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遊園地の入り口。
一段とカラフルな色合いに圧倒されつつゲートをくぐり抜けた。辺りには親子連れが沢山だ。行くべき場所は、分かっている。
一人ではなかなかに歩きにくいこの場所をゆっくりゆっくり進んでゆく。ピエロの周りに集まる子供たちの笑い声を聞きながら、横を通り過ぎたとき。……やはりそこに、彼は居た。目の前にある、大きく佇む観覧車から目線を私へと向ける。

「……やあ、ひより。久しぶりだね。こんなところで会うとは思って無かったけれど」
「Nくん、」

相変わらずに深く被った帽子はまるで他者との関わりを避けているように思う。何処かに影を潜めている、それも前会ったときと何の変わりもないけれどNくんの表情はなんとなく柔らかい。この場の雰囲気に多少なりとも飲み込まれているせいなのか。

「丁度良い。……ひより、一緒に観覧車に乗ろう」
「……はい?」
「ボクは観覧車が大好きなんだ。あの円運動……力学……美しい数式の集まり……」

何が丁度いいのやら。私が答えを言う前に、Nくんに腕を掴まれ引っ張られる。ふと、がたがたと腰についていたボールが揺れたと思うとそっとNくんがそれに触れる。

「ボクのトモダチ、少し大人しくしていておくれ。観覧車、二人乗りなんだ」

意外や意外、Nくんの言葉で揺れが収まる。ボールから手を離したNくんは再び私を引っ張った。横切る看板がふと目に入り、"丁度良い"の意味を知る。どうやらこの観覧車、一人では乗れなかったらしい。良い歳した大人がここまでして乗りたいものなのか。見た目からは想像できなかったNくんの意外な一面に思わずくすりと笑みが零れてしまった。……なんですか、その怪訝そうな表情は。





静かな時間がゆっくり流れる。窓に目を向け外を眺めると、さっきまでいた大きな街がまるでおもちゃのようだった。人は小さな点になり、建物はブロックの集合体みたいだ。観覧車なんて何十年振りに乗っただろう。

「……君に聞こう。ひより、君はボクを追っていた。そうだろう?」
「そうです。Nくんに聞きたいこと、沢山あって、」
「いいだろう。君に話してあげよう。……ボクがプラズマ団の王様。ゲーチスに請われ一緒にポケモンを救うんだよ」

Nくんとプラズマ団、そしてゲーチスさん。関わりがあるような気はしていたから、そこまで驚きはしなかった。けれど王だったとは意外である。だから"Nの城"、なんて大層なものも存在するのか。……でも"ポケモンを救う"とは。もしもこれがプラズマ団の本当の目的ならレシラムさんが助けを求めるなんてありえない。やはり、Nくんはゲーチスさんに騙されている。

「ボクはこれを達成するために唯一無二の存在になる。そして未来を変えるんだ……!」

観覧車も終盤に差し掛かって再び地上へ戻ってきた。Nくんが騙されているということ。言うべきか迷ったものの、今のところなんの確証も証拠も無いため黙っておくことにした。

「……Nさん、こんなところに居たんですね」

乗り場に再び足をつけた時、ふと、声がして前を見た。先に短い階段を下りるNくんを呆れたように見ている彼は、実に浮世離れした格好をしていた。黒い鎧に身を包み、ところどころ青白い光を反射する。後ろで一つに束ねている長い黒髪は揺れ、私と真っ赤な瞳の視線が絡み合う。

「……」
「……」

すぐに逸らされる視線。……一体この人は誰だろう。ゲームではこんなキャラはいなかったはずだけれど、何処かで見覚えがあるような外見だ。ふと、Nくんは彼の横へ行くと口元を若干緩ませ口を開く。

「紹介しよう。彼はゼクロム。ボクのトモダチだ」
「ゼク……ロム……!?」

ちょっと待ってほしい。ついさっきまではゲーム通りの流れだったのに、一気にそれが崩れてしまった。こんな序盤からNくんがゼクロムを手持ちにするなんて聞いてない。……もしやゲームに沿っているように見せかけていた、とかいうオチでは……!?

