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「今の状態で行くなんて、いくら貴方様でも無茶です……!」
「それでも行かないといけないんだ」

やはり、ひよりがキュウムと戦うことになってしまった。
そうならなければいいなと思いつつも見越して、彼女には"強くなれ"と言ったが。……この状況で彼を倒すのは無理に近いだろう。私も力をほとんど取られてしまっているし、未だ鎖の付いているマクロからは今までの倍の速さで力が吸収されている。

「トウヤ、ゲーチスたちが動き出した。ゼクロムの方に向かってる」
「分かった。追いかけよう」

彼らは確か、ひよりの友人。一旦ゲーチスは彼らに任せて、私はマクロの元へ行かなければならない。しかし気力はあっても身体がすでに限界だといって言うことを聞かないでいる。どうやら自分が思っている以上に肉体が疲弊しているらしい。……随分と鈍ってしまっているようだ。
ふと、支えてくれていたシキが前に出る。

「レシラム様はここにいてください。オレが行きます」
「しかし、」
「オレでも、何かの役に立てるかも知れません」
「……すまない、頼んだよ」

大きく頷いて見せると、ポケモンの姿に戻ってシキもマクロの方へ走りだす。
それを見送ってから壁に寄りかかり、腰を下ろした。……情けない。立つことですらままならないなんて。

『マーさん、だいじょーぶ?』

突然。目の前に光が生まれた。そこから飛び出してきた彼が、四肢を放り出して何とか座っている私の目の前にやってきて、小さな手で頬に触れる。

「……驚いた。どうして君がここにいるんだい?」
『ごめんね、話すとボク羽をちぎられちゃうんだ。でもマーさんなら分かるでしょう?ボク、彼にちょっと頼まれててね』

彼とは誰のことを指しているのか。もはや全てこの子の口から答えは出ているといっても過言ではない。しかし彼がこの子と面識があるとは思っても見なかった。一体、何を頼んだというのか。

『なんだかすごいことになってるね?ボクまだ呼ばれてないけど、行かないと手遅れになりそうだなぁ……』
「彼女を助けるために、君はここにいるのかな」
『さて、どうでしょう?じゃあね、マーさん』

いたずらな笑みを浮かべて再び光の中へ飛び込み、消えた。
"彼"が、ひよりと共に旅をした二人だったのならば、まだ希望はある。彼に行く末を任せてしまってもいいのだろうか。心配と期待を込めて、……目を閉じる。
少し、休息が必要だ。





「もう少しで、世界が我が手に……!」

ゲーチスが両腕を広げてゼクロムの前で声をあげる。ゼクロムの首にある鎖は多少緩んでいるものの、未だに巻かれていて苦しそうなうめき声が聞こえていた。こちらにはひよりが先に向かったはずだが、どこにも姿が見当たらない。ついでに彼女のポケモンたち、……それにキュレムの姿もない。

「そこに隠れていないで、出てきなさい」

とっくの昔にバレていたようだ。チェレンとお互いに顔を見合わせてから、慎重に隠れていた柱から出る。ゲーチスが、こちらを捉える。

「トウヤ、先ほど貴方がワタクシに尋ねたことに答えをお返ししましょう」

すでに伝説のポケモンを二体も手に入れておきながら、「まだ」と言っていたその言葉の真理とは。

「ワタクシが言っている伝説のポケモンとは、"完全に戻ったキュレム"のことです。伝説のポケモン二体の力を手に入れたキュレムは、新たな伝説のポケモンとなるのです!」
「キュレムが力を……?一体何を、」

瞬間。一瞬のうちだった。両足が氷で固まって完全に動けなくなる。慌てて横を見るとチェレンも同じ姿になっていて、腰のあたりまで氷が侵食している。エンブオーを出して溶かしたいが、ボールもすでに氷に埋もれてしまっている。思わず下唇を噛みながら視線を上げると、笑みを浮かべるゲーチスと目が合った。勝者の表情。

「遅いですよ、キュウム」
「申し訳ありません、ゲーチス様。さあさあ、ここも仕舞いですよ」

目前。やってきた彼が、一度指をパチンと鳴らした。瞬間、一気に氷が全身を覆いつくし。
記憶も、ここで途切れてしまった。
ああ、僕は。僕は、。





「あっ、来た来た。遅かったねえ、ひよりちゃん」

倒れた柱がいくつも乱雑に積み重なった場所。その一番上に座っていた彼が、呑気にゆらりと立ち上がってこちらへ向かって片手を振って見せる。……その手の平は、赤黒く汚れていた。それを見て、思わず立ち止まってしまった。全身がぶるぶる震えているのが自分でも分かる。寒さからなのか、怖さからなのか。もしかしたら両方が原因かもしれない。

「さあ、ここまで来れたご褒美を差し上げましょう!」
「、!?」

彼が一度腰を曲げたと思うと、片手に何か大きなものを掴んで、かと思えば勢いをつけてそれを私に向かって投げてきた。黒、……いや、紫、……!?

