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「二つの世界で生きてきたから、余計ひよりには答えにくい問いかけだったのかもしれないね」

美玖さんの言葉に目線を少しだけあげて、ぼんやりと湯呑を眺めることを一旦止める。
……あれからセイロンをボールに戻して、今は客室にいるグレちゃんとロロの元にいる。
私はというと、ココちゃんたちと一緒に居間で相談中だ。

「どういう意味ですか?」
「前にちょっと聞いただけだけどさ、ひよりが元居た世界にはオレたちポケモンはいないしトレーナーもいない。そうだったよね?」
「そうですね。ポケモンがいないこと以外はあまりこっちの世界と変わらないですけど……ああ、でも長期間旅をする人なんて殆ど居なかったですね。増してや旅の途中で仲間を増やしていくなんて、……」

気づいて言葉を途中で止めると、美玖さんも無言で頷く。
私がいた世界と、ポケモンのいるこの世界では大きな差がある。
ポケモンと共存するこの世界では、「信じる」ということが大きな鍵になっている。トレーナーとポケモン、お互いに信頼がなければバトルどころか共に生活することさえ出来ない。

「もしかしたら、ひよりは信じることの大切さを人一倍感じているのかもしれないな。だからセイロンくんの問いに答えられなかった」
「そう、なんでしょうか……」
「面倒だ、そういうことにしておけば良かろう。それよりなぜ主は無理に答えを出そうとするのかや?答えなど無くても良いではないか」
「殿」

美玖さんの視線が殿に向くが、それを避けるように扇子を仰いでいた。私の隣、ココちゃんがお菓子の袋を開けて陽乃乃くんに手渡してから口を開く。

「殿の言うことにも一理あるわ。人それぞれ価値観なんて違うのだから、答えられなかったとしても気にすることなんてないわよ」
「ふむ、やはり心音は分かる奴だな。美玖も心音を見習え」
「はは、分からない奴ですみませんでした」

にっこり返す美玖さんを見ながら流石だなあと思う。
……しかし、そうか。そう考えることも無かったのだと言われるとそう思う気もする。ああ、人に流されやすい性格がとてもよく出ているぞ……。

「あ。ひよりお姉ちゃん。僕、いいこと思いついたよ」

ココちゃんの向こう側、お菓子を頬張る陽乃乃くんが顔を覗かせる。それに身体を向けると、四つん這いで私のところまでやってきた。進化してもまだ子どもっぽさが残っていて微笑ましく思う。

「なあに?」
「セイロンさん、ひよりお姉ちゃんの代わりに疑うよって言ってたんだよね?なら、ひよりお姉ちゃんはセイロンさんの代わりに信じてあげればいいんじゃないかなあ」
「……!」

ハッとして、目を見開く。
──そうだ、私がセイロンの分までみんなのことを信じればいいんだ。

「すごく良い考えだよ、陽乃乃くん!ありがとう……!」
「えへへー、どういたしまし……」

陽乃乃くんの手を握って揺らしていると、言葉が途中で止まった。ついでに言うと、一点を見つめたまま凍りついている。
もしやと思って振り返れば。……いつの間にかセイロンが後ろにいた。グレちゃんとロロも後からやってきて、苦笑いを浮かべている。

「……手、」
「ご、ごめんなさいーっ!」

びゃっ!と私から離れると、一目散に逃げ出す陽乃乃くん。しかしそれを光の速さで捕まえたのがセイロンだった。
その行動に私もびっくりしているけれど、一番びっくりしているのは陽乃乃くんだろう。

「!?」
「…………」

セイロンと陽乃乃くんが、対面している。逃げたくても左腕を掴まれている陽乃乃くんは困惑と恐怖に笑顔を凍らせているし、セイロンはただそれをじっと見ているだけ。……な、何だか見ているこっちまでドキドキしてしまう。

「あ、ああ、ああの、!?」
「……もしかして、炎タイプ……」
「そう、です…………、」
「……名前は」
「僕は、陽乃乃……」
「……陽乃乃。──いい、名前だね」
「──え、」

セイロンが陽乃乃くんを離すと、なぜか優しく撫で始めた。ぽかんとしながら大人しく撫でられている陽乃乃くんと、同じく唖然としながら二人を見ている私たち。え、えーっと……??





