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「よく来たね」

まるで幽霊のように闇からスッと姿を現すマツバさん。水に浮かぶ石畳を踏むと足音がなる。それすらも妙にこの空間に響いた。
他の場所よりも若干光の範囲が広がっているのは、多分この場がバトルフィールドであって移動できるところが広いからだろう。それにしてもやはり辺りは薄暗く、視界があまり良くない。……ポケモンのタイプも、闇に紛れるこのバトルフィールドも、とても戦いにくいジムである。

「ここ、エンジュでは昔からポケモンを神様として祀っていた。そして真の実力を備えたトレーナーの前に伝説のポケモンは舞い降りる。そう伝えられている……」

神様としてエンジュで祀られているポケモン・ホウオウ。……知っている。昨日、ポケモンセンターに置いてあったエンジュシティの歴史が綴られている本にも書いてあった。
マツバさんはその言い伝えを信じ、生まれたときからここで秘密の修行をしてきたらしい。きっと容易く語れないような過去を抱えながら、今もなおこうして暗闇で修業を続けているんだろう。

「僕に見えるのはこの地に伝説のポケモンを呼び寄せる人物の影……。僕はそれが僕自身だと信じているよ!そしてそのための修行、君にも協力してもらおう!さあ、準備はいいかい?」

頷いてから腰のベルトについているボールを握る。陽乃乃くんは未だ私の隣で炎を灯し続けてくれている。どうやらグレちゃんたちのバトルが気になるらしく、ボールに戻る気はないらしい。

『ひよりお姉ちゃん、応援してるからね』
「ありがとう。頑張るね……って言っても、頑張ってくれるのは私じゃなくて、」

"バトル、開始!"──ボールを上に投げた瞬間、フィールドを照らしていた炎が一瞬だけ大きく燃え上がり、室内が浮き彫りになる。

「よろしくね、グレちゃん!」
『ああ』

カツン。蹄が石畳を鳴らした。
……瞬間、ぶわっと戻ってきた"何か"と、緊張に混ざる"楽しみ"。
バトルはあまり好きではない。なのになぜ、今はこれからのバトルが楽しみだと思えるのか。

「ガーくん、頼んだよ」
『オレ戦うの苦手なんだけど、……ま、頑張りますかー』

ボールから飛び出すゲンガーことガーくん。
出るや否や、マツバさんから指示が出される前に広いフィールドを走り出す。勿論、真っ直ぐこちらに向かって来ている。隣から陽乃乃くんが驚きの声を漏らす。それを聞く前に、目だけ私へと向けるグレちゃんに頷いた。

「シャドーボール!」
「グレちゃん放電!」

真っ黒な、しかしはっきりとした威力を持つ玉がゲンくんから放たれる。それと同時に電が走り、轟く。カッ!と目を細めても眩しいぐらいの光が解放され、上空にあるシャドーボールとぶち当たる。爆発。黒い煙があがる中、赤い瞳が光った。

「っ上だよ、避けて!」
「ヘドロ爆弾」

咳き込みながら煙を撒けば、今度は土埃が舞い上がる。目の前ではヘドロが弾けて、粉々になった石畳は変色途中。嫌な匂いに鼻を擦り、睨むように前を見る。

「……ッ」
『オレはゲンとは違ってじわじわ追いこみたいんだよねえ。ニシシ、お姉さんのときもそうだったの、覚えてる?』
『……ひよりを話に出すな』
『あれえ?しましまのお兄さん怒った?おこった?』

……完全に毒状態だ。たてがみを纏う電気が途切れ途切れになっている。バッグから手早く毒消しを出したものの、こちらを振り返ったグレちゃんに目だけで止められてしまった。前に出した足を戻し、石畳に引かれた白い線の外側へと再び戻る。

『……ひよりお姉ちゃん、グレアお兄ちゃんに毒消し使わないの?』
「私も本当はすっごく使いたいんだけどね。……グレちゃんが大丈夫だってさ」
『で、でもグレアお兄ちゃん何も言ってないよ?』
「言ってなくてもね、分かるんだよ。何となく、だけど」

心配そうに炎を揺らす陽乃乃くんから目線を先へと戻して、様子を窺う。
技の威力は若干ガーくんの方が早いかも知れない。スピードはこちらが上。そして経験も、……私たちが上だ!

「ニトロチャージ!」
「きあいだまで迎え撃て!」

炎を纏い、どんどん加速していく。対するガーくんは小さな両手の平の間に光を集めていた。あっという間に縮まる距離。あと数メートルというところで、きあいだまが放たれる。揺れる地面に灰色の視界。……いや、まだだ!

「飛び跳ねて!」
「上に向かって、悪の波動!」
『うわうわ、そんな連続で指示するのやめてよ、ね!』

紫色の波が二度、三度と空間を揺らす。飛び跳ねて宙にいるグレちゃんにそれを避けられるわけがなく、炎とぶつかり火花が散る。やっぱり飛び跳ねずに、そのまま波動を走り抜けた方が良かったのかも知れない。頬を伝う汗を垂らし、唇を噛む。
──瞬間、マツバさんの後ろへとガーくんが飛んでいくのが見えた。後ろに壁は無いのに、見えない何かに叩きつけられたガーくんがぽとりと地面へ真っ逆さまに落ちてゆく。

『うっそお、』
『終わりだな』

ドン!地響きが鳴った。土埃で霞む視界の中、私の旗が上がる。ボールを握るマツバさんと、ゆっくりこちらに戻ってくるグレちゃんに瞬きを繰り返すしか出来ない。

「な、何が一体どうなって……?」

薄暗いフィールド、煙に覆われていた戦況。私の目では把握することができなかった。代わりに陽乃乃くんがしっかり見ていてくれた。
どうやら飛び跳ねた際の重力のおかげで波動の威力に押し返されることなく、ニトロチャージを直接当てることが出来たようだ。それからさっきのは「追い打ち」だそうだ。な、なんとまあ……容赦ないこと。

『まずは一勝、だな』
「ああもう、いいから早く座って!陽乃乃くん、傷薬も出してもらっていい?」

勢いよく頷いてバッグを漁る陽乃乃くんから薬を受け取り、手早くグレちゃんに吹きかける。……当たり前ではあるけれど傷だらけだ。
一旦手を止め、幅広の胴体に顔から寄りかかる。相応の毛並みからは薬の匂いしかしない。……だけど暖かい。それだけ確認できれば十分で、すぐに顔をあげるといつの間にかグレちゃんの視線は私に向いていた。それもそうか、と思いながら無言のグレちゃんに向かってへらっと笑うと、すこし間をあけてから視線を逸らす。

「あ、もしかして泣いてると思った?残念でした、もう泣きませーん」
『……なあひより、もしかして、……』

何か言いかけた途中、マツバさんの声が聞こえた。マツバさんはすでにガーくんの回復を済ませたようで、私も慌てて返事を返して立ち上がる。

「で、何?グレちゃん」
『……いや、何でもない。次も頑張れよ』
「もちろん!」

前に出て、再びマツバさんと対峙する。マツバさんが次に出すポケモンもきっと、。


──……きっと、まだあの言葉がひよりの中では生きているに違いない。



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