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──草を掻き分けながら、ずんずん進んでゆくあーさんの背中を追う。
もはや道ではないところを歩いている私たち。ネジ山に続く山登りで、方向感覚もなくなるぐらい周りは緑で覆われていた。人も滅多に来ないということが、この伸びきっている草のおかげで一目で分かる。

「嬢ちゃん、大丈夫かぃ?」
「うん」

ときどき心配して振り向いてくれるあーさんと一言二言交わしながら緑の中を歩き続け、……たどり着いたのは、大きな湖だった。まるで人工的なもののように綺麗な円を描いている湖の周りには色とりどりの花が咲き誇り、湖を囲むように佇んでいる木々の隙間から木漏れ日が降り注いでいる。

「綺麗なところ……」
「だろぉ。譲ちゃん、ちょっと待っててくれ」

どこに行くんだろう?なんて思いながら頷くと、あーさんがポケモンの姿に戻って湖に飛び込んだ。透明度がかなり高いのか、最初のうちはあーさんの姿も見えていたけれどそれも見えなくなってしまうぐらい深く潜っていってしまったようだ。一見深そうには見えないけれど、とても深い湖らしい。

少し待ってみたものの戻ってくる気配がなく、とりあえずみんなをボールから出して待っていることにする。ボールをベルトから全て外してから芝生の上に置くと、蓋が自ら開いてゆく中。

「……あれ?」
『キューたんは出てこないのー?』

ボールから出てきたチョンがキューたんのボールを口ばしでコンコン突っつくと、小さな悲鳴と一緒にボールが大きく揺れた。

「キューたんは外に出ないの?」
『こ、ここ……その、沢山ポケモンがいるので、少し怖くて……』
「ポケモン?」

私が見る限り、何もいない。しかしまあ、無理やり出すこともないからボールをベルトに戻すと、がたがた揺れていたキューたんのボールが静かになった。





「なっ……なに?!」

あれから時間がすぎて、ぼんやり湖を眺めていたら急に水面が波打ちはじめた。
近くで見ていたものの、一応距離を置いて様子を見る。一緒に座っていたセイロンが私の手をぎゅっと握り「大丈夫」と水面を見ながら言う。他のみんなからも慌てた様子は伺えない。ということは危なくはないんだろう。それでもぶくぶくと水面に増える水泡にどきどきしてしまう。

『待たせたな!』
「あーさん!一体これは……?」
『まあ、見てな』

──……瞬間。湖から、水ポケモンが飛び跳ねた。水飛沫と一緒に宙を舞う。時間差で薄っすらできた虹が湖の端と端を繋げる。するとどうだろう。近くの草むらから、ドレディアやミネズミたちがひょっこり顔を出す姿がちらほら見えてきたのだ。つい先ほどまで気配なんて一つも感じられなかったのに、もう周りには両手では数えきれないほどのポケモンが姿を見せていた。……キューたんの言っていたとおりだ。

『歓迎します、ひよりさん』
「あ、ありがとうございます」
『本当にポケモンと話せるんですね……』

あーさんの隣から青いバスラオさんが顔を出して、私に話しかけてくるなり目をぱちくりさせた。その横であーさんが「てめぇ信じてなかったのかぃ!?」なんて青いバスラオさんに水をかける。……ということは、あーさんが彼に私のことを話したのか。

『シキは夜にここへ戻ってきます。それまでどうぞごゆっくりしていってください。ここには沢山の木の実があるので、お好きに召し上がってください』
『えっ本当ー!?いただきまーす!行こうセイロンー』
『……あっ、待って、チョンにい……!』

青いバスラオさんの言葉に、真っ先に身を乗り出したチョンは半ば無理やりセイロンを背中に乗せるとそのまま飛んで行ってしまった。チョン一人だとまた迷ってしばらく帰って来れなさそうだけど……セイロンもいるから大丈夫かな?

