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やっぱり野宿は避けられなかった。さらに今日は生憎の雨で、チャンピオンロードにある洞窟で夜を迎えていた。できれば火を焚いてもっと明るくしたいところだけど、煙の問題もあるから小さなランプで我慢だ。
ポケモンの姿のまま眠るセイロンを膝に抱えて暖をとりつつ、仄かに辺りを照らしてくれるランプを見ていたらだんだんとまぶたが重たくなってきた。

「ひより、眠たそうだねー」
「はは……ちょっと眠いかな」

渡されたマグカップを受け取ると、チョンは私の隣にぴったりくっついて座った。マグカップを覗けばコーンがふよふよ浮いていて湯気が顔に当たる。ベルちゃんから貰った、コーンスープだ。やけどしないように気をつけながら飲むと、じんわりと熱が身体に広がる。おいしい。

「寝なよーひより。眠いときに寝るのが一番だよー」
「ううん、私も起きてる」

洞窟内では野生ポケモンと出くわす可能性が高い。雨さえ降っていなければここよりは安全な外で野宿できたかもしれないけれど、こればかりは仕方が無い。みんなも気を張って辺りを見てくれているのに、私だけすやすや眠っていられるわけが、……。

「ねーむれー、ねーむれー」
「チョン……私、赤ちゃんじゃないんだけど」

空になったマグカップを不意に取られたと思ったら、ぎゅうと横からチョンが抱きついてきて左右にゆっくり揺れ始めた。いわゆる子守唄というやつを歌いながら、くすりと笑う。

「オレねー小さいころの記憶ってあんまりないんだけどー、この歌だけ覚えてるんだー。さらに母さんの声でだよー!?不思議すぎるよー」
「言われてみればたしかに……私も、歌は覚えているかも」

子守唄を聞いていた幼い時のことなんて今となっては全く思いだせないのに、歌だけは頭の片隅に小さく記憶が残っている。お母さんの優しい歌声と、それから腕に抱かれて心地よく揺れる感覚。それに妙な安心感。本当に不思議なものだ。

「今日はーオレがひよりのお母さんでーす」

せめてお父さんに、というのは心の中に留めて、歌を続けるチョンが可笑しくて思わず声が漏れる。
……ああ、でも、なんか……。

「お母さんはねー何があっても子供を守るんだー。だからね、安心して寝ていいんだよ」

ゆらゆら揺れて。暖かいふわふわに包まれる。安心する暖かい匂いと優しい音色に包まれて、まどろみながらもズブズブ意識が沈んでいく。
……だめだよ、……私も、起きていなくちゃ……。

「……おやすみ、ひより」

おやすみなさい。言ったのかすら覚えていないが、どうやら私はまんまとチョンの策に嵌ってしまっていたらしい。暗い洞窟の中、たしかにここには幸せがあった。





「おう、嬢ちゃん寝たんか」
「うんー」
「どれ、俺が運んでやっから」
「だめー!今オレがひよりのお母さんだから、オレがやるのー!」

口先を尖らせたチョンに睨まれた。それよりなんだって?お母さん?さっぱりわからん。
嬢ちゃんからゆっくり離れると、起こさないように横にする。見ていれば、セイロンも一緒にいたことに気が付く。しっかし、チビはいつも嬢ちゃんと一緒にいるよなぁ……ありゃ依存してる。しまくっている。嬢ちゃんも心配だが、セイロンも心配だ。

「よいしょっとー」

案外、チョンのやつも力がある。軽々嬢ちゃん持ち上げて運んでやがる。
寝かせて戻ってきてから、冷えたマグカップを拾って雨に濡らし。

「ねえあーさん、前にオレが、どうしてひよりに着いてきたか理由を聞いてきたよね」
「ああ。おめぇは人間についてもっと知りたかったからだったよな?」
「そうー、あとはひよりがポケモンと話せたからなんだけどー」

たしか嬢ちゃんと出会ったころのチョンは、擬人化できることを知らなかったと言っていた気がする。まあ、その前っからグレアとロロがいて、擬人化できるってことを知ったから人間に興味があったチョンも擬人化できるようになったんだろう。

「実はね。擬人化できるなら、ひより以外の人間でも良かったかなーって思ったことがあるんだ」
「へえ?またそりゃ意外なこと聞いたなぁ」

綺麗にしてから布を取り出してマグカップを拭きながら戻ってくると、にへっといつもの顔で笑ってみせる。

「……でもね、今はやっぱり、ひよりで良かったと思う」
「奇遇だなぁ、俺もそう思うぜぇ」
「なんでだろーねー」
「さぁな?」

適当な岩に座って、外で振り続けている雨を眺める。
理由はなんであれ、ここまで来たらあとは一緒に進むしかねえ。何があろうと、必ず嬢ちゃんの道を切り開く。それが俺たちの役目であり、また喜びでもある。

