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「ごーお、ろーく、……もうむりい!」
「……まだだめ」
「ううう……」

セイロンに両肩を掴まれ再び湯船に戻されるビクティニくん。口元をお湯で隠してぶくぶくぶく。その目線はセイロンにあった。……ポケモンは動物と同じようにお風呂に入ることがないようで、最初のうちは目新しいお風呂にはしゃいでいた二人も今では顔を真っ赤にしながら大人しく湯船に浸かっている。

「そういえばビクティニくん、名前はあるの?」
「うん!僕はティーって言うんだ!……あれ?言ってなかったっけ」
「ティー、……紅茶だねえ」
「……俺と一緒?」

ティーの後ろでセイロンが軽く首を傾げる。ああ、これはそろそろあがらせないとのぼせちゃう。

「あがったらまた話そっか。2人とも顔真っ赤ー」
「ひよりも赤いよ!」
「……早く出よう?」
「せーっの!」

ザバアア!、3人で勢いよく立ち上がってお湯を無駄に溢れさせた。きゃっきゃと笑い声をあげるビクティニくんことティーと、声は出さずとも楽しそうな表情を浮かべるセイロンにバスタオルを手渡した。あまりやってはいけないことだけど、これってなかなかに楽しいんだよね……!何年ぶりにやっただろうか。小さかった頃が懐かしい。

「──…………」
「……ひより?」

一瞬、お父さんとお母さんの顔が浮かんでこなかった。本当に一瞬ではあるけれど、もしやこの世界に飲まれすぎて向こうの世界のことを忘れかけているのではないか。……そう考えて、ぞくりとした。

「……ねえ、ひより、どうしたの?」
「何でもないよ。ほら、ちゃんと拭かないと!」
「……うん、」

まだちゃんと思いだせるし、これから先も忘れない。私の居るべき場所はここではないのだ。ちゃんと分かってる。そう、今はただ、向こうへ帰るためにこの世界で生きることしかできないだけ。どうせなら楽しくしようと、仲間と一緒に旅をしているだけであって、……。
──……まだまだ先は長い。"その時"がやってくるまで、私はきっとこの"選択"から逃げ続けてしまうだろう。セイロンの髪をわしゃわしゃとタオルで拭いながら、そんなことをぼんやり思っていた。





「お風呂空いたよー」
「あ、次オレ入るー!」

セイロンとティーの後に続き、髪をタオルで拭きながら出ていくと三人仲良く並んでソファに座っていた。どうやらテレビを見ていたらしい。画面にはマイクを持ったリポーターさんが飲食店に入っていく姿が映っている。一定の間隔を開けつつ座るその姿を素早く脳内で原型の姿に置き換えるとかなり可愛くて思わずにやついてしまった。

「ひよりー、その顔なーにー?」

ソファから立ち上がったチョンが私の前までやってきた。私に釣られてなのか、何故かチョンもにやーっと笑う。…私と同じぐらいの背丈と比較的幼く見える顔のつくり。チョンには特に親近感が湧いているというのはここだけの秘密である。

「みんな可愛いなーって思ってさ」
「オレもみんなもオスだってばー!可愛いって言われても嬉しくないよー」
「……嬉しそうに見えるけど?」
「え、えへへー、バレたー……。あのね、可愛いも嬉しいけど、かっこいい!って言ってもらったほうがもっと嬉しいー!」

未だ擬人化の回数が少ないチョンは、羽をバタつかせるように両腕を伸ばして上へ下へと振り回す。可愛いの方がしっくりきすぎてかっこいいには程遠い。

「……あっ!そうだ、チョン!」
「んー?なになにー?」

やっと話せる時間が作れた!小走りで鞄のところまで向かい、意味もなく急いで開く。しばらく入院していた間にポケモンセンターから拝借したメモ用紙の一枚を取り出し、チョンに渡した。

「……ちょーとる?」
「そう。チョンの名前、考えておいたの!」
「オレの名前、チョンのままでいいよー」
「俺が駄目なの!!」

ついさっきまでテレビに釘付けだったはずのロロから空かさず横槍が入れられる。聞いてなさそうで聞いているんだもの。ちゃっかりしている猫さんだ。えー、と声を漏らすチョンを説得するため、紙に書いておいた単語を指差した。

「"Chortle"。この単語には意味があります。……名前に意味があるの、チョンだけって言っても納得できない?」
「ひよりの言い方ズルイよー!何だかオレだけ特別みたいで納得するしかないじゃんかー!」
「ははは、これも作戦のうちだよ」

私を横目に口先を尖らせて顔を背けるチョン。チョンも顔に出やすいタイプだ。その表情を見る限り、まんざらでもないらしい。

「あのね、"嬉しそうに笑う"っていう意味なんだって」
「へー、チョンにぴったりじゃん!ひよりちゃん、よく見つけたねえ」

ロロに同意するように、チョンはしきりに頷いた。これでこそ、私が辞書でひたすら探していた甲斐があるというものだ。

「ありがとうひより!……いつでもこの名前に合うようにいられるようにするね」
「チョン、泣きたいときは泣きなさい」
「そうなったらひよりが胸を貸してくれるのかなー?」
「いつでもおいで」
「わーい!」
「……わっ!」

目の前で腕が広がったと思うとそのまま飲み込まれる。胸を貸す、どころか身体を貸すことになりそうだ。私がチョンより大きくならねばなるまいか。ふと、くすり、耳元で笑い声がする。

「どうしたの?」
「……あったかくて嬉しいなーって。あのね、人間の姿だからこそ分かることもあって、ポケモンの姿のままだったらひよりの体温も分からないままだったんだよー。オレ、やっぱりひよりに付いてきてよかったと思う」

そういうと身体を離してへらっと笑い、お風呂場へと鼻歌混じりで向かうチョン。……そういって貰えたことは素直に嬉しくて、けれども先のことを考えれば考えるほど、私はまた何とも言えない複雑な気持ちになってしまうのだ。



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