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炊事掃除にお洗濯。改めて美玖さんは良い主夫になれるなあとつくづく実感していた。色々教えてもらいながら手伝いをして、今度こそ美玖さんと一緒に「いただきます」と手を合わせる。温めなおした一口目は、やっぱりさっきよりも美味しく感じる。

「美玖さん、私、またワガママを言ってもいいですか」

食べ終わった後。向かい合って切り出すと、美玖さんが瞬きをする。

「今まで我儘なんて言っていましたか?」
「言ってますよ。さっきだってそうですし」
「オレは我儘だなんて思っていませんよ。それで、なんでしょう?」

あまりの優しすぎる眩しさに目を細めてから、笑顔を携えている彼を見て。

「敬語と名前のさん付け、取っていただけませんか」
「……ちょっと待ってください」
「はい、バツ1」
「え」
「敬語と私の名前に"さん"を付ける度に、美玖さんにバツが付きます。そしてバツがつく度に美玖さんの仕事が私の仕事になります。ということで、明日のお洗濯は私がやります」
「ええ!?ちょ、ちょっと、ひよりさん!?」
「はい、バツ2。お風呂掃除も任せてください」

私も考えたものだろうと自分自身で褒めてみる。どんどん仕事が減っていく美玖さんに対して、増えてゆく私。何もしないで1日を過ごすより、この家のために働けることがどんなに嬉しいことか。勝手な私ルールではあるけれど、美玖さんならば真に受けて乗っかってくれるに違いないと確信していた。そして今、私の思う通りに事が運び。

「わっ、わかった!わかったから少し待って!」

お箸を慌ただしく置き、私を見る美玖さんの必死な表情に思わず笑みがこぼれる。

「それで?」
「敬語は外せる。……けど、名前は、……ちょっと待ってほしい」
「あ、でしたら"ちゃん"付けでもいいですよ」
「……どっちもなんだか恥ずかしいな」

口元を片手で覆って目を泳がせる姿はなんかこう、心にグッとくる。そう、殿の容姿が良いのはもちろんのこと、美玖さんも容姿が良い。というか、思い返すとヒノアラシくんたちもみんな可愛かった。もしかするとポケモンである彼らは、人間の私から見るとみんな容姿が整っているように感じるのだろうか。……ともかく、美玖さんはかっこいい。それ故、こんな表情をされると危うく落ちかけてしまう。アイドルに恋する寸前のような感覚だ。知っている、こういう存在のことを"推し"と言うのだと。

「ひより、ちゃん……ああ、ダメだな。こっちの方が恥ずかしい」
「…………」
「ひより、……ひより、ひより。……よし。ひより」
「はい。美玖さん推しのひよりです」
「?、おし?」

易々落ちた私。首をかしげる美玖さんの手前、わざとらしく咳払いをして頷いてみせた。私のわがままがこうも容易く通ってしまっていいものか。少し悪い気がしなくもないが、今は嬉しい気持ちの方が圧倒的に上回っている。
そうしてふと、思い出す。そういえば美玖さんは、長年一緒にいるであろう殿に対しても敬語だ。

「あの、美玖さん。もしかして美玖さんの標準語は敬語でしたか?」
「いや、違うよ。使い分けているから大丈夫。どうして?」
「殿にも敬語だったことを思い出したので……」

それを聞くと「ああ」と呟いたあとに、少し間を開けてから口を開く。

「殿はあんな感じだけど、あれでもオレの恩人であることに変わりはないからさ」
「恩人?……え、あの殿が?」

すかさず聞き返してしまった。付き合いの短い私からすると、あの殿様がどんな状況であれ人を助けている姿がまったく何一つとして想像できない。面倒くさいとか何とか適当に理由を付けてそのまま素通りしそうだ。……なんて、実際手を差し伸べられたような、そうじゃないような私が思うのもどうかと思うけれども。

「……以前、オレにはトレーナーがいたんだ。オレの力不足で見限られてしまったけれど」

瞬きをしてから。……途端、内心ものすごく焦ってしまう。話し始めてくれた美玖さんの手前、途中で遮るわけにもいかないけれど、……これは私が聞いてもいいような話なのだろうか。なんとなくソワソワしていると美玖さんが一旦立ち上がって冷蔵庫へ向かった。それからお皿を持って戻ってきて、ついでにその上にはチーズケーキが乗っている。もしやこれも美玖さんの手作り……?

