5



グレちゃんと視線を合わせ、態勢を低く構えていた時。ベルトに付けていた二つのボールが勝手に開いて飛び出してきた。間もなく、彼に向かって一直線に走り出す。速すぎて最早止めることはできない。

「っあーさん!セイロン!」
「……馬鹿!」

二人は二手に分かれた。挟み撃ちにするつもりだろう。それでもなお彼は武器に手を添えたまま動かない。距離はすぐに無くなり、拳と足が振り上げられた。──……瞬間。

「俺様に楯突くと、」
「っ、離れろ!」

一瞬だった。
グレちゃんの声と同時に、あーさんとセイロンが両端に思い切り吹っ飛んだ。宙に血が飛び散るのが見えて、血の気が一気に引いていく。ドオン!と二か所で鈍い音と一緒に粉々になった岩が崩れる音がした。……私が声を出す暇もなく、二人同時にやられた。今まで一緒に戦ってきて、二人の強さはそれなりに分かっているつもりだ。だからこそ、余計に今この瞬間の出来事が信じられない。

「殺すぜ」

いつの間に出したのか、彼の両手には鋭いナイフが握られていた。滴り落ちる血を払うように宙を切ると、起き上がろうとしているあーさんのところまで歩いて行き、思い切り蹴飛ばし倒す。……ぼんやり見ている場合じゃない。早く二人をボールに戻さないと本当に危険だ。
寒さと恐怖で震える手でボールを掴んだその瞬間、風を切る音がした。直後、キーンと音が鳴り、ボールが手元から弾け飛ぶ。

「──……え……?」
「邪魔すんなよ、小娘。お楽しみはこれからだ」

地面に転がるボールを唖然としながら見ていると、楽し気に笑みを浮かべる彼と目があった。次いで、私の身を案じて駆け寄るグレちゃんに何とか頷きを繰り返す。距離はかなりあった上、私の前にはグレちゃんがいた。なのに的確にボールにだけナイフを当ててくる命中率。
今隣にグレちゃんが居なかったらどうなっていたことか。真っ白になりかける頭をなんとか働かせ、いつの間にか握りしめていたグレちゃんの服の裾から手を離す。

「グレちゃん、今すぐあーさんのところに行って。お願い」
「そしたらひよりが、」
「大丈夫。ロロとチョンがいるから」
「……分かった」

悪い、と何故か謝ってからあーさんの元へ走っていく背を見送る。その間、私がボールから出す前にロロとチョンが出てきてくれて、一緒に飛ばされたボールを拾ってからセイロンの元へと走り出す。
こうしている間も状況は刻一刻と編かする。うつ伏せのまま地面に倒れているあーさんの背中を足で踏みつけながら片腕を掴んでいる彼が見え、思わず足が止まってしまった。ナイフが振りかざされる瞬間、ばちりと電気が空気を走りそれを弾く。

「そこを退け!」
「断る」

手元、突如現れたまた別のナイフが音もなく投げられ、グレちゃんの頬を裂く。それからおもむろにあーさんから離れたと思うとグレちゃんに向かって刃を連続で振り下ろし始めた。距離が離れていても聞こえてくる宙を切る音。いつ斬られてもおかしくない状況に、冷え切った空気を思い切り吸い込んでからロロとチョンに目配せをする。一度時間を置き、走り出す二人に私も背を向け再び走り出す。
今はなんとか避けてられているものの、それは多分彼が本気を出していないからだろう。楽しそうに笑いながらナイフを振り下ろしている彼は、遊んでいるようにしか見えない。

「……離せ」
「それはできないな」

崩れた岩に半分埋まっていたセイロンを抱えてボールに戻したとき、背後からロロが彼の腕を掴んでいるのが見えた。それによって動きが止まった彼の反対側の腕をチョンが掴む。
その間に私も一目散に戻り、息のあがったままグレちゃんに駆け寄って腕を引っ張り、彼から距離を置いてから頬の手当てに入る。人間の姿での怪我に見慣れていないぶん思わず手当にすらひるんでしまったものの、何とか手を動かす。が、ガーゼで傷口を抑えても血が滲む。傷が深くて血が止まらないのか、それとも別の何かなのか。……だめだだめだ、こういう時こそ私が強気で冷静でいなければ。

「もう一回だけ言ってやる。……離せ」
「離さない。これ以上、仲間を傷つけるのは許さない」

その声に、思わず顔を上げてチョンを見た。今までに聞いたことのない低いトーンからは怒りすら伺える。それからロロの険しい顔を見て、……彼の、笑みを見た。足にぐっと力を入れてすぐさま立ち上がり、伸ばされた手は見て見ぬフリをして。

