5



矢印に誘導された階段をゆっくり慎重に上っていくと、そこにはNくんとトウヤくんがいた。2人の間にはマクロさんとエンブオーが対峙しながら睨みあっているそこは、床にひびが入りタイルは剥がれ、柱もぼろぼろに倒れて折り重なっている。

「──……あれ、?」
「どうした、ひより」
「う、ううん。なんでもない……」

この光景、どこかで見たことがあるような……。い、いや、きっと気のせいだ。
頭を振って再びトウヤくんたちに目線を移す。マクロさんもエンブオーもかなり疲労しているようで、両者とも息が上がっているのが見て分かる。あのマクロさんと互角に戦えるだなんて。

「Nは俺に任せて、ひよりはレシラムを早く探して!」
「トウヤ。ボクはさっきも言ったはずだよ。レシラムはそのライトストーンで……」
「──……N、くん?」

ぴたり、Nくんとマクロさんの動きが止まる。トウヤくんもそれに気づいて、エンブオーの攻撃を一時中断させた。そうして2人はゆっくり動き始めると、お互いに顔を見合わせて目を見開く。

『……Nさん』
「……すまないマクロ」

小さな声で謝ると、Nくんは俯いて帽子を深く被り直した。ここからだと全く表情が伺えない。対してマクロさんは再びこちらに顔を向けると、激しい電気を発生させた。……怒っている。それも激しい怒り。まるで雷神のごときそれに圧倒される他ない。

「……っ、」

これにはトウヤくんも流石にマズイと思ったのか、エンブオーを一旦ボールに戻して後ろへ一歩下がった。
先ほどよりも禍々しい雰囲気が空間を包む。……急に怒りを露わにされて、私は軽くパニックを起こしていた。私たちが来たのがいけなかったのか、はたまたさっきの続きで私に雷を当てようとしているのか……。

「ま、マクロさん、待ってください!とりあえずお話を……!」
『早く端に寄ってください。巻き添え食らいたいんですか』
「……え?は、端?」

マクロさんがちらり私と目線を合わせて唸る様に言うと、さらに電気を蓄えはじめた。青い電撃がとても眩しく、目がチカチカする。

「とにかく言われた通りにするぞ。……おい!トウヤもこっちに来い!」
「え、っと……貴方は……?」
「いいから早くしろ!」

グレちゃんに腕を掴まれたトウヤくんも一緒に、無残な姿で倒れている柱の影に隠れる。端まできたのはいいもののマクロさんの威力はものすごく、ここまで電気が飛び交っていた。静電気で髪があらゆる方向に向いている。
そうしてグレちゃんが立ち上がって、私を見た。"……いいよな?"、視線に向かって、大きく頷く。

「ひより、この人は……」
「見てれば分かるよ」
「……?」

瞬間。グレちゃんがゼブライカの姿に戻る。私はだいぶ見慣れたからなのか、驚きに目を見開いて口を開いているトウヤくんの表情がとても新鮮に思った。

『俺の下に潜ってろ。アイツが何するつもりか知らないが、こっちにも確実に電撃くるぞ』
「わかった。……トウヤくん、」
「あ、ああ、うん」

一緒に身を潜めるとトウヤくんが「気づかなかったよ」と笑う。
やはりトウヤくんも擬人化についてはある程度知識はあるらしい。安心したような、やっぱりなと納得したような。なるべく身体を小さくしながら今か今かとその時を待っていると。
急に、扉が開いた。それと同時に今まで溜めていたマクロさんの電気がぐっ!、と1か所に集まる。

『……おい、……ひより、』
「──な……なん、で……」

マクロさんの激しい電気の音すら聞こえない、一瞬の無音。
……大きな扉から入ってきたのは圧倒的存在感を放つゲーチスさん。それに研究室にあった水槽と同じものに入れられたレシラムの姿と、。

「お久しぶりですねえ、黒騎士さん」
「……よくも兄さんをこんな目に……ッ!!いくら貴方でも許しませんよ、
 
 キュウム」
「──……え、?」

慌ててベルトについていた黒いボールをひったくるように掴むと、動揺からかうっかり床に転がしてしまった。急いで取りに行こうとグレちゃんの下を抜け出して、ボールの中心ボタンをゆっくり押す。

『勝手に離れるなよ!危ないだろう!?』
「ボールの中、空っぽだったけどさ、……あそこにいるのキューたんじゃないよね……?」
『……』

グレちゃんが私から目線を逸らし、無言でマクロさんたちに視線を移す。"違う"って、言ってくれないんだ。
ボールを掴んだままの腕をぶらりと床に落として、私もゆっくり視線を向こうへと向ける。姿形、どこをとってもやはりあそこにいるのは彼そのもので。

『お終いですよキュウム』
『それはこちらの台詞ですね』

突如、大きなポケモンが姿を現す。肌に突き刺さるような冷気とアシンメトリーの羽、そして灰色の巨体。真っ直ぐに向かってくるマクロさんの青い電撃を一気に凍らせると、尻尾でそれを叩き砕いた。ガラガラと轟音を鳴らしながら氷が氷柱のように地面に落ちてゆく。

