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「これをやったのは君たちだね?」
「あの、これは私が、!」
「ひよりちゃん、ちょっと待っててね」
「う……」

笑顔で制される私の言葉。有無を言わさず私の横を通り過ぎるウツギ博士は、三人に人間の姿に戻るように言ってから話し始める。博士の前に横一列に並んで正座をしている子どもたちのシュンとした姿に、なんとなく目を向けられなくて目線を下げてしまった。

「!、その手……!」

美玖さんの言葉に思わずぎくりと肩を丸めてから、隠すように手を引っ込める。

「大丈夫です」
「こっちに来てください」
「いえ、大丈、」

言葉の途中。美玖さんが目にも見えない速さで怪我をしていない方の手を掴むと、早足に奥の部屋へ連れていかれた。その間、チコリータちゃんのすすり泣く声が聞こえてしまい、罪悪感が増す。……ああ……みんなに悪いことをしてしまった……。

「そこへ座ってください」
「はい……すみません……」

救急箱を机の下から出すと、手際よく消毒液と綿布を取り出して私の手の甲にできた傷にそっと当てる。し、沁みるけど我慢だ。これぐらい、どうってことない。

「……子どもたちのこと、嫌いになりましたか?」

消毒液を机の上に置きながら私に控え目に訊ねてくる美玖さんに向かって、即座にぶんぶんと顔を左右に振ってみせる。こんなことで嫌いになるわけがない。
すると美玖さんは、ドアの方に一度視線を向けてから微笑むと、ガーゼをテープで固定してから扉を指さす。つられて見ていると、すぐに部屋の扉がゆっくり開いた。そこから入ってきたヒノアラシくんたちは、俯いたまま扉の前に立っている。そのまま無言でもじもじしている子どもたちの後ろ、ウツギ博士が私を見る。

「ごめんねひよりちゃん。僕から十分注意しておいたから、この子たちのことを許してくれないかな」

無言で頷いて見せてから3人の目の前まで近づいて屈むと、チコリータちゃんとワニノコくんには顔を背けられてしまった。……随分嫌われてしまったようだ。悲しい。それでも唯一、伏し目がちに私を見てくれるヒノアラシくんと目線を合わせた。目には涙を溜めて肩を小さく上下させながら、小さな唇が震える。

「……ぼく、ごめんなさい、っぼくのせいで……おねえちゃんの、おてて……、」
「痛くないから大丈夫だよ。ヒノアラシくんは私のことを思ってワニノコくんを止めようとしてくれたんだよね。……ありがとう、優しい子だね」
「、おねえちゃん……」

ヒノアラシくんの頬に手を添えて親指で涙を拭うと、そのまま倒れるように首元にしがみ付いてきた。ぐず、と耳元で鼻を啜る音を聞いていると、さっきまで横を向いていたワニノコくんが口先を尖らせながら私に力強く人差し指をかざして噛み付くように声を荒げる。

「じゃあなんだ!オレがわるいってーのかよ!!」
「ううん、違うよ。私が悪いの。他にも方法は沢山あったはずなのに、私何もできなかった。……ワニノコくん、ごめんなさい」
「…………べ、べつに。……ねーちゃんだけがわるいわけじゃねーし……」

みるみる窄んでいく声に思わず緩んだ顔のままワニノコくんの頭を撫でると「こっ、こどもあつかいすんじゃねー!!」なんて言いながら、すぐさま博士の後ろに隠れられてしまった。ただひたすらに可愛い。

「……ちーは、あなたのこと、きらいです」

さあ残りはチコリータちゃんだと身体を向けた瞬間、嫌い宣言だ。思わずぎこちない動きになりながらも、なんとかチコリータちゃんの前で顔を上げる。

「ちーもみくさんといっしょがいいのに、どうしてあなたなんかが、」
「チコリータちゃんは、美玖さんが好きなんだね」
「そうよ、なにかもんくでもある!?どうせ……っどうせあんたも、ちーはこどもだからってバカにするんでしょう!?」

小さな拳を力強く握りしめながら、自身の横に携えて私を睨むその姿は、もう立派な女の子だった。きっとこの子は、私以上に恋というものを知っているかもしれない。
……そっと。その拳を掬い上げてから両手で包むように握りながら、チコリータちゃんを見て。

「子どもでも大人でも、好きの大きさに違いはないよ。誰かを恋しく想う気持ちをもう持っているチコリータちゃんは、とっても素敵だと思うな」

瞬間。チコリータちゃんが大きなまん丸の目をさらに大きくして、驚いたように私を見た。それからすぐにハッとして、またすぐに顔を背ける。ただ、未だ握らせてくれている手はあたたかい。

「あのね、チコリータちゃん」
「…………」
「実はね、私、ここではない別の世界から来たの。だから自分の家もないし、家族もいないんだ」
「……えっ……?」
「マジかよ!?はかせ、ねーちゃんウソついてない!?」

すかさずワニノコくんが博士を見るが、ウツギ博士も殿からそこまで聞いていなかったようで驚いたように美玖さんへ視線を向けていた。ヒノアラシくんの視線も美玖さんに向けられる中、美玖さんが頷くと、まん丸の目のまま放たれる色々な視線が今度は私へ全部集まってくる。私の言葉では信じられなくても、美玖さんが言うなら信じてもらえる。それはきっと、美玖さんと博士たちの信頼関係がしっかりできているからだろう。

