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電話が鳴る。受話器の向こうからジョーイさんの声がした。どうやらアカメさんの回復が終わったらしい。ロロに促されて行ってみれば、水槽の中でそれはもう元気すぎるほどにぐるぐる泳ぎ回っていた。水面は常に波打ち、周囲には水が飛び散る始末。
「とっても元気なバスラオですね」
「そうですねえ」
「水分不足でしたよ。こまめに水を与えるようにしてください」
「お手数おかけいたしました……」
ジョーイさんが部屋を出るや否や、アカメさんが一回大きく飛び跳ねた。私にばっちり水がかかり、濡れた顔をゆっくり拭う。
『いやあ、嬢ちゃんのおかげでいつもより上質な水にありつけたぜぇ。ありがとなぁ!』
「……あの、水がかかるのですが」
『ああ悪ぃ悪ぃ!今人間の姿になっからよぉ!』
「こ、ここでですか!?ちょっと待……」
個室ではないこの場所、何処でどんな人が見ているのか分からない。しかし私が止めるよりも先に、また水中に潜るとさっきよりも高く飛び跳ねた。途端、煙があたりを包み込み男の姿がゆっくりと浮かび上がる。
「いやぁ、やっぱしこっちの方が動きやすいねぇ」
「こんなところで擬人化するなんて誰かに見られたらどうするんですか!?」
「なんでぇ、嬢ちゃん。心配してくれてんのか?大丈夫だってんだ!見つかったら見つかっただぁ!」
大口を開けながら笑って私の頭をわしゃわしゃと撫でるアカメさん。な、なんて楽天家……というよりも考え無し。まあそういうところが彼の良いところ、ということにしておこう。それよりも私の髪がぐちゃぐちゃに……。
「でもまあ、アカメさんが元気になって良かったです。ところで何時までここに?」
「その前に嬢ちゃん、ちぃっとばかし俺の話を聞いてくれねぇか?」
「……はあ、」
まだ日暮れにはたっぷり時間があるものの、ロロは安静にしていなくちゃだし特にやることも無かった私は歩みを進めるアカメさんについて行く。話をするだけだというのに、一体何処へ行くつもりなんだろうか。ポケモンセンターの自動ドアを抜けた後、すぐに曲がって歩みを止めた。そこにあったのは、バトルフィールド。今は制服を着た男の子たちが、練習なのか声を掛け合いながらバトルをしている。
「いいねぇ、いいねぇ。最初はああいうもんなんだよなぁ」
体当たり。ヨーテリーとヨーテリーがごちん!とぶつかり転がった。それを見ながら手すりに組んだ両腕を乗せて寄りかかる。片足を手前で曲げて、真っ赤な下駄でもう一方の足を掻く。仕草すらもおっちゃんだ。…その隣、私も手すりに寄りかかって微笑ましいバトルを見守った。
「俺ぁなぁ、バトルが大好きで堪んねぇんだ」
「わあ、単刀直入で分かりやすいです!」
突然何を言い出すかと思えば。褒められたと勘違いしてるのか、アカメさんは口元を緩ませて顎髭を弄っている。いやいや、褒めてないですから。
「嬢ちゃんには分かんねぇだろうがな、バトルはロマンなんだよぉ」
「はあ、」
「俺ぁこのために生きてると言っても過言じゃねぇと思ってるぜ!」
「はあ、」
アカメさんの言うとおり、私にはその浪漫とやらが分からない。私にとってバトルとは、何かを守るため、そして先に進むために仕方なく行うもの。ここまで来た今でさえ、バトルは苦手なままなのだ。
「俺ぁ、強い相手を探してなぁ、森の奥ぅにある川からここまで色んなポケモンと戦ってきた」
「アカメさん、やっぱり野生のポケモンなんですね」
「ああ、そうでぃ。だからなぁ、戦えるのも野生のポケモンしかいなかった。野生のポケモンともなると強さなんてぇ知れてるもんだ!つまらねぇったらありゃしねぇ!」
「……もしかして」
にやり、と笑うアカメさんを横目で見る。今の話の流れからして、きっと私が思っている通りのことをこのおっちゃんは言いたいに違いない。……男の子たちの声がして、再び二匹のヨーテリーがぶつかり合う。今度はお互い転がることなく、その場に踏みとどまり力を均衡に保っている。いいぞ、いけー!、遠くから声援が耳に入ってきた。
「流石嬢ちゃん、察しがいいぜぇ!俺とバトル、してくれよぉ!」
「……お断り、出来ないんですよね」
「ったりめぇだ!嬢ちゃんには貸し、あるからなぁ?」
「ううーっ!卑怯です!」
