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「話を戻すと、これは美玖が女たちに愛でられた後の写真だ」
「め、愛でられた……?はい??」
この写真を見た後で"愛でる"という言葉で変なことを考えてしまうのはきっと私だけじゃないと思う。だってよく見ると着物を着た女の人たちは結構な露出をしているし、背景とか雰囲気が……なんというか、まるで遊郭のようだ。ドラマでしか見たことのないものがそのまま写真になっているような。
「愛でると言っても脱がせはせぬぞ?」
にやりと口角を持ち上げながら私を見る殿。……完全に心を読まれたみたいで、今とんでもなく恥ずかしい。
「このような容姿なのに性別は男。女はこのような懸隔に惹かれやすいだろう?」
「けんかく?」
「主らの言葉ではギャップというものだ」
「ああ、なるほど。確かにそうですね」
私も例外ではない。もしも私がこの写真の中にいたならば、小さい美玖さんをものすごく可愛がってしまう自信がある。
「愛でられすぎたことが幼い美玖にとっては衝撃的だったようで、この時以来どうもあやつは女を拒む」
「……あの。今更ながらこの写真の場所を聞いてもいいですか」
「遊郭だ。見て分かるだろう」
「…………」
まさかとは思ったが、そのまさかだった。しかも普通に即答されては、返す言葉も見つからない。それから殿の話が続いたが、私の開いた口が塞がることはなかった。
殿曰く。……殿は幼い美玖さんを連れて遊郭へ行き、女性に囲まれて怖がる美玖さんを遠くから眺めていたらしい。もちろん酒を飲みながら。
考えると、もしかすると美玖さんにとってこれは黒歴史なのではないだろうか。そう考えればあんなに必死になってまで隠していたことにも理由が付けられる。……居候の分際で、とは思うが、ここは私がガツンと言ってやらないときっと殿には分からない。再び美玖さんの傷が開かないように、ここで止めなければいけない。
「……殿、あのですね、」
「──……分かっている。わっちが、全て悪いのだ」
「!」
意を決して顔をあげた途端、殿の様子が一変した。面白おかしく語っていた口から出てきたのは、殿らしくない言葉で思わず目を見開いてしまった。扇子を閉じ、目を伏せがちの横顔はなんともしおらしく見える。
「実はな、……長年、美玖には悪いことをしたと思っていたのだ。わっちもあれからずっと気に病んでいる」
「……殿、……」
「つい面白おかしく話をしてしまったが、……わっちは、全く美玖の気持ちを考えていなかった。すまんな、主にも不快な思いをさせてしまった」
「……い、いえ……」
いつもの殿と全然違く、思わず口ごもってしまう。……まだ関わり始めてから日は浅い。見た目だけ良い、女たらしのどうしようもない男と思っていたけれど、どうやら間違っていたみたい。殿にも思いやりは、ちゃんとある。きっと素直になれないだけで、本当は美玖さんのことをきちんと考えているのだ。
…………なんて、感心していた矢先。
「……と思ったこともあったが、やはりわっちは悪くない!美玖の精神が弱かっただけだ!そうであろう!!」
「な……なんて人……っ!!」
ずばり言い切った殿には、もう感心なんてするもんかと心から思った。
それから写真を付き返して、言わねばならないことを全て言ってみたものの、その表情を見る限り全く聞いていないことが分かった。……きっと私の言葉なんて右から左に通り抜けているだけなんだ……。ああ、可哀想な美玖さん……。
「ならば、ひより。女である主が美玖に克服させるが良い」
「え、ええ?どうしてですか?」
「美玖が克服すればわっちが誰にどう話そうと"過去のことだ"と割り切れるではないか」
「殿が話さなければ良いだけでは……」
「主、居候の身であることを忘れるなよ?」
ひどい。こういう時だけ脅してくるなんて。不敵な笑みを見せてから背を向けて、美玖さんの作った味噌汁をお椀に盛ると再び戻って食べ始めるお殿様。……よくもまあ、平然と食べられること。
「そんな、任せたって言われても……」
どうしたものか。言ってしまえば、女性恐怖症に近いものだ。そう簡単に治せるものではない。ここはネットも繋がらないし、調べようにも手段がない。……何かいい方法は……。
「おい、美玖に飯を持って行け。朝が一番重要な食事だといつも言っているのに、あやつは残したまま逃げよった」
「それは殿が途中で、」
「わっちがなんだと?」
「いいえなんでもありません」
箸でご飯を口に運ぶ殿を横目に見る。殿には口でも敵わない。もはや大人しく従う他ない。
「早く行け。……それから、明日から朝はしばらく主がわっちを起こせ」
「え、と……どうしてですか?」
「美玖がしばらくわっちを避けるのが目に見えているからだ」
そう言って静かに箸を置いて立ち上がると、扇子を開いて自室へ向かう殿。私の後ろを通り過ぎて扉を開けたそのとき、殿の羽織を掴んで止めると目の端で私を捉える。
「なんだ」
「避けられると分かっていながら私に話をしたんですね」
「だったらなんだと言うのだ」
「避けられるのはいくら殿でも嫌でしょう?それでも私に話してくれたと言うことは、殿もやっぱり美玖さんのことをずっと気にしていて、どうにかしたいと思っているのではないですか?さっきの言葉も、冗談じゃなくて本心ですよね」
「…………」
「あいたっ!」
殿は無言で私の手を扇子で叩き落とすと、例の金ぴか部屋へ向かい素早く襖を開けたと思えばバシン!と思い切り閉めた。……あの反応、絶対図星だったはず。存外、殿も逃げ方が下手だなあ。
「……ひより」
「美玖さん!」
ふと、さっきの殿とは正反対に遠慮がちにゆっくり開いた襖から美玖さんが出てきた。そういえば今まで殿と話をしていた通路を挟んだ向かい側の部屋は、美玖さんの部屋だった。……ということはさっきの話は聞こえていた、?
