2



「ただいまー」
「お帰りなさーい!」

部屋に戻るとチョンが笑顔でお出迎えをしてくれる。両腕を広げて私のところに駆け寄ってきてからぎゅうっと抱きしめられる。これはチョンがハトーボーのときからのお出迎えの仕方ではあるものの……進化してから私より大きくなったチョンにこれをやられると一瞬ドキリとしてしまう。これも慣れれば平気になるんだろうけれど。

「……チョンにいズルイ」
「セイロンもカモーン!」
「……」

ぎゅう。腰のあたりに手が回る。後ろにセイロン、前にチョン……はは、サンドイッチ状態だ。嬉しいことには嬉しいんだけど……とりあえず、先に荷物を置かせてほしい。

「おい、ひより」
「んー?」

しばらくしてから二人に離してもらって、テーブルに荷物を置くなりグレちゃんが近づいてきた。荷物から視線を上げた途端、手首を掴まれて袖を捲くられる。思わずぎょっとしてしまったのは言うまでもない。

「……この跡どうした」
「あ、あれだよ!バッグの跡!重たいもの入れたまま手首にぶら下げて持って帰ってきたからさ、それで付いちゃったんだよ!大丈夫、すぐ消えるから!」

ひえええ……!恐るべし観察力!というか、いくらなんでも気付くのが早すぎなのでは!?まさか早速、もしもの際に考えていた言い訳を使うことになるなんて思ってもみなかった。これでもものすごく気をつけていたんだけど、いつ見られてしまったんだろう。……あれか、荷物を置くときに手をほんの少しだけ伸ばしたとき……?

「──……本当か?」
「うん」

縦に深く頷いて見せると、グレちゃんの視線が斜め下へと移った。よしよし、このまま別の話題を振って上手くはぐらかせば完璧だ。見られたのが片手だけで本当によかった。もしも両手首とも見つかっていたら──……、

「嘘は駄目だよ、ひよりちゃん」

後ろにいたヤツの気配が、全くなかった。私がせっかく後ろに隠していたもう片方の手を掴んで、同じように袖を捲くるロロ。……ああ、早速フラグを回収してしまった。恐ろしい。そして終わった。片方だけならバックの跡だと言い張れたものの、これはもう言い訳ができない。……最悪だ。

「明らかにバッグの跡じゃないよね。──……誰にやられたの?」

にこにこしているくせに、目が全く笑ってない。意地でも黙っていようと思ったものの、いつの間にか全員集まってきてて逃げ場が一切見当たらない。無音の中に突き刺さる視線。……私の負けです。

「え、ええと……見知らぬ男の人に掴まれて……」
「ああ!?嬢ちゃん、そいつぁいつのことだ!?」
「……二人と別れて、少し経った後ぐらいかな……」
「……な、なんてぇこった……全然気が付かなかったぜぇ……」

「すまねぇ!」と勢いよく頭を下げるあーさんと、私の服の裾を握りしめて俯くセイロン。気付かないのも無理はない。なんせ必死に隠していたんだもの。それを目ざとく見つけた二人がおかしいのだ。
あーさんを覗き込んで頭を無理やり上げさせてから、セイロンを抱きしめる。ああもう!こういうのを見たくなかったから隠しておきたかったのに……!

「ほんっとうに気にしないで!?私があんなところまで行っちゃったのが悪いんだし……ねっ!?」
「ひより、それってどこー?」
「?二階にあがって、少し先の曲がり角だよ。傷薬系が並んでるところ。そこの奥に、」
「待ってー、それっておかしいよー。だってあそこに曲がり角なんてないもんー」
「えっ……!?」

チョンが首を傾げる。私よりもチョンの方が店内に関して詳しいとは思うけれど、確かにあそこには曲がり角があった。男の人の手の冷たさとか最初に聞いた低くて怖い声だって、幻なんかじゃない。チョンの思い違いなんじゃない?、そうかなー。、はいこれでこの話は終わり。……にしたかったのだが。

「……俺、見てくる」
「俺も行くぜぇ!もしかしたらまだそいつが居るかもしんねぇしな!」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って二人とも!」

私の言葉は聞こえないふり。ドアを乱暴に開けて駆け出していく二人の背を見て、慌てて立ち上がる。もしもまだあの場に彼が居て、それを二人が見つけてしまったら。……確実にお店の中でバトルがはじまってしまいそうな気がする。急いで追いかけなければ。

『ひより、乗れ!』
「うん……っ!」

グレちゃんたちも素早くポケモンの姿に戻ってすぐにでも追いかけられる体制をとる。私も急いでグレちゃんに飛び乗ってから振り落とされないようにしがみついた。泊まる部屋が一階で本当に良かった。開け放った大窓から外へ飛び出し、風を切る。どうか大事になりませんように!





