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『まさか貴方たちの手を借りることになるなんて』

鎖を手早く外していると、横たわっているマクロくんが悔しそうにそう言った。この様子だと、まだそこまで力は奪われていないらしい。一安心までは出来ないけれど、今の段階で鎖を外せれば万々歳だろう。

「なぁ黒騎士さんよ。お前ぇレシラムのこととか忘れてたようだったが、ありゃぁなんだったんだ?」

一緒に鎖を外しながらあーさんが尋ねた。それに一度視線を落とし、ゆっくりとマクロくんが口を開く。

『……ひよりさんから兄さんの話を聞いたあと、すぐに地図に書いてあった研究所までNさんと行きました。そこでゲーチスに見つかり、キュウムの力で記憶を凍らされたんです。……不覚でした』
「でもよぉ、そんときはまだキュウムは俺たちと一緒に居たぜぇ?」
『そうですね。正しく言えば、ゲーチスが持っていたキュウムの力を蓄えた機械で、と言ったほうがいいでしょう』

思いのほか鎖がきつく絡みあっていて、取るのにまだ時間がかかってしまいそうだ。
マクロくんの話を半ば半信半疑で聞きながら、頭の中ではセイロンのことを考えていた。……セイロンの強さは俺も知っている。けれどそれと同時にキュウムの強さも知っている。セイロンのことが心配だ。大丈夫、だろうか。

『──……良かった。兄さんは助かったみたいです』

ふと、マクロくんが遠くを見つめながら安堵のため息を漏らした。兄さんということはマシロさんのことだ。きっとひよりちゃんたちがやってくれたんだろう。ならばこっちも早いとこ終わらせないと、ひよりちゃんが来てしまう。そうなればさっきみたいに危険な目に、。

「……マクロくん、セイロン見える?」

もはや力技だ。無理やり鎖を左右に引っ張りながら訊ねるが、いい返事は返ってこなかった。マクロくんから見えない、ということは後ろにいるのか。それとも別の場所に移動したのか。やっぱりセイロンの方が気になって仕方がない。ここはあーさんとチョンに任せて、俺も応戦するべきか。そう、相談しようと口を開いたとき。

『──……ロロ、ロロ!』
「チョン!?」

上から声が聞こえて見上げてみれば、チョンがふらふらと飛んできて真っ逆さまに落ちてくる。慌てて鎖から手を離して駆け出し受け止めると、至るところに切り傷があるうえに片翼が完全に凍っていた。犯人は言われないでも分かる。そもそもチョンも俺たちと一緒に鎖を外していたはず。いつの間にここを離れていたのか。けれどもチョンの判断は正しい。

『あっち、セイロンが……っ!』
「分かった。あーさん、鎖とチョンよろしくね」
「気ぃつけろよ」

チョンをあーさんに預けてからポケモンの姿に戻ってマクロくんの上から飛び降りて、チョンが指した方向へ全速力で駆け出す。次第に周りがひんやりとしてきて、靄ってきた。密室ではないのにここまで冷気が立ち込めるなんて。
……場所はこの辺だ。視界が悪い中、一旦足を止めて辺りを見回してみる。バトルをしているには、どうも静かすぎる。

『……』

バトルに一区切りがついたのか。気配すら感じ取ることができない。二人は今、どこにいるのか。

『……どうしようかな』
「どうするどうする?」
『ッ!』

振り返った瞬間。また、消えていた。今になってズキズキと頬のあたりが熱を帯びてきて、血が足元に滑り落ちる。
全くと言っていいほど、気配がなかった。厄介なんてもんじゃない。どう戦えばいいのか、どう先手を打てばいいのか。頬の熱を感じながら頭を必死に動かす。
──……その場から動かぬまま目を閉じて、全部の意識を耳に向ける。仮にも手を加えられたポケモンだ、これぐらいやってやる。
すぐ近く。空気が動く音がした。風がヒュッと小さく鳴り。
動く。
動く。