「……貴方がひよりさんですか」
「は、はいい……っ!」

ギン!ときつく睨まれて思わず肩が飛び上がる。私は何かゼクロムさんの気に障るようなことを言ってしまったんだろうか。私を見る目は冷ややかで、あれから一秒たりとも目を合わせることが出来ていない。

「自己紹介ぐらいは致しましょう。俺はゼクロム。レシラム兄さんとは双子の兄弟です」
「えっ、レシラムさんと!?」
「何か?」
「い、いえ……」

あの優しい声をしたレシラムさんと、見るからに怖いゼクロムさんが双子だって信じられる訳が無い。きっと正反対な双子さんに違いない。

「Nさん、もう彼女に用はありません。行きましょう」

ふっと、私から視線が外れたと思うとゼクロムさんはこちらに背を向ける。Nくんもそれに頷き足を動かす。……話も出来たしNくんの現状も少しだけ分かった。けれど何のために、私たちがこうして慌ててここまでやってきたのか。

「ちょっと待ってください」
「……何か?」

私の声で振り返るゼクロムさん。鋭い瞳に負けじとグッと睨み返す。

「Nくん、私とバトルしてください」
「結果はもう、キミも分かっているんじゃないかな」

Nくんの不敵な笑みを視界に入れながら腰に着いているボールを握りしめた。ゼクロムさんがいる以上、確かに私の勝てる確率はほぼ0に近いだろう。

「もし私が勝ったら、Nくんのお城まで私を連れて行ってください」
「いいだろう。……もしも、だけどね」

……それでも私は、"進め"と背中を押してくれるグレちゃんに答えなければならないのだ。


──遊園地から少し離れた森の中。
高い木に囲まれたこの場所なら、多少なりとも人に見られる心配も軽減されるというものだ。Nくんと距離を取り、お互い静かに向かい合う。嵐の前の静けさとはよく言ったものだ。……緊張が走り、手がじんわりと汗ばんでくる。

「Nさんの頼みなら仕方ないですね。……俺がお相手致しましょう」
「……っ!」

瞬間、ぶわっ!と風が巻き上がる。次いで鈍い地響きが鳴り、地面が揺れた。遊園地の方からもざわつく声が風に乗ってやってきた。……が、今はそれすら気に掛ける余裕もない。
まさに高く立ちはだかる黒い壁、だ。ゼクロムさんは多少屈んでいるにも関わらず、かなり大きい身体をしていた。森の木が至る所にぶつかっては緑色の葉を忙しく揺らしている。

「……」

唾を飲み込み、喉を鳴らす。……これが伝説のポケモンか。姿形だけではなく、その威圧も相当なものだ。けれど自らこのバトルを持ちかけてしまった以上、ここで怖気づいて逃げだすわけにはいかない。
ふと、バッグの中で何かが動く。びっくりして鞄を開いてみれば、なんとボールがもう一つ入っていたのだ。私はグレちゃんしか連れてきていない。ならばこのボールはなんだろう。そういえばバッグの口が半開きになっていたことを思い出しながらボールを手に取り、出てきた彼にため息を吐いた。

「……ロロ!?」
『ひよりちゃん、俺を置いていくなんて酷いんじゃない?』
「だってロロはまだ怪我が、!」
『それでも俺は戦うよ』

笑うように尻尾を揺らすその姿に、思わず手を額に当てる。ここまで来てしまってはどうしようもない。無理はしないように忠告をした後に、再びNくんたちに向き合った。グレちゃんとロロ、二人とも相性的には良くも悪くもない。さて、どちらから出すべきか。

『お悩みですか?俺は何人相手でも構いませんが』
「……強気、ですね」
『今の貴女たちに負けるなんてありえませんから』
『……よく言う』
『ほんとだよね』

笑い含みに言われた言葉に、流石のグレちゃんとロロも黙ってはいられなかったらしい。スイッチを押す前にボールから出てきては私の前に立って戦闘体勢に入る。……そうだ、やってみないと結果がどうなるかなんて分からない。もしここで勝てればレシラムさんに会えるのだ。

「……いくよ。グレちゃん、ロロ」





『……くそっ!』
『全然効いてないね……流石だよ』
「こんなものかい、ひより」
「……っ」

二人とも疲れが目に見えてきた。それに比べてゼクロムさんは初めと変わらずどっしり構えたまま私たちを見下ろしている。…悔しいけれど何も言い返せない。最初、こちらが有利と思ったのはとんだ間違いだったらしい。全部技は当たっているはずなのに、少しもダメージを受けている様子がない。……正直に言うと、こんなにもレベルの違いを見せつけられるなんて思ってもみなかった。

『Nさん、もういいですか?』
「ああそうだね。そろそろ時間だ」

ふと、ゼクロムさんの腕が持ち上がり、真っ直ぐにグレちゃんとロロに落ちてくる。さっきまでと速さが比べ物にならない!

