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目の前で上下に動く滑らかな喉元と、傾けたお椀を持つすらりと伸びた指先を交互に見る。ふつう、人に見られながら食事をするのはなんとなく食べにくいと思うが、この殿様はそういうことを一切気にしない。寧ろ「好きなだけ見るが良い」とか言いそうな気がする。

「…………」

お椀を置くという何でもない動作でさえ美しく見えるのは、この殿様が人間離れした美貌を持っているからだろうか。いや実際のところ本当に人間ではないけれど。

「全く駄目だ」
「そっそんなあ……!美玖さんと同じ手順で作ったのに……」
「甘いぞ。それで同じ味を出せると思ったら大間違いだ、たわけ。おい美玖、作り直せ」
「え……今ですか?」
「当たり前だろう。早く作れ」

私に気を遣って 渋る美玖さんに殿がピシャリと言い放つ。はああ……今度こそはと思ったのに。まさか味噌汁ひとつでこんなにダメ出しを食らうなんて思ってもみなかった。しかも今日で5日連続。正直凹む。

「ひよりが作ったものも十分美味しいですよ」
「食すことはできるが主のものとは比べものにならん」
「……。……ごめんな、ひより」
「私こそごめんなさい。いつもお手数かけます……」

……殿にボロクソ言われ続けた居候生活も、早2週間が過ぎた。この間、元の世界に戻る方法についても失った記憶を取り戻す方法についてもなんの手掛かりも得られていない。毎日おつかいに行くわけでもなく、この家の家事を手伝うだけの日々が続いていた。
そんな中、なぜか渋る美玖さんを押し切って料理を手伝い始めたのが運の尽き。口うるさい殿に小さい頃から料理を教え込まれていた美玖さんに敵うはずがなかったのだ。今になって、料理にだけは手を出さなければよかったなあとつくづく思う。

「わっちが主を鍛えなおしてやると何度も言っているだろう。大人しく受け入れれば良いものを……」
「固くお断りいたします」
「何故」
「絶対スパルタに決まっているからです!私、ここに来てからもう何個頭にたんこぶを作ったことか……!」
「はは、いざとなったらその頭で戦えるほど強くしてやっても良いのだぞ?」
「頭は叩いても固くなりませんってば!!」

以前はその風貌と雰囲気に気後れしてしまってなんとなく殿と上手く話せなかったものの、時間が経つにつれて自然に話せるようにまでなった。いやはや、慣れとは恐ろしいものだ……。
しかしながら、このお殿様。美玖さんに料理を教えられるほどの腕があることにはすごく驚いた。しかもこの前も遠慮したのに、未だ私にも教え込む気でいるらしい。ありがたいが、今あるたんこぶを治すことに専念したい。

「あ、あー、そういえば美玖さんが料理をしているところをまだきちんと見たことなかったー!ということでさよなら、殿」
「ふっ、主は逃げ方も下手なのだな」
「逃げられるならなんでもいいです!さようなら!」

素早く立ち上がってお盆を抱えたままキッチンに逃げ込む。少しでも殿と距離をおけるならなんでもいい。

「どうしたんだ?」

騒がしくキッチンにやってきた私に、美玖さんが手を止めて振り返る。
口実ではあったけれど、美玖さんが料理しているところをちゃんと見たことがないというのは本当だ。きっと見るだけでも勉強になるはず。近づいて、隣に立つ。

「美玖さんが料理しているところを見に来ました」
「見ていてもつまらないと思うけどな」

苦笑いしながら再びネギを刻み始める。カンカンカンと気持ち良い速さで刻まれるネギ。この手さばき、流石としか言いようがない。その他の具も手早く切って鍋に入れる。それから味噌をおたまに乗せてじんわり溶かして……作り方も私とほぼ一緒だし特別やっていることとかはないみたいなのに、どうしてあんなに美味しいのだろう。

「ん……こんなもんかな」
「あ、私も味見したいです!」
「っ、!」

ぼちゃん。美玖さんの手からおたまが落ちて、味噌汁が跳ねる。咄嗟になべから離れて、お互いに目を丸くしながら顔を見合わせて。

「え、えっと……?」
「……あー、その、…………、」

さっき私は、美玖さんの腕に少し触れただけだったはず。まさかこんなに驚かれるとは思っていなくて、逆に私がびっくりだ。しかもなんだろう、今のこの微妙な距離感。なぜか美玖さんは目を泳がせているし、恥ずかしがっている、?そんなにシャイだった?……よく分からない。

「とうとう悟られたな、なあ美玖?」
「ひっ!?」

ふと、 首にするりと腕が絡みついてきた。さっきの美玖さんと同じぐらい、今度は私の身体が飛び上がる。いつの間に私の後ろにいたのか分からないし、その気も無いのにいちいち私を抱きしめないでほしい。この人、本当に女ならだれでもいいのでは……。