「灰色に注意って、このこと、だったんだ……」

今更ゲーチスさんに言われたことの意味が分かるなんて。ゲーチスさんの方をちらりと見れば、うっすらと笑みを浮かべながらキューたんとマクロさんの戦いを眺めている。
……ううん、まだキューたんがゲーチスさんと手を組んだと考えるのは早い。本人から直接聞くまで、私は信じないんだから。きっと何か理由があって一緒にいるだけ。きっとそう。両頬を手のひらで軽く叩いてから、腰を低くして態勢を整える。―よし、まずはマシロさんを助けないと。

「グレちゃん、今のうちにマシロさんのところに行けないかな」
『……難しいな』

状況を見る限り、グレちゃんの力を借りてもひそかに向こうへ行くのは難しい。どうしようか。眉間に皺を寄せながら考えていたときだった。
ふと、すぐ後ろの壁が突如動いた。音に驚いて慌てて振り返ると、そこから出てきたはなんとシキさんだった。辺りを注意深く見まわしてから、私たちに向かって小さく手招きをする。

「こっちに来い」

グレちゃんの下に一緒に身を潜めていたトウヤくんも一緒に、ものすごく狭い抜け道に身体を押しこめる。まさに人一人がやっと通り抜けられる幅だ。シキさんに腕を引っ張ってもらいながら、半ば無理やり通り抜けて一息つく。

「すまない、遅くなった。まさかひよりさんたちがもうここまで来ているとは思ってなかったんだ」
「いえ、大丈夫です……あの、」
「ここまで来たらオレが言わなくても分かるだろう。辛いだろうが、これが真実だ」
「…………」
「……さあ行こう。ついてきてくれ」

四つん這いのまま、シキさんの後を追ってゆく。──……そうして進んで出た先は、水槽のすぐ後ろ。ほんの少しだけ開けた隙間から様子を伺い、確認してからシキさんが飛び出る。続いて素早く抜け出ると、すぐ手前では激しい攻防戦が繰り広げられていた。幸い、まだゲーチスさんにも気づかれていないようだ。素早く抜け道から飛び出して、マシロさんのところまで急ぎ走る。


「──……ひどい、」

水槽の裏手、しゃがんだまま見上げる。水槽の中にまで配線が張り巡らされている上に、レシラムの手足には鎖が何重にもなって絡みついている。首輪もついている姿は、まるで伝説の面影が見られない。
シキさんはそれを見て歯を食いしばると、すぐ横にある機械の操作をはじめた。ゲーチスさんに気づかれるのも時間の問題だ。一刻を争う。

「……っ」

指を忙しく動かしてキーボードを叩く。その横には四角に折られた紙が置かれていた。事前にシキさんが盗み入手していたんだろう。
私たちはその周辺を注意深く見張ったり、ゲーチスさんの様子を伺ったり。それから数分後、「よし」とシキさんの声が聞こえた。

「そこのスイッチを押せば、これは壊れる」

シキさんが指さすスイッチから一番近いのは私だ。早足でスイッチの前まで行って、手を伸ばす。
瞬間。

「そうはさせない」
「──……っ!?」

白髪に不気味な黒装束が目の前に現れる。古代の城で会った人だ……!
一瞬のうちに腕を掴まれて、簡単にスイッチから遠ざけられてしまった。後ろを振り向けばトウヤくんとシキさんも同じような格好の男に動きを封じられている。

「離せ!」
「……っ!」

ばちり。グレちゃんが黒装束の男の腕を掴むと電撃が流れた。
一瞬の力の緩みも見逃さず、グレちゃんに引っ張られて何とか逃げ出す。トウヤくんのボールからはエモンガが飛び出して同じように電撃攻撃。シキさんはポケモンの姿に戻って、立派な角で一突きだ。

「大丈夫か?」
「ありがとう。みんなは?」
「俺も大丈夫だよ」
『……それよりマズイことになった』

シキさんの焦る声に視線を移せば。……本当にマズイことになっていた。

「おやおや……いつの間にこちらに来ていたんでしょうかね」
「……ゲーチスさん、」

悠然とこちらに向かって歩いてくるゲーチスさんの周りに黒装束の男たちも集結していて、すでにキリキザンを待機させている。ゲーチスさんの手にもボールが握られていて、今すぐにでも戦いに突入できる状況だ。
―そのとき、向こうからマクロさんの唸るような声が聞こえたと思うと、どしんと何かが倒れる音と共に地響きが起こる。

「な、なに……?」
「さて、準備は整いましたね」
「マクロさん……!?」

ゲーチスさんの先、マクロさんが倒れていて首から下が全部凍ってしまっていた。その上に乗っかっているのはキューたんで、擬人化するとマシロさんについているものと同じ鎖をマクロさんの首にも手早く巻きつける。