「オレの話に付き合ってもらうお礼に、どうぞ」

気遣いできすぎる男、美玖さん。それに比べて、なんと言葉を返していいのか分からずありきたりなことしか言えない私。この差はなんだ。座り直してスプーンを握り、視線をあげる。

「それで、どうなったんですか」
「研究所育ちだったオレには生きる術なんて全然分からなくて、野生のポケモンに襲われたり食べ物を見つけられなかったりですぐに死にかけたよ」
「…………」
「大丈夫。もう大分昔のことだし、今は普通に話せるんだ」

トレーナーから手放されたポケモンがどうなるかなんて考えたこともなかった。両親のもとでぬくぬく育ってきた私には、美玖さんの気持ちは絶対に分からない。美玖さんから視線を少し下げると、フッと彼の口元が緩んだ。

「それで行き倒れているところ、オレを拾ってくれたのが殿なんだ。オレを女だと間違えて拾ったんだってさ。後から言われたけど、もしもオレが男だと分かってたら拾わなかったって」
「お殿様……」

いい話だと思った矢先にこれだ。最後の言葉さえなければ殿を見直したところだったのに、そんなところでまで女好きを発揮する殿はやっぱり殿だった。そんな私を見ながら苦笑いしていた美玖さんだったが、「でも」と言葉を付け足す。

「どんな理由であれ助けてもらったことに違いはないから、殿には本当に感謝しているよ。オレが殿に対してずっと敬語なのは、感謝と尊敬があるからそうしているだけなんだ」
「なるほど……」
「あとは殿の、あの雰囲気も理由のひとつだな」

笑いながらお湯を沸かしてくる、と席を立つ美玖さんを横目に考える。
先日殿から聞いた話、一番初めに倒れていた私を見つけてくれたのが美玖さんだったらしい。それはつまり、私にとって美玖さんは命の恩人ということだ。……ならば。私も立ち上がって、美玖さんの横へ行くと不思議そうに私を見る。

「どうした?」
「美玖さん、お話してくださってありがとうございました。それで私、忘れていたんです。美玖さんにお礼を言うの」
「お礼?オレは何も……、」
「殿から聞きました。美玖さんが一番初めに私を見つけてくれたって。今更ですが、助けてくださって本当にありがとうございました。私も美玖さんのこと、尊敬していますし感謝もしています」

ですから。

「……先手を取られてしまったなあ」
「先に言っておかないと、と思いまして」

にやりと笑ってみせると、美玖さんも少し面白そうに笑ってから火を止める。聞いてからカップとソーサーを2客取り出し、並べた。お洒落なデザインで驚いている。誰のセンスだろうか。

「分かった、ひよりはそのままでいいよ」
「はい!これからもよろしくお願いいたします!」
「うん、こちらこそ」

いい匂いが広がる。紅茶が入ったティーカップを持ってまた二人でテーブルに戻って座り。

「……これ、美玖さんのはないんですか?」

先ほどもらった自分の前にあるチーズケーキを見てから美玖さんを見ると、こくりと頷いて見せる。

「殿に急に言われて作ったものだから、実はそれも余りものなんだ。ごめんな」

余りものでもいただけるのなら嬉しい。美玖さんが作ったものなら尚更だ。でもやっぱり、これは一人では食べられない。一度握ったフォークを置いて、立ち上がってから先ほどカップを出すときに見かけたお皿を一枚手に取った。
それからテーブルに戻り、フォークでゆっくりチーズケーキを半分に切ってお皿に乗せると、美玖さんが目を丸くしながら私を見る。

「半分こ、しましょう」

お皿を美玖さんの方へ押して手前に差し出すと、一度ケーキに落とした視線が戻ってきて。

「──ありがとう。ひよりが来てから、なんだか懐かしく感じることばかりだよ。誰かと一緒に食べることも、こうして何かを分け合うことも。……普通のことがこんなに嬉しいものだったなんて分からなかったなあ」

そう言って笑みを見せると、私が持ってきたフォークを握って一口食べる美玖さん。
……実のところ、私はまだ美玖さんと殿の関係性がイマイチ良く分かっていない。長年一緒に住んでいるぐらいだ。決して仲が悪いわけではなさそうだけど、今までの美玖さんの行動や言葉から察するに、どうやら日常の中で殿と顔を合わせることがあまり無いのかもしれない。……かという私も、今日は朝に一度殿を見たっきりである。

「私も一人で食べるのは寂しいので、明日からも一緒に食べてもいいですか……?」
「オレもその方が嬉しいな」
「!、はい!」

細くなる目元に嬉しくなって思い切り頷いてから私もケーキを一口食べた。うん、やっぱりすごく美味しい。それに加えて、美玖さんと一緒に食べられているこの時間は幸せ以外の何ものでもない。
はんぶんこの魔法は、偉大なのだ。



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