相変わらず薄暗い洞窟内。どうやら陽乃乃くんが殿に頼んで水を引いてもらったようだ。足場は悪いが、バトル練習をするにはとてもいい場所ではある。

──あれから陽乃乃くんもセイロンに怯えることもなく、寧ろ懐いているようにも思う。元から人懐っこい子ではあるけれど、名前を褒められたことがよほど嬉しかったんだろう。すでにセイロンにも"お兄ちゃん"を付けて呼んでいるし、今なんて一緒にバトルの練習をしている。

「グレちゃんとロロは分かってたから驚かなかったんでしょう?」
「まあね」
「ねえ、なんでセイロンは陽乃乃くんにだけあんなに気を許してるの?」

柵に寄りかかりながら、同じくセイロンと陽乃乃くんを眺めているグレちゃんとロロに訊ねてみる。
比較的小さいポケモン同士、ぴょんぴょん跳ねるように戦う姿は実に可愛らしい。けれどよおく見てみると、燃え上がる炎やら砕け散る岩、そして腹に響く音。……練習内容は全然可愛くない。

「それじゃあ、ひよりちゃんに問題です。セイロンが一番嫌いなのってなーんだ?」
「そりゃあ、キューたんでしょう」
「なんだ、よく分かってるじゃないか。流石セイロンを拾った張本人なだけある」
「……グレちゃん、遠まわしに嫌味言ってる?」
「まさか」

グレちゃんがフッと笑うと視線を前に戻す。どうやらセイロンについての話は全てロロに任せるようだ。グレちゃんこそ、仲間のことをよく分かっているはずなのに。

「じゃあ次ね。彼のタイプは、何タイプでしょうか?」
「キューたん?えっと、キュレムは……こおり?あとドラゴンだったかな」
「正解。はい、最後の問題だよ。氷タイプは何タイプに弱いでしょうか?」
「…………」
「つまり、そういうこと。なかなかにセイロンらしい思考だよ」

はは、なんて暢気に笑っている場合だろうか。だって、よく考えてほしい。私はキューたんを助けに行くためにセイロンを探していたのだ。やっと見つかって、みんな揃って、さあやっとイッシュに戻れるぞ!っていうところまで来ているというのに!ここまでの思考に至ってしまっているセイロンを説得しろって!?……ああ……どうしよう……。

「言っておくけど、俺とグレちゃんも彼を助けにいくってのにはあまり乗り気じゃない。だけどひよりちゃんがそうしたいと望むから、それを叶えたいがために俺たちも一緒にいるんだよ」
「……ロロもグレちゃんと同じだったんだね」
「俺はひよりちゃんさえ居てくれれば他はどうなろうが別に構わないっていう感じだから、グレちゃんとはちょっと違うかな」

冗談で言っているのか本気で言っているのか、ロロの表情からでは分からない。が、どう答えたらいいのか分からず曖昧に笑って見せた。
それから視線を前に戻してため息を吐く。

「一度壊れたものをまた戻すのって、難しいよねえ……」
「まあ、これでも努力はしているんだがな」
「そう、なんだね」
「ああ、だからひよりは気にしないでほしい」

私が彼らの仲について口を出してもきっと余計なお世話になってしまう。グレちゃんの言葉はそういうことも踏まえての"気にしないでほしい"ということだろうか。

「今まで身近に炎タイプっていなかったじゃん?だからセイロンも余計陽乃乃くんのことが気に入ったんだろうね」
「"セイロンお兄ちゃん"のままでいればいいんだけどな」
「陽乃乃くんはとっても素直でいい子だから、セイロンに飲まれちゃいそうで俺はちょっと怖いよ」

多分、今のセイロンにとってキューたんは倒すべき敵でしかない。私が知らない二年間でセイロンがどれほど歪んでしまったのかはまだ分からないけれど、私はセイロンのことを信じよう。

「……ま、余計な心配で終わると思うけど。ね、マスター?」

にこりと笑うロロの笑顔は、勿論私に向けられている。圧力、かけるなあ……。

「あのセイロンをどうやって説得するか。腕の見せ所だな、ご主人様」
「……が、がんばります……」

華麗に止めを刺されたところで、もう笑顔すら作れないで頭を抱えるしかなかった。……そんな私を見ながらニコニコしている二人が恨めしい。



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