「へへっ、何とでも言うがいいぜぇ!さぁ嬢ちゃん、あいつらのところへ俺を案内してくれよなぁ」
がしっと掴まれた手は振りほどくことが出来ず、私は易々と案内することになってしまった。大股で堂々と歩く姿に圧倒されつつ、渋々ルームキーを取り出した。回すと同時に勢いよく扉を開けたのはアカメさん。行動すらもダイナミックである。
「たのもー!」
「どうれー!」
貴方は道場破りか何かでしょうか。思わず入れたくなるツッコミを前に、ノリノリで返事を返すチョンに拍手を送りたい。楽しげに笑う二人の横を通り過ぎ、呆れた表情を浮かべながら椅子に座っているグレちゃんの元へと行く。その途中、飛びついてきたセイロンとティ―を両腕に抱えてグレちゃんの隣の椅子に腰を下ろした。
「何だあのおっさんは」
「アカメさん。バスラオさんなんだって」
「何でここまでついてきた?おっさん、野生のポケモンだろう?」
「それには訳がありまして……」
説明しようとしたものの、瞬間、バン!と机が叩かれた。置いてあったマグカップが揺れ、コーヒーが波紋を作る。グレちゃんの視線が上へ行く。その先に居るのは、もちろんアカメさんである。机を叩いた張本人だ。
「で、おっさんは何がしたくてここにいる?」
「おっさんじゃねぇ!お兄さんだ!」
「……それは無理がある」
「っるせぇ!」
グレにいに同意だね。ティーがこっそり呟いて、セイロンもこくこくと頷いている。私も大きく同意したい。実際どれぐらいの歳だか分からないが、その外見でお兄さんはちとキツイ。
「おめぇは確か……なんだっけぇ?……ウレ……」
「グレアです」
「それだ!」
ビシッ!と真っ直ぐに伸びる指を邪魔そうに片手で避けると、マグカップを掴んで優雅に喉に通すグレちゃん。まるで相手にしていない。大人すぎる対応に私がびっくりだ!後からこちらにやってきたチョンは、ポケモンセンターの売店で買ったであろうモモンの実ジュースを冷蔵庫から取り出してごくごくと一気に飲み干す。手招きし、私たちの分もコップに注いでもらう。
「是非ともお手合わせ願いたいねぇ」
「俺がおっさんと戦う理由は?」
「だからおっさんじゃねぇ!…嬢ちゃんと約束をつけたんでぇ。なぁ、嬢ちゃん?」
別の意味で喉が鳴る。上手く飲めなかったジュースで頬を膨らませたまま首を上下に振るとアカメさんはにっかり笑い、対するグレちゃんはじっとりとした視線を私へと浴びせる。ごめんなさいー!心の中で軽く謝り、あとは全てをお任せだ。
「ところでウレア、こりゃなんでぃ?真っ黒じゃねぇか」
「コーヒーだ。見慣れないのも無理は無いな」
「こーひー、……どぉれ一口、!」
「あっ、おい!それは……!」
マグカップを手に取ると、不思議がっていたくせに何の迷いも無く口に含むアカメさん。グレちゃんの慌てる声と、くいーっと上がるマグカップがゆっくり見えた。ここで私もやっと気付く。あのコーヒー、グレちゃん専用のとてつもなく苦いやつ。
……と思っていた矢先、目の前で何とも汚い水しぶきがあがった。虹が見えたのはきっと私の気のせいだ。
「う、うげえっ……」
「………」
「タっ……タオルタオル!!」
『はいひより!』
「ありがとティー!」
急いでグレちゃんの顔を拭く。なんとまあ見事にグレちゃんの顔面向かってコーヒーを吹き出したアカメさんは、未だ口の中に苦みが残っているらしく渋い顔浮かべている。それからばつが悪そうに頭に手をやりグレちゃんを見ていた。
「わ、悪ぃ!ほんとすまねえっウレア!」
「"グレア"だ!覚えろおっさん!」
勢いよく立ちあがり、アカメさんにぐいと近づくグレちゃん。大人の対応はどこへやら。これは完全に怒っていらっしゃる。なかなか見れないグレちゃんにちょっと面白くなりつつ見ていれば、アカメさんもついさっきまで困ったような顔をしていたはずなのに今では眉間に皺を寄せてグレちゃんを思いっきり睨んでいる。
「おい誰がおっさんだってぇ!?ああ?!」
「おっさんって言ったらアンタしか居ないだろ?なあ、おっさん!」
「俺ぁまだ"お兄さん"だ!!断じておっさんなんかじゃねえ!!」
お互い胸倉を掴んでの睨みあいが続いている。……ああ、どうしようか。ジュースを飲みながらセイロンとティーに目をやると、これまたチョンが買ってきたであろうアイスをちろちろ舐めている。アッ可愛い!
