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『ほら、着いたぞ』
「うう……」

ふらふらとグレちゃんの背中から降りて灯台を見上げる。レンガがいくつも積まれた古めかしい作りの灯台だ。レンガ畳の地面を踏み、その入口へと立つ。ここにはプラズマ団はいないようだけれど、既に中から複数の声が聞こえている。中にいるのは間違いないだろう。

……短い階段を慎重に降りてゆく。カツン、カツンと鳴る足音と遠くから聞こえる声が混ざり合う。ふと、ドオン!と何かが派手にぶつかる音が行く先から聞こえてきた。足早に駆け降りると、警官の姿がまず目に入る。それからその少し離れた先にハーデリアが横たわっていて、向かい側にはプラズマ団二人とミルホッグ二匹の姿。

「なんで子供がここにきているんだ?」
「広場の仲間たちは何をしているのだ!」

早速気付かれたものの、すばやく警官の元まで走って腰にあるモンスターボールを掴む。

「ここは私に」
「ああ、よかったであります!本官では奴らを止めることができませんでした……頼みます」

そういうとハーデリアのところに急いで駆け寄りモンスターボールに戻す警官。それから駆け足で階段を上っていく太った彼の姿を横目で見送ってから、プラズマ団に視線を移す。

「二対一なんて卑怯じゃありませんか?」
「勝負の世界は厳しいのだ!お前もここまでだ。ビクティニは我々プラズマ団が絶対に解放させる!ミルホッグ、いかりのまえば!」
「グレちゃんニトロチャージ!」

炎を纏って突っ込んでくるミルホッグを迎え撃つ。すると横からもう一匹のミルホッグが飛び出してきてグレちゃん向かって思い切り砂をかけてきた。

『ックソ!』
『もらった!』

目に砂が入ったのかグレちゃんの動きが止まったとき、向かってきた方のミルホッグが高く跳びはねて、さらに威力を増したまま距離を縮めてきた。

『油断したな!二対一だってこと忘れてたのか?』
『何いってるの?二対二だよ、子ネズミちゃん』
『なっ!?』

すなかけをしたミルホッグの足元を蹴り飛ばしてバランスを崩す。それから素早くグレちゃんの前に飛び出て、今度は上から向かってきたミルホッグを長い尻尾ではじき飛ばした。

『グレちゃん、だいじょーぶ?』
『お前、いつの間に……』

未だに目をぱちぱちさせているグレちゃんが驚いたようにロロを見つめる。向こうが二体ならこちらも二体。グレちゃんに指示を出したあと、私がロロも出したことに気が付いていなかったようだ。グレちゃんの顔についた砂を払っているうちにも再びミルホッグが立ち上がって、こちらをギッと睨んでいる。プラズマ団たちも焦りを増した様子で、態勢を整え戦う準備は万端といったところ。

「ダブルバトル、いきますか!」
『絶対勝つよね?』
『もちろんだ』





「く……!子供のくせに!」
「子供じゃないです!!」

勝負はすぐについてプラズマ団は先ほどの警官に取り押さえられた。広場にいた警官もこちらに応援に来てくれたようだ。しかしながら、私は予想以上にグレちゃんとロロのコンビネーションが良くてすんなり勝てたことに未だ驚きを隠せない。喧嘩するほど仲がいいとは本当のことなのかも。

「ほら!いくぞ!」
「我々の目的の実現の日が遠くなってしまった……」

プラズマ団が悔しそうに呟くのを見届けていると、警官が先に続く階段を見ながら私に目を向ける。

「あの先にビクティニがいるらしいです。これに関しては貴女にお任せするであります。……地下で200年も閉じ込められていたビクティニを、このままにするも外へ出すも貴女次第であります」

それだけ言うと、敬礼してから階段を上っていってしまった。プラズマ団も外へ連れ出され、残されたのは私たちだけ。急に静まり返ったこの空間に、思わず飲み込まれてしまいそうになる。

『で、どうすんだ?』

グレちゃんの問いに、少し間をおいてからドアに体を向けると足元に寄り添っているロロがくすりと笑った。

『やっぱり行くんだね?』
「私はビクティニの意思を聞いてからどうするか決めたい、……かな」
『そう言うと思った』

長い年月を薄暗い地下で一人過ごしてきたビクティニはどんな気持ちであの部屋にいるのかな。もしかしたらずっと出たかったのかも知れない。もしかしたらあのままひっそりといたいのかも知れない。

……たっぷり時間をかけながら階段を降りてドアノブを握る。
すでに鍵はプラズマ団に壊されているようだ。そうしてグレちゃんとロロに目で合図をしてからゆっくりとドアノブを回す。……キィ。鈍い音を響かせながら重たいドアが少しずつ、少しずつと開いてゆく。

「……ビクティニ、さん?」

少し空いた隙間から中の様子を窺った。声をかけるも反応なし。ビクティニらしき姿も隙間からでは全く見えず、そのままゆっくりドアを開いていく。
──……先、小さな背中を視界に捉える。しかしそれはポケモンのではなく、人間の背中。不思議に思いながらも慎重に静かに部屋へ足を一歩踏み入れると、その人物がバッ!と振り返った。幼い男の子の、まん丸の綺麗な青い瞳と視線が絡み合う。

「……ルイっ!」
「ルイ?……わっ!」

何かの名前を叫んだその子は、私に向かってすごい勢いで走り寄り、そのまま思い切り飛び跳ね抱きついてきた。倒れないように踏ん張りながらもその子を受け止め、一緒に崩れるように膝から落ちる。

