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……なんてザマだ。たかが人間が生み出した自身に、俺様がここまでやられるとは。
身体中が痛く、熱い。瞼が重い。息をすると、骨が軋んでいるような気がする。

『──……ねえ、キミ!起きてよ!』

うるさい声が聞こえた。何度も呼ばれ、体を揺らされるが目は閉じたままにしておく。そもそも起きろと言われてすぐに起きられるなら、今ここで横たわっていない。

『緊急事態だよ!?キミ、早く入れ替わってよ!』

できることならとっくの昔に入れ替わってる。もう少し待て。十分に体力を蓄えてから、またアイツと戦ってやらあ。

『そんな場合じゃないよ!今すぐじゃないと、キミがひよりちゃん殺しちゃうよ!?』
「──……は、」

目を開けて勢いよく身体を起こすと、目の前にいたチビ緑と思い切り頭がぶつかった。……くっそ痛え。少しばかりの眩暈を覚えながら片手で頭を押さえてチビ緑を見る。

「俺様が……なんだって?」
『だから!今すぐ入れ変わらないとひよりちゃんが!』
「……ッ」

……現状を、把握した。寝ている間に、何がどうしてこんなことになっちまってるんだ。
頭を振って、身体を無理やり動かし立ち上がる。……正直どこまで動けるか分からねえが、こうなってしまってはやるしかない。
別に、小娘のことはどうでもいいが。俺の身体を使って、小娘を手にかけるのは許せねえ。殺るなら自分の意志で殺る。

「おいチビ緑!手伝え!」
『お菓子ちょうだいね』
「うっせえ、そんなの後だ!羽千切るぞ!」
『わ、分かった分かった!ほら早く!』

もう一戦。もう一戦だけなら。なんとしてでも勝ってやる。
氷でナイフを作って構える。……いつまでも好き勝手にはさせねえぜ。





「……う……っ!」
「あとはマシロがキミに与えた力を取り戻せば……ワタクシは、完全になる!」

駄目だ。全く動かない。もがけばもがくほど指が容赦なく首に食い込んでくる。酸素が頭まで来なくなってきているのか、意識がぼんやりしてきた。耳鳴りがする。……苦しい。

『っひよりさん!』
「おっと、もう邪魔はしないでね」
『……シキ、避けろ……っ!』
『!』

何か大きな音がした。それは分かるが、何が起こったのかがわからない。息が苦しくて目も開けていられなくなってしまったからだ。宙に浮かせたままの足を動かす気力も、そろそろ、……!

「……ひより……っ!」
「しぶといゼブライカですね。キュウム!」
「はいはい、分かってますってば」

力が抜けて、彼の手を掴んでいた私の腕が横に落ちた。……死を二度も体験するなんて、そんなことってあるのか。嫌だ、まだ死にたくない!私にはまだ、やるべきことがあるのに……っ!

「──……っ、まだワタクシに逆らうのかい、キミは!」

……不意に、手が首から離れた。私は崩れるように倒れて、急に入ってくる酸素に驚き思い切り咳き込む。
目の縁に溜まった涙に視界を歪ませながらなんとか肩で息をしていると、突然、目の前にセレビィくんがフッと現れた。少しだけ顔を上げてみると、小さな手で私の頬に触れながら心配そうに目を細める。

「セレビィ……くん……、」
『―よかった、間に合ったみたいだね。大丈夫?』

なんとか一度頷いて見せると、私から手を離して視線を別の場所へ移した。私もそこで、先ほど聞こえていた音を思い出してゆっくり声を出してみる。

「……シキさんと、グレちゃんは……?」
『あー……、うん』

あれ。、セレビィくんの指先を追って視線を上げたとき。
──カツン。
靴の音が、すぐ横から聞こえた。顔をあげると彼がいて、思わず肩を飛び上がらせてから後ろに後ずさってしまった。また首を掴まれ絞められたのなら、今度こそすぐに落ちてしまう。寒さだか恐怖だか分からない震えに全身を支配されたまま、睨むように彼を見上げていると。

『大丈夫だよ、ひよりちゃん。やっと入れ替われたからね、今の彼は敵じゃない』

私と彼の間に割って入ったセレビィくんがそういった。しかし私にはよく分からず、瞬きを何度も繰り返していた。そんな私を見ながらセレビィくんがクスクス笑う。

『あのね、さっきまでの彼は三番目の彼。ゲーチス?とかいうおじさんが科学の力で無理やりねじ込んだ人格の彼だったんだよ。で、今は君がよーく知ってる、二番目の彼。どう?分かった?』
「……ううん。分からない」

セレビィくんに向かって、今度はゆっくり首を左右に振ってみせる。ふと、不意に、立っていた彼が私の真ん前にしゃがんだ。咄嗟にセレビィくんを抱き寄せて、力強く抱きしめながら彼をじっと見る。薄黄色の瞳と目を合わせて、その動きひとつひとつに警戒して。

「アホ面」
「…………、は、い?」

一言、それだけ言うと彼が再び立ちあがって、私に背を向ける。最大の警戒をしていた私は、呆気にとられてセレビィくんを抱きしめたまま口を半開きにしていた。
彼は、私に対して手を伸ばすことも動くこともしなかった。それでたった一言放った言葉が……アホ面とは。

「チビ緑。準備はいいな」
『もっちろん!後はボクに任せてよ』

私の腕からするりと抜けて、彼のとなりに並ぶセレビィくんを茫然と見る。なぜ、私を助けてくれると言ってくれたセレビィくんが彼の隣にいるのか。不思議に思いつつ先ほどセレビィくんが指をさしていた先に視線を向けて、思わず身体を前のめりにさせてしまった。
いつの間にかシキさんも氷塊に埋もれている。そしてグレちゃんと、何故かゲーチスさんの腰からしたあたりまでもが凍っているのだ。

