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「はい、もう大丈夫ですよ」
「本当にありがとうございます……!」
「ですが傷は深いです。まだ安静にしておいてくださいね」

ジョーイさんに深く頷き、その背を見送る。
──ライモンシティのポケモンセンター。真っ白のベッドに横たわるロロの横、私は安堵のため息を漏らした。大げさだなあ、なんて暢気に笑うロロを睨む。

「……傷は深いって」
『聞いてたよ?でもこれは、俺にとって初めて出来た名誉ある傷なんだよね』
「……何馬鹿なことを」

ギシリ。椅子の背もたれに寄りかかると、私の言葉に同意するかの如く椅子が鳴いた。丁度その頃、ノック音が聞こえてきて返事を返すと扉が開く。入ってきたのは助太刀してくれたあのおっちゃん。両腕にはモンスターボールが四つある。私の代わりに、回復が終わったグレちゃんたちを連れてきてくれたようだ。

「はいよ嬢ちゃん」
「ありがとうございます。……えーっと、」

そういえば、私はこのおっちゃんの名前を知らない。彼もまた、私の名前は知らないであろう。簡易の椅子を広げながら、それに気付いてくれたのか「ああ、」と言葉を繋げてきた。

「俺ぁアカメってぇんだ。ほれ、目が赤いだろぅ?だからアカメなんだとよ」

人差し指で目のすぐ下の皮膚を軽く引っ張り笑う。気さくな人柄で話しやすそうだ。私の名前はひよりです。、そうは言ってみたものの変わらず"嬢ちゃん"呼びなのは、そもそも覚える気が無いからだろう。さして気にはならないけれど、呼ばれ慣れない単語にちょっぴり戸惑う。

「どうでぃ。ちったぁ良くなったかぁ?」
『見ての通りだよ』
「見ての通りって、おめぇ説明するのが面倒なんだな?」
「………あれっ?」

ロロは今、ポケモンの姿のままである。なのにアカメさんはロロの言葉をそのままそっくり返したのだ。つまり、ポケモンの言葉が分かっている。びっくりしながら見ていると、悪戯っ子のような笑みを浮かべて私を見返すアカメさん。

「どうして俺がポケモンの言葉が分かるのかってぇ、気になるんだろぉ?」
「やっぱり言葉、分かるんですね」
「おうともよ。それじゃあ嬢ちゃん、教えてやってもいいけどなぁ交換条件があるんでぃ」

椅子までこちらに向けるアカメさんに瞬きを繰り返す。知りたいことには知りたいけれど、何を要求されるのやら。変わらず笑みを見せたままのアカメさんの目の前、ロロがサッと尻尾を被せて視界を全て埋めてしまった。両目に張り付いたような尻尾を掴みながらがたがたと椅子を鳴らす。

『何が交換条件だよ。ポケモン同士、分かって当たり前でしょう』
「ポケモン!?アカメさんが?」
「おいおい、こりゃあ驚きだぁ。嬢ちゃんこそ、何でポケモンの言葉が分かるんでぃ?」

まあその色々ありまして。そう答えてもアカメさんが追及してくることは無く、へぇそうかい!と珍しい者を見るように私をジッと見つめている。まあ、見た目は普通の人と何の変わりも無いからすぐに見飽きた様子を見せていたけれど。

「アカメさん、何のポケモン何ですか?」
「なあ嬢ちゃん、教えてやっから俺に水をくれねぇか……こうみえて、そろそろ限界なんでぇ……」
「水、ですか?」

もしやさっきの交換条件も水との交換だったのか。確かバッグにおいしい水があったはず。足元に置いてあったバッグを手繰り寄せてがさごそと探していたときだ。ふらーっと座っていたアカメさんが向かい合っていた私に向かって倒れてきた。一瞬、膝の上に顔面が乗っかったときには飛び上がってしまったものの、すぐにロロが擬人化してから椅子に押し戻す。

「水……みずぅ……」

これが、彼の最期の言葉だった……、なんちゃって。椅子の上に力なく横たわるそのポケモン。これなら水を欲して当たり前である。緑色の身体に白くギザギザしている鰭。水そっちのけで図鑑を向けるとお決まりの機械的な音声がゆったり流れた。

"バスラオ らんぼうポケモン。あかとあおのバスラオは すぐにケンカするほどなかがわるい。とてもらんぼうなポケモン。"

乱暴という単語が二回も出てきたぞ。アカメさんにはあまり合わない単語だと思ったものの、先ほどの戦いっぷりからならとても合うとしみじみ思ったのだった。





アカメさんをジョーイさんの元へと連れていった後、今日借りた部屋へみんなを置き、それから再びロロのいる病室へと戻る。私の他に誰も来ることが無い事を分かっている上で擬人化したままベッドに居た。手には自分のボールがあり、両方の指先でゆっくり回転をつけている。……ロロもまた、あの時私が言った言葉を覚えているに違いない。"全部が片付くまででいい"、そう言ったのは私である。

「……同一人物に傷付けられたポケモンと救われたポケモン。同じ種族なのにこうも真逆だと面白いものだね」
「イオナくんって言ってたっけ。私はてっきり、またKが研究所に送った子だと思っちゃった」
「俺もだよ。……俺さあ、イオナくんが居てくれて良かったって思ってるんだ」

それは意外な言葉だった。思わず聞き返すとロロがくすりと笑う。

「彼がマスターの元に居る限り、彼はずっと俺の写しだ。マスターは大きなリスクを背負ったまま、彼を見るたび俺の写しに苦しむだろう。……あはは、いい気味だ」
「…………」
「俺はこういう性格なんだ。ひよりちゃん、知らなかったでしょう。失望した?」
「失望も何も、元から期待はしてないよ」
「何それひどい」
「ロロのこと、信じてるから」
「……ほんと、ひよりちゃんってばズルイなあ」

ボールを乗せた手のひらが私にゆっくり向けられる。私は手を膝の上に乗せたまま。

「俺のマスターはひよりちゃん、君ただ一人さ」
「"全てが片付くまで。"あれも演劇の一つだったってことでいいのかな」
「いいんだよ。……今日でもう、怯える日々にはサヨナラだ。堂々とひよりちゃんのポケモンとして働けるのは嬉しいね」

──……携帯を手にしたKは、今後一切ロロを研究所へ連れて行くことができないと言った。ロロがどれほどの時を逃げ続けてきたのか。私には分からないけれど、やっとけりが付いたのだ。"私の"ポケモン云々よりも、本当に嬉しそうな安堵に似た表情を浮かべるロロを見れたことが嬉しく思う。

「ひよりちゃんがいなかったら俺はずっと逃げていた。──……ひよりちゃん、本当にありがとう」

瞳を細めて歯を見せ笑う。そんなロロの手のひらから、私はゆっくりボールを受け取った。


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