「っロロ!」

グレちゃんの言葉で、ようやくそれがロロだと分かる。真っ逆さまに落ちてくるロロの下、私の位置にグレちゃんが慌ててやってきて両腕を広げる。ひゅん。耳のすぐ横、風を切る音が聞こえた直後、グレちゃんが腰から後ろへ倒れ座り込む。すぐに寄り添うように横へ座ってロロを見た。……震える手で口元を隠す。ひどい。切り傷と刺し傷が身体中にあって、血がどこから出ているのかすらわからない。

「おい、ロロ!ロロ!」
『──……う、』
「ロ、ロロ……!分かる!?私だよっ!?」
『……ひより、ちゃん、』

ゆっくり目を開いたロロの姿に、ホッと一息漏れる。しかし、ロロが突然ハッとしたように辺りを見回してから無理やり起き上がり始めたのだ。今は動かないほうがいい。グレちゃんと一緒にロロを抑えると、忙しなくもう一度辺りを見回してからロロが言う。

『ちがう、俺だけじゃないんだっ!チョンたちが、まだ、あそこにいる……っ!』

ロロの言葉と同時だろうか。グレちゃんが立ち上がってゼブライカの姿に戻る。

『俺が行く。ここで待っていてくれ』
「……気を、付けてね」
『ああ』

ロロの視線の先へ走っていくグレちゃんを見る。
……引き留めかけてしまった。だめだ。グレちゃんに頼り切りじゃだめなんだ。トレーナーは誰だ。私でしょう。しっかり、しなくちゃ。唇をぎゅっと噛み、一度両手で力強く拳を握り。
──……よし。
傷薬を取り出して、横たわるロロにそっと吹きかける。薬が傷口に染みたのだろう、びくりとするロロの身体に私まで肩を飛び上がらせてしまったけれど、それでもなるべく優しく吹きかけていく。

『ごめん、ひよりちゃん』
「どうして謝るの?」
『……敵わなかった。チョンたちを、取り戻すことすらできなかった』

小さく消えてゆくその言葉に、傷薬を床に置いて手を放す。それからロロに向き合って、ゆっくりと身体を寄せた。腕を伸ばし、包むように抱きしめて。

「頑張ってくれてありがとう、ロロ。戦ってくれてありがとう」
『……俺の血で、ひよりちゃんの服が汚れちゃうよ』
「それでもいいよ」

答えると、そっとロロが頬に擦り寄ってきた。温かさにホッとしながら毛並みに顔を埋めると、『よかった、』とロロがぽつりと呟いた。腕を回したまま身体を離してみると、ロロが私を見ながら言葉を続ける。

『ひよりちゃんを泣かせちゃうかと思ったよ』
「……大丈夫、もう泣かないよ」

目を細めて言うと、ロロは少しだけ目を大きくしてから再び私にすり寄った。

──……使っていた何本目かの傷薬が空になった、そのとき。
ガン!と何かが落ちてきた。ロロと一緒に驚いて、すぐさま音のした方を見ると、そこには大きな氷の塊があった。不自然な形や色を不思議に思いながら、ゆっくり近づいて。

「こ……これ、……っあーさん!?」

分厚い氷の中に、傷だらけのバスラオがいる。何が何だか分からないまま氷を抱きしめるように中を見る。何度見ても、やっぱりあーさんにしか見えない。咄嗟に近くにいるロロを見ると、上を見上げていた。私も視線を上に向けるたとき、また一つ、上から氷が落ちてくる。
ガン!、地が若干揺れた感覚がした。慌てて落ちてきた氷の中を見ると、今度はケンホロウが氷の中に閉じ込められている。

「チョン!?何、これ……どうなって、」
『ひよりちゃん、退いて!』

弾けるように氷から離れると、ロロが少し距離をおいてから飛び上がり、鋭い爪を氷にたてた。が、割れるどころか削ることすらできていない。何度も繰り返してはいるものの、傷一つつけられない。こんなに固い氷があるものか。私は何もすることができず、とにかく名前をずっと呼んでみたけれど全く反応がない。