「ってぇことで、ここは俺に任せとけぇ」
「任せたー!」

向かうは洞窟の奥から姿を現したアイアント。
さぁて、嬢ちゃんを起こさないように一丁やってやるぜぇ。





「──……はっ!」
『……ひより……?』

思い切り起き上がると、隣で寝ていたセイロンも目を開ける。起こしてごめんね、そういうと首を小さく左右に振りながら目を擦っていた。
洞窟の先を見ればまだ薄暗い。そんなには寝てないはず、いや寧ろ寝てなければいいけど。と思いつつ時計を見れば、針は4の文字のところにいた。……あーこれは完全寝ちゃったわ。さらに妙な時間に起きたうえに、何故か目がぱっちりだ。とりあえず立ち上がると、セイロンに服の裾を掴まれる。

『……ひより、どこ行くの……?』
「セイロンは寝ててもいいよ」
『……ううん、俺も一緒に行く』

むくりと起き上がると猫のように背伸びをして擬人化すると、すぐさま私のところまでやってきて手を握る。

「静かにね」

こくりと無言で頷くセイロンとゆっくり歩いていけば、チョンとキューたんが壁に寄りかかって座りながら寝ていた。チョンの寝相の悪さは相変わらずのようで、キューたんの方に思い切り傾いている上に手足がぼんと放りなげ出されている。チョンの腕が乗っかってちょっと苦しそうなキューたん。……なんだか似たような光景を前にも見たことがある気がするぞ。

「……ひより、」

2人から遠く離れたところにあった毛布をかけていると、セイロンがちょんと服を掴んで指をさす。その先を見ればあーさんがお腹を出したまま寝ているではないか。また晩酌をしていたのか、すぐ横には瓶が転がっている。

「風邪ひかないでよ、あーさん……」

こっちにもそろりと毛布を掛けて辺りを見回してみたけれど、残りのグレちゃんとロロはここにはいないようだった。セイロンと手を繋いだまま、まずは先に続く道を覗いてみるけど、やっぱりいない。……となると、洞窟の入り口だろうか。

「……あ」
「グレにい」

チョンたちと同じく壁に寄りかかって、こっくりこっくり船を漕ぐグレちゃんがいた。傾くたびに目を薄っすら開けてまた閉じるの繰り返し。睡魔と必死に戦っているのが傍から見て分かる。

「グレちゃん」
「……あ、……ああ、ひよりか……って今何時だ!?なんでお前起きて、」
「目が覚めたの。今4時ぐらい。ごめん、ゆっくり寝ちゃってた」
「それでいいんだ。俺たちは移動中もボールで寝れるけどお前は無理だろう」

そんなこと言って、みんなボールの中でもいつも起きてるじゃん。いつでも出てこられるようにしてくれているんでしょう。私知ってるよ。

「グレにい、見張りしてたの?」
「ああ、ロロと一緒に、……ってアイツはどこ行ったんだ」
「あ、じゃあ私探してくるからグレちゃん寝てて。セイロン、代わりに見張りお願いしてもいい?」
「1人は駄目だ」
「大丈夫だって。近く探していなかったらすぐ戻ってくるから」

訝しげに私を見るグレちゃんにもう一度「大丈夫」と言えば、渋々承諾してくれた。それなのに、一向にそこから動こうとしないし、また眠気と戦い始める始末に思わず再び声をかける。

「グレちゃん」
「なんだ?」
「私、今寝てねって言ったよね」
「……いや、でも、」

一旦戻ってそのまま抱きついてみせると慌てたような声が横から聞こえてきた。構わずチョンと同じように歌を歌えば「俺はチビじゃねえぞ」、なんて私がチョンに言ったような言葉が返ってくるもんだから思わず笑いが零れる。

「私ね、チョンにこれやられて寝ちゃったの」
「それで今度は俺を眠らそうってことか」
「そう。だから今、私がグレちゃんのお母さん」
「……なんだそりゃ」

可笑しそうに笑うと、立ち上がって私の頭にぽんと手を置く。

「俺は寝るから、早くにゃんころも見つけて寝かせてやってくれ」
「うん」

セイロンに向かって"任せるぞ"と一言残して、奥にゆっくり歩いて行くグレちゃんの背中を見送る。それから。私も立ち上がって、ロロを探しに一歩踏み出す。洞窟の壁は、触れるとひやりとして冷たい。