「……な、なんですか、殿」
「主にも教えてやろう」
「なにをですか」

この殿様、顔も良ければ声も良い。耳元で囁かないでいただきたい。は……早く離れてくれないかな。
そんな私を余所に、殿の視線は前にいる美玖さんに向けられたまま、ふと表情を崩すといたずらっ子のように笑いながらこう言った。

「美玖は、女に対して異常なまでに内気なのだ」
「異常なまでに?」

殿が大きく頷きながらやっと離れたと思えば、今度は私の手首を掴むと美玖さんに向かって真っすぐ伸ばした。瞬間、美玖さんが一歩大きく後ろに下がる。……ますます訳が分からない。

「ひより、主はこの数日の間で美玖と接触したことがあったか?」
「えっと……あ、怪我したとき美玖さんに手当をしてもらいました」
「他は?」
「あとは……」

あとは…………あれ、ないかも。あれから今日まで結構一緒に行動していたけれど、言われてみると触れることは一度もなかった。近くを歩いていても手とか肩がぶつかったりとか、そんなこともなかったような気がする。……いや、そもそも今まで触れるほどの距離にいることはなかったような。

「やはり……美玖、主はまだ克服していなかったのかや」
「克服?」
「殿!」
「ひよりにぐらい話してやっても良いではないか」
「駄目です!それだけは駄目です!」

いつも殿のいう事には必ず従っていた、あの美玖さんが食い下がらないとは。内心すごく驚きながら見ていたが、それでもやっぱりお殿様が黙るはずはなく。美玖さんの必死な言葉も頭を扇子で叩かれて終わりを告げた。

「ほれ美玖、これを見よ」
「!?、なっ、なんで今そんなもの持っているんですか!?」
「ふふ、わっちは常に持っている。いつでも他の者に見せられるようにな」
「嘘だ……」

私からはまだ裏面しか見えないものの、どうやら写真のようだ。すでに美玖さんの表情は絶望感で溢れているが、殿は相変わらずとても楽しそうにしている。一体どんな写真なのか想像がつかない。……いやでもあれ、きっと私は見てはいけないもののような気がする。

「ひより、これを見よ」

有無を言わさず、写真が目の前に現れる。咄嗟に一瞬、美玖さんに視線を向けてしまったが、またすぐ写真に戻して見てしまった。……写真には、綺麗で色っぽい女性たちに囲まれた、これまた超が付くほど可愛い小さな女の子が真ん中に写っている。どんな写真かと思ってドキドキしたけれど、これといって変なところはひとつも無い。

「この写真から、何か分かるか?」
「分からない……ですけど……美玖さんと関係あるなら……」
「ならば?」
「……美玖さんの奥さんとお子さんでしょうか?一夫多妻制ですかね……ほら、この女の子なんて美玖さんにそっくりじゃないで……」

言いながら視線をあげると、殿と美玖さんが一緒に固まって目を大きく見開いている。それから一瞬、音が消え。

「ふ、っはははは!」
「っそれはない!」

ドッ!と笑い声と叫び声が同時に湧き上がる。これでも真面目に考えていたけれど、そうだ、よく考えてみれば美玖さんは女性に触れられないぐらいシャイだから奥さんと子供がいるわけがない。
そんな中、額に手を当てながら「もう嫌だ」と別の部屋へ逃げようとした美玖さんだったが、これまた殿に襟首を掴まれ阻止されてしまった。

「一夫多妻か……それはそれで面白いとは思うが……しかし、美玖が……ふっ、」

笑いのツボにはまったのか、殿はそれからも扇子で口元を隠しながらもクスクスと笑い続けた。もう片方の手には、相変わらず襟首を掴まれたままの美玖さんが唇を軽く噛んだままそこにいる。

「なんか……ごめんなさい……」
「……いや、」

すでに逃げる気もなくなってしまったのか、視線を合わさないまま美玖さんが小さく答えた。それからやっと殿が扇子から離れると、私が持っている写真を指して口を開く。

「その写真の子供はな、幼いころの美玖なのだ」
「…………はい!?」

言われて思わず二度見してしまった。いや、どうみても何度見ても女の子にしか見えない。が、確かに顔立ちが似ていることには似ている。殿なら冗談を言いそうだけど、今の感じでは冗談とは思えない。

「……あの、これ本当に美玖さんですか?」
「信じられないだろう。わっちも美玖を襲……」
「あー!もういいじゃないですか!!」

美玖さんの声で殿の言葉は遮られた。……一瞬怪しい言葉が聞こえた気がしたけど気のせいにしておこう。
そうして気付いたときには殿の手から美玖さんは離れていて、今度こそキッチンを飛び出して別の部屋へ逃げていってしまった。
残された私と殿。なんとも微妙な空気でどうしたものかと思っているのは、……どうやら私だけのようだ。



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