3


いつも通りに会話を楽しみながらご飯を食べ、居間からみんなが散って行く。私も部屋へと戻る手前、ふと、立ち止まってから見回した。
美玖さんと一緒にご飯を作った台所。寝坊したとき、陽乃乃くんと一緒に慌ててご飯を食べたあのテーブル。ああ、殿と言い争いをしたこともあったっけ。……全部全部、懐かしい。

色々思い出しながらも居間を出て部屋へ向かうと、そこには誰もいなかった。すでにココちゃんは外にいるようだ。そうして私がのろのろと残りの荷物を詰めている間にも廊下ではひとつ、またひとつと足音が消えてゆく。

「この部屋とも、今日でお別れかあ……」

今ではだいぶ女の子らしい部屋になったけれど、私が来た時は何もない部屋だった。物置部屋と言っていたっけ。
寂しさを胸にしまい、荷物を背負って廊下へ出た。長い廊下の先、殿のいる襖は閉まったままだ。
靴を履き、後ろを振り返って再びお辞儀をする。

「──……いってきます!」

返事の言葉は無かったものの、私はもう、満足だ。





「ほほう、貴様か。この俺様を待たせる輩は!」
「え、えーと……?」
『彼はディアルガだよ。相変わらずこわい顔ー』
「どうやらその羽、もがれたいようだな?」
『わーん!ひよりちゃん、たすけてえー!』

セレビィくんが素早く私の後ろに隠れる。それを追うように目の前までやってきた、すごく背の高い怖そうな人が、どうやらあの伝説のポケモンらしい。
……ディアルガ、時間ポケモン。聞いたときはなるほど、と思った。確かに彼なら、時間差を無視しての空間移動も容易いだろう。

「はじめましてディアルガさん。よろしくお願いします」
「フン。本来、貴様のような小娘と戯れてる時間は無いのだがな。仕方ないマシロの頼みだ、断れぬ」

そういうと、彼は人数を数えてからポケモンの姿に戻った。
洞窟内、あの巨体では黒い水の上に足を付ける他無かったようだ。このままだとあの水に足を捕られてしまうのではと心配になったが、流石、この程度では動じない。激しく揺れていた水面が、いつの間にか静かになる。

『今から時空に穴を開ける。小娘、それまでに別れを済ませておくのだぞ。俺様は待つのは嫌いだ』
「はい。ありがとうございます」

セイロンは陽乃乃くんだけに挨拶を済ますとすぐにボールに戻ってしまった。それに苦笑いしつつ、代わりにグレちゃんとロロがココちゃんと美玖さんと言葉を交わしている姿を少し後ろから眺めていた。
ふと、その視線に気づいて顔をあげると、陽乃乃くんが走ってくる。

「ひよりお姉ちゃんっ!」

両腕を広げて受け止め、思いっきり抱きしめる。
陽乃乃くんには本当に悪いことをした。一緒に旅をするといって、途中で投げ出して去るんだもの。

「……私、陽乃乃くんのトレーナーなのに、……本当にごめ、」
「ひよりお姉ちゃんは僕のトレーナー。それはひよりお姉ちゃんがどこにいたって変わらないよ。そうでしょう!?」
「陽乃乃くん……」
「それに、これが最後じゃない。……僕、強くなって、ひよりお姉ちゃんのところに絶対行くから!──……だから、っ!」

それだけ言うと、陽乃乃くんはぐっと口を閉じて唇を噛みしめる。それをまた抱き寄せて後ろに回した手で頭を撫でると、首元に縋るように抱きしめ返してくれた。

「すぐっ……追いついて、みせるからあ……っ!」
「……うん」

また絶対会えるから、涙の代わりに笑顔でお別れを。
名残惜しく身体を離したとき、陽乃乃くんの顔がグッと近くに寄った。そうして頬に触れる柔らかい唇。驚きながら前を見ると、照れ笑いを浮かべる陽乃乃くんがいた。
お返しに私も頬にキスをすると、頬を片手で押さえながら真っ赤になる陽乃乃くんに思わずクスリと笑ってしまった。

「ひより、おねえちゃ…」
「未来で待ってるね、陽乃乃くん」
「……うんっ!待っていて!絶対、絶対に会いに行くから!」

最後の一粒は、見なかったことにしよう。パタパタと向こうへ走っていく陽乃乃くんのあと、美玖さんとココちゃんがやってくる。
……美玖さんが、前に立つ。
陽乃乃くんは弟みたいに思っているから"お姉ちゃんでいなくては"なんて意識があったから何とか堪えることが出来たものの、美玖さんは私にとってお兄ちゃんみたいな存在で、……こんなときでさえ、つい甘えてしまいそうになる。

「ひよりは以前に言っていたよね。"私には空白の二年がある"って。……なあひより、本当に、空白だったと思うかな」

美玖さんがしゃがんで私と視線を合わせる。真っ直ぐ、ひたすらに、真っ直ぐに見つめる。
"本当に、空白だと思う?"
……ハッと、視線を上げた。

「ひよりがこの家に住むってなったとき、オレ本当はちょっと不安だったんだ。今まで人間と一緒に住むことなんてなかったからさ。……でも、今は一緒に暮らせて本当によかったって思うよ」

目を細めながら頭を撫でてくれる手が本当に優しくて、また泣きそうになってしまう。唇を強く噛みしめながら、こくこくと頷いて見せる。

「一緒にご飯作ったり、色んなところに買い物行って、たくさん笑って。……オレはこの二年間、ひよりとの思い出でいっぱいだ」

堪えられなくなった涙をぼろぼろ零していると、目の前で両腕が広がった。驚きつつ、本当に大丈夫なのかと思いながら突っ立っていると腕を引っ張られて、吸い込まれるようにその胸元に収まる。

「ひよりのおかげで、ここまで克服できたんだ。……すごいだろう?」
「……はいっ、はい、!」
「……ひより、君ならきっと、大丈夫。大丈夫だよ」
「──……はい……っ!」

立ちあがり、頭を撫でてくれていた手が離れる。
嗚咽を何とか抑えようとしていると、続いて優しく抱きしめられる。すぐに腕を回して思い切り抱きしめ返すと"痛いわよ"、なんて笑い声が耳元で聞こえた。
私の大好きなココちゃん。

「ひよりに言いたいこと、きっと陽乃乃と美玖が言ってくれたと思うから。……わたしは一言しか言わないわ」

その手が私の頬に触れると、滑るように優しく撫でる。
いつも私を支えてくれて、傍にいてくれたココちゃん。

「……またね、ひより。元気でね」
「またね、ココちゃん」

優しくて、大好きな、……私の相棒。
──……いつかまた、一緒に笑える日を楽しみに。



- ナノ -