「ねえあーさん、シキさんって、」
『ああ、俺の言ってたヤツだ。これからまたしばらく待つことになるけど勘弁してくれなぁ。夜にしか来ねえっていうもんだから夜に来ればすぐ会えたんだが、嬢ちゃんを暗ぇ中、山登りさせんのはどうかと思ってな』

よっ!と湖から出るとすぐにあーさんは擬人化して、私の頭の上でぽんぽんと手を跳ねさせた。それからそのまま通り過ぎると草むらまで歩いて行き、あーさんがしゃがんだ途端。隠れていたポケモンたちがわらわらと集まってきたのだ。思わずびっくりしながら見ていると、声をかけられる。

『アカメの旦那がお世話になっているみたいですね』

青いバスラオさんが、私を見たあとにあーさんに視線を移した。私もまた視線を向けてみると、あーさんがミネズミの頭をいつも私にやっているように乱暴にわしゃわしゃと撫でていた。その横ではドレディアがくすくす笑っている。とても和やかな光景だ。

「あーさんはここに住んでいたんですか?」
『少しの間だけ。……最初は人間が来たと思って警戒してたのですが、湖に飛び込んだら私たちと同じポケモンの姿に変わったのです。それはもう、すごく驚いたものでした』

バスラオさんの後ろでオタマロやプルリルが頷く姿が見えた。道理でみんな、あーさんが擬人化しても驚かないわけだ。

『ここにいる他のポケモンはあのようなことはできませんでした。でも、旦那のあの姿に憧れてできるようになった者もいます』

前にロロが言っていた。擬人化するには、人間に対して強い気持ちを持つことでできるようになると。擬人化したポケモンの姿に憧れる……なるほど、そうやってできるようになる方法もあるのか。素直に関心しながら頷いていると、あーさんが戻ってきて膝を抱えながら座っていた私の隣に座る。

「おいおい、余計なことは言ってねぇだろうな?」
『何も言ってないですよ?ね、ひよりさん』

そう言いながら、手を伸ばしたあーさんの顔面にみずでっぽうを食らわすと、バスラオさんは一回水中に潜って距離を置く。するとあーさんも湖に飛び込んで、バスラオさんの跡を追いかけ始めた。
彼があーさんに対して一目を置いているように思えていたが、確かに旦那と呼んでいるぐらいだし尊敬している面もあるんだろうけれど、どうやら堅苦しい関係では無さそうだ。

水中を楽し気に泳ぎ回っている姿を眺めているとグレちゃんが後ろからやってきて、私と同じように水中を見ながら小さな笑みをこぼした。

『楽しそうだな、アカメのおっさん』
「ね。こんなにはしゃいでる姿初めて見た」
『うーん……俺は昼寝でもしようかなー』
『夜までまだ時間はあるしな、いいんじゃないか』

グレちゃんの言葉に尻尾で返事をしながら、私の服の裾を銜えて後ろに引っ張った。されるがままに、湖から少し離れた芝生の上まで引かれたと思えば、ロロが何も言わずに私を見上げている。私も何も言わずに座ると、ぴったりくっついて体を丸めた。
……どうやら合っていたらしい。頭を撫でると、尻尾がゆらりと揺れる。横を見ると、グレちゃんも足を折りたたんで目を閉じていた。風がそよそよと心地よく吹き、日差しも丁度良く気持ちがいい。久しぶりののんびり具合、なんだか私も眠くなってきた。

「キューたんはまだボールから出ないの?こんなに気持ちいいのに」
『たくさんに囲まれると……こ、怖くて』
「大丈夫なんだけどなあ。あ、出たくなったら勝手に出ていいからね」
『は、はい』

ボールがかたりと揺れる。……だめだ、眠い。私も寝よう。とりあえず腰につけていたキューたんのボールを外して草の上に置いてから、すでに寝ているロロとグレちゃんを起こさないよう、ゆっくり草の上に横になってみた。想像以上に草がふわふわとしていて気持ちよく、さらに眠りを誘う。

「……平和だなあ」

猫と一緒に横になると、どうしてこんなにも眠くなるのだろう。柔らかい毛並みに顔を埋めて目を閉じる。そうすれば、あっという間に眠っていた。





『嬢ちゃんたちは寝ちまったか。まあ、今のうちに眠っておけば大丈夫かぁ』
『ええ。その、旦那に聞きたいことがあって』
『おう、なんでぇ?』
『確かにひよりさんはいい人間のようですけど……アカメの旦那は、どうしてひよりさんを選んだんですか?』