「殿と美玖さんが助けてくれたの。それで、今はあの家に住まわせてもらっているんだよ」
「な、なら、みくさんのことすきではないの……?」
「好きだけど、私の好きはチコリータちゃんの好きとは全然違う」

大人びているチコリータちゃんなら、きっと私の好きがどういうものなのかを分かってくれるはずだ。手を握りながらチコリータちゃんを見上げて笑みを見せる。

「だからね私、チコリータちゃんのこと応援するよ」
「──……、」

ゆっくり交わる視線に笑顔を見せると。……やっと。チコリータちゃんが拳を広げて、そっと私の手を握り返してくれたのだ。それからまだ首にしがみついているヒノアラシくんの反対側にチコリータちゃんが同じく優しくしがみついてきた。ふわりと花のような良い香りが鼻をかすめる。

「……ごめんなさい、おねえさま。ちーがまちがってました。……ちーのこと、きらいになりましたか?」

小さな声が聞こえる途中。首を左右に振ってから二人をぎゅっと抱きしめる。

「嫌いになるわけないよ。むしろ、……大好きになっちゃった」
「──……、へんなおねえさま」

チコリータちゃんの鈴の音のような笑う声に嬉しくなりつつ離れようとしたとき、どこからともなく背後から飛び乗られて思わず後ろに傾いてしまった。見れば、ワニノコくんも私に思いっきりしがみついている。

「わ、ワニノコくん?どうしたの?」
「……オ、」
「お?」
「っオレもごめんなさい!いじょう!!」

それだけ言うとしがみつきながら私の首元に顔を押し付けて動かなくなってしまった。……顔を真っ赤にしてまで謝ってくれたのだ。なんと、なんと可愛いことか……!
あまりの衝撃に空かさずワニノコくんの頭を撫でまわしてから三人まとめてぎゅうと抱きしめる。暴れているのも照れ隠しだと思おう。

「みんな、ひよりちゃんと仲直りできてよかったね」
「はいっ!」
「ひよりちゃん、いい返事だねえ」

はははと笑うウツギ博士の手前、名残惜しくもみんなを離して立ち上がる。ふと見た時計が、そろそろ帰る時刻を指していたからだ。美玖さんはご飯の支度もあるし、遅れると殿が怒りそうな気がしてならない。

「美玖さん、そろそろ戻らないとダメですよね……?」
「そうですね。仲良くなったところで子どもたちも寂しそうですが」

くすりと笑う美玖さんの視線の先には子どもたちがいる。寂しいのは私も同じではあるが、ここはぐっと我慢をして。
ウツギ博士に簡単に挨拶をしてから靴を履いて外へ出ると、ヤンヤンマが飛び回る空が広がっていた。空気が澄んでいる気がする。少し肌寒いし、もしかすると今の季節は初秋ぐらいなのかも知れない。

「殿によろしく言っておいてくれないかな。僕から電話しても滅多に出なくてね」
「分かりました」
「気をつけて帰るんだよーって美玖くんがいるなら大丈夫か」

お見送りに玄関先まで来てくれたウツギ博士にお辞儀をしてから背をむける。そのときだった。足元に、どすんと小さな衝撃がやってきた。少し振り返って下を見ると、チコリータちゃんが抱き着いている。

「……おねえさま」
「どうしたの?」

屈んで目線を合わせると、もじもじしながら視線をゆっくりあげるチコリータちゃん。その大きな瞳には私が映っている。

「さびしくなったら、ちーのところにきてもいいですよ……?」
「──……かっ、!!」

かわいいーー!!、叫ぶ寸前に無理やり口を閉じて、思い切りにやけるだけになんとか留める。その後ろ、歩いてきたワニノコくんがチコリータちゃんを見ながら、私と勝負できるぐらいのにやけた顔で口を開く。

「さびしくなるのはちーのほうだろお?」
「あんたはだまってなさいよ!」

二人の横、ヒノアラシくんもやってきて、私の首に腕を回してぎゅうと抱きつく。……なんだここは、天国か。

「おねえちゃん、こんどきたときはぼくとあそんでね……!」
「ねーちゃんとあそぶのはオレだ!」
「ちーがおねえさまとあそぶの!」
「ほらみんな、ひよりちゃんが帰れないだろう?」

いつまでもじゃれている子どもたちと私を見ながら、博士が笑ってやってきた。素直に離れて戻って行く3人の小さな背を見て、またにやける。さて、今度こそお別れだ。

「また来てねひよりちゃん。いつでも大歓迎だよ」
「ありがとうございます、また来ます」

手を振るウツギ博士とヒノアラシくんたちに、思い切り手を振り返して背を向ける。美玖さんと並んで歩くと、2つの黒い影がスッと地面に伸びていた。

「今日はどうでしたか?」

隣、美玖さんが尋ねる。聞かずとも、私の顔を見れば分かるだろうに。つられているのか、どこか嬉しそうな美玖さんの顔を見ながら答える。

「最高の一日です!」

新しい世界に新しい出会い。色々な新しいに触れて、こんなにも心が満ちている。久しぶりのような、はたまたどこか懐かしいような。そんな不思議な思いを抱きながら、美玖さんと帰り道を歩いた。



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