『……っと、』
「えー、これ、避けられちゃうんだ?」
『次は完全に避けるよ』

前足をナイフが掠った。若干切れたものの、気にする程度ではない。
ここでやっとうっすらと相手の姿が見えたところでセイロンの姿を探してみるも、どこにもいない。キュウムと戦っていたはずではないのか。チョンが見たというセイロンは今どこにいるのか。

「よそ見する余裕なんてあるんだ?ね?」
『セイロンはどこかな』
「ああ、あのチビのこと?あはは、もうちょっと内緒だよ。ひよりちゃんが来たらすぐ分かるさ」

靄に紛れながら見える笑みに、態勢を前かがみに構える。
やはり狙いはひよりちゃんだ。これはのんびり話をしている場合じゃない。何としてでもひよりちゃんが来る前に、俺がセイロンを見つけださないと。そうしなければ、。





「絶対手、離すなよ」
「うん」

マクロさんの方へ進むにつれて、冷気で視界がどんどん悪くなる。白い息を吐きながらなんとか見えている手元を頼りに歩みを慎重に進めてゆく。ここはさっきまでいたあの場所なのかと疑いたくなるほど気温が一気に下がっている。今はもう、グレちゃんと繋いでいる手に多少感覚があるくらいで、それ以外は冷えきって痺れすらうっすら感じている。

「だめだ、見えないな」
「グレちゃんでも駄目なの?」
「多分この冷気の中だと、人間と同じぐらいの視覚しかないだ、……」

ふと。先を歩いていたグレちゃんが突然立ち止まる。危うくぶつかりそうになりながら私も止まって腰を屈める。しゃがんでいるグレちゃんが何か確認するように床を手の平で撫で、手をひっくり返して見つめている。私にはこの距離でさえも冷気で見えないが、どうやら何かを見つけたらしい。

「何かあった?」
「……」

言おうか言うまいか迷っている、そんな気がした。とりあえず私も隣に座ろうと動くと、「待て」と一声飛んでくる。

「……多分、この近くにいる」
「えっ?」

そういうと、急に立ち上がって私の手を力強く引っ張ってその場から急いで逃げるように歩きはじめるではないか。引っ張られるがまま足を動かしながらもう一度訊ねてみたけれど、やはり答えは返ってこなかった。しかしそれも、すぐに分かることとなる。なぜならば。

「……あれ?冷気がなくなってきてる……?」

なぜか急に視界が開けた。それにグレちゃんが小さく舌打ちをすると、また立ち止まって私の両肩を掴む。驚いて目を見開く私と、どこか険しい表情を見せるグレちゃん。

「ど、どうしたの、?」
「まだ周りは見るな」
「?」
「……いいか、絶対声は出すなよ。手で口押さえてろ」
「どうして、」
「いいから」

少し、ためらいながら言われた通りに手で口を覆う。そうするとグレちゃんが床を触った方の手の平を、ゆっくり私の前に出した。思わずヒュッと喉が鳴る。……手のひらが、血で赤黒く染まっていたのだ。
慌てて力強く口元を押さえて、目で訴えながらグレちゃんを見る。

「多分ロロの血だ。近くに紫の毛が落ちていた」

小声で話すグレちゃんを見てからゆっくり来た道を振り返る。少し離れた向こう、先ほどグレちゃんがしゃがんでいたであろうところに血だまりがあり、床には無数のナイフの跡が見える。そして冷気が消えた今、足元とその先を見ると血の跡が点々と続いていた。思わずグレちゃんの手を縋るように思い切り握ってしまう。

「ロ、ロロ、大丈夫、だよね……?」
「ああ、大丈夫だ。アイツはそう簡単にくたばらねえよ」

私に気を遣ってくれているのがよく分かる。心配させまいと言ってくれた言葉は少し震えていた。……グレちゃんも、ロロのことやみんなのことが心配なのだ。その上、私まで気にかけてくれている。私なんて自分自身でいっぱいなのに。
……それで、いいのか?いいや、良いわけがない。

「行くぞ、ひより」

せめて、私の分の心配は減らせるように。
握られた手を強く握り返して、頷いた。その背にひっそりと誓いを立てる。
──……私も、あなたのように。



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