「僕、信じてたよ……必ず迎えに来てくれるって……!」

……誰かと、勘違いをしているようだ。男の子は私の胸に顔を埋めたまま、しきりに「ルイ」という名前を呟いている。抱きつかれたまま改めて部屋を眺めてみると、古い子供のおもちゃがちらほらと散らばっていた。カラフルなタンスに色褪せたベッド。写真立ては埃を被っていた。……ここにはビクティニがいると聞いていた。しかしいるのはこの幼い男の子だけである。

「もしかして、貴方がビクティニなの?」
「……え……、?」

男の子がパッと顔をあげる。白い肌には余計赤く腫れた目元が目立ち、満月のように丸く大きな瞳の淵には涙がたっぷり溜まっていた。戸惑いが浮かぶその目に映るのは"ルイ"と呼ばれたこの私。

「はじめまして。私はひよりっていうの」
「ひより、……」

腕を離して一歩下がる男の子。つい先ほどまできらきらと輝きを放っていた瞳には暗雲が立ち込めている。離れてしまった男の子に手をゆっくり差し伸べようと私が動いたその瞬間、男の子はびくりと体を跳ねあがらせてまた一歩、大きく後ろへ下がってしまった。

「大丈夫、何もしないよ」
「……」
「貴方、ビクティニくん……だよね?」
「……うん、」

ゆっくりと頷く男の子。……やっぱりこの子がビクティニだったようだ。よくよくその姿を見てみれば、ビクティニの面影が窺える。さらさらの金髪にまん丸の青い瞳。それから耳のついたフードを被って今では顔を少しばかり隠してしまっていた。

「……私、貴方の気持ちが知りたいの」
「僕の……気持ち?」
「外へ出たい?」
「えっ……」

驚いたように目を見開くと、口をもごもごさせて絞り出すように声を出す。

「……で、……出たい。でも、僕、ここで"待ってて"って言われたの」
「ルイって人に?」

こくりと頷いたビクティニくんは、少し開いているドアから差し込む微かな光を見た。

「ずっと、迎えに来てくれないんだ……僕のこと、忘れちゃったのかなあ……」
「…………」

悲しそうに頭を垂れるビクティニくん。恐らく、ビクティニくんの言う「ルイ」さんは既に亡くなっているだろう。だってもう200年も経っている。しかしビクティニくんに真実を伝えていいものか。……未だ待ち続けているこの子に。

「ビクティニくん」
「……なあに?」
「私と一緒に、ルイさんを探しに行こう」
「──……、」

目を見開いて、私をジッと見つめるビクティニくんを真っ直ぐに見返す。お腹のあたりで指を絡ませ、もぞもぞと動かしながら私と床の間で目線を行き来させる青い瞳を静かに見守った。

「で、でも僕は外に出ちゃいけないんだ!僕がいるとっ、……」
「……時代は、どんどん変わるものだよ。待って欲しくても、待ってはくれない」
「!」

そっと手を伸ばして、小刻みに震える手に触れる。小さいそれは、柔らかくて温かくて……寂しい。両手でしっかり包み込んでから、戸惑いを隠せない様子のビクティニくんを下から覗き見た。

「ずっと、この狭い部屋で、一人で待っていたんだね。……寂しかったでしょう。不安だったよね」
「……っ、……」
「待つの、とっても辛かったでしょう。……もう、いいんだよ」
「……っわああぁぁっー!」

涙がぽろり、零れたのを皮切りにビクティニくんが顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。縋るように私の首に腕を回し、感情任せに声を絞り出す。背中に手を当て上下に撫でるとさらに湿る襟首。

……ビクティニくんが泣きやむまで、何も言わずにそこにいた。次第にすすり泣きに変わり、ゆっくり私から離れると真っ赤に目元を腫らすビクティニくんがさらに目元をぐいーと擦る。それからふらり、近くにあった子ども用の机まで行くと引きだしを静かに開けた。"それ"を取り出し手に取ると、再び私のすぐ目の前までやってくる。

「これ……、」
「……待つのはもう、疲れたよ。今度は僕が迎えに行く番。……そうでしょう、ひより」
「……うん」

いつか必ず、本当のことを伝えるから、もう少しだけ嘘をつき続けさせて欲しい。今はこの子に再び世界を見せてあげたいのだ。
差し出された小さな手をしっかり握りしめ、重たい扉を押しあけた。ビクティニくんは最後にちらり、狭い部屋を振り返ると小さく手を振った。それからゆっくり、ゆっくりと地上へ続く階段を上っていく。……生ぬるい外の匂い、鋭い光が次第に強まる。

「──……」

レンガ畳をしっかり踏みしめ、辺りをぐるりと見回す。潮風がゆるり、ビクティニくんの頬を撫でる。金色の蜘蛛の糸のように細い髪が揺れ、目をグッと細めると顔を上げて空を仰ぐ。雲がゆっくり、流れる青い空。海と空が今にも同化しそうなくらいに真っ青な景色だった。

「……太陽が、まぶしいよ」

片手を額に、水平に当てて目元に影を作った。長い睫毛が、上を向く。

「随分と変わったんだね、この島も。……それから、」
「……」

その横顔がどこか影があるように見え、ぎゅっと手に力を込めた。それに気づいたビクティニくんは、私を真っ直ぐに見ると瞳を細めてにこりと笑う。大丈夫だよ、そう、言っているような気がした。

「今、僕だけ過去に取り残されたようで寂しかったんだ。……けど、」
「……けど?」
「ひよりがまた、僕の時間を動かしてくれたからもう寂しくないよ」

ありがとう。そう付け加えたビクティニくんの声が、やけに優しく聞こえた。



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