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分かってる。
ティーは私のポケモンではなく、ルイさんのポケモンだ。そして今はルイさんのお孫さんであるライさんの。ちゃんと自分でも理解している。……けれど、やっぱり放しがたい。ティーが珍しいポケモンだからとかではなく、いつも明るく笑顔をくれるあの子と一緒にまだ居たい。一緒に旅を続けたい。
「ひよりさん、突然で申し訳ないのですが一緒に来てくれませんか?」
でも、そんなことをいまさら言えるわけがない。ライさんはもう、何年もティーを探し回っていたのだから。
顔をあげ、ティーを肩に乗せながら立ち上がる彼を見る。手にはボールが握られていて、降ろしていた荷物も抱えている。
「どこにですか?」
「俺とティーの故郷へ」
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準備をして、ポケモンセンターを出た。今からうっすらと予想していることに気持ちを密かに沈めながらも、結局断る理由もなければできずについていくことになった。
広い芝生の上、ライさんが投げたボールから出てきたのは、大きな翼をもつポケモン。
「ウォーグル……!」
「俺の相棒です」
『はじめましてお嬢さん』
これまた礼儀正しいウォーグルだ。頭を垂れる姿につられて私も一礼。
「ひよりさんは飛行タイプのポケモンをお持ちですか?」
頷くとライさんがウォーグルに飛び乗った。そこにティーも飛び乗って嬉しそうにライさんの腕の中に入る。
「俺が先に飛ぶので後から着いてきてください」
「分かりました。チョンお願いね」
「いいよー!やっとひよりを乗せて空飛べるー」
満面の笑みでポケモンの姿に戻ったチョンは、ウォーグルの後ろに着いて私が乗りやすいように羽を地面につけて広げてくれた。「それじゃ、行きますよ!」、ライさんの言葉と同時にウォーグルが大空に飛び立つ。続いてチョンも両羽を大きく広げて飛び立つ準備。これが初めての飛行になる。……怖い。こわすぎる。掴まるところも特になく、これまたグレちゃんに乗るとき同様無様な姿になりそうだ。
「チョ、チョン」
『なーに?』
「なるべく、揺れないように……それでできれば低く……」
『えー、そんなの無理だよー。さ、オレたちも行くよー!』
「えっ、ちょっと、待っ…あああああっ!!」
▼
『ひよりだいじょうぶー?』
「だ、だいじょぶ……」
しゃがみ込む私の足元にティーがやってきて心配そうにまん丸の目を向けた。……大丈夫って言ったけれど本当はあんまり大丈夫じゃない。初飛行がこんなに長い距離なんて思ってもみなかった。ただひたすらに気持ち悪いし足なんて恐怖で未だにガクガク震えている。
『今日も空はすごーく綺麗だったねー』
『ねー!』
チョンとティーの嬉しそうな声を聞きながら、なんとかふらりと立ち上がった。……耳に入るのは波の音。心落ち着く音が聞こえている。そういえば着く少し前から、海の匂いがしていたような。
「──ここが俺たちの故郷、サザナミタウンです」
「サザナミタウン、」
サザナミタウン。……確か、チャンピオン倒してからではないと来れないところだったような気が……。もちろんそんな場所にゲームでも私は行ったことがない。初めての場所……サザナミタウンとはこんなに綺麗なところだったんだ。
ライさんに続いて街の中を歩いていく。さっきはライさんの腕の中にいたティーも今は私の腕の中にいて、あれがお土産屋さんであっちがレストラン、なんて忙しなく説明をしてくれている。久しぶりに帰ってきたんだもの、ティーも嬉しくて仕方ないのだろう。
「さ、中へどうぞ」
「ここは……えっ、……もしやライさんのお家ですか?」
「はい」
「お……おっきいですね」
まさしく豪邸。庭はもちろん芝生だし、ブランコやシーソーやら立派な遊具もある。こんなに大きな家は初めてみたかも知れないってくらい大きい。……流石、島をまるごと買い取れる大富豪の家!
「ただいま」
「ライ坊っちゃん!?まあ久しぶりにお会いしましたわ!早速奥さまにご報告を……奥さま、奥さま!」
おお、やっぱりメイドさんがいらっしゃる。ライさんが入るや否やお掃除をしていたメイドさんがわらわらとライさんの元へ集まってきた。みんな驚きの表情を隠せない様子だ。
「ライ、お帰りなさい」
「ただいま、母さん」
そんな中、一人のメイドさんが車椅子を押してライさんに近づいてきた。車椅子に座っているのは白髪のお婆さん。……ライさんに会ったときも思ったけれど、このお婆さんにもどことなく気品が感じられる。仕草の一つ一つがおしとやかで優雅というか。
「母さん聞いてくれ。……やっと見つけたんだ」
「──……まさか、」
ライさんが私の方を見ると、お婆さんもこちらを向いた。視線はゆっくり腕の中にいるティーに落ちて、瞬間、目を大きく見開きながら小刻みに震える皺くちゃな両手でゆっくり口元を押さえる。飛び出そうな両目が潤み、ぽろぽろと雫が零れ落ち。
「ああ……ティー……」
「──……レイ、?」
ぴょんと降りると、すぐに擬人化したティーは本当に小さく呟くように声を絞り出す。きっと近くにいた私にしか聞こえないぐらいの声だった。
それからゆっくり。一歩一歩、お婆さんに近づいていって目の前で立ち止まる。
「……ただいま、レイ」
「おかえりなさい、ティー……!」
鼻をすする音や声がかすかに漏れる音が屋敷に広がる。
そんな中。私はただひたすらに、お婆さんを優しく抱きしめるティーの背中を見ていた。
「ティー、本当にごめんなさい」
レイさんが頭を下げる姿に、ティーの手が止まる。
あれから場所は変わって、私たちはケーキやクッキーがたくさん並べられたテーブルを前にレイさんのお話を聞いていた。ティーを島の地下に閉じ込めていた理由、それは、ティーの力を悪い奴らに利用されないために隠したのだという。
「ルイたちは、僕のことを考えてそうしていてくれたんだね」
「でも……、それでも、貴方を閉じ込めたことに変わりはないわ」
本当に、ごめんなさい。レイさんが涙ぐみながら顔を伏せると、ティーが椅子から降りてレイさんの足元にしゃがんだ。手を彼女の膝の上に添えて、顔を覗き込むように見上げる。
「ほんとはね、……僕、自分でもあそこから出れたんだよ」
「……え、?」
「自分の意思であそこにいたんだ。だから、レイが気にすることなんて何もない」
こちらまで言葉は聞こえなかったものの、ティーが立ち上がるのと同時にレイさんが両手で顔を覆う姿が見えた。何度も繰り返して「ありがとう」と呟く彼女を優しく抱きしめるティー。その背中は、いつもより大きく見えた。