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ところ変わってポケモンセンター。ロビーにある長椅子に座りながらグレちゃんとロロを回復が終わるのを待っていた。
一体、何が何だか分からない。レシラムさんは確かにNくんの城にいると言っていたのに実際はそこには居なくて、しかも今ではその存在すら不確かになってしまっている。
「……ああ、これからどうしよう、」
「なあにしてんだ嬢ちゃん?」
「っひっ!」
「へへへっ!嬢ちゃんは期待通りの反応してくれるなぁ」
背後から突然当てられた冷たい何かに身体を飛びあがらせると、悪戯な笑みを浮かべているあーさんがそこにいた。どうやら頬に当てられたのは、キンキンに冷えたサイコソーダだったらしい。差し出されるそれを受け取ると、プシュッ!と炭酸が抜ける実に気持ちのいい音を鳴らしながらあーさんが私の隣にどっしり座る。勢いよく喉にサイコソーダを通しては声を漏らすあーさんに、仕事終わりにビールを一気飲みしていたお父さんの姿が一瞬被る。
「そういえばどうしたの、その服?」
「どうだ、似合うだろぉ?」
「意外に似合うもんだねえ」
「"意外に"は余計だけんど、……へへっ、そう言われっと照れるなぁ」
はにかみながら後頭部に手をやって、照れ隠しなのか顔を横に背けたそんなあーさんの服は和服である。どこから調達したのかは謎ではあるけれど、着慣れている様子を見ると新品でないことは確かである。濃緑の着物に下駄と瞳の紅が栄える。あーさんの中ではこれがオフ時の服装となっているのかもしれない。
「それより嬢ちゃん、もう平気かぃ?」
もう飲み終わったのか、あーさんが空き缶をゴミ箱に向かって投げれば吸い込まれるように入っていった。それから視線を外して、まだ開けていない手元のサイコソーダを見つめる。
「……お、お見苦しいところを見せてしまいました……」
「なあに、気にすんなってんでぃ。泣きたいときには泣いた方がいいんだぜぇ」
「……はは、」
──……Nくんとのバトルの後、飛び込むようにポケモンセンターに入ってはジョーイさんにグレちゃんたちのボールを渡した私に、一番に声をかけてくれたのがあーさんだった。きっと私の顔を見て結果を悟ったんだろう。"嬢ちゃん、お疲れ様"。それだけ言ってそっとしておいてくれたのは、本当に、本当に有難かったのだ。我慢していた悔しさとか、説明できない熱い感情が全部込み上げてきて思わず縋り付いて少しだけ泣いてしまったのは、他のみんなには内緒である。
あーさんにもこれを機に全てを話した。回数を重ねたことによりだいぶ話し慣れた"私"についてや旅をしている理由など。先に進んで行くにつれてトンデモ展開になりつつある私たちの旅路について、あーさんから特にコメントが無かったことが驚きだ。それら全てを「へぇ、そうだったのかぃ」で受け入れる懐の広さ。おっちゃんの魅力を知るいい機会でもあったかもしれない。
「なあ嬢ちゃん、レシラムと会話したことあるって言ってたよなぁ?そんときに水みてえな音とか聞こえなかったか?」
「水……、?」
やっと開けたサイコソーダを口に含んでいると、あーさんには似合わないしかめっ面で訊ねられた。……水の音。目線を上に向けながら記憶をずっと辿ってみる。そうして一つ、該当するものを思い出しては声をあげた
。──……あれは、シッポウシティのポケモンセンターでのことだ。みんなにも聞いてみたけど私にしか聞こえていなかった水泡の音。
「……で、でもなんでそれをあーさんが知ってるの?」
それを聞くや否や、あーさんは俯いて片手で額を支え目を瞑った。そうしてゆっくり顔を上げて私を真っ直ぐに見つめる。私も顔に出やすいタイプではあるけれど、あーさんも私に負けず劣らずだ。
「……もしかすっと、レシラムは既にゲーチスとか言うヤツに捕まってるかも知れねぇな」
「ちょ、ちょっと待って。何を根拠に、!」
慌ててもう一度聞き返しては瞬きを繰り返す。"いかにも"な表情を浮かべたまま話を続けるあーさんに私はどうすることもできない。缶を両手で握ったまま、一字一句をしっかり聞きとる。
「いやなぁ、俺も詳しい話は知らねぇんだが、」
……それはあーさんが野生時代に居た友人から聞いた話だそうだ。その友人はプラズマ団に捕まったことがあり、その際、ある部屋で巨大な水槽に閉じ込められている白くて大きなポケモンを見たことがあるらしい。