「……てめえらも死にてえみたいだな」
「ぐっ!?」

突如バランスを崩した二人の懐に入ったと思えば、ほぼ同時にうずくまる姿。何が起こっているのか私には最早理解不能だ。思考は止まり始めてきているが、身体だけは動いていた。掻い潜り、ただ立って、目の前にある刃先を睨む。

「退け、小娘」
「……嫌、です」
「ひより……っ!」
「ひよりちゃん!」

下がって。下がれ。言葉が耳をすり抜けてゆく。

「女だから俺様が躊躇するとでも思ったか?」
「っ、」

チリ、と頬に痛みが走った。体内から出てくる血は生暖かいのに身体は寒くて震えが止まらない。頬を伝って顎からいやな感触がする。寒い、痛い、怖い。拳を握って唇を噛む。滲む視界に目を細めた。
彼の表情が変わる。いかにもつまらなそうな顔から、歪み、……手元から、ナイフが落ちた。それから小さくうめき声を漏らすと片手で顔を覆って頭を振る。

「……っうるさい黙れ!テメエは引っ込んでろ!」
「俺様が小娘をどうしようが勝手だって言っただろっ?!なんでいつも邪魔しやがる……っ!」

強い苛立ちを見せながら頭を抱えて一歩二歩と後ろに下がる。突然のことにグレちゃんたちは唖然としながら見ている中、一人小さく息を吐いた。
「くそっ!」、天に向かって吠えた彼が膝から落ちてそのまま地面に伏せた。うずくまり、動かなくなったと思えばすすり泣きが聞こえてくる。……どうにか助かったようだ。彼に向かって手を伸ばすと、ロロに掴まれ後ろへと引かれた。一歩、遠のく。

「駄目だよ、ひよりちゃん」
「これもアイツの罠かも知れない」
「……ううん。きっと、大丈夫」
「でも……!」

ごめん、あとでちゃんと話すから。今は行かせて。
私の手を掴んでいたロロの手を一度力強く握ってから離し、真っ直ぐに見つめる。目が合い、揺らぎ、……下に落ちた。絡んでいた指がゆっくり解けてゆくのを見て、「ありがとう」と小さく呟いた。

大丈夫。自分に言い聞かせながらゆっくりと歩みより、うずくまったままの彼の手前で膝をつく。地肌がむき出しの足元は痛いぐらい冷たく感じる。

「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

掠れた声でずっと謝り続けている彼の頭にそっと手を添える。瞬間、身体を思いっきり跳ねあがらせて勢いよく顔も上がった。涙でぐしゃぐしゃの顔には、石ころが当たっていたであろう痕も残っていて、思わず小さく笑うとやっと目線が合った。薄黄色の片目がまん丸に見開いている。

「こんにちは」
「……こん、にちは、」
「また貴方に会えて、嬉しいです」
「──……」

手を差し伸べるとピクリと指先が動いたものの、そのまま止まって首を左右に振る。仕方なく手は戻して彼が座り直すのを静かに見ていた。
こっちの彼は人見知りなのだろうか。ずっと目が泳いでいて、なかなか目線が合わない。そのうえ少し離れた先にいるであろうグレちゃんたちの様子を終始窺い続けては、ぶるりと身体を震わせていた。
そう、きっとこの彼は。

「貴方は、二つの人格を持っている……?」

……時間をかけて、ゆっくりと深く頷いた。
そのまま顔は上がらず、また口も開かない。変わりに地面には大粒の涙が落ちていて、どうしてまた泣いているのかも分からなければどうすればいいのかも分からない。このまま放っておけ、なんて言葉がいくつも投げられたものの全て突っぱねる。

「あー、ほ、ほら!もう泣かないでください!」
「……え、えぐっ」
「だ、大丈夫です!二重人格だって、いいじゃないですか!ね!?」
「う、えええ……っ!」

自分よりも大きな男の人をあやす私の図。一体なんだこれは。
やっとグレちゃんたちも警戒を緩めたようで、各々の音が聞こえてきた。そうして私の後ろ、グレちゃんがやってきて私と彼を交互に見てからため息を吐く。白い息が、浮かんでは消えた。

「もう気は済んだだろ。まずはお前の手当が先だ。ソイツは一旦置いておけ」
「……あ、ああ、うん」

言われてから指先で熱く熱を持っている頬に触れてから見ると、血が付いていた。もしや自分が想像しているよりも傷は深いのでは。思わず背筋がぞくりとさせてから慌ててグレちゃんを見上げると、私の横で屈んでじっと見られる。落ち着きなく横目でグレちゃんを見ていると、手が伸びてきて指で軽く顎を傾けられた。

