5


甲羅の上に座りながら美玖さんが準備してくれていたランプの明かりを灯した。これがないと本当に暗くて周りが見えないほどなのだ。暗いのは苦手だし、どこからか聞こえてくる水が滴り落ちる音も何だか不気味だ。一人では絶対に歩けない。

『ここのことを少し説明しますね』

天井から垂れ下がる鍾乳石を口を開けながら見上げていると声が聞こえてきた。ポケモンの声の聞こえ方は少し変わっている。音量はその時その時で違うものの、頭に響くように聞こえるのだ。いったいどういう原理なんだろう。

『ここの水には、オレと殿以外には重く感じるちょっとした仕掛けがあります。ですからまた飛び込んだりしないでくださいね』

ポケモンというのは未知の力が使えるらしい。だから私が飛び込んだとき、いつまでも水面に出ることができなかったのか。先ほどから野生のポケモンを全く見かけていないのも、この水のせいかも知れない。

「どうしてそんな仕掛けを?」
『ひよりさんに言うのも何なんですが、人間対策なんです。色違いのポケモンが珍しいことはご存じですよね?』

私に視線を向ける美玖さんに頷く。色違いのポケモン、つまりそれは殿のことを指しているわけだ。

『昔、どんな手を使ってでも捕獲しようとする人間が絶えなかったので、住処ごと変えてこの様な策をとっているんです』
「そう、だったんですね……」

ゲームをやっているだけでは知ることが無かった話に、なんと言葉を返せばいいのか分からず詰まってしまった。詳しいことは分からないけれど、今まで殿も美玖さんも沢山大変な思いをしてきたんだろう。何となく、後ろめたい。

そこでふと、思い出す。私が一番最初にあの家で目が覚めた時、殿と美玖さんが言い争っていた気がする。美玖さんは私と一緒に住むのは反対だと主張していたような……。もしかして、今まで人間が殿に危害を加える存在だと分かっているからこそ、美玖さんは反対していたのではないだろうか。

「……美玖さん」
『なんですか?』
「私、このままあの家に居てもいいんでしょうか。迷惑、ですよね……」
『ひよりさん』

美玖さんの声が言葉を遮る。他の音がほとんど無いからなのか、妙にその声が大きく聞こえた。下げていた視線をそっと上げて前を見る。遠く向こう、少しだけ明るくなっている。やっと出口付近に来れたのか。

『オレの話を聞いて深く考えてしまったんですね、ごめんなさい』
「そんな、美玖さんが謝ることなんて……」
『確かに昔は人間が嫌いでした。でも今は違います。全ての人間がそうではないことを知ったからです。悪い人間がいれば良い人間もいるということをちゃんと知っていますから』

岸が見えてきた。ぼんやりと見える岩肌は湿っているのかツヤツヤして見える。
そうして岸辺に寄ってくれた美玖さんの背中からゆっくり下りた。地面はやっぱりぬかるんでいて、靴底が少し泥に沈む。続いて美玖さんことカメックスも水から岸にあがってぽたぽたと水滴を地面に滴らせるが、濡れていた体は一瞬にして水を消していた。弾いたという方が正しいのだろうか。ともあれ、やっぱりこの世界は不思議と驚きで溢れている。

『ひよりさん』
「は、はい」
『殿が受け入れたときから、ひよりさんはもう家族同然なんです』
「家族……?」
『そうです。もちろんオレも受け入れています。心配しなくても人間だからと追い出したりなんてしません。ずっとあの家にいてもいいんです。ひよりさんがよければ、の話ですが』

人間の姿に戻った美玖さんがにこりと笑う。「行きますよ」と出口へ向かうその背中を見つつ、立ち止まったまま訊ねる。

「あの、……どうして私にここまで良くしてくれるんですか?私、何もできません」
「何かできなければ、あの家にいてはいけないなんてことはないです」
「そう、かもしれませんが、」

普通に考えて、見知らぬ小娘を家にあげた上によく知らないまま一緒に住んでもいいとか、家族同然とか言われても戸惑ってしまう。いや、戸惑いつつも、私には選択肢がないからお言葉に甘えてしまっているから今、美玖さんとこうして一緒におつかいに出ているのだけれども。
目を泳がせながら両手の指を絡ませていると、少し先にいた美玖さんがわざわざ戻ってきてくれた。私の前に立ち、少し屈んで視線を合わせる。

「戸惑うのも無理はありませんよね。一方的に言ってしまってすみません」
「そっそんなことないです……!むしろ有難すぎて、その、なんというか……」

両手の平を美玖さんの目の前で広げて左右にぶんぶん振った。それを見ながら美玖さんは面白そうにクスリと笑う。

「どうして良くするのか、なんて理由はありません。強いて言うなら介抱の延長線でしょうか」
「……冗談ですか?」
「あはは、どうでしょう。でもまあ、ひよりさんがどう思っていようとオレや殿は変わらず接しますよ。ひよりさんは、そうですね、準備ということにすればいいのではないですか」
「準備?」
「はい。元の世界に戻る日までの、準備をする場所として殿のようにどっしり構えていてください」

さあ、行きますよ。、今度こそ出口に向かって歩いていく美玖さんの笑顔を見てから私も後ろを歩き出す。このまま言葉に甘え続けていいものか。葛藤しつつも、どうしようにも手段も力もない私はやはり甘えてしまうのだ。ぬかるむ洞窟の地面をしっかり踏みしめながら、今の私にできることはないかと静かに考えてみる。少しでも何かお返しはできないものか。
そんなことを考えながら、だんだん明るくなる視界に目を細めた。



- ナノ -