二匹のバスラオが湖から顔を出して、レパルダスとゼブライカ、それから二匹と一緒に眠っている彼女に視線を向ける。「旦那のことだ、捕まったわけじゃありませんよね」、青いバスラオ──アオが笑みを含みながら言った。「そんなヘマはしねぇよ!」すかさず赤いバスラオ──アカメが噛みつくように言い返す。が、その実、彼は数回人間に捕まりかけたことがあった。本人曰く、これは誰にも言えないぐらい恥ずかしいことらしい。

『そうだなぁ。俺が思うに……憧れたからだろうなあ』
『憧れ、ですか?』

俺にもはっきりは分からねぇけど、きっと憧れだ。自分に言い聞かせるようにも聞こえる。
しかしあのとき、砂漠で彼女たちが戦っているのを間近で見て、人間とポケモンという全く違う生き物同士が協力して戦う。守ったり守られたりしながら勝てるか分からない相手と戦う。そんな姿に憧れたのは確かだった。まぁ、滅多にあのような多勢に無勢な場面に出くわすことが無いから惹かれたということもあるかも知れないが。
例えそうだったとしても、彼はそれも運命的な何かだと思っている。

『ま、理由がなんだったにしろ俺ぁ嬢ちゃんについて来たことに後悔はしてねぇぞ』
『そんなの言われなくとも分かります。……良かったですね、旦那』
『──……ああ』

過去。
彼は、ポケモンを捕まえられる人間は強いと思って、自身もなってみたいと強く思っていた。そしてなってみたとき、とても驚いたという。強いと思っていた人間の身体は、ひどく脆かったのだから。その一方、いい部分も知った。色んなことを感じることができることだ。花の匂いや美味い食べ物の味、それから、地面の感触。
楽しさをこの楽園にいるポケモンたちに教えたのは彼である。

『夜まではまだ時間があります。旦那、また久しぶりにみんなに色んな事話してやってくださいよ』
『話すことが沢山ありすぎて夜までに終わるか分かんねぇぞ?』
『構いませんよ、私も聞きたいですし』

今もそれは変わっていないらしい。楽しみにしていますよ。笑うアオを横目で見るが、ニヤけ顔は隠せない。
過去。
彼は、ただひたすらに強くなりたくて故郷を離れ、色々なところでがむしゃらに戦っていた。しかし途中から変わった。戦うことに楽しさを見出したのだ。勝ったときはもちろん嬉しく、負けたときは悔しい気持ちと一緒に次どうすればいいか考えると心が熱くなったという。

『あ、でもあの話はやめてくださいね?』
『ん?どの話だぁ?』
『ここに来た時のあれですよ』
『なんでぇ、いいじゃねぇか』
『何回も聞きましたし、あれはみんな見てましたから!私ももう飽き飽きですよ』

アオのうんざりする顔を見ながら、あの時のことを思い出す。
過去。
この楽園へ来たときのこと。メブキジカを追って森を探し回っていたプラズマ団が楽園を見つけたとき、彼が戦い追い払ったことがあった。彼がここに住み着いたのは、そのときからだ。まあ、結局のところ、また彼は強い相手を求めて一人旅立ったのだが。

『分かった分かった、別の話すっからよぉ』
『では、みんなを呼んできますね』

そして現在。
今は、彼女の元で落ち着いていた。不思議すぎるほど居心地がいい。まるで最初からそこに自分の場所が用意されていたかのような、居心地の良さだった。合わせて最高の環境である。戦う相手が常にいれば、今のままでは絶対に敵わないぐらい強い相手とも戦える。
それから、これは最近思うこと。
嬢ちゃんと一緒に強くなれる。人間に使われるなんてありえねぇ!なんて思っていた昔の俺からじゃあ、考えらんねぇな。一人思い、苦笑いを浮かべる。

『アカメの旦那ー!こっちに来てくださいよー!』
『おう』

水中からアオの声が聞こえた。ぼんやりではあるが、他のポケモンの姿も見える。
過去と今。全部話してくるかぁ!と意気込みながらメブキジカ──シキのことを思い出していた。アイツのことだ、あの時からずっとプラズマ団を追っかけてるんだろう。

『旦那ーまだですかー?』
『今行くぜぇ』

シキに会うのは楽しみだが、それ以上に白いポケモンのことが気になる。……それから。
ちらり、芝生の上に置かれた一つのボールを見てから、水中に潜った。水がはねる音がした。



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