「二人とも止まって!ストップ!!」

なんとかお店に着く直前に二人の背を捕らえることができた。ロロに首根っこを銜えられてぶら下がっているセイロンは無理やり連れてこられ、またチョンに足止めを食らっていたあーさんは言葉通りしぶしぶ戻ってくる。

『……ここまで来たんだ。行かせてよ……っ!』
「セイロン、」

力強く拳を握るのを見る。ここから一歩も動く気配のないセイロンに、ひとつため息を吐いてから前に屈んで頭を撫でる。俯いていたセイロンが顔をあげ、視線が合った。……仕方ない、今度はみんなも居るしもう一度行ってみよう。

「もし見つけても戦わないって約束してね」
「……わかった」

少し遅れて不満そうな返事が返ってきた。「あーさんもね?」、顔を見るとこちらも顔をしかめて頷く。お店に入る前に追いつけて本当に良かった……!
立ち上がり、気を取り直して店内へと入る。中は変わらず平穏だ。陽気に流れている音楽を聞きながら真っ直ぐ先ほどの場所目指して二階にあがった。それから歩き、歩き……、

「……あれっ無くなってる!?」
「ひよりー、本当にここなのー?」
「間違いないよ!えっ、な、なんで……!?」

なんと、さっき私が歩いた道が無くなっていた。それに曲がり角というよりも、ただのくぼみに近い。いやでも確かに私はここを曲がって凍えながら歩いて行ったのに……こ、今度は別の意味で凍えそうだ。不気味すぎる。幽霊怖い。

「本当にここに道があったの。最初はここから煙が出ているように見えて確認しに行ったんだけど煙じゃなくて冷気で……」
「冷気……?」

グレちゃんが辺りの壁を確かめながら触って、怪しく緑色に光っている非常口のマークを睨む。……そういえば、結局冷気がどこから来ていて、またどうして突然消えたのか分からないままだ。今思うと、最初に話した彼は私のことを少し知っているような口ぶりだったような気がする。それに名前も結局教えてしまったし……。

「──……、」

ひっそり腕を抱えていると、壁に寄りかかって腕組をしていたロロが私の手を引いた。そのまま引っ張られて胸の中に収まる。背中に腕を回されて戸惑いながら顔を上げた。

「ちょ、ちょっと、何ロロ……?」
「ひよりちゃんのことは、俺が護るから」
「え、」

耳元で響くロロの声に、思わずドキリとする。何も言えず、恥ずかしさに耐えながら三日月型の目を見ていた。いきなり何を言い出すのかと思えば……。ただ、どうにも突き放すことができない。また私は甘えてしまうのだろう。

「何やってるんだ離れろにゃんころ」
「……ああ!せっかくいい雰囲気だったのにひどいよグレちゃん!」

割って入るグレちゃんと名残惜しそうにこちらへ手を伸ばしてくるロロを苦笑いしながら見ていると、両隣にセイロンとチョンがやってきてソッと私の手を握る。右はセイロンの小さな手、左はチョンの大きな手。どちらも暖かくて安心する。

「……大丈夫だよ、ひより」
「オレたちがいるからねー!」
「今度会ったときは、俺がぶん殴ってやるぜぇ!」
「わっ!」

真ん前にやってきたあーさんにわしゃわしゃと頭を撫でられて、相変わらずの雑な撫で方で私の髪がぐちゃぐちゃになった。でも、嬉しいから文句は言わない。

「……ありがとう、みんな」

ただただもらった言葉が嬉しくて、へへへ、なんて笑いながら手を握り返す。彼については何も分からないままだけど、みんなに話したことで随分と心が軽くなった。本当に仲間の存在は大きいなあ、と思う。大切で、大好きな仲間。

店内はいつの間にか閉店近くになっていたようだ。どことなく切ない音楽も流れている。「帰るぞ」、グレちゃんに頷いてお店を出る。薄暗い帰り道すら楽しいのは、きっとみんなのおかげだろう。





