××


……いない。ここにもいない。
以前来たときよりも、随分と草が伸びていた。前でも邪魔な程伸びていたが、さらに酷くなっている。しかしそれも仕方のないことだろう。なぜならここは、元々人が通る場所ではないのだから。

「……」

……懐かしい。暗闇の森の中で聞こえたあの時の声が、頭の中で再び聞こえた気がした。
ここで俺は出会って、名前をもらった。はじまりは、ここからだった。―少しだけあのときのことを思い出しながら、再び足を進めて整えられた道に戻る。先に見えるのは、カラクサタウンポケモンセンターの看板だ。

「まだ、探してない場所は沢山ある」

どこかに必ずいるはずだ。どれだけ時間をかけようと、必ず見つける。約束通り、迎えに行こう。

「──……ひより、」

大切な彼女を、必ず取り戻してみせる。必ず、必ず。





──……まただ。最近やけに、瞳が痛む。
日に日に増える回数にうんざりしながらも、一人静かに襲い来る痛みに耐えていた。

「……ひよりちゃん」

見つかってしまったあの時。指きりまでして約束をしたのに、早速彼女は約束を破った。いくら呼んでも来てくれないじゃないか。いくら探しても、見つからないじゃないか。

「……うっ……ぐ、」

貰った眼帯の上から強く眼球を押してみても痛みは変わらない。どくんどくんと疼く瞳は痛みを保ったまま、全身を支配してゆく。痛みと、不安と、寂しさと。

『大丈夫』
『大丈夫だよ』

思い出し、ゆっくり息を吐いて呼吸を整える。
いつの間にか大切でかけがえのない存在になっていた彼女に、こうして何度救われただろうか。俺はそう、彼女がいなくなってしまった後も、こうして記憶に救われていた。寂しく、情けなく。

「……よし」

このまま立ち止まっていても時間の無駄だ。引いてゆく痛みにホッとしながら立ちあがり、岩陰から辺りの様子を伺う。気配も音も今のところなさそうだ。……きっと俺が眼帯で瞳を隠しているということも予測して奴らは探しにかかっているだろう。決して少しも油断はできない。
今頃みんなはどこにいるだろうか。同じく追われる者同士ではあるけれど、心配はしていない。今まで一緒に旅をしてきたからには、みんながどれほどの実力があるか知っている。だからこそ、誰一人として捕まることはないと確信していた。

それでも。……俺たちは、負けたのだ。それも大切な存在を奪われて、無様に負けた。

「行こう、」

現実を認めるが、決して諦めたりはしない。
彼女を取り戻す。今はその一心だ。





彼女と会うまでは、一人でも素直に楽しいと思えた。だけど今は違う。一人が……こんなにも寂しいなんて、少しも知らなかったのだ。

「さ、さむいー!」

相変わらずセッカシティは寒い。灰色の空からは白い雪もちらほら舞い降りてきている。それを見上げながら吐いた息も真っ白で、思わず一度身震いをした。

「ここにもいない、かあー……」

ジムにも立ち寄り彼女のことを聞いてみたけれど、結局何の手掛かりもない。セッカシティも探し尽くしてしまったし、明日はフキヨセシティに行ってみようか。

「すみませんー」
「ハチクさんからお伺いしております。こちらルームキーです」
「ありがとうございますー」

流石にセッカシティでは野宿はキツイからどうしようかと思っていたけれど、ハチクさんのおかげでトレーナーカードを持っていないオレでも泊まることができたのだ。ルームキーに書かれている数字と同じ数字の扉の前に立ち、ドアノブに手をかけてゆっくり開く。

『チョンおかえり!』
「!、ひより……、」

一瞬。ほんの一瞬、懐かしい声が聞こえた気がした。それを皮きりに、次から次へと記憶が蘇ってしまう。

『おかえり、チョンにい』
『遅いぞチョン!心配していたんだ、どこまで行ってたんだ!?』
『どうせまた迷ってたんでしょ?』
『どうにかできねぇのかぃ?』
『ハッ、できねえからこうなってんだろ』

「…………」

まだ。それほど経っていないはずだけど、楽しかった日々がもう遠い昔のことのように思う。……だめだ、だめだ!頭を振って思い出を振り払い。今は駄目。今思い出すと、胸がいっぱいになって苦しくなってしまう。

「ここに泊まるのも久しぶりだなー」

コートを脱いで部屋を見回してみると、また色々見えてきて。……ソファに寝っ転がって、顔をクッションに思い切り埋めた。息苦しさでこの胸の苦しさを紛らわせようと思ったけれど、どうやらダメらしい。消えてくれない、切ない思い。

「ここ、こんなに広かったかなあ……」

寂しさを紛らわすためにつけたテレビの音が、やけに大きく聞こえていた。今日は寝るまでずっと、テレビを消せそうにない。





俺が弱かったから、ああなったんだ。俺が勝っていれば、彼女を奪われることもなかった。……全ては、俺が……。

「……ひより、」

俺を必要としてくれるのは彼女しかいないのに、彼女がいない今。―俺の存在理由も分からなくなってきた。俺の世界は彼女で構成されているため、それも崩壊しつつある。自分でもわかってはいる。多分このままだと、心が壊れる。彼女のおかげでやっと取り戻した心が、また壊れてしまう。

「……いや。いいや、まだだ」

そうだ。俺から彼女を奪ったアイツに復讐するまで壊れるわけにはいかない。
集中しなおして拳を岩壁にぶつけてみたが、ビクともしない。もしもアイツなら、一撃で粉砕してしまうだろう。悔しい、悔しい……っ!!