「どうすればいいの……っ!?」
『っ危ない!』

瞬間、横に突き飛ばされて横に倒れた。冷たい地面に寝そべってから、すぐに身体を飛び上がらせて起き上がると、ロロの足元が凍っていた。慌てて駆け寄って氷に爪をたてるが、私の力ではびくともしない。
……足元から氷がどんどんとロロの身体を侵食して飲み込もうとしている。そのことに気が動転してしまい、私を止めるロロの声も無視して必死に爪を立てていた。
痛い、寒い。……それ以上に、失うことが怖い。

「やだ、やだやだ、……やだよロロ……っ!」
『……ひよりちゃん、っ……』
「やだ、ロロまで凍っちゃう……っ!」

泣きそうになりながらロロの半身まで迫る氷に、どうしようもなかった。
ロロを抱きしめながら、いやだいやだと子どものように縋るしかない。さっきまでの温かさが、どんどん失われてゆく。それが、とてつもなく怖い。

『……ひよりちゃん、俺から離れて』
「いやだ……」
『ひよりちゃん!』
「やだっ!」
『……ッ』

瞬間、腕に何かが突き刺さる。突然の痛みに、咄嗟にロロを抱きしめていた腕を離してしまった。自然と腕に向けた視線は、ふたつの小さな丸い穴を捉えていた。血が凹んだ二か所からうっすらと滲んでいるが、傷は深くない。

『──……ごめんね、ひよりちゃん』
「ロ、っ」

ぱきん。──……氷が固まる音がした。自分の腕に片手を添えながら、座り込んで茫然とそれを見る。
……一度、ゆっくり白い息を吐き出して、唇をきつく噛み締めた。
そうして一人、冷たい床にうずくまる。


「──どうしてキミのポケモンは、こんなに邪魔をするのかなあ?」


──……ふと、声がした。
丸めていた背中を伸ばし、慌てて顔を上げると前方に彼がいた。それに一度、身体をぶるりと震わせてから両脇に抱えられているセイロンとグレちゃんの姿に目を見開く。咄嗟に力強く片手で胸元を握りしめると、彼は満足そうに笑みを見せた。それから片腕を思い切り後ろに下げると、私に向かって振りかぶり。放り投げる。
ぶつかる。そう思ったが、投げられた彼は宙で態勢を整えて、私の真横に着地して勢いを地面との摩擦で相殺する。

「くそ……」
「グレちゃん!」

頭を横に何度か振って、前を睨む。私の隣にいるグレちゃんの体にも、あちこちに切り傷があった。彼と一戦交えたのだろう、傷や疲労感が隠しきれていない。

「さあさあ、ひよりちゃん。キミが持っているライトストーンを、ワタクシに渡してもらおうか」
「ライトストーンを……?」
「ああ、渡さないってのはナシだよ?まあ、このチビがどうなってもいいなら別にいいけど」
「セイロンっ!」
『……ひより、俺のことは、いいから……っ!』
「はいはい、黙っていようねえ」

鋭い氷の刃がセイロンの首元に当てられる。少しでも彼が力を入れれば、綺麗に切り落とされてしまうだろう。
……マシロさんの力が微力ながら未だにあるライトストーン。
こうなっては、悩むことはない。一度息を大きく吸ってから、ゆっくりライトストーンをバッグから取り出して見せつけると、「いい子だね」と彼が微笑む。

「……ライトストーンは渡すから、セイロンを離して」
「もっちろん。でも、先にライトストーンを返してもらうよ」

一度、グレちゃんと目を合わせると、頷いて見せた。それから彼に視線を戻して、ライトストーンを彼に向かって投げる。半円を描いたライトストーンは吸い込まれるように彼の手の中に落ち、しっかりと握られた。
それから今度は、彼が抱えていたセイロンを放り投げる。セイロンならば、私でも受け止められる。両腕を広げて落ちるだろう場所に立ったとき。

『……ひより!駄目、避けてっ!』

セイロンの声が聞こえたと同時に腕を引かれて、後ろに尻もちをつく。直後、目の前にドシン!と何かが落ちる音がした。身体を強張らせて見る。……氷の、塊だ。
投げられる前、セイロンの足先が凍っていた。、グレちゃんが静かに言いながら氷にそっと手を当てる。

「……っこ、こんなの……!」
「返したことにならないって?いやいや、ワタクシはちゃんと返したよ」

彼は笑みを浮かべながら、手に持っているライトストーンに鎖を巻くと目を閉じた。するとライトストーンの色が見る見るうちに変色しながら小さくなって、あっという間に砕け散る。残ったのは、彼が巻きつけていた鎖だけ。

「どうすればいいんだ……、」

……私も、分からない。みんな凍ってしまった今、残っているのは手負いのグレちゃんと全く戦力にならない私だけ。みんなを助ける術も、この状況を何とかする術も、何もかもが分からない。

「さあてと……」
「遅すぎますよ、キュウム」
「ああ、ゲーチス様!」

彼の視線を追いかけ振り向いた先。ゲーチスさんがこちらに向かって歩いていた。ゲーチスさんとは、トウヤくんたちが戦っていたはずなのに。……どうして、彼だけここへ……?

