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透き通る綺麗な髪を櫛で梳きながら「いってらっしゃい」と小さく呟くココちゃんに見送られ、上着を羽織って部屋を出た。
廊下を歩いて居間を過ぎ、広い客間の閉まる襖の前へ立つ。

「……入っても大丈夫?」
「うん、どうぞ」

三組敷かれた布団の上、うつ伏せになるロロがいた。胸元には枕があり、丁度いいクッション代わりになっているようだ。
少し離れた畳の上には座布団が乱雑に置かれている。その一枚に座るグレちゃんの姿。……ほんのり部屋に漂ういい香り。きっと彼の横にあるマグカップには、激苦コーヒーが入っているに違いない。

「あ、ひよりちゃんお風呂上がり?同じシャンプーの匂いする!なんか嬉しいねえ」
「みんな同じものを使わせてもらっているんだから当たり前だろうが。だったら俺とも一緒だな?」
「……うわ、一気に嬉しく無くなった」

枕が横を飛んでいく。真っ直ぐにグレちゃん向かって飛んでったそれは、マグカップに当たる前に力強く受け止められ、再び私の横を飛んでいく。まくら投げ、是非とも参戦したいところではあるけれど、用があるのはグレちゃんでもロロでもない。

「あのさ、」
「……セイロンなら外にいるぞ」

二人の視線が私に集まる。それを見ながらグレちゃんの言葉に無言で頷いてみせる。

「今のセイロンにはひよりちゃんの言葉しか届かない。でも、俺たちの言葉も届いていないだけでちゃんと聞いてはいるんだよ。多少、揺れてはいるはずだ」

そういいながら立ち上がるとロロが以前使っていたコートを私の肩に掛けてくれた。防寒ばっちり国際警察特別仕様のコートだよ、そう言うロロにお礼を言う。……確かに、暖かい。

「セイロンを信じて話すといい。信じることは、お前の得意分野だろう?」
「そう、だね。ありがとう。グレちゃん、ロロ」

手を振るロロに振り返し、静かに客間から出た。少しの緊張感の中、真っ直ぐ玄関へと向かう。……丁度、目にとまった殿の下駄。綺麗に整ったそれに足を通して外へ出る。からん、ころん。音が、鳴る。





家を囲むようにある柵の傍には、一定の間隔で小さな外灯が設置されていた。ここで見れる唯一の明かりと言えばこれだけしかない。再び黒い水が広がる先も真っ暗で、ゆらゆらと水面に映る明かりが静かに揺れている。

「……セイロン?」

からん、ころん。
やっぱり私には大きすぎた。下駄が大きな音を作り、静かな洞窟にはやけに響く。
──そうしてやっと、家の影から出てきたのは私が探していた張本人。

「……それ、アイツの、」
「アイツじゃない。"殿"の、だよ」
「…………」

影から少し出てきただけで、そこから一向に動かないセイロンに手を伸ばす。ずっとそこにいられては、ただでさえ薄暗くて見えない表情が余計分からなくなってしまう。
……お願い、どうかこの手を掴んで。
時間をかけながら私の手と距離を縮める手を見つめ、──触れる寸前。手が止まり、そのままゆっくり落ちてゆく。

「……ひよりは俺を説得しに来たんでしょう」
「……聞いてたの?」
「……グレにいとロロにいから聞いた。アイツがひよりをここへ飛ばしたのも、全部ひよりのためかも知れないってことも……」

俯いていた顔が上がり、唐紅の瞳に外灯の光が映る。真っ直ぐに、突き刺すような視線を受けながらコートを握りしめた。

「二人が言ったことは本当だよ。……ねえ、セイロン、だからキューたんのこと、」
「……だからって、この二年間の恨みは消せない……!俺は、俺から一時でもひよりを奪ったアイツを絶対許さない!」
「…………」

怒鳴られるようにぶつけられた言葉に、返す言葉が見つからない。
──グレちゃんたちから聞いていた。セイロンはあれからずっと一人で修行をしていたと。その動力は恨みから。根強くあるそれは、もうどうにもできやしない。

「……分かったよ、セイロン。セイロンにキューたんを許せとは言わない。でも聞いて。キューたんもNくんたちと同じで、ゲーチスさんに騙されていただけなんだよ。……私は、キューたんを助けたい」

セイロンが譲る気が無いように、私も折れる気は一切ない。
……ふと、伸びてきた両手がぶかぶかのコートの立て襟を掴んだと思うとそのままグイッと引っ張った。殆ど距離のない、顔と顔。

「……ねえひより。早くイッシュへ帰ろうよ」
「…………」
「──……俺は、アイツを殺すためにイッシュへ戻る」

そのまま吸い込まれるように胸の中へと押し込められ、背中に回る腕が私の身体を力強く抱きしめる。そうして何かを確かめるように、そのまま数秒固まった。
……身体が離れ、コートが揺れた。瞬き一つできない瞳に、セイロンの顔が色鮮やかに映る。

「……おやすみ、ひより。また明日」

──……どこかで雫の落ちる音がした。それと一緒に鈴の音も聞こえる。
再び影に溶ける姿と、ひとり残されたその場に膝からがくんと崩れ落ちてしまった。

「……セイ、ロン……」

一体、どうしたらいいのか。
私の言葉も、セイロンには届かない。そう思うとやるせなくて、膝をついたまま両手で顔を覆った。



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