『……許してあげてね。途中から入れ替わったから、これでも手加減したんだよ。ゲーチスのおじさんも凍らせたし、それに彼もほんとは、』
「余計なことは言うなよ、クソチビ」

振り返って、私の前まで飛んできたセレビィくんを睨む彼。そうして少しだけ私と視線を合わせてから、またすぐに背を向ける。……確かに、さっきまでとは口調も違うし雰囲気も違うような気がするけれど。

『あからさまにひよりちゃんのこと気にしてるね。ふふ、なんだ、意外と可愛いところもあるんだ』
「……そう、なの?」

瞬間、セレビィくんの小さな悲鳴がした。見れば、距離を開けて前にいたはずの彼がいつの間にか目の前にいてセレビィくんの2本の触角を片手で鷲掴みにしていたのだ。そのまま大きく左右に揺らして、もう片方の手はセレビィくんの羽を摘まんでいる。……若干横にも引っ張っているような。

『っ助けてひよりちゃん!ボクの羽が千切られちゃう!』

目の前でバタバタ暴れるセレビィくんを見てから。
──……恐る恐る、一歩を踏み出し。そっと、手に触れてみる。骨張った手の甲は、冷えていた私の指先よりも冷たい。

「……キューたん」
「……なんだよ」
「さっきまでは、キューたんだけどキューたんじゃない人だった。……うん、よく分からないけど、分かったよ」

セレビィくんが手から離れて空いた彼の手に指先を添える。頑なに拳を握っているが、それを両手で包み込むように握りしめた。……大丈夫、もう怖くない。

「……ごめんね」
「何がだよ」
「私、トレーナーなのに。……キューたんのこと、信じきれなかった。今の今まで疑ってた。……ごめんなさい」
「……別にいい、気にすんな。……あれじゃあ、小娘じゃなくとも誰だって裏切られたと思うぜ」

その言葉に驚いて顔を上げる。なんだよ、なんて見下ろされても、やっぱり驚きを隠せない。……この人は、本当にキューたんなのか。だってほら、やけに素直すぎではないだろうか。
さらに追い打ちをかけるようなことが起こる。ずっと横に降ろしていた手をぎこちなく持ち上げると、なんと、その指先でそっと私の頬に触れたのだ。そしてゆっくり口を開き。

「…………悪い」
「…………ねえ、本当にキューたん?」
「そうだよ俺様だ文句あんのか!?ああ!?」

優しく添えられていた指が思い切り頬に食い込み、ぎちぎちに抓られる。やっと離された頬に自分の手を添えると、そこだけ熱をもっていてジンジンとして痛い。間違いない、キューたんだ。

「いいかよく聞け!これからテメエを別の場所に飛ばす!もちろん俺様の勝手だ!だから謝ってんだよクソ小娘!」
「……どういうこと?」
『はいこれがボクの役割だよ。これからひよりちゃんと別の地方へ時渡りしまーす』
「──……時、渡り……!?」

突拍子もなさすぎてまたもや私の頭の中ははてなマークだらけだ。確かにセレビィと言えば時渡りではあるけれど、一体どうして何のためにそんなことをするのか。訳が分からなさすぎる。
もう少し詳しく聞こうと思ったそのとき。急に、キューたんが胸元を押さえて崩れるように座りこんだ。咄嗟に支えようと手を伸ばしたものの、思い切り振り払われてしまった。ついでに「俺様のことはほっとけ」、なんて強く突き放されてしまってはもうどうしようもない。

『あのね、3番目の彼がすっごく強いんだって。それでね、今の彼も近いうちに飲み込まれて、あの身体は3番目の彼に乗っ取られるらしいよ』
「な、……い、一体何を、?」

セレビィくんの言葉が誰のことを指しているのかは分かる。しかしどうにも理解ができない。飲み込まれるというのはどういう意味なのか。入れ替わるという言葉とは別の意味であることは確かだけど、でも、そうだとしたら、つまり。

『そうしたらまた、さっきみたく暴走して今度こそひよりちゃんを殺しちゃうよ。だから、ボクが彼の手の及ばないところへ飛ばすっていうわけさ』
「ちょっと待ってセレビィくん、ちょっと、」
『ちなみに、ボクが飛ばすのはひよりちゃんだけだよ。つまりキミのポケモンたちとは、ここでお別れってことだね』
「──……え?」

ごめんね、そう付け加えるとセレビィくんはまた私の頭を撫でた。撫でられながら、ぐるぐると考えて。ようやく頭の中で言われたことを整理してから、視線をあげると大きな瞳と視線が絡む。

「どうして、私だけなの……?」
『ボクの力じゃ、ひよりちゃんしか運べない』
「──……なら、私もここに残る」

みんなを置いて私一人だけここから逃げるなんて、そんなのできない。みんなを、マシロさんを助けられないのならば……私がこの世界で生きる理由はない。
膝の上で拳を握りながら戸惑う表情を浮かべるセレビィくんをまっすぐに見つめていると、キューたんがゆっくり上半身を起こして私を見る。胸元は抑えたまま、頬を伝って汗が垂れる。

「……小娘、テメエは仲間とやらが大切か」
「大切に、決まってる」
「ならば聞く。このままテメエが残れば全滅、時渡りすれば時間はかかるが全員助けられるって言ったら……どうする?」
「──……そんなの、」

そんなこと、ありえるのか。唾を飲み、真っ直ぐに見る。
……私は知っている。キューたんは、嘘は吐かない。ならば、……それならば。今度こそ、私は彼を信じるべきなのではないか。

セレビィくんに視線を移して、その小さな手をゆっくりしっかり握ってみせる。
苦しそうな彼の表情の中、うっすらと笑みが見えた気がした。



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