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夜の森をひたすら駆け抜ける。
私の肺やら足やらはすでに悲鳴をあげていた。どんどん重たくなる身体に、犬以上に荒い呼吸。こんなに走ったのいつ以来だろう。随分昔のような気が……。ああ、でもこんなに辛いなんて、痛いなんて、やっぱり私は生きている。死んでなんかいるものか。

『ど……て、』

隣を同じく苦しそうに走るグレちゃんがぽつりと呟く。風を切る音のせいなのか、それともグレちゃんの音量のせいなのか、言葉がよく聞こえない。

「何?」

息を荒げながら横顔を見るとグレちゃんが急に立ち止まってしまった。釣られて私もそこへ立ち止まり乱れに乱れた息を整える。
……喉が痛い。砂漠のようにカラカラに乾燥していて喉元が嫌にへばり付く。何度離してもまたすぐにくっついては水を求めているようだ。生憎ペットボトルは先ほど鞄を漁った際に落としてきてしまい持ち合わせがない。

「ねえ、早く逃げないと、」
『どうしてあの時逃げなかったんだよ!馬鹿かお前は!』

耳を押さえる間もなく投げつけられた怒声に思わず身体が飛び跳ねる。目をぱちぱちとさせてから何を言われたのかもう一度頭の中で繰り返した。"何故逃げなかったのか"。本来ならばこんなところで言い争っていないで早くもっと遠くへ逃げるべきだろうけど、どうやら目の前の彼は私の答えを聞くまでこの場から動かないようだ。

『どうして俺まで連れてきた!?一人で逃げていればいいものを、』
「グレちゃんおいて逃げるなんて、出来なかったから」
『何もできないくせに、お前も死ぬところだったんだぞ、分かってんのか!?』
「ちゃんと分かってる。でも、……それでも私は、助けたかったの」
『そこまでしてもらうようなこと、俺は何もしていないし望んでもいない!』

私にとってはそこまでするようなことをしてもらったと思っている。暗い森から私を光で導いてくれたことは、それと匹敵するぐらいのことだった。しかしグレちゃんはそれをなんでもなかったように考えているようだ。

「どうしても理由が必要?」
『ああ。どうしても、だ』

随分と意地っ張りな人……じゃなかった、ポケモンだ。私は無意識に頬を人差し指で引っ掻いたり、顎に手を添えたり。とにかく理由を考えた。グレちゃんを納得させるような理由。そして悩んだ末、カラカラの喉から声を出す。

「私はグレちゃんを助けたかった。だから逃げなかった。本当にそれだけなの。……これじゃ駄目かな?」

いくら考えても無駄だった。素直に言葉を並べると、よく切れる刃のように鋭かった瞳が急にまん丸くなって私を綺麗な青い瞳に映しだした。それから急に口元を緩めてクツクツと笑いだす。……な、なんだろう。私は何も変なことは言ったつもりこれっぽっちもない。張りつめていた緊張感が薄れるのと同時に、グレちゃんの身体も横へ傾く。

「ぐ、グレちゃん!?」
『訳分かんねえ……』
「え!?なにっ!?」

慌てて駆け寄ったものの、グレちゃんは消え入りそうな声で何かを言ってそのまま目を閉じてしまった。よく見れば巻いた包帯から赤い血が滲みでているうえに、また新たな傷も増やしているではないか。

「やだやだ……っ!い、息、息してるっ!?」

とりあえず鼻先に手を当てて確認してみる。だ……大丈夫だ。てっきりここで力尽きたのでは……と縁起でもないことに再び血の気が一気に引いていたけれど、とりあえず生きてはいる。それでも早くどうにかしないと最悪の事態になってしまうのは分かっていて、どうしようどうしよう、と漏れ出すひとり言と、無駄に動く自身の両手。残りの傷薬も吹きかけながら、ぐしゃぐしゃの汚い顔をあげて辺りを見回した。
……そして気付く。あれ、ここ、見たことあるところだ。

「──……もとの道だ!」

正確に戻ってこれたなんてまさしく奇跡。なんて運がいいんだろう!確かこの先にポケモンセンターがあるとグレちゃんは言っていた。
慌てて立ち上がり、倒れたグレちゃんの胴体に腕を回す。火事場の馬鹿力、とはよくいったものだ。本来では絶対に発揮できないだろう力で、なんとかグレちゃんを抱えて曲がった腰を今度は海老反りにして体重を後ろにかける。再び持ち上げた自身の足は、鉛のように重かった。





まるで舟に揺られているような感覚だ。この前見た夢ともちょっとだけ似ているようだけど少し違う。なんというか、あったかい。それに薬品の匂いがする。……薬品、?

「……」
「……」

目を開けてみれば、見知らぬ少年と目が合った。歳は私と同じくらいかちょっと下……あどけなさを残した顔つきで、黒い髪は癖っ毛なのか毛先がうざぎのようにぴょこんと跳ねている。相当なやんちゃさんなのか、頬にはガーゼが貼りついているし頭には真っ白の包帯が巻かれている。ぼんやりと外見観察も終えたところで、。

「え、ええと……?」

きっと全世界の女の子が一度は憧れるであろうお姫様抱っこ。だけど今はそれをされて喜ぶよりも不信感の方が断然上回っている。そもそもこの少年は誰なのか。あとは体重のこととか、体重のこととか。服で必死に隠しているデブがバレる……!

「こ、これはお前が、その、座ったまま寝てたから、だから運ぼうと思って、」

身体を強張らせたまま、のろのろと顔を上げると彼との顔の距離が思った以上に近くて、すぐに顔を横へ逸らすも自然と体温が上がってしまった。彼も同じなのか、耳まで真っ赤にさせるとすぐに私を床へと降ろす。
確かに彼の言うとおり、昨晩ベッドの横にある椅子に座ったあとの記憶がない。どうやら私は座ったままの状態で器用に眠っていたらしい。きっと森の中で迷子になったり全力疾走したりと、普段しないようなことをして余程疲れていたんだろう。

「ところであなたは、どちら様ですか……?」
「……俺は、」

彼が口を開くと同時にノック音が部屋に鳴る。それと共にジョーイさんとタブンネさんがカラカラと銀色の荷物台を押しながら部屋に入ってきた。なかなか見ることのできないピンク色の髪やら姿は、この清潔感溢れる白い部屋にはとても映える。
二人には昨晩大変お世話になった。深夜に突然飛び込んできたにも関わらず手厚く治療をしてくれた。それがお仕事だと分かっているけど感謝せずにはいられない。

「おはようございます。シママの様子を見に来ました」
「ハッ……!そうだよグレちゃん!」

慌てて後ろを振り返ってみると、さっきまでそこに居た彼はいなかった。代わりに包帯やらガーゼやらを身体中に纏っているグレちゃんがちょこんと行儀よく座っている。……あ、あれれ。おかしいな。

「もう起きれるようですし大丈夫そうですね。でも念のため、少し診察させて下さい」
「……ああ、はい……お願いします」

邪魔にならないように一旦部屋から一人出た。近くにあった椅子に腰かけ、某有名な銅像のように腕を支えにして顎を乗せる。
──そういえば私が起きたとき、グレちゃんはベッドの上にはいなかった。そして入れ違うようにして現れた少年。思い返せばどことなく見た目や雰囲気も似ているような気もするけど……いやいや、まさかそんな、有り得ない。よ、ねえ?


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