら目をまん丸にして"信じられない"とでも言うような眼差しを向けてきた。

「女の子はお買いものが好きなんですよ。ねー?」
「ねー」
「ちーに任せて良かった……」

美玖さん、本音が出てますよ。
未だに紙袋を見ながら圧倒されている美玖さんの後ろ。

「みく!みく!」
「みくさんみくさん!」

ワニノコくんとヒノアラシくんが何やら興奮気味に走ってきた。二人が走ってきたその先、なぜか人だかりができている。一体なんだろう?

「どうした?」
「サーカス!サーカス!」
「サーカス?」
「そう!みくさんはやく!」

2人に引っ張られて駆けだす美玖さんに続き、私もチコリータちゃんと手を繋いで追いかける。
そうしてざわざわと人で賑わう中、配られているチラシを貰った。チラシには綺麗な女の人を中心にチルタリスが飛んでいたりブニャットが玉乗りをしている写真が映っている。本当にサーカスだ。この世界にもあるんだ。

「移動サーカスみたいだな」
「"絶世の歌姫、ここでしか聞けない奇跡の歌"……」
「ちー、そのうたききたいです!」

チラシの開演時間を見れば、もうちょっと。奇跡の歌……私も気になるなあと思いながら美玖さんを見てみると、なんだか浮かない顔をしている。

「……美玖さん?」
「あ、ああ。いいよ、まだ時間もあるし、見てみよう」
「ほんと!?やったー!」
「チケット買ってくるから待っていて」

そういうと、チケット売り場に向かうその背を見送る。……私の気のせいだろうか。





「えっ、そうなんですか?」

戻ってきた美玖さんの手には4枚のチケット。確かに長い列ができていたけど、まさか美玖さんで終わりだったとは。そして一枚チケットが足りない。

「オレはいいから、ひよりたちで見てきなよ」
「でも……」
「ほら、早く行かないと始まってしまうよ」
「いくぜ、ねーちゃん!」

ちびっこ3人に手を引かれて、結局私たちだけで中へ入った。……チケットが足りなくて見れなくなってしまった美玖さんの表情は明るかったのはなんでだろう。

……中へ入ると、照らされている中央を囲むようにして沢山の人がすでに座っていた。私たちも空いている席に座って落ち着く。そうして一度、なんとなく周りを見回して気付いたことがある。町中では耳や尻尾が生えたままの擬人化したポケモンが沢山いたのに、ここではあまり見かけない。完全に擬人化しているポケモンしか見に来ていないのか……でもそれは少し考えにくいような……。

「あ、はじまるぜ!」
「たのしみだね、おねえちゃん!……おねえちゃん?」
「う、うん。そうだね、楽しみだね」

とりあえず考えるのは一旦やめて、せっかくだから楽しもう。サーカスを見るのなんてすごく久しぶりだし。……そういえば小さい頃に一度見に行ったきりだったっけ。ライオンが玉乗りしていてすごかったけれど、鞭で叩かれているのを見て可哀想だと思ってから行ってな……

「──……あ……、」

……分かった。分かってしまった。美玖さんが、見れないのに嬉しそうな表情を浮かべたこと。この会場に擬人化したポケモンが全くと言っていいほどいないこと。

分かった瞬間、歓声があがった。中央にスポットライトが当てられて、軽快な音楽が流れだす。
──……華やかなサーカスの始まりだ。



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