「っよ、避けて!」

間一髪避けたのもつかの間、すぐに二人を放電が襲いかかる。私のすぐ目の前にも雷柱がすごい勢いで落ちてきて、思わず尻餅をついてしまった。
……辺りが煙に覆われ、姿が見えなくなった二人の姿を目を凝らして必死に探す。そんな中、煙が切れた合間にNくんの妖しげな笑顔が見えて心臓がどくんと悪い音を鳴らした。

『……ごほっごほっ!』
『ロロ大丈夫か!?』
『な、何とかね……』
「……なるほど、"避雷針"だったのか」

Nくんの言葉を耳に入れながら、やっと見えた二人の姿に安堵のため息を漏らした。平然とその場に立つグレちゃんとその下に隠れるように潜りながら咳込むロロ。そうだ、グレちゃんの特性は「避雷針」。電気技なら警戒する必要は無い!

「マクロ、」
『分かっています。……遊びは終わりです』

そうして再び始まるゼクロムさんの怒濤の攻撃に、手も足も出すことが出来なかったのもまた事実。
……結果は私たちの惨敗だった。無理にでも起き上ろうとする二人の傍に慌てて駆け寄り傷薬を吹きかける。ひっそりと歯を食いしばりながら、すぐ前に壁のように立ちそびえているNくんとゼクロムさんを見た。

「残念だったねひより。でも、ボクの城に来たところでレシラムとは会えないよ」
「……いいえ、会えます。だってレシラムさんはNくんの城に居ると言ったんです」
「……ボクの城に?」
「兄さんが?!」

不意にNくんがゼクロムさんと顔を見合わせて眉間に皺を寄せる。ポーカーフェイスを決め込んでいたゼクロムさんの表情が一気に崩れたと思うと、なにやら両耳を覆うように手を当ててそのまま目を閉じるゼクロムさん。

「…………だめだ、やっぱり繋がらない」
「ボクの城に来てくれと言っていたというのも不思議だけれど……ひより、本当にレシラムはボクの城に居ると?」
「は、はい。確かに、」

私は確かに聞いた。"Nの城にいるから来てくれ"と頼む、あの美しい声を。するとゼクロムさんが目の前に片膝をついて私と目線を合わせる。こんな格好でこのポーズ、……なんだか本当に騎士のようだ。

「少しライトストーンをお貸ししてくれませんか。奪うような真似は致しません」
「……、分かりました」

ゼクロムさんの赤い瞳を見つめてから、バッグの奥底に仕舞っていたライトストーンを取り出してゆっくり手渡した。するとゼクロムさんはそれを額に当てて再び瞳を閉じる。それからしばらく様子を見守っていると時折呼びかけるようにゼクロムさんから発せられる"兄さん"という言葉。レシラムさんと連絡を取っている……?のかもしれない。

「……ありがとうございました」

ゼクロムさんがゆっくりとライトストーンを私に返す。それを受け取り、再びバッグの中に仕舞えばゼクロムさんが立ちあがってNくんをジッと見た。

「Nさん、少し行きたい場所が、」
「分かってる。行ってみよう」
「あ、ちょっと……!レシラムさんは何と!?」

ライトストーンを貸したんだもの、私にだって聞く権利ぐらいはあるはずだ。けれど振り返ったゼクロムさんから返ってきた言葉は意外なもので。

「兄さんとは話していません」
「……え?」

ならさっきの数分間は一体なんだったんだろうか。ゼクロムさんが嘘を吐いているのか否か、疑うよりも先にNくんがゼクロムさんに耳打ちをする。それから私へ視線を向けて、重たい口を開くのだった。

「ひより、レシラムはボクの城にはいない」
「で、でも……!」
「数か月前、急に通信が断ち切られた上、兄さんの存在が消えました」
「消えた……?」
「はい……。もちろんNさんの城も探しましたが居ませんでした。……けれど兄さんが嘘をつくはずはありません。城を、もう一度探してみます」

その言葉に嘘は見られない。憂いすら感じる、揺れる赤い瞳と視線がばっちりあった後、私たちに背を向けてポケモンの姿に戻ったゼクロムさんが漆黒の翼を大きく広げた。ばちり、空気を駆け抜ける電流に唾を飲む。

「これでもボクの城に来たいと言うなら、ポケモンリーグまで来るがいい。そこにボクの城への道がある。……じゃあね、ひより」

ゼクロムさんの背に乗るNくんを見上げては、ただただ口を開けていた。
風が一気に舞い上がり、辺りの物を全て巻き上げ大空高く飛び立つ黒。そうしてすぐに青い空に溶けるように消えてしまったNくんたちに、私は茫然と空を見上げては立ちすくんでいた。




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