「そいつが逃げ口を直接頭に叩きこんでくれたおかげで命拾いしたとか言ってたぜぇ。そんときに水の音の話もあってなぁ、もしかすると、と思ったんだが……」
プラズマ団の作った機械に閉じ込められているというなら、突然消えた存在にも理由が付く。……いや、でもそれは本当にレシラムさんなんだろうか。伝説のポケモンがそう簡単に捕まるとは思えないのが正直なところである。
「ねえあーさん、今、そのお友達はどこにいるか分かる?」
「多分セッカシティだな。……会いに行くかぃ、嬢ちゃん」
「……うん」
缶に残っているサイコソーダを私も一気に飲み干した。炭酸の刺激に目を思いっきり瞑った後に口を無意味にもぐもぐさせる。缶を捨てようと思って立ち上がると、あーさんに腕を引かれてすぐに椅子へと逆戻り。何かと思えば、缶を投げる仕草を見せる。
「友人さんが見たっていうポケモンがレシラムさんって決まったわけじゃないし、もっと詳しく話を聞きたいなと思ってね」
「んじゃあ、決まりだなぁ!」
周りに人がいないことを確認してから、缶を片手に一回、二回と前後に手を動かした。缶が入る瞬間を頭に思い描きながら、……勢いを付けてゴミ箱へと放り投げる。
──……カンッ。
▼
「なるほどー」
「……だからグレにいとロロにい怪我してるんだね」
回復も終わり、グレちゃんとロロのボールを受け取ってから借りている部屋へと戻ってきた。
ところどころガーゼやら絆創膏が貼られている二人を見つつ、私の話を聞いていたセイロンとチョンが頷いて見せる。
Nくんとのバトルは完全に私の判断ミスだ。なのに負傷した二人と無傷の私がここにいて。……伏せた顔が上げられない。
「ひよりちゃんー?」
「!」
横から覗きこむように、突如私の眼下に現れたロロ。びっくりして思わず顔をあげると、ロロは頬に貼ってあるガーゼに付いてしまいそうなほどに口角を上げた。人をからかうときのような表情をしている。
「なに、もしかしてさっきのバトルのこと気にしちゃってたり?」
「……だ、だって……あれは私が、」
コトン。私の言葉を遮るように、テーブルの上、前の席にカップが置かれる。斜め上から少しだけ見えた液体は黒。どうやらまたコーヒーのようだ。グレちゃんの中のコーヒーブームは一向に去る気配は無い。
「お前の判断は間違っちゃいない。俺たちが弱かっただけだ」
「グレちゃん、でも、」
「そうそう、グレちゃんが弱かったから負けちゃったんだよねえ」
「……ロロも一緒に戦ってたはずだよな?」
「え?」
「……え?」
コントのようなやり取りに、今まで黙って見ていたティーがとうとう我慢できずに笑いだした。ビクティニの姿で宙をふわふわ漂いながら腹を抱えて大げさに笑うティーも巻き込んで引き続きグレちゃんをいじるロロ。私が言葉の続きを言う隙間すら見当たらない。ふと、チョンがさりげなく私の横へやってくると耳元で小さく言う。
「"そういうこと"にしておいてあげてよ、ね、ひより?」
それだけ言っていつも通り締まらない顔でにへらと笑うとテーブルから離れて行く。チョンと入れ替わるようにやってきたセイロンが私の膝の上に飛び乗り、丸くなる。それを撫でながら、私は困ったように頬を人差し指で引っ掻くことしかできなかった。
「ここまで甘やかされていいものか……」
控え目に言っても、グレちゃんたちは私に対してかなり甘い。色々な面で甘すぎる。い、いや、厳しすぎるのも心が折れてしまうけれど、私自身たまに戸惑ってしまうぐらいの程度なのだ。果たしてこのままでいいものだろうか……そう悩んでみるものの、彼らに甘えてしまう私もまた甘すぎるんだろう。まずは自分からどうにかしなければ。
「……よーし、そうとなったら行動あるのみ」
「おうおう嬢ちゃん、バトルかぃ?」
セイロンを両腕に抱えたまま立ちあがり、四つのボールをベルトに付ける。楽しげな声色のあーさんに頷いて見せれば、光の速さで立ちあがっては私の目の前へとやってきた。
「ジム戦とやらか!?」
「ジム戦は明日。これから特訓にバトル練習しようと思って。考えながらやるから時間かかっちゃいそうだけど、いい?」
「俺ぁ、バトルが出来るならなんだっていいぜぇ!っしゃぁ、早く行こうぜ嬢ちゃん!」
「あ、ちょっと待っ……わあっ!?」
……なんということだ。軽々と片腕で私を小脇に抱えて部屋を出るあーさん。もはや荷物のような扱いだ。こうして私は唖然としているみんなを見つつ、半ば強制的に外に連れ出されたのだった。