「……おい。何あの小娘向かって謝ってんだよ。馬鹿かテメエ。ああ?」
「──……ぐっ、」

胸倉を掴まれながら思い切り睨まれる。同じ姿かたちをしているのに、どうしてこんなにも僕たちは違うんだろう。苦しいし今すぐ逃げたいけれど、逃げるところなんてない。それにここは、僕が彼に勝たなければきっと彼女が危ない目にあってしまう。それはダメだ。だって彼女は、何も悪くないのに。

「だ、だって君っ!あのままだったらひよりさんにもっと酷いことするつもりだったでしょう……?!」
「そうさなあ。俺様の言うことを聞かなかったときは、少しばかし腹を切り裂いてやろうと思ってたなあ」
「ほらやっぱり!だ、だめだよそんなの!彼女は人間だ、僕たちとは違う!」

……あー、本当に嫌になる。俺様と同じ姿かたちをしているくせに、どうしてこんなにも弱弱しくて情けない甘ちゃんな上に口うるせえんだ。小娘が何だろうが知ったことか、俺様にもテメエにも関係ねえ。どうしようが勝手だろうが。本当に腹が立つ。

「……力でなんでも解決しようとしちゃいけないよ」
「ならテメエはどうすんだよ?分かってんのか?俺様たちは、」
「でも!話を、……話してみて、それからどうするか決めようよ、……」
「ハッ、馬鹿かテメエは。もう遅えんだよ!これだから甘ちゃんは困るぜ!」

いくら甘いと言われようとも、これが僕の考え方だ。もう遅いかもしれない、もしかすると間違っているであろうこの道を進むしかできないかもしれない。……でも、僕が変わることは絶対にない。
睨みながら歯を食いしばると、掴まれていた胸倉を乱暴に離されて僕は尻もちをついた。起き上がろうとしたら上に乗られて、首を掴まれる。

「──いいか、よく聞け。これはもう、テメエだけのことじゃねえ」
「……わ、分かってる……!それでもっ……!うっ……」
「甘い考えは捨てろ。元に戻りてえんだろ。完全になるって決めただろうが。なら終わりまで、何を犠牲にしようとも筋を通せ」

掴んでいた首を離して退くと、思い切り咳き込みながら苦しそうに表情を歪めてもなお睨んできた。やはり、大本であるだけのことはある。見下ろしながら鼻で笑えば、アイツは上にずれた服を元に戻りながらふらりと立ち上がる。

「筋は通す……けど、僕は力に頼らない」
「チッ……まだそんなことを言うか」
「……僕は、君には負けない」
「ああそうかよ。まあ、精々頑張るんだな。……っと、おっさんに報告忘れんな。またボロボロにやられるのは胸糞悪い」
「……わ、分かってるよ……」
「じゃあな」

へらりと笑って僕に手を振ると、彼は暗闇に消えていった。
……そうして僕は目を開ける。意識が身体に戻った。無機質な、何もないただの部屋。ここが今の、冷たい僕の居場所だ。力なく立ち上がって、ドアノブを握り部屋を出る。……今日の報告をするために、行かなければならない。

「た、ただいま戻りました……」
「……では、報告を」
「は、はい。ひよりさんと接触の後、少しだけ対話をしました」
「分かりました。今日はもう結構です、下がりなさい」
「し、失礼します」

深くお辞儀をしてから部屋をでる。……僕はあの部屋が嫌いだ。暗くてあの人の顔も見えないし、何よりも下手なことをすればあそこで罰を与えられるからだ。もう、あんな思いはしたくない。
ドッと疲れがやってきて、再び何もない部屋に戻って冷たい床に寝っ転がる。……ガチャリ。外側から、鍵がかけられる音がした。それを聞いてから小さく息をついて目を閉じた。暗闇の先、……彼がいる。

「ねえ、少し聞いてほしいんだけど……」
「あ?何だよ」

氷の椅子に座って、足をぶらぶらと動かす。……彼は乱暴者だ。けれど彼は僕でもある。僕と彼は二人で一つで、つまりいい話し相手でもあった。僕の話し相手は、今のところ彼しかいない。彼もまた同じだ。

「……ひよりさん、ぼ、僕にまた会ってみたいって、言ってた……」
「だから何だよ。初めて人間の女と話したからって舞い上がってんのか?阿呆」
「ちっちがうよ!でも、その……なんだか、不思議な感じなんだ」
「へえ……?」
「これが、嬉しいって気持ちなのかな」
「…………」

そんなこと聞かれても分からねえし、興味ねえ。ただ、もしもその感情が今後に影響を及ぼすならば、……。
ギラリ、氷の刃が密かに光ることは、まだ知らない。



prev
next

- ナノ -