「セイロンよろしくね」
「……気をつけてね。何かあったら俺を呼んで。すぐ行くから」
「ありがと、行ってきます」

セイロンの頭を撫でてから、まだ薄暗い早朝の空を見上げて。
一人、洞窟を後にした。


──見つけるのは簡単だった。
少し歩いた、小高い場所にロロはいた。
近くまで行ってみて、思わずびっくりして心臓が一度大きく音を鳴らす。ロロがその場にうずくまって、土を思い切り握りしめていたのだ。急いで駆け寄り隣にしゃがむと、ロロの身体がびくり飛び跳ねる。

「ろ、ロロ、どうしたの!?怪我!?」
「違う、……ぅあ……、」
「待ってて、今セイロンを……、!」
「だめだっ!」

立ち上がってすぐ、手首を掴まれて力強く引っ張られた。その手は土で汚れていて、それからうっすらと血も滲んでいる。不規則な息づかいのまま右目を押さえて私を見上げるその表情に、ふっと、嫌な可能性が頭を過る。

「ねえロロ、もしかして、」
「あはは、……まさか、ひよりちゃんに……見つかっちゃう、なんて、」

言葉の途中、崩れるように顔を伏せるとまた呻き声を漏らして地面に指を尖らせる。咄嗟にすぐさまロロの手をとって引き寄せ、思い切り抱きしめた。震える指先が背中に突き立てられてから、ぐっと折れ曲がって服をきつく握りしめる。

「大丈夫、大丈夫……、大丈夫だよ」
「う……っ、くぅ……っ」

私も背中に手を回して、優しくその背を擦った。後ろに引っ張られる感覚がする。ずっとロロが力強く服を握りしめているからだろう。硬い土を握りしめて血を出されるより、こちらのほうがよっぽどましだ。

「大丈夫、」

これは、本人が望まない改造で得た能力の代償だ。……後遺症、ともいえるものかもしれない。ロロが私を止めたのは、誰を呼んできたとしても、きっとこれはどうしようもないものだと本人が分かっているからだろう。ただ自分が痛みに耐えるしか他に方法がないからなんだろう。

「大丈夫」

何もできない私は、ただひたすらに同じ言葉を繰り返していた。苦しむ声を耳元で聞きながら、きつく強く抱きしめる。
それからどれほど経っただろうか。次第にロロの手が緩みはじめ、息もだいぶ落ち着きを取り戻してきたようだ。

「痛いの……治まった……?」
「……うん、……なんとか」

ふう、とひと息吐いてからゆっくり身体を離して、また深く息を吐く。
かなりキツかったのだろう、ロロの両目にはうっすら涙が浮かんでいて、頬に手を添えながら親指で拭うと「ありがと」なんて照れ笑いを見せる。それからはもう、一気に緊張が解けて私も溜めていた息を深く吐き出した。

「もう!一時は本当にどうなることかと……、なんで言ってくれなかったの!?」
「ごめん、最近痛みがなかったから、もう治ったのかと思って」
「すっごくびっくりしたんだからね!?」
「俺も、すっごくびっくりした」

だから思わずここまで飛び出してきちゃったよ。、そう言ってロロは立ち上がると遠くを見ながら目を細める。つられて見てみると、薄暗かった辺りはいつの間にか日が昇ってきて少し明るくなってきていた。

「……ねえロロ、これみんなにも、」
「言わないで。ほんと時々しかならないから大丈夫。……余計な心配、かけたくないんだ」

ロロは"思わず"ここまで来た、と言っていたけれど。きっとみんなに気づかれないよう、ここに来たに違いない。「戻ろっか」、差し伸べられた手を握って名前を呼ぶと、不思議そうに私を見る。

「ロロがそう言うのなら、みんなには言わない。……でも、またこうなったら私にだけは言ってほしいな。必ず一緒にいるから。あ、これ約束ね」
「あは。……俺とひよりちゃんの二つ目の約束だね。はい指きり」
「ゆーびきーりげんまん、」

今度の約束は嘘をついたらさらに大変なことになる。前はグレちゃんの雷と私の平手打ちで済んだけど、今度はチョン、セイロン、あーさん、キューたんもプラスされるのだ。自分で言っておいてあれだけど、想像したら怖いような面白いような。

「ゆびきった!」

離れた小指を眺めてからまた手を握り、朝日を背に二人でゆっくり歩き出す。
……さあ行こう。新しい1日のはじまりだ。



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