「おや、まだその娘を始末していなかったのですか」

ゲーチスさんの鋭い視線が私を射抜く。思わず肩をびくりと飛びあがらせると、すぐにグレちゃんが間に入ってくれた。それでもなぜか離せない視線に、小刻みに震える身体を隠すように押さえる。

「……トウヤくん、たちは、」
「ああ、彼らなら、貴方のポケモンと同じようになっていますが」

どくん。心臓が一度大きく音を鳴らす。どうしようもなく、グレちゃんの服の裾を握りしめながらゲーチスさんの出方を伺うしかできない。

「さあキュウム、早くしなさい」
「はいはい……って、やっぱりキミも邪魔するんだ?」

掴んでいた指先が離れる。ホルダーに手を伸ばしてナイフを取り出す彼と、何もできずに座り込んでいる私の間に立つのは、ただ一人。

「大人しくしてくれればキミだけは見逃してあげるって言っても、邪魔する?」
「当然。大切なご主人様を見す見すやられてたまるか」
「グレちゃん、でも……!」
「バカなことは考えるなよ。……今のうちに、遠くに離れてろ」

少しだけ私の方を振り向いて小声で言うグレちゃんにゆっくり頷いて見せる。それからポケモンの姿に戻るグレちゃんを見てから、背を向けて走り出す。
結局のところ、狙いは私だ。ここでグレちゃんと距離を開けておけば、私を目がけてこちらにやってくるはず。あの場で私が前に出てグレちゃんが盾になるよりも、私だけに来る可能性の高いこっちの方がいいだろう。
……白い息を吐きながら走り続けていた、そのとき。
突然、光が現れた。宙のど真ん中、私のすぐ目の前に光が集まる空間ができたのだ。驚いて足を止めると。

『──やあ!キミがひよりちゃん、だよね?』

光の中から飛び出してきたそれに目を大きく見開く。
緑色の身体に大きな黒い瞳、小さな可愛らしい透明な羽がついているこのポケモンは……!

「せ……ッセレビィ!?」
『ぴんぽーん正解!』

宙に浮かびながら小さな身体をめいいっぱい広げて声をあげるセレビィに驚きを隠せない。なぜ、別地方のポケモン、さらには伝説のポケモンがここにいるのか。しかし、見る限り……私に対して敵意はなさそうだ。
背後で音が聞こえた。それに慌てて視線を向けて、セレビィくんの横に歩み出る。

「ごめんねセレビィくん、私急いでここから離れなくちゃ、」
『ねえひよりちゃん、ボクがキミを助けてあげる』
「──……え?」
『でももうちょっと待ってね。今準備してるからさ、それまで捕まらないように頑張って!』
「え、あの、セレビィくん!?」

すごい速さで光の中に消えて行ってしまったセレビィくんに茫然とする。
……セレビィくんを、信じていいのか。突然すぎてうまく受け入れきれていないが、今は助けてくれる誰かがほしいのは確かだった。

「……信じて、みよう」

一度目を閉じ、もう一度足を動かすと。

『ひよりさん、こっちだ』
「シキさん……!よかった、無事だったんですね……!」
『ああ、レシラム様もゼクロム様も無事だ。早くこちらへ』

角で向かう方向を指し示すシキさんのところまで小走りで行く。マシロさんたちも無事だと聞いてホッとした時。急にシキさんが私の方を振り返ると、擬人化をしてから走ってきた。
なんだ、と驚いていると私の横をすごい勢いで何かが通り過ぎた。思わず立ち止まると、シキさんがそれを受け止めて自分も後ろに転び倒れる。シキさんの上に乗っかっているのは、!

「……っグレちゃん!?」

慌てて駆け寄る手前、後ろから首根っこを掴まれてそのまま足元が地から浮く。突然のことにパニックになりながら両手を私の首を掴んでいる手に持っていくが、ビクともしない。眉間に皺を寄せ、苦し紛れになんとか後ろへ視線を向けると。

「つーかまーえた」

──彼が、笑っていた。



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