「面白いこと、やってるじゃん」
鍵をかけていたはずの扉が開き、入ってきたのはロロだった。またしてもどうやって開けたのかは謎だし、安静にしていないといけないはずのロロがここにいることがまずおかしい。慌てて駆け寄るとふらり、身体が傾いた。そのまま私に倒れてきて、目を見開きながら受け止める。重い、重いぞお。
「ロロ!寝てないと駄目でしょう!」
「ひよりちゃんがいないと俺、俺……!」
「わーロロー、わざと倒れるのズルいよー!オレもひよりにガバーってしたいー」
「シッ!だよ、チョン!」
何がシッ!だよ、にゃんころめー!こちとら本気で心配してたのに!腕を引っ込めその場にロロを置き去りにし、私は再び椅子に座る。それからセイロンから受け取ったアイスに大きくかぶり付く。脳内では怪獣が人を食らうかのように、アイスを食らう自分がいた。
「ここで喧嘩するならさっさと外でやってきなよ。あんなに広い庭があるんだからさ」
「どうせバトルしなきゃいけないんでしょー?だったら今やってきちゃいなよー」
ロロとチョン、ナイス誘導である。一瞬動きが止まった二人は、再び顔を見合わせ不敵な笑みを浮かべ合う。
「そりゃいいぜぇ。表でろ小僧!決着つけようじゃねぇか!」
「臨むところだぜ、おっさん!」
それを合図に二人は窓から外に飛び出した。……って、あれ。ここニ階だったよね!?慌ててバルコニーに飛び出して見れば、すでに下で向かい合っている二人の姿が見えた。後から隣にやってきたティーが、手すりに飛び乗りアイスを食べる。
『心配しなくても平気だよ!僕たちポケモンは人間の姿になっても元々の身体能力があるから、飛び降りるぐらいどうってことないんだよ』
「なるほどね……。驚いたよ、もう」
ティーが庭に目を向けたからそれに釣られて私も見てみる。そういえば二人とも人間の姿のままなんだけど、もしやあれで戦うつもりなんだろうか。
「どうやって戦うのかなー……やっぱ殴り合い?」
「うわあっ!」
ふにゃんとした口調と一緒に後ろからロロの腕に捕らえられた。抵抗してみたものの効果は無し。両サイドからがっちり腕で固定され、ご丁寧に前でクロスを決めている。あははー、こりゃ逃げられそうもない。ロロと入れ替わるようにティーはぱたぱたと可愛らしい小さな羽で後ろに戻って行く。セイロンの声が聞こえたから、またティーがセイロンに飛びついたに違いない。
「ロロ」
「たまにはいいじゃん、ひよりちゃん。ヒウンシティではずっとボールに入ってたし」
「怪我は」
「本当に平気だよ。だからさあ、ねえ。……今だけ甘えさせてよ」
「わ、分かったから耳元で言うのやめてよ……」
くすぐったくて仕方ない。身長差のせいもある。にしてもこれは恥ずかしすぎる!そんな私を知ってか知らずかロロが大きく頷いた。こうしている間にも喧嘩のようなバトルは始まっているわけでして。やっぱり人間の姿のままで戦っていた。垣根のおかげで外からは見えないものの、向こう側を通った人は必ず音を不審に思うのか歩きながら周りを見ている。
……まさに拳と拳のぶつかり合い。ドラマでしか見れないようなあの光景が、実際に今起こっているのだ。ドカッ!とかバキッ!とか鈍い音も生生しい。
「うわあ、痛そう……」
「攻めのアカメさんと守りのグレちゃんか…これグレちゃん負けるかもねえ」
「"攻撃こそ最大の防御"ってやつ?」
「そう。あんなに連続でパンチ入れられたら、反撃しようにも隙が無いから難しいかも」
うーん、ロロの言うとおりかもしれない。私から見てもグレちゃんが押されているのが分かる。アカメさんはと言うと、挑発の言葉を口にしつつ何とも楽しそうな笑顔だった。伊達に喧嘩好きではないらしい。
……とりあえずロロにも捕まっているし私がどうこうできることでもないので大人しく見守ることにする。うん、そうしよう。