「美玖さん、あの、」
「聞こえていたよ」
そういうとフッと笑って殿の部屋へ目を向ける。
「扇子で叩かれたんだよな?」
「はい。いつも以上に素早い手さばきでした。ものすごく痛いです」
「お見事」
私に視線を戻して「図星だよ」と笑う美玖さん。お見事とは、私に向けられた言葉だったのだ。つまり、……やった!初めて殿から一本取れた。もう一生ないかもしれない。喜びを噛みしめておかなければ。
「もしもひよりの言ったとおり、殿がずっとオレのことを気にしてくれていたとしたら……すごく、嬉しいな」
「もしも、ではなくて絶対そうですよ」
私の言葉に美玖さんが小さく笑う。照れくささも含まれていそうな笑みだ。殿も美玖さんも何でもスマートにこなしそうなイメージだったが、お互いのこととなると途端に不器用になるらしい。
「それで美玖さん。どうしましょう」
廊下を挟んだ向こう側。中途半端に開いた戸の間で正座をしている彼を見ながら訊ねると、視線がぐらりと揺れ動く。
「あー……、その、克服したいことにはしたいんだけど、どうすれば良いのか見当もつかないよ」
長年苦手としていたことだ、すぐに克服できるものではない。となれば時間をかけて少しずつ慣れていくしかないのでは。
「話すことはできるけど、触れることはできないんですよね?」
「……実は話すこともつい最近まで出来なかったんだけど、ウツギ博士のところへ行くと女性の研究者の方もいるからそうも言ってられなくて」
「なるほど……」
そうせざるを得ない状況を作ってしまえば嫌でも克服するということか。それならずっと異性である私と関わっていればそのうち平気になりそうな気もするけれど。
少し考えてから、驚かせないようにゆっくり前に手を差し伸べる。それを見てから、私に視線をあげる美玖さん。
「ひより……その手は何かな……」
「握手しましょう。今日は3秒、明日は5秒です」
「…………」
「はい!がんばってください!」
克服したいという意志があるならば、これぐらいできるはず……!前のめりぎみになって、さらに手を近づける。ゆっくりゆっくり距離を詰めて、廊下から美玖さんの部屋へと近づいた。
とうとう彼も意を決したようで、部屋から少しずつ出てくる。……恐る恐る手を伸ばし、指先があと少しで触れる距離……。
「……っ!」
触れた。瞬間、手が引っ込む。代わりに私がさらに身を乗り出して手首を力強く掴むと、美玖さんの肩が一度大きく飛び跳ねた。大きく震える手は今すぐにでも私の手を払い落したがっている。
「1、2、3!」
素早く数えて手を離す。多分実際は1秒も経っていなかったけど、これ以上続けたら多分私の手が負傷していたに違いない。とりあえず一息吐くと、向かい側では美玖さんが頬を赤くしながら息を何度も大きく吸っては吐いていた。……これは相当重傷だ。しかしながら殿の言葉だけでここまで前に踏み出せたのなら、もしかすると克服するのも時間の問題なのでは。
「無理やりごめんなさい。でもすごい進歩だと思います。この調子で明日も一緒にがんばりましょう!」
「うん。ひより、こんなことに付き合ってくれてありがとう……今までずっと逃げていたけど、これから頑張ってみるよ」
「私も協力します。……ってことで、もう一度握手どうですか?」
手を出すと、美玖さんはとんでもないとでも言うように頭を左右にぶんぶん振ってそのまま後ろに下がる。ついでに部屋へ戻る手前、美玖さんが振り返って私を見る。
「……明日もオレが殿を起こすから大丈夫だよ」
「!、はい!」
静かに閉じる襖を見ながら手を小さく振ってから、長い廊下をつま先立ちでなるべく音を立てずに歩いてゆく。そうして殿の部屋の前に行き、声をかけるが返事がない。絶対にいるのに。……かといって、無理やり開けると確実にまた扇子で頭を叩かれるので襖に顔を近づけて、大きく口を開いて言い放つ。
「殿ー!!明日も美玖さんが起こしてくれるそうですよー!!」
「聞こえてるわ、たわけ!!」
足早にこちらに近づく音が襖越しに聞こえてきて、慌てて廊下を駆け抜けた。借りている部屋の前まで行ってから、振り返ってみたものの殿が部屋から出てきた様子はない。
「素直に喜べばいいのに」
二人の少し変わった関係にひとりで可笑しくなりながら、足取り軽く部屋に入った。