「もっと……もっと強くならないと……!!」

今のままではアイツには到底敵わない。……力が欲しい。圧倒的な力が。
そして今度こそ、彼女を守ってみせるんだ。大好きな彼女を。





「なにしてるんですか、旦那」

もしかしたらもうここには戻ることはないと思っていたが、結局はまた戻って来ちまった。アオやみんながいる、この森へ。

「なぁに、ちょいと考え事だ」
「……ひよりさんのことですか」

はい、とアオから渡されたのはモモンの実。ここいら周辺にはたくさんの種類の木の実が生っている。この実もきっとそこから取ってきたものだろう。一口かじると甘い汁が口いっぱいに広がった。

「俺ぁな、嬢ちゃんたちと旅するまでは俺が一番強いんじゃないかってぇぐらい思ってた。でも実際は全然違かった。強い奴なんて探せばそっこら中にいるんだ」
「人間の言葉で言う"井の中の蛙大海を知らず"ってやつだったんですね」
「だなぁ」

思わず苦笑いが出る。自負しすぎていたってことがよぉく分かった旅でもあったし、他人とここのやつらとはまた別の関係を持つことが出来た旅でもあった。どっちも仲間ではあるが、どこか特別な関係だ。どこが違うか聞かれても説明はできねぇが。

「俺ぁまだまだ弱い。弱すぎるぜぇ」
「旦那が?私はそうは思いませんが、」
「嬢ちゃん一人守れなかった。情けねぇったらありゃしねぇ」
「……」

拳に力が入る。アイツ一人に全く歯が立たなかった。ボロボロに負けた挙句、大切なものを奪われる始末。……本当に、情けねぇ。

「旦那」

アオが隣に座るとやけに真面目な顔で俺を呼んだ。

「後悔しても仕方ありません。強くなって取り戻せばいいだけです。ひよりさんのことは私たちも全力で探しています。見つけたら旦那にすぐ教えますよ」
「いつでも迎えに行けるようにしておけってことかぁ」
「もちろんです。最近の旦那は考え事ばかりですよ?昔のように馬鹿みたいにバトルしに行けばいいものを……」

そんな気分じゃない、なんて反論したらまた言い返されるだけだ。どうも昔っからアオには口で勝ったことがない。しかしアオのおかげで事がうまく行ったことは多々あったうえ、まさか今回もそれに後押しされるとは。

「……ありがとな」
「はい?今なんと?」
「い、いよっしゃー!そんじゃぁバトルして来るからここは任せたぜぇ!」

慌てて背を向けたはいいが、後ろからくすくす笑い声が聞こえている。……アオのやつ、本当はちゃんと聞こえてたんじゃねぇのか。恥ずかしいような気に喰わないような。少し振り返って見ると、片手をひらり左右に振って見せている。

「いってらっしゃい、旦那」
「おう」

たまには返してやろうかと同じく小さく手を振ると、アオにまた笑われた。……もう一生返してやらねぇ。





「……クソッ!」

薄暗く、冷気で覆われる森の中。
木に寄りかかり、乱れた息を整える。そうしてそのままずるずると腰を降ろすと笑い声が頭に響いた。手を片目に当てながら髪を握り締める。

「もう諦めたほうが良いのでは?あれからどれほど経ったと思う?ねえ?」
「……うるせえ、テメエは黙ってろ」
「はあー、キミのしぶとさには本当に参りましたよ」

心臓が全身に響くほど音を鳴らしている。それと一緒に痛みも全身を駆け巡り、つい先ほどまで感じていた身体から血が抜けてゆく感覚に一度ひっそりと鳥肌をたてた。
やはりコイツに乗っ取られるのも時間の問題かもしれない。これまでの精神世界での出来事を思い返せば、そう思わざるを得ない。……が、そう簡単にこの身体は譲らねえ。いいや、譲るものか。

「ワタクシに委ねれば楽になれるというのに。仕方ないねえ」

……まだだ。まだ、アイツらには時間がいる。とにかく長ければ長いほうがいい。ここで負けたらこれまでのことが全て水の泡となる。

──そうして。再び目を閉じて、氷の世界で立ち上がる。また綺麗に元通りになった身体を揺さぶりナイフを用意してから一度唾を飲み込んだ。痛みや恐怖は残っている。身体はしっかり覚えているが、無理やりにでも忘れなければまたすぐに"死んじまう"。

「それでは始めましょう。×××回目の戦いを」

足元に広がる血を踏んで、自身と同じ姿をした敵を真っ直ぐに見る。

──折れるな、抗え。抗い続けろ。



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