「ど、どう!?どんな感じ!?」
「……これは……!マズイぞひより、大変なことになっている!」
「えっ、う、うそ!?うえええっ……!?」

最早泣き言の叫び。想像の自分の傷口に涙目になりながら横を向くと、面白そうに笑みを浮かべている横顔が見えた。あ、これは嘘だな。頭で理解したとき、ぬっと目の前に別の手が現れた。

「おい、お前!」

噛みつくようなグレちゃんの言葉が向けられた先は、先ほどまで泣き続けていた彼であり、また今私に触れているのも彼であった。私の頬に添えられた手は一瞬で離れ、私と彼の間に素早く入ったグレちゃんによって見えなくなる。

「今ひよりに何をした!」
「ひいっ、!」
「待ってグレちゃん!」

背中越しに電気がばちばちと走っているのを見て慌てて腕にしがみつくと、驚いた様子の顔が向けられる。グレちゃんを見たまま頬の傷口に触れて見せると、驚きがさらなる驚きに変わった。……すでに熱は消え去っている。

「血が、止まっている……?」
「それに若干治っているような気もするんだけど……?」
「いやそれは気のせいだな」
「……お、応急処置です。冷やして、血管を収縮させました……」
「すごい!ありがとうございますっ!」
「!?い、いえ……」

一体どういう仕組みなのか。さっぱり分からないまま、頭を深々と下げていた。なぜか彼も頭を下げている。
それから顔を上げた彼が、今度はグレちゃんを見てから私にそっと視線を変える。見ていたのはガーゼが貼ってるところか。私もグレちゃんを見て、……驚いた。ガーゼが真っ赤に染まっていたのだ。飛び上がってわたわたしながらどうにもできずにグレちゃんの手を握ると、フイと視線が逸らされた。い、いやいや!今照れてる場合じゃないからね!?

「ググググレちゃんこそ手当しないといけないのではっ!?!?」
「そ、そうです。あのナイフには血液が固まる作用を阻止するものが塗られていて、」
「何それこわいっ!」
「ですから!……そ、その、」
「はい!グレちゃんもお願いします!」

グレちゃんの背中を押して彼の前に出すと、彼の肩が一度飛び上がった。理由は、グレちゃんが思いっきり睨んでいたからだ。無言の圧力とでも言えばいいのか。涙目で私を見る彼に向かって「グレちゃんは優しくて格好良くていい人です!」と目を瞑りながら両手を合わせて強く祈ると、衣服が擦れる音がした。次いでべりべりとテープが剥がされる音がして目を開ける。

「……止まってる」
「わーっ!良かったあ……っ!あっ、あとセイロンとあーさんも……!」
「は、はい!」

不満げに自分の頬に触れてから彼を見ているグレちゃんの横でセイロンをボールから出して処置をしてもらい、続いてあーさんのところにも一緒に行って止血してもらう。

「コイツはポケモンだな。今ははっきり分かる」
「は、はい、そうです……」

後から少し遅れてやってきたグレちゃんに頷く彼。次いで、グレちゃんと並ぶロロと腹部を擦っているチョンが頷く。

「ねえ君、本当に何者なの?」

服を捲らせてチョンのお腹にも傷薬を吹きかける。痣にも効くかどうかは分からないけれど。

「あ、ぼ、僕は……キュレムと呼ばれているポケモンです」
「キュレム……?」

ロロの質問の答えに傷薬をバッグに仕舞いながら首を傾げた。キュレムなんていうポケモン、名前すら聞いたことがない。ということはゲームの後半に出てくるポケモンなんだろう。一体どんな姿なのか。期待の眼差しを送るとうまく伝わってくれたらしく、ボン!と煙が辺りを包み込んだ。
影が大きくなっていく。どんどんどんどん……どんどんどん、どんっ……!?

「でっ……でかーっ!!」
『ご、ごめんなさい!』

洞窟にも収まりきれない大きさで、慌てて彼がまた人間の姿に戻ると洞窟の上から小石がパラパラと振ってきた。もしや危うく崩れるところだったのでは。それにしても先ほどのでも身体をすごく縮めていた様子だったし、普通にしていたならばどれだけ大きいんだって話だ。もしかするとマクロさんより大きいかも知れない。伝説級の大きさのポケモンとは一体。こんなのが野生で何体も出てきたら怖すぎてレベル上げどころじゃなくなりそうだ。

「え、えと。僕の名前は、キュウムと言います」
「キュウム、さん?」

私の言葉に頷いて、視線を下げる。直後、彼が勢いよく私の目の前で地面に座り込んだと思うと、華麗な土下座を繰り出してきた。驚いて凝視していると、綺麗な形を取ったまま私に向かってこう言った。

「お、お願いします!僕を、ひよりさんの仲間に、!入れてください……っ!」
「は、……は?っはいーっ!?」

洞窟内に、私の声がこだました。


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