「これは……どういうことですか」

マクロさんの前に立ち、Nくんが身体を震わせゲーチスさんを睨みながら言う。対するゲーチスさんがNくんの方に初めて視線を向けた瞬間、Nくんがびくり身体を飛びあがらせた。あの異様な怯え方はなんなんだろう。どこか違和感を感じる。

「不甲斐ない息子め。伝説のポケモンを従えておきながら、ただのトレーナーすら排除できないとは愚かにも程がある!詰まるところポケモンと育ったいびつな不完全な人間か」
「そっ、そんな言い方……!」
「英雄になれぬワタクシが伝説のポケモンを手にする……そのためだけに用意したのがそのN!いってみれば人の心を持たぬ化け物です」

出会ったあの日、Nくんに言われた言葉を思い出した。その時はどうしてあんなことを言われたのか分からなかったけれど、今なら何となく分かる気がする。

「……あなたこそ、人の心がないのではないですか」
「なんとでも。ワタクシは今から世界の支配者になるのですから!──……キュウム」
「はいはいお呼びでしょーか、マスター」

マクロさんの上から軽々と飛び降りたと思えば、次の瞬間にはゲーチスさんの横にいた。
……今、キューたんの名前を呼んだのはゲーチスさんで、それに答えたキューたんは「マスター」、と言っていた、?

「Nにもう用はありません。凍らせてしまいなさい」
「了解です」

ショックを受けてる場合じゃない。ポケモンを持っていないNくんに抵抗する力はない。
Nくんのところまで急いで行こうと一歩踏み出すと、やはり黒装束の男たちも動き出す。指示を受けたキリキザンが襲いかかってくる。それでもこのまま突っ込んでいかないと間に合わない。それならば。

「セイロン!お願い!」

走りながらボールを掴んでスイッチを押す。ボールから飛び出してすぐ、セイロンが目前まで迫っていたキリキザンを蹴り飛ばす。遠く、飛んで行く姿を見てから前を向く。道は開けた。

『急ごう』
「うん」

残るキリキザンも蹴散らしながら真っ直ぐに進む先。

「邪魔はさせませんよ」

……大きなサザンドラを従えたゲーチスさんが、待ち構えている。

「一人で突っ込むなよ!」
「ごめん!つい!」

すぐ後ろ、グレちゃんも次いで走ってきて、隣に来るや否や怒声が飛んできた。その直後、素早く振り返ったグレちゃんに襲いかかる鋭い刃が二つ。ばちり、電気が生まれた直後、突然キリキザンが炎に包まれた。
驚いて目線を移すと、エンブオーの姿があった。トウヤくんのエンブオーだ。

「今の数分でレシラムが入ってる機械のロックナンバーを変えられたらしいんだ」
「えっ!?」
「でも安心して。あのメブキジカが頑張って解読してくれてるからきっと大丈夫だよ。さ、ゲーチスは俺に任せてひよりは早くNのところに」

トウヤくんが立ち止まり、私たちに背を向けボールを5つ全て宙に放つ。黒装束の男たちも、キリキザンの他に数体他のポケモンを繰り出していた。数では不利な状況だが、トウヤくんなら安心してこの場を任せることができる。

「スワンナ、追い風!」

トウヤくんの言葉を合図に動き出す。風が背中を押してくれる。
そのまま一気に駆け抜けて、とうとうここまでやってきた。肩で息をしながら立ち止まって前を見る。マクロさんから少し離れたところ、壁に寄りかかって俯いているNくんと彼の姿があった。

「Nくんから離れて!」
「──……ああ、キミが"ひよりちゃん"かあ。なるほどなるほど」
『……?何、言ってるの?』

Nくんに向かって手は伸ばしたまま動きを止めて目線を私に移した彼の言葉に、セイロンが私の前に立ちながらぽつりと呟いた。
……なんだか、キューたんの様子がおかしいような気がする。口調が僕でも俺様でもないし、私のことをちゃん付けで呼ぶなんて今までに一度たりともなかった。まるで別人のような気がするが、目に見えるものは全て彼。

「……腕を下ろして」
「うーん、それはできないな。だってマスターには従わなくっちゃだもん」
「キュウム、お前。……ゲーチスのポケモンだったのか?」

グレちゃんが問う。すると彼は一度目を見開いてから、一度口をゆっくり閉じた。それから。

「……違う、」
「や、やっぱり、」
「なんていうと思ったあ!?あははは!今の顔いいね、面白いね!」
「……っ、!」
「そうだよワタクシはゲーチス様のポケモンさ。ゲーチス様に従ってキミたちと接触したの。いやあでも、ひよりちゃんには感謝しているよ。まさか旅に同行させてくれるなんてさあ!おかげでこそこそ隠れないでも情報が集められたよ」

高らかに笑う彼を前に、唇を噛み締めてただそれを見ていた。
……本人が、そういうのなら、。真実は、きっと、そうなんだろう。

まだ感情が追い付いていない中、ただぼんやりと今を受け止めていた。私の判断は、どうやらだいぶ前から、間違ってしまっていたらしい。



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